ゲーム世界転生〜現代ダンジョン世界かつ1900年開始で生き残るには〜 作:星野林(旧ゆっくり霊沙)
「遂に完成した……ダンジョンの湧く魔物を調整する方法を!」
ダンジョン研究を行っていたγ博士ニキ率いる研究チームがダンジョンで湧く魔物の数を調整する方法を確立し、今までスライムを増やすことに苦心していたのだが、スライムの湧き数を増やし、逆に下層の魔物の湧き数を抑制したりする方法を確立したのである。
これによってスライム系の産業加工物の増産が可能になり、合成燃料の値下げや量のさらなる確保ができるようになったのである。
というか産業においてスライムが万能すぎてヤバい。
「日本はスライムによって支えられている」
政府要人が発したこの言葉が物語っていた。
ダンジョンの更なる活用法についても研究が進められ、魔物を抑制することで下層でも金属採掘が容易になったり、金属や鉱物の採掘量も増加する結果になる。
それにより、希少金属と呼ばれる物も日本は容易に採掘できるので、それらについても各国に輸出して金を稼いでいた。
「中華はまだ共産党と揉め続けて、軍閥とかもあって国家の統一が出来てない。ここまで揉め続ければアジア戦争でも脅威にはならないだろう」
清国の残党には勝利したことで、中国国民党政府は北京を勢力圏に組み込んだが、満州に関しては南を韓国が、北をソ連が領有しているため手が出せない状態であった。
国民党政府は次は共産党勢力駆逐を目指し奮闘していたのだが、史実でドイツに援助を貰っていたが、軍事顧問を派遣できないほどドイツが弱っていたのと、韓国から横流しされたアジア号と台湾に進出したアメリカ企業が作った兵器を購入して装備を充実しつつあった。
アメリカも兵器の実験場にしていて兵器開発が進むのだろう。
日本はダンジョンでとりあえず試すので開発速度はコンピューターと転生者のアドバンテージで進んでいる状態だったが……。
ちょっと北の方も見てみよう。
スターリンは悩んでいた。
5年前の韓ソ戦争の敗北は軍上層部の粛清で、自身の権威には傷が付かなかったが、それによりトハチェフスキーの軍内の権限が更に上昇し、粛清したくてもできない状態に陥っていた。
それに今トハチェフスキーの派閥を粛清すればソ連軍の弱体化は著しい物となり、反共同盟を結んでいる各国が再び出兵してくる可能性は十分にあった。
幸いとして五ヶ年計画による重工業化には成功したため、韓国から奪取したアジア号と自国の戦車を発展させたT-34戦車の開発に成功したりもしていたが、スターリンは報告書で書かれていた和虎を撃破できる戦車開発を軍部に要求していた。
「日本兵は大口径の対戦車ライフルを1人で担いで運用し、こちらの戦車の大多数を葬っていたらしい……我が国でも歩兵が携行できる対戦車兵器の開発も急がなければ……戦車も戦闘機もデータは日本のシンパから送られてくるが、素材が特殊過ぎて真似しても性能が出ないからな」
日本人の中にも共産主義に傾倒している人物が極わずかながらいるため、その人物達を使って和虎や神風型戦闘機を分解してから秘密裏にソ連領内に持ち込み、再び組み立てられて色々実験されたりもしていたが、現状ソ連軍が有している大砲では、どんな大きさの大砲でも和虎の正面だけでなく側面装甲も貫通できないし、巨大な砲弾をぶつけて、内壁を剥離させて内部人員を殺傷できないかも検証されたが、152mm榴弾砲の砲弾を直撃しても表面が焦げるだけで内部人員は無傷であった。
スターリンだけでなく軍上層部は発狂し、これが日本だと戦車タイプが1万両以上量産されているし、更には新型砲搭と105mm長砲身を搭載した和虎改が量産されていると知ると、上層部は頭を抱えた。
「なんで近代化して100年も経過してない島国が陸軍国のロシアやソ連に陸軍兵器で圧倒できるんだよ!」
そう叫ばずにはいられない。
原因は分かっている。
ダンジョンであり、ダンジョンがあるからこそ日本で共産主義の思想が全く流行らないのである。
ダンジョンで働けば働くほど豊かになるのであれば、そりゃ平等を謳う共産主義は流行らないし、国民総中流以上を達成出来ている日本に平等を持ち込んでも全然見向きもされない。
日本に社会主義の政党があっても、共産党が無い理由である。
政治的に味方に出来ないのであれば、せめて軍事力で圧倒したいところだが、韓国軍がいたとはいえ、ソ連軍約30個師団が日本の2個師団に完敗したという事実が重くのしかかる。
スターリンだけでなく軍上層部も実はソ連赤軍は想像している他国より弱いのではないか……という考えが各所から出ていた。
「弱いなら弱いなりに足掻くのがソ連という国だ」
ソ連技術者達は日本との技術競争に負けを認めたものの、負けたままでいる気は無かった。
「日本に負けるということは資本主義国に軍事力で劣るということに繋がる。それだけは避けなければ」
ソ連は繋がりがある各所からとにかく技術を導入していき、技術力向上に努めた。
技術者達は研究する物があれば研究所や生産施設を丸々建築され、成功すれば勲章や莫大な補助金を、失敗すればシベリア送りというアメとムチの究極系みたいな研究環境で文字通り死ぬ気かつ採算度外視で兵器開発に注力することになる。
こうして傑作戦車のT-34が開発されたばかりであるが、更に性能を向上させた新型戦車T-36、T-38戦車と次々に開発していき、1938年に10年は技術を先取りしただろうとソ連技術者が太鼓判を押すT-40が完成する。
見た目は史実のT−44戦車100mm砲搭載バージョンとほぼ一緒であるが、エンジン出力が向上しており、時速60キロで走行できる快速性を持ち合わせていた。
なお被弾を考慮して傾斜装甲を多用した結果、居住性及び車内容量は劣悪であり、和虎が装弾数90発、ドイツの3号パンターが72発、フランスのルノーM1が80発、イマガワ型戦車も80発なのに対してT-40は36発しか砲弾を携行できず、出力を上げた結果燃費が悪くなり、整地で200キロ、不整地だと100キロで燃料切れになる欠点を抱えていた。
他にもギアレバーが重いとか、変速機が故障しやすいとか夏場にアイドリングで吹かしているとオーバーヒートする等の欠点もあったが、ソ連軍はT-40ならば他国に負けないと量産を決定。
運命の1941年になる頃には5000両のT-40が完成し、その技術を応用した重戦車IS-1も同年には数千両を生産するに至っていた。
なお戦車開発は史実以上に進んだが、航空機開発はイタリアと日本がジェット機開発に注力していると情報を掴み、ジェット機を独力で開発したのは良かったものの、出力がレシプロ機以下だったこともあり、かえって航空機研究を混乱させることに繋がってしまい、航空機は史実と同じ程度にしか進まなかったのであった。