ゲーム世界転生〜現代ダンジョン世界かつ1900年開始で生き残るには〜 作:星野林(旧ゆっくり霊沙)
日本国内ではとある技術革新が起こっていた。
8ビットパソコンが開発され、軍事用の制御コンピューターに至っては126ビットのスパコンが使用されている現状で、空軍の軍人達は航空機の訓練の難易度を低下させることができないかの試みが行われていたのである。
というのもアメリカで1920年にフライトシミュレーションの原型となる装置が開発され、その技術を大恐慌時のアメリカの企業買収時に日本にも入ってきていたのである。
最初期のフライトシミュレーションはリンクトレーナーと呼ばれる木製のコックピットを模した装置の中に実際の飛行時に使う計器を搭載して、操作することで計器を飛行状態を模して動かしたり、ペダルやレバーで脚部が動く動作や翼の制御装置が実際に動くのを目で見て確認することができたのである。
これは当時画期的で、日本でもパイロット育成で使われていたのだが、これを更にシミュレーションの質を向上させることができるのではないかと試みられたのである。
なんなら自動車の運転シミュレーションも一緒に開発する運びとなり、前世でゲーム開発に携わっていた転生者や機械工学が得意な技術者が招集され、軍事プロジェクトとして国から予算を出してもらい開発が進められていたが、1935年の7月にこれが形になったのである。
結局民間企業や財閥も動員した一大プロジェクトになったが、モニターに飛行状況を映し出して、実際にコックピットを模した座席が前後左右に動き、モニターを観ながら運転の練習ができる様になったのである。
転生者達からすればゲーム感覚であるが、実際に飛行訓練をする飛行学生達からは実機で訓練をする前にある程度身体に飛行場を覚えることができると好評であった。
ダンジョンのお陰でパイロット適正がある人物が他国より圧倒的に多く、レベルが上がればパイロット適正も上がるため、花形である戦闘機パイロットになりたい人物は多かったし、ダンジョンのワープ機能を用いた脱出機構の開発で、着陸失敗以外での死亡事故の数は減らせていたが、未熟なパイロットはどうしても離着陸の事故を起こしてしまっていた。
それが今回開発されたフライトシミュレーションにより事故数は激減し、今まで100人いたら3人から5人は事故で大怪我を負ったり、亡くなったりしていたのが、ほぼ0にすることに成功したのである。
で、空軍では毎年4000人近くのパイロットを育成し、各種航空機に割り振っているが、16歳から25歳までの独身男性がパイロット資格を取ることができ、30歳を超えると軍に残るか民間に就職するかを選べるようになる。
民間でも現在パイロットの需要はうなぎ上りであり、民間でも飛行訓練を行ってパイロットを育成したり、元パイロットの教官が大学と提携してパイロット育成をする学部があったりするくらいである。
理由としてジェット貨物機が現在無いので、飛行艇やレシプロの大型輸送機が頑張ってるのだが、積載量の関係で数を飛ばさなければならず、民間用の丸ゆ型でも飛行訓練を受けたパイロットが運転しなければいけないという決まりがあるため、皆パイロットになりたがったのである。
あとは民間パイロットの給料の良さというのもある。
現代日本だとパイロットの年収は約1800万から2000万とされていたが、この世界のパイロットだと好景気と人手不足から引く手数多であり、1000時間フライトしたことのあるパイロットが1万円(現代換算で約1億円)の年収が平均であると報道されると、子供達はダンジョン探索者やスポーツ選手、軍人の次にパイロットを目指す人が続出したのである。
あと日本のパイロットの潜在人口の話もしておこう。
アメリカには約1億3000万人の人口がいて、パイロット適正がある人口が50万人……であった。
一方でこの世界の日本は約8800万人の人口が居て、250万人がパイロット適正があると空軍の統計で明らかになっていた。
それだけレベルが上がればパイロットをできる身体、精神力、知能が身につくとされていたからである。
「史実日本は教官すらも前線に送り込んで消耗させていた……これでは戦術のフィードバックすらできず殲滅させるのは目に見えている。これでは良くない。となれば空軍ではパイロットの人数を揃えてローテーションを組めるようにすることと、戦時にパイロットを育成しなければならない時に、人数を確保できる教育プログラムを作らなければ」
空軍大将の1人がそう呟く。
更に練習機として旧式化した神風型を更に性能にリミッターを掛けた改造機を、練習機として多数調達したり、空母の離発着の難易度を下げるために姿勢制御装置の開発などが急がれるのであった。
日本がダンジョン素材の積極的な輸出で外貨を稼ぐ中、アメリカでは自国産業を守るための保護政策を実施して、日本製品の締め出しが行われるなど経済的な軋轢が徐々に表面化しつつあった。
アメリカ経済界は植民地主義の延長で日本のダンジョンの海外企業の所有を認めさせるようにロビー活動をしたりもしたが、効果は無く、日本に作った米資本の企業で多少活動するのがやっと。
経済界では日本の技術的な飛躍が起こる前に戦争によって叩いてしまったほうがよいのではないか……という論争が真剣に議論されるようになっていたのである。
「多少勇敢といっても極東の猿……アメリカの生産力であれば潰せるであろう」
「中国政府も日本製品によって国内産業が育たないと嘆いていた。彼の国とウラジオストクの奪還を目指すソ連を焚き付け、多方面から日本に攻めかかれば、彼の国が戦闘民族であったとしても負けるであろう」
「海軍も日本と戦争状態になった場合、翌年には戦力比を現在の10:6から30:6にすることも可能でしょう。それに1936年にはロンドン軍縮条約の時効になる。我が国の経済も建て直しは順調に進んでいる。条約失効と同時に軍艦を増産していけば問題ないだろう」
「陸軍の予算増額もだな。元気なイタリアも少々邪魔になりつつある。どこかで両国にダメージを与えられればアメリカは再び黄金期へと到れるだろう」
日本人に対して甘い考えをしていたアメリカであったが、史実の米帝の脅威を知る転生者達がいかに戦力を整えているか……後々身に染みて味わうことになるのであった。