大魔法使いゼーリエは、安楽椅子に座って本を見ていた。
向かいには、春風を受けて眠っている男の姿がある。
いつもは針金のような鋭さと掴みどころのなさのある男が、無防備に夢をみている。
どんな人物からも大なり小なり警戒か緊張をされる自分にとっては、珍しい体験だった。
きっとこの男は私すら知らない私を多く知っているのだろう。
この魔法協会本部ではすでに「若いツバメを囲っている」といったような噂が飛び交い始めているのを、ゼーリエは自らの部下から聞いていた。
机から立ち上がる。
男の無警戒な顔を眺めて、本当にこいつが自分に勝る魔力技量を持っているのかと疑念を抱かずにはいられない。
視線を文字に落とす。
『ユーベルさんは死んでいい人じゃない。うまくいくまで何度でもこの魔法を使う』
『失敗した。ゼーリエという女に邪魔された』
『失敗した。魔導特務隊の上層二人が強すぎる。俺では歯が立たない』
『失敗した。ユーベルさんの魔法が弱体化した』
『失敗した。彼女を魔法使いの道から引き剥がした。だが、その結果、その結果……』
『失敗した。ユーベルが魔族に四肢を奪われてダルマになった。障害となるものは切り捨てる』
『魔族は、皆殺しだ』
『元七崩賢どもを先に潰す』
『未来を知っていることがバレると、黄金郷のマハトに対策される。南の勇者と戦った経験があるからだ。俺の動向をサイコロにして、乱数で行動を変えてくる』
『一般攻撃魔法・明と一般攻撃魔法・暗を作った。派手なほうと派手じゃないほうだ。明で魔力変換効率が悪いとみせかけ、油断した隙に暗で付け込む。ブラフで杖も使用する』
『アウラとかいうのは使える。こいつに知り合いの魔族を呼び出させよう』
『失敗した。魔導特務隊が強すぎる』
『また失敗した』
『魔族をつぶしても、人族が争う』
『両方潰したいが、間に合わない』
『ゼーリエから彼女の不合格を頼み込んだが断られた』
『ゼーリエに負けた。もう少しだ』
『ゼンゼのやつは人間にトドメを刺すときに一瞬ためらう。そこが隙だ』
『完封した。ゼーリエの封印に成功した。これで合格は出せないはずだ』
『フリーレンに負けた。いや、その弟子か? なんにせよ、フリーレンたちと男のエルフに邪魔されなければ、うまくいっていたかもしれない』
『シュタルク少年の底力が厄介だ。フェルン少女を殺す前に、まずはこいつをどうにかする』
『無理だ。勝てない』
『ゼーリエに太陽外交を図る。まずは接触し、気に入られよう』
『ゼーリエは花が好きらしい。勉強する』
『ゼーリエとお忍びで街を歩いていたら、フリーレンに遭遇した。ゼーリエはめちゃくちゃテンパっていた』
『朝起きて、ゼーリエの寝顔を眺めるのが日課になっている。顔に触れると起きてしまうので、見ることしかできない。起こさないとレルネンさんに小言を言われる。それでもやはり、見惚れてしまう』
『ゼーリエに殺された。反撃できなかった。もうあの泣き顔をみるのは辛い』
『黄金郷のマハトにアウラを殺された。やり直す』
『あれほど帝国をめちゃくちゃにして司法権を崩壊させたのに、それでも逮捕してこようとする魔導特務隊の男がいる。あの隊に潜入して内部から崩壊させたほうが効率がいい』
『魔導特務隊は人間だった。あんな鉄面皮なのに。殺したくない。』
『見くびっていた。まさか大陸魔法協会と協力するとは思わなかった。ゼンゼとカノーネに殺された。強かった、だが勝てたはずだった。ゼンゼと俺が、最後同時に攻撃をためらって、そこをカノーネが……』
『ゼーリエに久しぶりに会った。俺のことを忘れていた。いや、当たり前だ。忘れているのではなく、そもそも知らないのだから』
『アウラの従属を解除したら泣かれた。繋がりが切れるのが嫌らしい』
『ユーベルが死んだ。最期に、俺と昔に出会ったときのことを思い出したようだった』
『ユーベルに殺された。近づきすぎた。警戒心が高い時期に接触してしまった。最近、無抵抗で殺されることが多いような気がする』
『準備が足りない。久しぶりに魔法を研究する。一般攻撃魔法・暗は、魔法の熱エネルギーや光エネルギーの発散を抑える分、威力が落ちやすい。これまで空中に待機した一般攻撃魔法・暗をリボルバーのように回転させて使っていたが、そもそもの魔法軌道を変えて破壊効果を上げられないか』
『卓球のボールと同じだ。接地部分から体内を転がりまわるように事前に回転を加えておく。先端を加工して、ジャイロ回転が相手に触れた瞬間に縦横の回転になるようにする。確実に殺す魔法、の完成だ』
『アウラと大陸を横断していたら、ゼーリエに見つかった。無論、殺された。が、最後に抱きしめることができた。久しぶりだった。暖かかった』
『角を折ってほしいと言われた。アウラは人族になりたいらしい。向こうがなにか願い事を言うのは久しぶりだから叶えてやりたいが、傷つけたくはない』
『帝国に魔族をぶつけた。魔法使いたちから魔王と呼ばれた』
『アウラがフリーレンに従属していた。フリーレンの魔力隠蔽について教えるのを忘れていた。フリーレンは俺のことを「角無し」と呼んでいた』
『道中の
……………………
…………
……
「ゆーべる……」
男が、寝言を言った。
それにゼーリエは意識を引き戻される。
「……馬鹿者が」
「?……ぜーりえ?」
薄めを開けて寝ぼけている瞳が、ゼーリエを見る。
男は何か勘違いしているのだろう、おもむろに両手を開き、ゼーリエを抱き寄せた。
「おい」
「ぜーりえのにおい、おちつく」
エルフ特有の長い耳を背後に回した手で器用になでながら、男はゼーリエの首元に顔をうずめている。
その絶妙な安心感にゼーリエも体から力が抜けそうになる。
この本に書いてあることは、やはり事実なのだろう。
ゼーリエはおもむろに男の額を指で弾いた。
「てっ」
「起きろ」
「なん、ゼーリエ? ……ああ、そうか、悪い」
男が、手を離す。
しかしゼーリエはその場から動かなかった。
「これまで、私がお前に協力しなかった理由を教えろ」
「……、どういうことだ?」
「この本に詳細までは書いてなかった。だが私はお前に全面的な戦争協力をしていない。なぜだ」
「……」
男は一度、部屋に視線をさまよわせたあと、言う。
「おそらく、おまえ……いやあなたが、自分では平和を作れないと考えていたからだと思う」
やはりそうか、とゼーリエは得心した。
きっと自分は、この男のゆく道に干渉して、少しでも悪い方向に傾けてしまうのを忌避したのだ。
世界が戻されず、奇跡的にユーベルが生存し、自分と男が刹那ばかりの数十年を過ごす未来を求めていたのだろう。
「私は戦いが好きだからな」
「知っている」
ゼーリエは、本に書いてあった最後の文章を思い出す。
『俺は、あの子の悲劇が許せなかった』
『きっと、その悲劇を起こした世界でさえも』
(嘘吐きめ……)
ゼーリエは、男にまっすぐ目を合わせた。
「なら話が早い」
「?」
「私と決闘しろ」
まだ少しだけ寝ぼけている男が首をかしげるのと、給仕が入室してくるのはほぼ同時だった。
新人の給仕は、小さくノックをして、無作法にも確認なく扉を開いてしまった。
そこで見たのは、長寿のエルフが、青年の膝の上に対面で座り、超至近距離で覗き込んでいる姿だった。
窓から木漏れ日がさし、一種の絵画のような光景に一瞬だけ呆然としたあと、給仕はひどく赤面する。
「し、失礼しましたッ!!」
廊下に響く大きな声と、ゼーリエが誤解を解くために言葉を尽くすのは、この大陸魔法協会本部のちょっとした非日常となった。
------------------------
魔法協会の訓練場。
俺とゼーリエは、そこで相対していた。
周囲には、協会に属する魔法使いたちが固唾を呑んで見守っている。
それもそうだろう。
ゼーリエが自身の戦闘を面前で披露することなど、設立時から数えてもほとんどないのだから。
急に行われることになった、俺とゼーリエの決闘。
だが不思議なことじゃない。
戦闘狂のきらいがある彼女は、突発的にこういった矯激に走ることがこれまでもあった。
「それで、どうする」
「どうするとは、私へのハンデが、ということか?」
ゼーリエが、不敵に笑う。
彼女は、手元に一つの杖を作り上げると、宣言した。
「ナシ、だ。全力で来い」
魔力が吹き荒れる。
「どうしてもか」
「どうしてもだ」
ゼーリエの背後に、幾多もの魔法陣が展開する。
「何を……考えている」
「お前が勝てば、小娘の不合格を認めてやる。負ければ、私の言うことを一つ聞け」
「……!」
驚いた。
これまで一度も、そんな条件はない。
自身の信念に従わないことは、これまで一度もなかったからだ。
「本気で言っているのか?」
「ああ、本気だ。教えてやる、この世界で本気じゃないのは、お前だけだと」
------------------------
魔法協会所属の魔法使いたちは、二人の戦闘が始まるのをじっと見ていた。
ゼーリエと昵懇であると噂の一級魔法使い。
そして、ゼーリエ本人。
魔法の余波を恐れてかなり遠くから観戦している彼らのほとんどは、二人の会話が聞こえていない。
そして、いきなり。
二人の姿が忽然と消えた。
残っているのは、地面の黒い染みだけだ。
いや、
染みではない。
────影だ。
上空を見上げる。
魔法使いたちがほぼ同じようなタイミングで空を仰ぐと、彼らの視線の先には、傍らに魔道具らしきものを浮かべた男とゼーリエが浮遊していた。
男のそばには、何らかのランタンのような魔道具が浮かんでいる。
ゼーリエの背後には、まばゆい魔法陣が流動的に展開している。
ゼーリエの放つ魔術が、男に当たる前に逸らされる。
ランタンの魔道具から魔法に対する斥力が発生しているのだ。
対して、ゼーリエの感応型の防御魔術が、局所的に発光する。
『
男が、身を逸らす。
そのすぐ横を何かが落ち、地面を陥没させた。
仮想の質量が、練習場の地面を半径5メートルほどに渡って破砕する。
ゼーリエの背後に展開する魔法陣は、まるで天使の羽のように横斜めへと広がっている。
それらが閃き、数多の光線が発射された。
斥力に押し負けたランタンが、圧縮され、壊れる。
魔法に対する効果を失い、落下するそれを、追加の魔法が完全に粉砕する。
「『
ゼーリエのその言葉を聞き取ったのは、身体能力の高い近距離型の一級魔法使いたちだった。
武威を示す曳光弾のような条線をかいて、先程の数十倍の魔法が、無慈悲に男へ降り注ぐ。
攻撃魔法は斜めに飛びながら追尾するように軌道を変え、防御魔法をかいくぐる。
男は、前進することで、魔法をかわした。
背後で魔法同士が衝突し、大爆発を引き起こす。
それらの一部を推進力に、一部を簡易防御魔法で弾きながら、男はゼーリエに向かって手をかざす。
「『
不可視の斬撃、いや、斬ったという「結果」が飛ぶ。
ゼーリエの防御魔法が、十字に割かれ、砕け散る。
それでもゼーリエは、不敵に笑っていた。
背に特大の攻撃魔法を浮かべ、滑空する。
男も、迎え撃つように両手を向け────
「な……」
男は驚愕した。
ゼーリエが、寸前ですべての魔法を中断したのだ。
慌てて、男は迎撃魔法を止める。
そのまま向かってくるゼーリエを、抱きとめる。
遠心力で、二人はぐるぐると宙を三回転ほどした。
「おい、どうして」
「私の勝ちだ」
ゼーリエは、男の首に手を回したまま、その手中に魔術を発動させていた。
男が、瞑目する。
「……参った」
ゼーリエが戦いでこのような手段を取ることは基本ない。
これまでもなかった。
男は気づく、なにか、今回の行動を引き起こしたものがあったのだろうと。
おそらくそれは自分の行動が原因。
考えた。
考えたが、思い当たらなかった。
「私が勝ったからには、言うことを聞いてもらうぞ」
「いいだろう」
男は少し考える素振りをみせながらも、頷いた。
今回のループがうまくいかずとも、次がある。
まるでそう言っているかのような顔つきに、ゼーリエは少し怒りを覚えた。
「まず、軍を作るのはやめろ」
軍といったのは、魔王軍のことだ。
他の魔法使いがいることを考えた言い回しだろう。
「他には?」
「ユーベルとかいう小娘に、一度会って本気で関われ」
その言葉に男は、鼻白んだ。
挿絵、いる?
-
いる!
-
あるならみたい
-
いらないですよ!