アレスの天秤〜伊那国雷門なんていなかった〜 作:風邪ひきたくない
―後半0分―
ピッチに戻る。笛。
時間はリセットされたはずなのに、体はリセットされていない。
そして何より――雷門の前線が、また来る。
前半と同じ速度。
前半と同じ人数。
前半と同じ距離感。
「……嘘でしょう」
誰かが言った。
自分も同じ言葉を飲み込む。
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―後半4分―
回す。下げる。逃げる。
逃げた先にまた影がいる。FWが追う。MFが重なる。
“プレス”というより、追跡だ。
保持しているのに休めない。
保持しているほど走らされる。
雷門は奪うと短い。
短く運ぶ。短く撃つ。短く終わらせる。
こちらは長い。
長く持たされる。
長く走らされる。
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―後半10分―
足が重い。まだ十分。
なのに息が熱い。
時間が進んでいない。進んでいるのは脚だけだ。
雷門の前線は戻る。
攻めたら終わりじゃない。
戻って、また追う。
戻って、また追う。
「……まだ、追いますか」
自分の声が、もう嘆きに近い。
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―後半15分―
遅れてくる。
脚が言うことを聞かなくなる。
トラップが一回跳ねる。
その一回に雷門が入ってくる。
奪われる。
短い。
二手、三手でゴールへ行く。
「戻ってください!」
声が自分の耳に届く前に、雷門がもうエリア付近にいる。
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―後半20分―
星章のDFが戻り切れない。
戻っているのに距離が縮まらない。
GK天野が前に出る。
身体ごと止めにいって、なんとか弾く。
弾いた。
――弾いたのに。
こぼれに雷門が詰めている。
最初からそこにいたみたいに、当たり前に。
押し込まれる。
ネットが揺れた。
一瞬、観客席が爆発する。
星章側が静かになる。
雷門は喜ばない。
手も上げない。叫ばない。
点を取った選手すら振り返らない。
ただ全員が無言で自陣へ戻っていく。
まるで今のが、0-0だったみたいに。
その無表情が、胸を殴った。
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―後半22分―
センターサークル。再開。
点差は一。まだ終わっていない――理屈では。
でも体が「終わっている」と言っている。
太腿が重い。肺が痛い。
星章が無理に縦を入れる。
その瞬間、雷門が奪う。
奪った瞬間、もう前を向いている。
DFは戻る。戻る。戻る。
戻り切らない。
またGKと一対一。
天野が出る。
今度は技じゃない。
技を出す余裕がない。身体で止めに行く。
止めた――ように見えた。
雷門の選手が、GKごと押し込むみたいに前へ出る。
ボールも身体もラインも、まとめて飲み込まれる。
二点目。
雷門は、やはり喜ばない。
全員がすぐ戻る。
二点差。
普通なら、まだ戦える。
でも今日は違う。
二点を取られた瞬間、頭の中に“影”が落ちる。
鬼道。
――鬼道がいれば。
その考えが浮かんだ自分が、嫌だった。
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―後半25分―
雷門のFWが走り出す。
細い体が、細いまま加速していく。
星章のDFがついていけない。
追っているのに距離が縮まらない。
縮まらないまま、虎丸がボールを受ける。
迷いなく蹴る。
「タイガードライブ!」
天野が構える。
――技を出せない。
出す余裕がない。身体が先に動かない。
手を出す。弾こうとする。
弾けない。
身体ごと押し込まれる。
ゴールラインごと持っていかれるみたいに。
三点目。
雷門は戻る。淡々と。
まるでまだ0-0みたいに。
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―後半28分―
四点目は“事故”だった。
星章の戻しが短い。
雷門が奪う。
奪ったら短い。短いままゴールまで行く。
GKと一対一。
天野が出る。
身体が遅い。遅いまま触る。
ボールは弾かれる。
弾かれた場所に、雷門が詰めている。
押し込まれる。
四点目。
雷門は戻る。
無言で。
まるで何も起きていないみたいに。
⸻
―後半30分―
笛。
……終わった?
思った瞬間、ボードが上がる。
追加時間:5分
目の前が暗くなる。
「……まだ、やるんですか」
誰かが笑った。
笑いじゃない。壊れた音だ。
星章は全員ボロボロだ。
足が攣りそうで、肺が痛くて、視界が狭い。
それでも雷門は、増えた時間を当たり前に受け取る。
誰も嫌な顔をしない。
誰も呼吸を整えようとしない。
最初から最後まで、同じテンポで攻めるつもりだ。
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―後半30+5分―
ホイッスル。
音が鳴った瞬間、力が抜けた。
倒れそうになるのを膝に手をついて耐える。
顔を上げると、雷門がもう整列している。
喜ばない。騒がない。
終わった瞬間に、終わった顔をするだけ。
星章は誰も言葉が出ない。
勝ち負けじゃない。
ただ、通じるはずの常識が通じなかった。