アレスの天秤〜伊那国雷門なんていなかった〜   作:風邪ひきたくない

4 / 6
この飛鷹は茨城から来てます。
雷電もわりと兄貴兄貴してます。
キャラ崩壊許して…


糸がほどける

 

ホイッスルが鳴った瞬間、世界の音が一度だけ遠のいた。

 

熱い。

冷たい。

息が苦しい。

それでも、立っていられる。

 

スコアボードに 4-0 が残っているのを見て、ようやく胸の奥がほどけた。

 

――勝った。

 

勝ったのに、足がまだ走ろうとしている。

止まれない慣性が、ふくらはぎの奥に残っている。

 

僕は深く息を吸った。

肺が痛い。

痛いのに、安心している。

 

「……やった」

 

誰かが言った。声が震えていた。

笑いながら言ったのに、笑い声にならない。

 

それが僕らの“勝った”だった。

 

 

点を取ったとき、僕らは騒がなかった――わけじゃない。

 

肩を叩いた。

短く叫んだ。

拳を握って、すぐ戻った。

 

それだけだ。

 

余裕がなかった。

 

星章から見たら、僕らは無表情に見えたかもしれない。

淡々と戻って、淡々と並んで、淡々と守っていたように。

 

違う。

表情を出すほどの余裕がなかった。

 

喜んだら、崩れる気がした。

崩れたら、負ける気がした。

 

勝ちたいから戻った。

ただそれだけ。

 

 

整列の合図がかかる。

 

「集合!」

 

喉が擦れるような声だった。

誰の声か確かめようとして、僕はやめた。

今は“誰が言ったか”より、“全員が動くか”が大事だ。

 

動く。並ぶ。礼をする。

当たり前の動作が、やけに重い。

 

星章の選手たちが見える。

肩で息をして、膝に手をついて、立つだけで精一杯の人がいる。

 

僕は一瞬だけ、目を逸らした。

 

勝ったから逸らしたのか。

勝ったのに逸らしたのか。

 

――どちらでもいい。

今は、終わったことだけが大事だ。

 

握手。

 

相手のキャプテンの手が熱い。

熱いのに、力がない。

 

僕も同じだと思う。

熱い。

でも指先が震えている。

 

言葉は出ない。

出ないまま、握って離す。

 

礼をして背を向けた瞬間、足の力がふっと抜けた。

 

「うわっ」

 

誰かがよろける。

隣の誰かが支える。

 

「大丈夫か」

「大丈夫じゃねぇ……!」

「でも勝った!」

「勝ったな……!」

 

そのやり取りが、急に現実だった。

試合中にはなかった、現実の言葉。

 

笑いが漏れる。

笑いというより、息が漏れる。

 

僕も少しだけ笑った。

 

――やっと、止まれる。

 

 

スタジアムの控室に戻ると、外の歓声が壁越しに遠くなった。

代わりに近くなるのは、息の音。水の音。テーピングを剥がす音。

 

「4-0だぞ」

 

誰かが言う。確認するみたいに。

信じるために。

 

「4-0……」

「勝ったんだよな」

「勝った!」

 

短い拍手が起きる。派手じゃない。短い。

でもそれで十分だった。

 

その拍手の中で、雷電先輩が一番最初に息を吐いた。

 

「……よくやったな、お前ら」

 

ぶっきらぼうな声。

でも視線は、全員を一回ずつ確かめている。

 

「当たり前だ、って言いてぇとこだが……」

「正直、死ぬほどキツかっただろ」

 

「キツいっす……」と誰かが情けなく返して、息みたいな笑いが起きた。

 

雷電先輩はタオルを肩にかけたまま、拳で自分の胸を軽く叩いた。

 

「いいか。まず座れ。水飲め。足つってるやつ、無理すんな」

「今、倒れるならここで倒れろ。外で倒れたらカッコ悪ぃ」

 

乱暴な言い方なのに、言ってることは優しい。

それで、みんなが安心して崩れていく。

 

雷電先輩は続けた。

 

「初戦で星章だ」

「ランキング一位だ。しかもトーナメントで負けたら終わり」

「……そりゃ緊張もするし、余裕なんかねぇ」

 

一人ずつ、目を合わせるみたいに見る。

 

「でも勝った」

「お前らが走ったからだ」

「戻ったからだ」

「最後までサボらなかったからだ」

 

言い切ってから、少しだけ声を落とした。

 

「……怖かっただろ」

「通用すんのか、このメンバーでサッカーできんのかって」

「俺も同じだ」

 

“主将が怖かった”と口にしただけで、空気が落ち着く。

みんなの怖さが、肯定される。

 

雷電先輩は乱暴に頷いた。

 

「だから今日の勝ちはデケェ」

「証明できた。――やれる」

 

誰かが小さく頷く。

 

「次、どこだっけ」

 

「美濃堂三中だよ」

 

返事がすぐ返る。

その速さに、少しだけ安心する。

 

「帝国は?」

「決勝だ」

 

雷電先輩は鼻で笑った。

 

「遠いな」

「でも、見えた」

「星章を越えた。次からは“帝国までの道”だ」

 

一瞬だけ、嬉しさが走る。

でもすぐに締まる。

 

「勘違いすんな。帝国がいなくても、試合は落としたら終わりだ」

「……けどな」

 

雷電先輩の口角が少しだけ上がる。

 

「星章倒した俺らなら、ビビってても前に進める」

「ビビったまま走れ。今日みたいにな」

 

最後に、雷電先輩は乱暴に言った。

 

「今日は勝った日だ。笑え」

「ただし、浮かれんな。バス出るぞ」

「帰って飯食って寝ろ。明日もある」

 

 

控室を出て、バスに乗る。

スタジアムの灯りが窓の向こうで遠ざかっていく。

 

車内の空気が少しだけ緩んだ。

緩んだ分だけ、話題がサッカーから離れる。

 

前の席で、塔子がスマホの地図を開いたまま言った。

 

「ねえ、東京って駅、多すぎない?」

「乗り換えの矢印が、戦術ボードみたいなんだけど」

 

三好が吹き出す。

 

「分かる。俺、今日“西口”で迷って、同じ場所に三回戻った」

「地元なら絶対しないのに」

 

「寮に帰れなくなるやつだ」

後ろから誰かが言って、笑いが起きた。

 

塔子は肩をすくめる。

 

「帰れないのは困るわね」

「……今日勝ったから、まだ気が楽だけど」

 

自然にサッカーへ戻りそうになって、でもすぐ日常に戻る。

このチームは、そういう揺れ方をする。

 

「寮って意外と静かだよな」

三好がぼんやり言う。

「集団生活ってもっと騒がしいかと思ってた」

 

「消灯があるからね」

塔子が淡々と返す。

「破ると雷電先輩が――」

 

「圧で死ぬ」

小暮が即答して、車内が笑いで揺れた。

 

飛鷹が窓の外を見たまま、小さく呟く。

 

「……東京、うるせぇな」

 

いつもの強がりより、少し柔らかい声だった。

小暮がわざと明るく返す。

 

「でもさ、飯はうまいよ? 寮のメシ、意外と好き」

「前の中学のとき、こんな量出なかったし」

 

「前の中学、どこだっけ」

三好が聞く。

 

「言ったらバレるからやめとく」

小暮が笑って誤魔化す。

誤魔化し方が上手い。空気が軽くなる。

 

塔子が小さく頷いた。

 

「……“バレたら面倒”ってことだけは、共通してるわね」

 

その一言が、寄せ集めのリアルだった。

出身も事情もバラバラ。

だからこそ、詮索しない。詮索させない。

 

代わりに、くだらない話をする。

 

「東京の自販機、種類多くない?」

「分かる。地元にないやつばっか」

「今度、寮の帰りに寄ろうぜ」

「寄り道したら雷電先輩に――」

「圧で死ぬ」

 

笑いがまた起きる。

勝った日の笑いだ。

 

その流れのまま、虎丸の声が聞こえた。

サッカーへ戻るのに、戻り方が自然だった。

 

「一点目さ……打つ前、ほんの一瞬だけ迷いそうになったんだよね」

 

「迷ったの?」と誰かが返す。

 

「うん。でも迷ってる暇、なかった」

「要が後ろで声出してるし、雷電先輩が走ってるし」

「“今だ”って、体が勝手に決めた」

 

“勝手に決めた”という言い方が、妙に刺さった。

勝ちたい気持ちが、迷いを上書きした瞬間。

 

虎丸は少し笑って続ける。

 

「決めたあと、めっちゃ嬉しかった」

「でもさ、喜びすぎると息が切れて」

「戻るのが一番、勝ちに近かったんだよ」

 

その言葉で、車内がまた温まった。

 

隣の席から、相馬ナオキの声が上がる。

口調は本当に普通の一年生だ。

 

「俺、途中から足が自分の足じゃないみたいでした」

「でも止まったら負ける気がして……みんな止まらないから、止まれなくて」

 

「止まんなくて正解」

小暮が軽く返す。

「……って言いたいけどさ、明日さ。朝練、なくてもよくない?」

 

一瞬、静かになって。

すぐに笑いが漏れた。

 

「ふざけんな」

雷電先輩が即答する。声は荒いのに、どこか嬉しそうだ。

「なくねぇ。……でも、死ぬほどはやらせねぇよ」

 

「やったぁ」

小暮がガッツポーズを作る。作ったまま、その場に沈む。

 

その“沈み方”が、勝った日のそれだった。

 

僕は窓の外を見ながら、胸の奥の糸が少しだけ緩むのを感じた。

サッカーだけじゃない。生活がある。寮がある。明日がある。

 

だからこそ、勝ちが“現実”になる。

 

そして――その現実の中で、笑い方が遅い気配が一つだけ残ることも、僕は見逃せなかった。

 

見ないふりをして、糸を結び直す。

 

(次も、全員で)

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。