ちょっと精神的に参ってて遅れました。
赤い空の下。
妖精たちのざわめきは広がっているが、まだ暴走はしていない。
不安はある。
だが、言葉にされていない。
だから崩れていない。
ベリータは周囲を一瞥し、低く言った。
「教主。少し奥へ」
視線がわずかにリニュアへ向く。
「部外者は外してくれる?」
フリックルが鼻で笑う。
「エルフは遭難した征服者たちの街へ帰れ。ここからは王国の話だ」
リニュアの指が、わずかに強張る。
私は一歩前に出る。
「彼女は――」
言いかけたとき。
リニュアが動いた。
二人の間に、踏み込む。
その剣幕に、周囲の妖精が息をのむ。
「滅亡の箱舟は使ってはなりません!」
空気が凍る。
フリックルの目が細まる。
ベリータの瞳が、わずかに揺れた。
「……今、なんと言った?」
リニュアは息を整えず、続ける。
「世界樹の根に眠る箱舟計画は失敗します」
「司祭の斧で根を断っても、間に合いません」
沈黙。
周囲のざわめきが、遠のく。
私は二人を見る。
フリックルの声が、鋭くなる。
「なぜそれを知っている」
ベリータは低く問う。
「エルフが、なぜ王国最奥の計画を知っている?」
リニュアの瞳が、強くなる。
「今度はエレナ様の指示ではありませんよ!」
その名に、空気がまた揺れる。
フリックルが一歩踏み出す。
「どういうことだ」
リニュアはまっすぐ答える。
「これは、世界を終わらせたくないという――」
一拍。
「私の意思です」
その言葉に、嘘はない。
私はそれを感じる。
計画の正否はわからない。
機密の漏洩も理解できない。
だが。
彼女の恐怖は、本物だ。
私は口を開く。
「よくわからないけれど」
フリックルが嘲る。
「ほう?」
「どうやら、リニュアも一緒にいたほうがよさそうだ」
一瞬、場が静まる。
フリックルが鼻で笑う。
「はん!教団で見ない顔のやつをたやすく信用するとは」
「教主の威信も地に落ちたな」
私は肩をすくめる。
「もともと威信なんてないよ」
フリックルが舌打ちする。
私は続ける。
「でも、これだけはわかる」
リニュアを見る。
「彼女のこの言葉は、本当だ」
リニュアの瞳が揺れる。
「教主様……」
その奥で、別の声が震えた。
(やはり、読心能力はお持ちなのですね)
私は一瞬、息を止める。
……読心?
心が、微かに波打つ。
だが、顔には出さない。
ベリータの瞳が一瞬だけリニュアを計るように細まった。
「時間がない」
赤い空を見上げる。
「……チッ。お前の発言の真偽は王宮で確かめてやる。感謝しろ、外来種」
フリックルが舌打ちしながら背を向ける。
「ついてこい、全員だ」
私は歩き出す。
リニュアが隣に並ぶ。
距離は、近い。
だが今は、静けさはない。
赤い空の下。
妖精王国の王宮へ。
滅びの話をするために。
―王宮の奥間。
窓の外は、まだ赤い。
光が差し込んでいるのに、温度がない。
重い空気の中、ベリータが椅子に腰を下ろす。
フリックルは腕を組み、壁にもたれた。
私は中央に立ち、リニュアは一歩後ろ。
「それで」
フリックルが口を開く。
「まずはお前がなぜ我々の計画を知っていたのかを教えてもらおうか?」
声音は冷たい。
ベリータが続ける。
「教主が認めたとはいえ、素性も知らぬ者を安易にこの話に参加させるわけにはいかぬ」
視線は鋭い。
「状況が落ち着いたら、魔女議会に引き渡す。裁判にかけることもいとわん」
静かだが、本気だ。
リニュアが小さく息を吐く。
ほんのわずか。
覚悟のような吐息。
「あなたたちに話をするのは、これで二度目になりますね」
フリックルの眉が動く。
「前は動揺しましたが、今回は問題ありません」
その口調は落ち着いている。
だが、心は違う。
“間に合って”
その焦燥が、波のように伝わる。
「私の名前はリニュア」
一拍。
「五千年後の未来からやってきたエルフです」
沈黙。
私も、言葉を失う。
リニュアが小さく肩を落とす。
「やはり、この流れになりますか……」
ベリータがゆっくりと立ち上がる。
「やはりこの者を魔女裁判にかけるしかなさそうだ」
リニュアが一歩踏み出す。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
焦りが混じる。
「今はそんなことをしている暇はありません!」
フリックルが一歩前へ。
「ほう? では説明してもらおうか」
ベリータが顎を引く。
「どういうことだ」
リニュアは、赤い空を一瞬だけ見る。
「この空は滅亡の前兆なのですよ」
声が震えていない。
それが逆に怖い。
「私は何度もこのような状況になって、そのたびに世界の終わりを見送ってきたのですよ」
フリックルが吐き捨てる。
「でたらめを言うな!」
「第一、お前が未来から来たという証拠はどこにある!?」
リニュアが、ゆっくりと目を細める。
その目は、怒りではない。
諦めに近い。
「証拠ならありますよ」
手を胸元へ。
「ここに」
空間が淡く歪む。
光の輪郭。
ホログラムが立ち上がる。
立体的な光の結晶。
回転する座標。
私は思わず息を呑む。
「……これは」
リニュアが静かに言う。
「これは次元移動装置ですよ」
フリックルの目が鋭くなる。
ベリータは椅子を離れ、映像をじっと見つめていた
「それで、その装置がなんだというのだ?」
リニュアは操作を続ける。
光の像が変わる。
王宮。
世界樹。
そして――
灰色の空。
「まずはこれを見てください」
映像が揺れる。
世界樹の根が断たれる。
箱舟が起動する。
空が割れる。
海が逆巻く。
妖精の羽が凍る。
教主が、いない。
「あなたたちが計画を実行した結果の世界ですよ」
空気が凍る。
ベリータの瞳が、わずかに揺れる。
フリックルの指が、震えた。
私は映像から目を離せない。
そこには、確かに。
終わった世界が映っている。
そして――
その空は、今と同じ赤をしていた。
ホログラムが静かに消える。
赤い光だけが、窓から差し込んでいる。
ベリータは一歩も退かない。
「映像は偽造できる」
声は平坦。
「証拠にはならぬ」
フリックルが小さく頷く。
「幻術の類いだな。未来を騙る者がよく使う手だ」
空気は、まだ魔女側にある。
リニュアは反論しない。
ただ、静かに言う。
「滅亡の箱舟は、あなたたちが作ったものではないですよね?」
その問いは、刃の向きが違う。
ベリータの目がわずかに細まる。
「……何が言いたい」
「箱舟は“継承されたもの”ですよね」
「世界樹の根と共に眠っていた」
「あなたたちは、それを“使えるようにした”だけです」
沈黙。
フリックルが口を開きかける。
「スパイの可能性がある」
ベリータが押し返す。
「内部の情報を盗んだ者がいるのだろう」
だが、リニュアは続ける。
声は静かだ。
「世界樹の穴」
その瞬間。
私には意味がわからなかった。
だが、ベリータの視線の奥が揺れたことは、わかった。
「……続けろ」
低い声。
リニュアは一歩踏み出す。
「そのとき、あなたは最後にこう言いました」
一拍。
静寂。
赤い光が、床に滲む。
そして。
リニュアが、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「『その可能性も考えたが、今そのような現象が起こるわけがない』」
空気が張りつめる。
「『世界樹の衰退と老化は、五千年後に起こると予測している』」
沈黙。
誰も、息をしない。
ベリータの指先が、わずかに机を叩く。
一度だけ。
フリックルの顔が変わった。
壁から、ゆっくりと身体を離す。
目がベリータに向く。
声はない。
でも、その沈黙が言っていた。
フリックルが、ゆっくりとベリータを見る。
「……女王様」
ベリータは答えない。
私は、リニュアを見る。
彼女は、震えていない。
だが心の奥は、叫んでいる。
——信じて
——今度こそ
——これ以上、見送りたくない
ベリータが、静かに口を開く。
「……その言葉を、誰から聞いた」
問いではない。
確認だ。
リニュアは、わずかに目を伏せる。
「あなたですよ」
部屋の温度が、下がる。
「前の滅亡の前に」
フリックルの呼吸が乱れる。
「ありえない……」
ベリータは、ゆっくりと椅子に座り直す。
その動作が、妙に重い。
「教主」
私を見る。
「お前はどう思う」
赤い空が、さらに濃くなる。
私は、リニュアを見る。
彼女は、まっすぐこちらを見ている。
未来から来たと言う少女。
滅亡を何度も見送ったと言うエルフ。
証拠は、ない。
だが。
私は、静かに言う。
「少なくとも」
一拍。
「彼女は嘘をついていない」
赤い光が、揺れた。
ベリータが、ゆっくりと立ち上がる。
赤い光が、その横顔を縁取る。
「穴を確認する」
それは命令だった。
迷いはない。
理屈を超えた瞬間だ。
フリックルが即座に動こうとした、そのとき。
空間が、わずかに歪んだ。
王宮の奥間に複数のドローンが侵入する。
幾何学的な陣。
透過する結晶。
そして、声。
「待て」
低く、響く。
「話は聞かせてもらったぞ」
私は息を呑む。
リニュアの視線が、わずかに上がる。
フリックルが舌打ちする。
「……いつの間に」
歯を食いしばる。
「いつの間に魔法を回避する手段を身につけたんだ、エルフ達め」
光の像が結ぶ。
そこに立っていたのは、白衣のエレナ。
淡い褐色の髪。
冷たい理知の瞳。
リニュアが小さく言う。
「前の次元では、盗聴は見破られていたはずなのに」
視線は上空へ。
「ここの世界では、ずいぶんと隠蔽工作が進んでいるのですね」
エレナの口元が、わずかに動く。
「進歩というやつだ」
その声に、わずかな皮肉。
ベリータが一歩前へ出る。
「勝手に王宮へ干渉するとは、エルフ」
エレナは視線を落とす。
「干渉ではない。助言だ」
赤い空が、窓の向こうで揺れる。
「世界樹の穴は、既に観測している」
その言葉に、空気が固まる。
フリックルが低く唸る。
「観測、だと?」
エレナは続ける。
「穿孔は物理的なものではない」
「位相の歪みだ」
「時間軸の揺らぎが一点に集中している」
私は、リニュアを見る。
彼女の瞳が、わずかに震える。
エレナの視線が、リニュアに向く。
「お前は知っているはずだ」
静かだ。
「このまま放置すれば、世界は自壊する」
ベリータは、しばらく沈黙した。
机の上に視線が落ちる。
考えている。
女王としての、計算が走っている。
フリックルも口を閉じている。
口を挟む間ではないと、わかっているのだ。
やがてベリータが顔を上げた。
視線は、リニュアに向く。
「……箱舟以外の方法は」
問いは静かだ。
感情がない。
ただ、情報を求めている。
リニュアの指先が、わずかに動く。
「……前の世界では、ありました」
ベリータの目が細まる。
「前の世界で」
「はい」
リニュアは一拍置く。
「別次元から、修復の資源を持ち込む方法が」
「エーリアスフロンティア——」
その名に、エレナの視線が鋭くなる。
「別の次元移動装置があれば、他の者も送り込めました」
「複数人で、資源を確保できた」
「だから、あの世界では間に合った」
沈黙。
ベリータが続きを促す。
「だが、今回は」
リニュアの目が、わずかに落ちる。
「この装置では」
胸元の次元移動装置を、指で押さえる。
「私一人しか、移動できません」
声は揺れていない。
だが、その奥に。
"それでも来た"
"来るしかなかった"
その重さが、静かに伝わる。
「他の者を送り込むことができない」
「だから、今回は——」
「策が、ない」
部屋が、沈む。
フリックルが低くつぶやく。
「……一人で来た、ということか」
リニュアは答えない。
それが、答えだ。
エレナは首を振る。
「どちらにせよ、間に合わん」
沈黙。
「だが、延命は可能だ」
フリックルの目が細まる。
「延命?」
背後に、別の映像が展開する。
エレナが口の端を上げた。
「モナティアムが観測を始めたのは、三ヶ月前だ」
巨大な環。
光を巡らせる装置。
「世界樹延命装置」
エレナの口元が、わずかに歪む。
「これなら、世界樹を延命できる」
リニュアの瞳が、わずかに揺れる。
その奥に、赤とは違う色が宿る。
「リニュアとかいったか」
ベリータが言った。
「お前の言う“前の滅亡”で、これは存在したか?」
リニュアは少しの間、エレナを見た。
それから、首を横に振った。
「……ありません」
一拍。
「私の知る世界には——なかったのですよ」
エレナは淡々と言う。
「完全修復は不可能」
「だが、数日は稼げる」
赤い光が、さらに濃くなる。
「選べ」
エレナの声が、静かに落ちる。
「今すぐ崩壊を迎えるか」
「延命し、未来に賭けるか」
視線が、私に向く。
教主。
決断を待つ目。
リニュアもじっと見ている。
「教主様……」
かすれる。
私は、赤い空を見る。
そして。
二人を見る。
一人は理性。
一人は未来。
世界は、まだ壊れていない。
だからこそ。
選ばなければならない。