心の中のギデオンに癒されてて遅くなりました。
決断は、言葉にならなかった。
ただ、私はうなずいた。
それだけで十分だった。
エレナの背後に浮かぶ巨大な環が、ゆっくりと回転を始める。
低い振動。
二重になった外側のリングから順に速度を増す。
摩擦のない回転。
静かなのに、圧がある。
やがて。
内壁から、光の筋が走り始める。
最初は細く、青白く。
それが十本、二十本と増え、
中心へ向かって束になっていく。
プラズマの収束。
ひとつの核が生まれる瞬間。
世界樹の根元から、光が走る。
赤い空が、ざわめく。
雲が引き裂かれるように流れ――
色が、薄れていく。
赤が、滲む。
消える。
青が戻る。
あまりにも、あっけなく。
世界は、静かになる。
鳥の声が戻る。
風が、柔らかく吹く。
まるで何もなかったかのように。
リニュアがはっと息を呑む。
胸元の装置に手をかける。
蓋を開く。
針が回る。
数値が、揺れる。
61%。
一瞬。
58%。
そして。
54%。
止まる。
リニュアの瞳が揺れる。
“下がった”
安定している。
世界は、持ちこたえた。
エレナが淡々と言う。
「成功だ」
その声には、わずかな勝ち誇りが滲む。
だが。
ベリータは空を見たまま、動かない。
「……代償は」
誰にともなく言う。
エレナが答える。
「今のところ、観測されていない」
フリックルが鼻を鳴らす。
「今のところ、か」
沈黙。
私はエレナに向き合う。
「それで」
「どのくらい時間は残っているんだ?」
エレナは視線を落とす。
空中に浮かぶ数式のような光が、静かに流れる。
しばらくして。
「……ふむ」
そして、こちらを見る。
「すまないな、教主」
「え?」
「どうやら私の試算が間違っていたらしい」
私は一瞬、言葉を失う。
エレナは淡々と続ける。
「世界樹の回復能力は、本物だ」
「予想以上にな」
一拍。
「この分なら」
「あと数十年は持つ」
ベリータが、ゆっくりと振り返る。
その目は、冷たい。
「教主」
「今回は助かった―だが」
私は目を合わせる。
「世界樹に機械を取り付けることは、我らの誇りに反する」
声は静かだ。
怒りではない。
断絶だ。
「本来なら」
一拍。
「滅びを選ぶべきだった」
リニュアの指が、わずかに震える。
エレナが笑う。
「延命の案もないくせに、粋がるな」
空気が張りつめる。
フリックルが一歩踏み出す。
「女王様を侮辱するな」
声が鋭い。
「貴様らが余計な干渉をしなければ、我々は我々のやり方で――」
「やり方で滅びただけだ」
エレナが切り返す。
火花が散る。
その間に、ベリータが低く言う。
「やめよ」
それだけで、空気が止まる。
ベリータは視線を私に戻す。
「教主の顔に免じて」
ゆっくりと。
「しばし様子を見る——しかし」
だが、その瞳は固い。
「今後の解決策は、我らだけで探る」
「エルフの手は借りぬ」
エレナは肩をすくめる。
「好きにしろ」
光の像が薄れ始める。
ベリータは踵を返す。
フリックルも続く。
去り際、ベリータは一度だけ立ち止まる。
「だが忘れるな、教主」
振り向かずに言う。
「機械に救われた世界は、機械に支配される」
静かな足音が遠ざかる。
王宮に、青い光が差し込む。
世界は救われた。
空は青い。
揺らぎは下がった。
それでも。
胸の奥に、薄い不安が残る。
私は、隣を見る。
リニュアは装置を見つめたまま動かない。
54%。
安定。
だが。
彼女の心は、安定していなかった。
―数日後。
私は再び、精霊の山へ登っていた。
空は青い。
あの日の赤が嘘のようだ。
風は澄み、鳥は鳴き、
世界は静かに息をしている。
隣を歩くリニュアは、
何度も空を見上げていた。
まるで、青を確かめるように。
山頂に近づくと、
雪の匂いが混じる。
白が、視界に広がる。
そこに立っていた。
白い髪が風に揺れる。
「あら、教主さん」
柔らかい声。
「また、いらしたのね」
私は軽く手を上げる。
「ああ、アヤ。ちょっと景色が見たくなってね」
アヤは、空を見上げる。
目を閉じる。
「感じたわ。世界樹の音を」
一拍。
「でも今回も、解決したのでしょう?」
私は頷く。
「ああ。エルフ達のおかげで、何とかなったんだ」
アヤが微笑む。
「さすがは私の教主さんだわ」
風が、雪をさらう。
「理解ある者には、おのずと解決の手段が寄ってくるものね」
私は苦笑する。
「運がよかっただけだよ」
アヤは何も言わない。
ただ、少しだけ長く私を見る。
それから。
「ところで」
視線が、私の背後へ。
「後ろの方についても、紹介してくださるかしら?」
私は振り向く。
リニュアが、一歩引いて立っている。
「ああ、彼女はリニュア」
言いかけたとき。
アヤが、にこりと笑う。
「そうなのね」
「私はアヤ」
軽く胸に手を当てる。
「教主さんと蜜月の関係を築いている一人よ」
一瞬、風が止まる。
「そんな誤解を招くような紹介はやめてって言ったよね!?」
私は即座に抗議する。
アヤはくすくすと笑う。
「冗談よ」
だが、リニュアの反応は違った。
ほんの一瞬。
リニュアの指が、服の裾を握る。
彼女の手が胸元の装置へ延びる。
アヤの視線が、静かにそこへ落ちた。
そして。
「あなた」
柔らかい声。
「どこから来たのかしら?」
リニュアは、ほんの少し間を置く。
「遠いところから来ましたよ」
口調は穏やかだ。
だが、その奥に、
長い時間の冷気がある。
アヤの瞳が、わずかに細まる。
「……そう」
風が吹く。
万年雪の匂いが濃くなる。
アヤは空を見る。
「今回の音は、静かね」
私は笑う。
「もう落ち着いたよ」
山は、何事もなかったかのように静かだった。
アヤが笑う。
「相変わらず真面目ね、教主さん」
「そういうの、昔から変わらないわ」
私は肩をすくめる。
「昔って言うほど長く生きてないよ」
「そうかしら?」
アヤはくすくす笑う。
「私から見れば、みんな昨日の子よ」
雪を指で払う。
白が舞う。
「でも」
アヤが続ける。
「昨日の子でも、世界を救うことはあるのね」
私は苦笑する。
「救ったのはエルフ達だよ」
「私は決めただけ」
アヤが目を細める。
「決めるのが一番難しいのよ」
風が吹く。
雪がさらわれる。
青空が広がる。
「静かになったわね」
「……本当に」
アヤが空を見て言う。
「世界樹の音も落ち着いている」
私は頷く。
「延命装置が効いてるらしい。エルフの機械は便利だね」
アヤは、少しだけ黙る。
一拍。
アヤの視線が、ふとリニュアへ向く。
じっと。
少し長く。
「あなた」
優しい声。
「寒くない?」
リニュアは小さく首を振る。
「大丈夫ですよ」
その声は、落ち着いている。
でも胸元の装置は、まだ握られている。
アヤが少しだけ首を傾げる。
「不思議ね」
「あなた」
雪を指でつまむ。
「誰かに似ているわ」
リニュアが、わずかに身を強張らせる。
「……そうですか?」
「ええ」
アヤは空を見上げる。
「遠い昔にいた、私の妹達に」
その言葉に。
ほんの一瞬。
リニュアの瞳が揺れる。
でも、何も言わない。
沈黙。
風だけが吹く。
アヤは、それ以上聞かない。
ただ微笑む。
「まあいいわ」
「世界は落ち着いたみたいだし」
「今日はいい日ね」
私は深く息を吸う。
空気は澄んでいる。
青い。
本当に。
「そろそろ戻るよ」
私は言う。
「王国も落ち着いたころだろうし」
アヤが頷く。
「そうね」
「妖精女王も心配しているでしょう」
その名前に、リニュアの顔が少しだけ上がる。
アヤが微笑む。
「また、問題を起こしてないといいけれど...」
私は苦笑する。
「それは否定できないね」
山の風が吹く。
雪が舞う。
私たちは山を下り始める。
青空の下。
世界は静かだ。
リニュアは、最後に一度だけ振り返る。
精霊の山。
万年雪。
アヤの姿。
そして――
胸元の装置を見る。
51%。
少し落ち着いている。
それでも。
彼女の胸の奥には、
まだ消えない不安が残っていた。
山を下りるころには、雪の匂いが薄れていた。
風はやわらかい。
青い空は、まだ続いている。
精霊の山を振り返ると、
万年雪の白が静かに光っていた。
アヤの姿はもう見えない。
リニュアは少しだけ立ち止まる。
胸元の装置を見る。
51%。
安定。
だが、彼女の表情は晴れない。
「どうしたの?」
私が聞くと、リニュアは小さく首を振る。
「……いえ」
空を見る。
「青い空って、こんな色でしたっけ」
私は笑う。
「そんなに疑う?」
「疑っているわけでは……ないのですよ」
言葉の最後が少し弱い。
私はそれ以上聞かない。
山道を下る。
やがて、妖精王国が見えてくる。
世界樹の枝が広がり、
その上に街が浮かんでいる。
いつもの景色だ。
変わっていない。
門の近くまで来ると、
すでに誰かがこちらを見つけていた。
「教主!」
高い声。
次の瞬間、
小さな影が駆けてくる。
エルフィンだった。
金の髪が揺れる。
勢いよく止まり、
私の前で腕を組む。
じっと顔を見る。
「……無事ね」
一拍。
それから大きく息を吐いた。
「よかった」
私は肩をすくめる。
「そんなに心配してた?」
エルフィンはそっぽを向く。
「べ、別に」
そして、すぐ戻る。
「ちょっとだけよ」
その視線がリニュアに向く。
「そいつが噂のエルフ?」
リニュアが軽く頭を下げる。
「リニュアといいます」
エルフィンはじっと見る。
少しだけ首を傾げる。
「ふーん」
それ以上は聞かない。
すぐに言う。
「それより」
一歩近づく。
声を潜める。
「お腹すいてない?」
私は思わず笑う。
「今それ?」
「だって」
エルフィンは真剣な顔をする。
「危機のあとって甘いもの必要じゃない?」
リニュアが少しだけ瞬きをする。
エルフィンは続ける。
「ケーキあるわよ」
小さく胸を張る。
「三つ」
一拍。
「いや、四つ」
「なんで増えたの」
「さっき一個拾ったのよ」
本当かウソか。
私は苦笑する。
リニュアが、ほんの少しだけ口元を緩めた。
それを見て、エルフィンが言う。
「なに?」
「笑ったじゃない」
リニュアは慌てて首を振る。
「いえ」
でも、少しだけ肩の力が抜けている。
エルフィンは満足そうに頷く。
「よし」
くるりと振り向く。
「じゃあ王宮行きましょう」
軽い足取り。
「今日は祝賀よ」
私は聞き返す。
「何の?」
エルフィンは振り向かない。
ただ手を振る。
「わからないけれど、こういう雰囲気の日はケーキをいくらでも食べていい日なの!」
風が吹く。
世界樹の葉が揺れる。
青い空。
鳥のさえずり。
すべてが、静かだ。
リニュアが胸元の装置を見る。
51%。
変わらない。
彼女は、そっと蓋を閉じた。
前を歩くエルフィンが振り返る。
「早く来なさいよ!」
「ケーキなくなっちゃうわよ!」
私は苦笑する。
世界は、まだ続いていた。