すみません。前話で揺らぎの装置が直ってる描写がありましたが、まだ直ってないように修正しました。
私はエデンのみんなにお別れを言った。
すぐにほかのみんなに会うとしても、
此処だけが私の第二の故郷だ。
エルフィン様は、最後まで不貞腐れた顔をしていた。
でも。
いつもみたいに、うるさくはない。
「……行くのね」
小さな声。
私は、ゆっくり頷く。
エルフィン様は、しばらく黙っていた。
世界樹の葉が、風に揺れる。
やがて。
「引き止めても、行くんでしょ」
そっぽを向いたまま言う。
私は、答えられない。
沈黙が、返事になる。
「……ばかね」
本当に小さい声だった。
でも。
ちゃんと聞こえた。
私は、小さく笑う。
「……はい」
エルフィン様は、ふいっと顔を背ける。
そのあと。
エルフィン様は、なにかを思い出したみたいに懐をごそごそ探る。
「あ」
小さく声を漏らす。
取り出したのは、小さな包みだった。
色付きの紙。
キャンディ。
エルフィン様は少しだけ迷ったあと。
それを半分に割った。
ぱきり、と。
静かな音。
「……ほら」
ぶっきらぼうに、片方を差し出してくる。
「甘かったって、ちゃんと覚えておきなさいよ」
包みを破る。
ぱきり、と小さな音。
二つに割れる。
その瞬間。
胸の奥で、何かが引っかかった。
私は、その欠片を見つめた。
――半分こね!
遠い声。
夕焼け。
笑い声。
差し出された小さな欠片。
「……?」
女王様が首を傾げた。
「なによ」
「今さら嫌いとか言わないでよ?」
私は、ゆっくり首を振る。
それから。
小さく笑った。
「……いえ」
差し出された欠片を受け取る。
「いただきます」
指先に残る温度が、少しだけ懐かしかった。
その甘い香りを受け取って。
そして―。
私は静かに背を向けた。
暗い。
上下も分からない。
星の残骸みたいな光だけが漂っている。
次元移動装置が、火花を散らしていた。
表示は乱れている。
座標が定まらない。
私は、床とも地面ともつかない場所へ倒れ込む。
隣には白い塊。
呼吸が浅い。
身体が浮くような感覚が消えない。
どこまでも続くような果てしない空間。
「……っ」
視界が揺れる。
そのとき。
声がした。
「ふんっ、未来の私が作ったにしてはお粗末な最高傑作だな……」
聞き覚えのある声。
私は、ゆっくり顔を上げる。
光の向こう。
誰かが座っている。
足を組み。
頬杖をつきながら。
こちらを見ていた。
茶色の髪。
白衣の姿。
鋭い目。
不敵な笑み。
「……エレナ、様?」
喉が詰まる。
理解が追いつかない。
「一体……ここは……?」
エレナ様は、ふっと笑った。
「おや?」
肩をすくめる。
「その顔だと、自分が今どこにいるのかすら分かっていないようだな?」
空間からどことなく漏れる青白い光。
横顔を照らしていた。
「せっかくの再会だというのに」
一拍。
「まったく、皮肉なことだな?」
私は、言葉を失う。
再会。
その言葉が、妙に引っかかった。
「……エレナ様?」
声が少しかすれる。
「どういうことを……」
エレナ様は、こちらをまっすぐ見た。
その目は。
以前より少しだけ静かだった。
「ほかの世界の私は、どうだった?」
「……え?」
思考が止まる。
ほかの世界。
その言葉に。
頭の奥で、何かが軋む。
エレナ様は、少しだけ目を細めた。
「言っただろう?」
静かな声。
でも。
その一言だけが、やけに鮮明だった。
「――次の私がいる。」
呼吸が止まる。
世界が、一瞬遠くなる。
エルフが支配した世界。
赤い空。
裂ける世界樹。
最後の光。
「だから、お前は次へ進め―」
その瞬間。
記憶と、今目の前の声が、繋がる。
私は、目を見開く。
「……まさか」
喉が震える。
「……R-89の……」
エレナ様は、口元だけで笑った。
「ようやく追いついたか」
その笑い方だけが。
あの日と、同じだった。
私は、言葉を失う。
理解が追いつかない。
胸の奥だけが、少しずつ熱を持っていく。
そのとき。
足もとで、小さな気配が動いた。
白い塊。
雪みたいなものが、私の後ろからゆっくり顔を出す。
エレナ様の視線が、止まる。
「……その白い犬は」
声が、少しだけ低くなる。
私は瞬きをした。
犬。
その言葉に、少しだけ違和感を覚える。
エレナ様は、じっと雪の塊を見ていた。
ふざけた笑みが消えている。
そのまま、腕を組む。
考え込むみたいに。
沈黙。
青白い光だけが、静かに揺れている。
「……エレナ様?」
私は小さく呼ぶ。
エレナ様は、はっとしたみたいに視線を戻した。
「いや」
いつもの調子へ戻る。
「なんでもない」
でも。
その目だけが、少しだけ細かった。
エレナ様は、私の手元へ視線を落とした。
画面が真っ黒なままの揺らぎの装置へ。
「……なるほどな」
呆れたように笑う。
「ずいぶん派手に壊したものだな」
私は息を呑む。
「これ、は……」
言いかけたところで、エレナ様は片手を差し出した。
触れた、ようにも見えなかった。
ただ。
次の瞬間には、装置のふち欠けが消えていた。
装置の電源がゆっくりと浮かぶ。
明滅した後。
0.00%で安定した。
それは、壊れたのでは無く初期化されたみたいだった。
私は、言葉を失った。
エレナ様は、そんな私を見もしない。
「見ていたさ」
何でもないことみたいに言う。
「お前が、あちこちの世界で勝手に絶望して」
一拍。
「勝手に足掻いて」
わずかに口元を吊り上げる。
「勝手に、手遅れになったつもりでいたのをな」
胸の奥が、ひどく冷える。
私は、うまく息ができなかった。
エレナ様は肩をすくめた。
「なかなか愉快だったよ」
その声音は冷たいのに。
不思議と、突き放してはいなかった。
エレナ様は、少しだけ視線を落とす。
揺らぎの装置。
白い塊。
私。
全部を見渡すみたいに。
「だが、まあ」
気のない調子で言う。
「方向性は間違っていないよ」
私は、思わず顔を上げる。
エレナ様は頬杖をついたまま、こちらを見る。
「世界を凍らせたことも。教主に会おうとしたことも」
青白い光が、その横顔を薄くなぞる。
「無駄とは、言い切れないな」
「……どういうことですか」
やっと、それだけを絞り出す。
「ああ、そこからか」
少し呆れたみたいに言う。
「お前は最初から、あの数字の意味を取り違えている」
私の視線が、直ったばかりの装置へ落ちる。
「……勘違い?」
「あれは安定度じゃない。残り時間でもない。まして、生き残れる確率でもない」
「世界樹の認識境界だ」
静かな声だった。
エレナは、少しだけ楽しそうに私を見ていた。
「崩れているのは世界そのものじゃない」
「世界樹の"自分とそれ以外"の境目だ」
エレナ様は少しだけ楽しそうに目を細めた。
「他の世界の記憶も、崩壊も、異常も――本来なら別の出来事だ」
静かに言葉だけが降りる。
「だが、値が高くなると」
「他の世界の傷まで、自分の痛みだと思い始める」
頭の奥で、いくつもの数字が軋む。
「じゃあ……百になれば……」
そこまで言って、喉が止まる。
エレナ様は、薄く笑った。
「さぁ?」
「世界樹の気分までは保証しかねるな」
エレナ様は、少しだけ身を乗り出す。
「勘違いするな、リニュア」
声は静かだった。
でも、その一言だけがやけに深く落ちる。
「お前が見てきた崩壊も、凍結も、足掻きも」
「全部、そこへ至る途中で起きたことにすぎない」
私は唇を噛む。
「だったら」
喉が、うまく動かない。
「どうして、世界を凍らせる必要があったんですか」
エレナ様は、わずかに眉を上げた。
「おや」
「まだそこが分からないのか」
私は黙る。
エレナ様は、わずかに口元を吊り上げた。
「お前は、教主に会いたかった」
「だから急いだ」
「壊れる前に。失う前に。手遅れになる前に」
一拍。
「実に健気で、実に浅いな?」
胸の奥が、小さく痛む。
エレナ様は気にした様子もない。
「お前は最初から、“終わり”しか見ていなかった」
「崩壊を観測する」
「凍結する」
「次へ行く」
指を折るみたいに並べる。
「実に合理的だ。機械にでもなったつもりか?」
私は何も言えない。
エレナ様は肩をすくめた。
「だが、世界樹も痛みが強くなれば、そのうち自覚するんじゃないか?」
エレナ様は遠くを見据えて言う。
「どこから痛みが生じるのかをな」
横顔を青白い光が撫でる。
「…どこから?」
エレナ様が腕を組む。
「さぁ?」
「それはおまえが決めることだ」
私は、かすれた声を絞る。
「凍らせたことは……間違いじゃなかった?」
沈黙が落ちる。
そのあとで。
エレナ様は、ふいに興味を変えたみたいに言った。
「それから」
「おまえにはチャンスをやろう」
「退屈しない余興を提供してくれた礼だ」
青白い空間の奥。
何かが、ゆっくり軋む。
空間の奥で、光が裂けた。
細い線。
暗闇を切り裂くみたいに。
それが、ゆっくり広がっていく。
扉。
「これから、お前を過去に飛ばす」
私は、しばらく何も言えなかった。
白い塊が、足元で小さく動く。
その温度だけが、まだ現実みたいだった。
エレナ様は、そんな私を一瞥すると。
興味を失ったみたいに背を向けた。
白衣の裾が、暗闇の中で揺れる。
「……それは…」
やっと、声を絞り出す。
「今までの世界を……救えるってことですか?」
エレナ様の足が止まる。
それから。
妙に可笑しそうに、肩を震わせた。
「ははっ、リニュア」
振り返らないまま言う。
「おまえは、全部を拾い直すつもりか?」
青白い光が、白衣の輪郭を細く照らしていた。
「全部を繋ぎ直して、全部を救って、全部へ帰るつもりか?」
私は、何も言えない。
言葉にされた瞬間。
それがどれだけ無茶で。
どれだけ身勝手な願いなのか。
初めて輪郭を持った気がした。
エレナ様が、ゆっくりこちらを見る。
そこには。
さっきまでの小馬鹿にした笑みは、もうなかった。
「リニュア」
静かな声。
逃がさない声音。
「教えておく」
青白い光が揺れる。
「これから、お前が進む世界は」
「確かに、お前が経験した世界だ」
私は息を止める。
エレナ様は続けた。
「だがな」
その声だけが、少し低くなる。
「お前一人で、世界を背負った気になるな」
胸の奥が、小さく軋む。
エレナ様は、再び背を向けた。
そして。
何でもないことみたいに言う。
「救えなかった世界があることを現実にしろ」
静かに。
冷たく。
でも。
逃がさないまま。
私は、言葉を失う。
エレナ様は、わずかに肩越しに笑った。
「でなければ」
青白い空間の奥。
何かが、ゆっくり軋む。
「お前は永遠に、“失わなかった世界”を探し続ける」
その声は、どこか呆れていた。
でも。
ほんの少しだけ。
確かめるみたいでもあった。
「逆に言えば――」
エレナ様は、わずかに目を細める。
「救えなかった世界を、お前自身が現実として認めたとき」
一拍。
「ようやく、お前が本当に帰るべき場所が見えるかもしれないな」
その瞬間。
空間の奥で、扉が淡い光を放った。
私たちをゆっくりと包み込んでいく。
でも。
今までの転移とは違う。
空気が、重い。
胸の奥がざわつく。
私は無意識に、一歩下がった。
扉の向こう。
赤い空が見えた気がした。
崩れた塔。
冷たい風。
炎の街。
そして。
知っているはずの景色。
「……本当に?」
喉が震える。
エレナ様は、こちらを見ない。
ただ淡々と告げた。
「そうだ。新しい世界じゃない」
一拍。
「お前が、既に通り過ぎた世界だ」
白い塊が、私の足元で小さく鳴いた気がした。