これを読める人がいると信じてます。
冷たかった世界が、熱に変わった。
転移の浮遊感が消えた瞬間、私の肌を焼くような熱風が襲ってきた。
目を開ける。
世界が赤い。
空も、地面も、建物もーーーーすべてが炎に包まれている。
「熱い…!」
思わず顔を腕で覆う。息をするたびに熱い空気がのどを焼く。
でもーーー。
痛みではない。
焼けるような熱さなのに、肌は焼けていない。
服も、髪も、無事だ。
「これは...。」
空気が淀んでいる。
呼吸するたびに、喉の奥がしびれる。
まるで、濃すぎる香水をかぐような感覚ーーーー。
いや、違う。
「魔力…?」
視界の端で、何かが揺らめいている。
空間そのものが、赤く脈を打っている。
魔力が、見える。
普段は見えないはずの魔力が、肉眼で見えるほど濃い。
「魔力量が、異常に高い…」
ゆっくりと立ち上がる。
足元の石畳までもが、その灼熱のような熱さを帯びている。
周囲を見渡す。
建物が燃えている。街路樹が燃えている。看板が、橋が、すべてが炎に包まれている。
空は真っ赤に染まり、黒い煙が渦巻いている。
灰がまるで雪のように降り注いでいる。
花を焦がしたような蜜のにおいの中に、鼻の奥に刺さるような焼けた鉄のにおい。
遠くで、何かが崩れる音。
絶え間ないパチパチという音。
ごうごうと絶え間なく轟き、火の粉が舞い上がる。
「ここは...。」
胸元の装置を確認する。
『Current Dimension: R-537』
R-537。
「R-1の次が、537…?」
一体、どれだけの次元があるの?
数百? 数千?
いや、考えるのはやめよう。
まだ、2回目だ。
前の世界は何もなかった。
灰色の、死んだ世界。
でも、ここは違う。
炎が燃えている。
煙が上がっている。
ということは——。
「まだ、生きてる人がいる」
希望が、胸に灯る。
この状況さえ打開できれば、まだ救える世界かもしれない。
教主様も、いるかもしれない。
マヨさんも、エレナ様も。
「探さないと」
炎の中を、歩き始めた。
熱い。 とにかく、熱い。 汗が、止まらない。
喉が、渇く。
でも、進むしかない。
建物の残骸を避けながら、街の中心部へ向かう。
ここは——妖精王国?
崩れかけた建物の様式が、確かに妖精王国のものだ。
でも、様子がおかしい。
炎がどこもかしこも、とぐろを巻いている。
しかも、燃え方が尋常じゃない…
まるで、ずっと前から燃え続けているようなーーーー。
そして、空気が変だ。魔力が濃すぎる。
水の中を歩いているような重さに顔をしかめる。
「あついっ!あついっ!」
遠くで叫び声。
「!」
駆け出す。
角を曲がるとーーーー。
「あついっ!あつい!誰か!誰か!」
若い妖精が、地面に倒れていた。
全身が炎に包まれている。
「!?」
駆け寄る。
「大丈夫ですか!?今、消します!」
魔法を発動。水の魔法で、妖精を包む。
ジュッ、という音。
蒸気が上がる。
でもーーーー。
炎は、消えない。
「え…?」
もう一度、水をかける。
でも、炎は消えない。
「なんで!?」
風の魔法で吹き消そうとする。
炎は揺れるが、消える気配がない。
「どうして、消えないの!?」
ーーーーその時、気づいた。
炎が、強くなっている。
私が魔法をかけるたびに、炎が大きくなっている。
「まさか…。」
手を止める。
炎が、少し落ち着く。
思い切って、多量の水を生成する魔法をかけてみる。
瞬間ーーーー。
炎が、激しく燃え上がった。
「!」
慌てて魔法を止める。
炎が、また少し弱まる。
「そんな…。」
理解が、追い付かない。
守ろうとすると、悪化する?
魔力を流し込むと、炎が強くなる?
なぜ?
妖精が、私を見上げる。
目が、虚ろだ。
「無駄…なの…もう…何日も…」
「何日も…?」
「ずっと…燃えてる…」
妖精の声が、震える。
「楽に…なりたい…誰か…助けて…」
「待って! 今、何とかしますから!」
でも、どうすればいい?
魔法が使えない。
いや、使うと逆効果だ。
「お願い…もう…」
妖精が、私の手を掴む。
熱い。 焼けるように熱い手。
「わたしを…壊して…」
「え…?」
「お願い…壊して…」
妖精の目に、涙が浮かぶ。
いや、涙ではない。
目が、溶けかけている。
「壊して…お願い…もう…」
「壊すって…」
言葉が、出ない。 手が、震える。
「私に…そんなこと…」
妖精は、力なく笑った。
「…無理…だよね…」
「世界樹様が…守ってくれてる…から…」
「壊れない…ずっと…燃え続ける…」
「ああああああああああ!!!」
突然、妖精が叫んだ。
狂ったように、頭を地面に打ちつける。
「あつい! あつい! あつい!」
「やめて! やめてください!」
私は妖精を押さえようとする。
でも、妖精は暴れ続ける。
「あついあついあついあついあつい!!」
ーーーーやがて、妖精は動かなくなった。
でも、まだ燃えている。
まだ、呼吸している。
「そんな…」
私は、立ち上がった。
足が、震える。
何も、できない。
何も、してあげられない。
後ずさりする。
そして——逃げるように、その場を離れた。
街を、歩く。
いや、彷徨う、という方が正しい。
至る所に、燃え続ける妖精たちがいた。
泣き叫ぶ者。
「あついあついあつい」と繰り返す者。
「助けて」とつぶやき続ける者。
「楽になりたい」と必死に地面を這う者。
そして——もう何も言わず、ただ燃え続ける者。
「ここは…おとぎ話で聞いたような…地獄…?」
呟く。
歩きながら、考える。
なぜ、炎が消えないのか。
なぜ、妖精たちは燃え続けても死なないのか。
なぜ、魔法が逆効果なのか。
観察する。
炎は、風に流れない。
燃料がないのに、燃える。
消そうとすると、強くなる。
「普通の炎じゃない…」 立ち止まる。
地面を見る。 石畳の隙間から、赤い光が漏れている。
まるで、地面そのものが発光しているような——。
「これは…魔力?」
しゃがみ込む。
手を伸ばす。 触れた瞬間——。
びりっ、と痺れが走った。
「!」
手を引っ込める。 魔力だ。
地面から、魔力が噴き出している。
空気中にも、魔力が充満している。
「こんなことができるのは……」
視線を、遠くへ向ける。
世界樹。
巨大な世界樹が、炎の向こうに見える。
でも——。
「燃えていない…?」
よく見ると、世界樹の幹は燃えていない。
むしろ、青白く発光している。
根が、脈打っている。
まるで、心臓のように。
「あれは…」
近づく。
世界樹へ続く道を歩く。
近づくほど、魔力の濃度が高くなる。
空気が、さらに重くなる。
呼吸が、苦しい。
世界樹の根元に辿り着く。
巨大な幹が、目の前にそびえ立っている。
青白い光が、幹全体を包んでいる。
根が、地面から盛り上がっている。
そして——。
地面から、光が噴き出している。
魔力が、地面から噴き上がっている。
「こんな量…」
圧倒される。 魔力が、ありすぎる。
世界樹が、魔力を供給し続けている。
でも、なぜ?
そこで——理解が繋がった。
「違う…」
呟く。
「燃えているんじゃない」
「満ちているんだ」
魔力が、飽和している。
世界樹が、魔力を供給し続けている。
生命を守るために。
死なせないために。
でも——。
供給過多。 活性化。 熱暴走。
「……守っている?」
声が、震える。
「死なせないために……」
「魔力を、使い続けている?」
そして——恐ろしい理解。
「死という概念を、拒んでいる」
だから、妖精たちは燃え続けても死なない。
世界樹が、守っているから。
でも、それは——。 「守りじゃない…」 「呪いだ…」
ーーーーその時、人影が見えた。
炎の中を、何かを引きずって歩く小さな影。
見覚えのある姿。
「マリーさん!?」
駆け寄る。
振り返った顔は---確かにマリーさんだった。
でも、いつものマリーさんではない。
腰に据えたロープも頭にしているヘッドライトの見る影もない。妖精ということを示す翅は焼かれて縮れている。
そして---目が、違う。
冷たく、鋭く、何かを決意したかのような。そんな瞳だ。
大八車のような手押し車にいくつも棺桶のようなものを乗せて歩いている。
「マリーさん!無事だったんですか!?」
「…誰?」
マリーさんが、不思議そうに私を見る。
「え…?」
「あなたは見ない顔ですね…。なんであたしの名前を…?」
「私…リニュアです。」
「リニュア?聞いたことない名前…」
マリーさんが、私を上から下まで見る。
その様子にはっとする。そうか、ここは始めてくる次元だから、当然私を知っているはずがない。
ながらく一つの次元にとどまり続けていたせいかと、胸が少し痛む。
「あなた、なんの種族ですか…?」
「え…?エルフ、ですけど…」
「エルフ…?」
マリーさんが、眉をひそめる。
「エルフって、何ですか?」
「え…?」
「聞いたことない種族ですけど…」
「エルフ、ですよ?エルフ…」
言葉に詰まる。
エルフを、知らない?なら、モナティアムが存在しない…?
「もしかして、旅人?」
「旅人…?」
「あなたが何者か知らないですけど、すぐにここから離れたほうがいいですよ。もっとももう安全なところなんてないと思いますけど…」
旅人でもないという反応に少し驚いた表情をする。
でも、すぐに元の冷たい表情に戻る。
「それってどういう---」
マリーさんはその言葉には答えず、手押し車をひいてここを後にしようとする。
「マリーさん、どこへ…?」
「世界樹」
マリーさんが、遠くの世界樹を指さす。
「あそこへ行く。」
「世界樹を…救うんですか…?」
マリーさんが、一瞬固まった。
そして---笑った。
冷たい、笑い。
「逆だよ。」
「え…?」
「世界樹を燃やしに行く」
「!?」
「完全に燃やし尽くす…」
マリーさんが引いている車に乗せた棺桶にような荷を指す。
まさかその中に入っているのって…爆弾?
「これで全部吹き飛ばす。」
「待って!どういうことですか!?マリーさんは妖精でしょう!?世界樹を守るのが---」
「普通ならそうなんでしょうけどね」
マリーさんが、私の言葉を遮る。
「でも、世界樹の意思が弱まってる。」
「あたしたちを守ることに力を割きすぎて、あたしたちに世界樹を守らせる本能も、世界樹自身を守る力も、全部弱くなってる。」
「だから、あたしは自分の意思で決められる…」
マリーさんが、世界樹を見つめる。
「世界樹を燃やして、すべてを終わらせる。」
「でも…、でも、それじゃみんな…」
「楽になれる」
マリーさんが、静かに言う。
「世界樹が消えれば、守る力も消える。」
「そうすれば、みんな楽になれる。」
「楽に…?」
マリーさんが、私を見る。
「あなたも見ませんでしたか?---燃え続けている妖精たち」
「はい…」
「あれが、もう何日も続いてるんです。」
マリーさんの声が、少し震える。
「あたしの親友も、あの中にいるんです...」
「もう3日間も、ずっと『あつい』ってさけび続けてる。」
「『助けて』って、『楽になりたい』って、何度も言われた。」
「でも…あたしにはなにもできない…」
マリーさんが、拳を握る。
「水をかけても、魔法を使っても、炎は消えない」
「世界樹が守ってるから。」
「待って」
私が口を開く。
「それって…、世界樹が、魔力を供給し続けているから?」
マリーさんが、私を見る。
「あなたも気づいたんだ…」
「世界樹が、魔力を地面から噴出させている。」
私が、言葉を続ける。
「空気中にも、魔力が充満している。」
「だから、魔法をかけるとさらに熱くなる。」
「魔力が、過密化して、暴走している。」
マリーさんが、静かにうなずく。
「そう。世界樹が、みんなを守ろうとしている」
「死なせないように、魔力を送り続けてる」
「でも、それがが逆に---」
「みんなを、苦しめている」
マリーさんが、世界樹をにらみつけた。
「いくら叫んでも止まらない。壊れない。ずっと燃え続ける。」
「これが、守り?」
「冗談じゃない」
マリーさんが、振り返る。
「だから---」
マリーさんが、爆弾の入った荷に爪をたてるかのように触れる。
「世界樹を燃やす。」
「そうすれば、守る力が消える。」
「そうすれば、みんな楽になれる」
「これは、あたしにしかできないこと」
マリーさんが、歩き出す。
「待って!」
私は、マリーさんの腕をつかんだ。
「やめろ!」
マリーさんが、振り返る。
次元をわたり歩いてきて、初めて聞く感情的な声。
「もうやめてくれ!」
マリーさんの目に、涙が浮かぶ。
「あたしは...、あたしは、親友を救いたいだけなんだ!」
「このまま燃え続けるなんて…そんなの…」
涙が、頬を伝う。
「お願いだから…邪魔しないで…」
私の手が、震える。
何も、言えない。
燃え続ける妖精たちの叫びが、頭から離れない。
「あつい」「助けて」「楽になりたい」
あの声が、耳に焼き付いている。
私には、何もできなかった。
何も、してあげられなかった。
ならば——。
「…ごめんなさい」
私は、手を離した。
マリーさんが、少し驚いた顔をする。
「ありがとう」
小さく言って、マリーさんは炎の中へ歩いていった。
私は、ただそれを見送ることしかできなかった。
【わかってただろ、エルフや教主様が見つからない時点でここはお前の居場所じゃなかった】
心の奥で、冷たい声。
「…うるさい」
【お前は、何も救えない】
「…わかってる」
【ここは、お前の世界じゃない】
「わかってる…!」
涙が、こぼれた。
でも、すぐに拭う。
泣いても、何も変わらない。
ここは、私の世界じゃない。
教主様も、いない。
私を知っている人も、いない。 ならば——。
「次へ、行くしかない」
---どれくらい、そこに立っていただろう。
突然、大爆発が起こった。
世界樹の根元。
マリーさんの、爆弾だ。
轟音が響き渡る。
世界樹が、悲鳴のような音を立てる。
幹が、崩れ始める。
青白い光が、消えていく。
地面からの魔力噴出が、止まる。
そして——。
炎が、弱くなった。
魔力の供給が止まった。
燃え続けていた妖精たちが——。
ゆっくりと、崩れ落ちていく。
「…終わったんだ」
呟く。
世界樹の守りが、消えた。
だから、彼らは——。
「楽になれたんだ…」
でも——。
空間に、亀裂が走る。
装置が、警告音を発する。
『Warning: Dimension Collapse Detected』
『Emergency Jump Recommended』
次元崩壊。
また、この世界が終わる。
「…また」
呟く。
胸が、痛い。
でも——。
「今回は、運が悪かっただけ」
自分に言い聞かせる。
「まだ2回目だから」
装置を握る。
「次こそ、教主様に会える」
ボタンに、指を置く。
【本当にそう思っているのか?】
心の声が、問いかける。 私は——答えなかった。
ただ、ボタンを押す。
光が、世界を包む。
燃え続けた妖精たちの叫びが、遠ざかる。
マリーさんの涙が、脳裏に焼き付いている。
そして——。
「次の世界へ…」
意識が、闇に沈んだ。