転職?で引っ越ししてました。
自分の研究職としての職歴が電池→製薬→半導体という不思議なものになってる( ´∀` )
私と小さな雪の塊は、戸惑いながらも次の世界に進んだ。
光が消える。
揺らぎの装置83.1%
転移の浮遊感が消えた瞬間に、また既視感が視界を包んだ。
研究所の清潔な匂い。
白い部屋。
巨大な機械。
真正面には、誰かが座るための椅子。
そして、そのそばで控えるように立つ秘書の後ろ姿。
「……アメリア、様?」
声が漏れた。
けれど。
すぐには信じられなかった。
私が知っているアメリア様は、あの空の下にいたはずだ。
ひび割れた空を見上げて。
エレナ様のいない世界で。
それでも、市長様の遺志を守ると言っていた。
だから、ここにいるはずがない。
ここにいるのは、別の世界のアメリア様。
そう思おうとした。
でも。
その背中は、あまりにも似ていた。
まとう雰囲気があの日の続きを物語っていた。
誰も座っていない椅子の横に、当然のように控えている姿も。
まるで。
今でもそこに、市長様がいるみたいだった。
「……ここは」
言いかけた瞬間。
足元に光が走った。
「え――」
床一面に、魔法陣が浮かび上がる。
円。
文字。
線。
複雑な術式が、幾重にも重なっている。
身体が動かない。
腕も。
足も。
喉さえ、うまく震えない。
小さな雪の塊が、私の足元で身を低くする。
けれど、その周囲にも光の輪が生まれた。
逃げ道がない。
最初から。
用意されていた。
アメリア様が、ゆっくりと振り返る。
見覚えのある顔。
けれど。
私の知るアメリア様より、少しだけ痩せていた。
目元に疲れがある。
それでも、視線だけはまっすぐだった。
迷いがない。
「ようやく見つけました」
静かな声だった。
懐かしさも。
驚きも。
喜びもない。
ただ、結果を確認するみたいな声。
私は息を呑む。
「どうして……」
声がかすれる。
「あの世界は……」
言葉が続かない。
空に亀裂が入って。
時空間異常が起きて。
遠い過去になったはずなのに。
アメリア様は答えなかった。
代わりに、横の装置へ視線を向ける。
部屋の壁が、淡く光った。
そこに浮かび上がるのは、無数の図面。
世界樹の断面図。
次元の裂け目。
座標計算。
転送装置の改良案。
空間に残る魔力波形。
そして。
エレナ様の筆跡。
壁一面に、保存されている。
市長印の入った古い資料。
途中で破れた設計メモ。
白衣の袖口だけが写った記録映像。
『全員を救う。それが私の責任だ』
その文字が、光の中に浮かんでいた。
胸が、詰まる。
アメリア様は、ずっと。
ずっと探していたのだ。
「アメリア様……」
「会話は後で構いません」
冷たい声。
「拘束術式、安定」
「転移残滓、捕捉」
「次元外干渉波、検出」
アメリア様は、私を見ていなかった。
私の向こうを見ている。
私ではない誰かを。
「解析率、九六・八%」
小さく呟く。
「もうすぐです」
そして。
誰もいない椅子へ向けて。
祈るように。
報告するように。
「市長様」
その声だけが、少しだけ柔らかくなった。
「こちらの転移体を触媒にして」
「すぐ、そちらへ向かいます」
背筋が冷える。
そのとき。
頭の奥で、声がした。
【リニュア】
息が止まる。
エレナ様の声。
【逃げろ】
「……え?」
【今すぐだ】
いつもの声。
私の心の声。
しかし、からかうような調子ではなかった。
短い。
鋭い。
本当に、焦っているみたいだった。
私は、拘束されたまま目を見開く。
「また……」
声が漏れた。
「あの声……」
その瞬間。
頭の中のエレナ様が、少しだけ笑った気がした。
【あの声?】
「……」
【まさか】
呆れたような声。
でも、その奥に焦りが残っている。
【まだ自分の声だと思っていたのか?】
私は、息を呑んだ。
「え……?」
【二、三言混ぜただけで、綺麗に騙されたな】
【別の世界の私が作ったとはいえ…】
一拍。
【まったく、優秀だな?】
視界が揺れる。
今までの声。
迷ったときに聞こえた声。
次へ進めと言った声。
間に合わないと告げた声。
逃げるなと、背中を押した声。
全部。
全部が。
「……エレナ様、だったんですか」
【勘違いするな。私が混ぜたのは、せいぜい二、三言だ】
一拍。
【残りは、お前自身の幻聴だ】
私は息をのむ。
【それよりも】
【いま感動している場合か?】
声が鋭くなる。
【リニュア。本当に逃げろ】
「でも、身体が……!」
アメリア様が、ゆっくりこちらを見る。
「やはり」
その目が、わずかに細くなった。
「会話が成立しているのですね」
私は息を止める。
アメリア様は、端末に指を滑らせる。
周囲の装置が一斉に起動する。
低い音。
青白い光。
巨大な機械の中心に、黒い裂け目のようなものが浮かび上がる。
「市長様」
アメリア様は、穏やかに告げる。
「聞こえているのでしょう?」
沈黙。
頭の中で、エレナ様が舌打ちした気がした。
【……だから嫌だったんだ】
エレナ様は答えた。
【あいつは】
一拍。
【一度見つけると離さん】
アメリア様は、ほんの少しだけ微笑んだ。
その笑みは、嬉しそうで。
怖かった。
「お久しぶりです、市長様」
誰もいない空間へ向けて、丁寧に頭を下げる。
「お迎えに参りました」
【頼んでいない】
「……嬉しそう、ですね」
思わず声が出る。
【黙れ】
「存じております」
当たり前のように会話が成立していた。
「ですので、自力で参ります」
【来るな】
「不可能です」
アメリア様の声は、少しも揺れない。
「市長様は、最後に私へ命じました」
「生きろ、と」
「皆を頼む、と」
「私は、その命令を遂行しました」
一拍。
「次は、私の番です」
部屋の光が強くなる。
拘束の輪が、私の胸元の装置へ集まっていく。
装置が震えた。
嫌な感覚。
転移の前に似ている。
「まさか……」
アメリア様が、淡々と言う。
「次元移動を封鎖します」
「えっ!?」
足元の魔法陣が、さらに強く輝く。
空間が重くなる。
逃げ道が塞がれる。
私は必死に魔力を流す。
拘束の一部が軋む。
けれど、すぐに別の術式が補完する。
早い。
正確すぎる。
「無駄です」
アメリア様が言う。
「この施設は、あなたの転移方式を前提に再構築されています」
「あなたがここへ来ることも」
「あなたが逃げようとすることも」
「全て想定済みです」
【リニュア】
エレナ様の声が、低くなる。
【聞け】
私は息を止めた。
【あいつの封鎖は、逃がさないためじゃない】
「え……?」
【お前を拘束したまま、時間に干渉する力を触媒にするつもりだ】
胸元の装置が、強く震えた。
アメリア様の周囲に、細い光の糸が伸びていく。
それは私の装置へ。
足元の魔法陣へ。
そして。
何もない空間の奥へ。
絡みついていた。
「まさか……」
アメリア様は否定しなかった。
ただ、淡々と端末を操作する。
「転移残滓、再同期」
「位相差、許容範囲内」
「外部干渉波、捕捉継続」
その声は、祈りではない。
願いでもない。
手順だった。
感情を、すべて手順に変えた声。
「あなたが飛べば、道が開きます」
アメリア様が、ようやく私を見る。
けれど。
その目は、私自身を見ていない。
私の中にある声を。
私の向こうにいる人を。
見ている。
「あなたが狭間へ触れれば、座標が確定します」
「あなたが市長様の声を受け取れるなら」
ほんの少しだけ。
声に熱が混じった。
「私にも、届くはずです」
【届かせるな】
エレナ様の声が響く。
私は奥歯を噛む。
魔力を流す。
拘束の輪が軋む。
白い光が床を走る。
けれど、魔法陣は崩れない。
崩れたそばから、別の線が補われる。
まるで。
私の抵抗まで、計算に入っているみたいだった。
「……強すぎる」
思わず声が漏れた。
アメリア様は、静かに首を振る。
「あなたが弱いのではありません」
「あなたが、本気ではないだけです」
「本気……?」
「はい」
アメリア様は、私の足元へ視線を落とす。
小さな雪の塊。
白い塊は、光の輪の中でじっとしていた。
動かない。
怯えているようにも見えない。
ただ。
こちらを見ている。
その周囲の拘束だけが、少し奇妙だった。
光の輪はある。
術式もある。
でも。
縛れていない。
効いていない。
「……?」
私がそれに気づいた瞬間。
アメリア様も、同じ場所を見た。
「干渉を受けていない」
小さな声。
「やはり、貴重な個体ですね」
背筋が冷えた。
「やめてください」
言葉が先に出た。
アメリア様は、静かにこちらを見る。
「まだ何もしていません」
「でも……」
「手荒な真似は本意ではありません」
その声は、本当に申し訳なさそうだった。
だからこそ。
怖かった。
「ですが、必要であれば行います」
床の魔法陣の一部が形を変える。
光の輪が、雪の塊の周りで細く尖った。
まるで。
針のように。
「やめて!」
私は叫ぶ。
雪の塊が、わずかに身を低くした。
アメリア様は、少しも表情を変えない。
「この子は関係ありませんよ!」
「関係はあります」
即答だった。
「あなたと共に世界を渡っている」
「拘束術式の影響を受けない」
「市長様の干渉にも反応している」
「十分すぎるほど、関係があります」
胸の奥が、冷たくなる。
白い塊は、逃げない。
ただ、私の足元にいる。
ずっと。
私と一緒に来てくれた。
「……させない」
小さく呟く。
私は、胸元の装置ではなく。
足元の魔法陣を見た。
逃げるためじゃない。
この子を置いていかないために。
私は、魔力を流した。
今度は、抑えない。
凍結でもない。
転移でもない。
ただ。
目の前の術式を、止める。
白い光が指先から広がった。
魔法陣の線が凍る。
意味が止まる。
拘束が軋む。
「……想定外出力?」
初めて。
アメリア様の声が揺れた。
「術式補正。拘束再構成。出力制御――」
遅い。
そう思った。
なぜか分からない。
でも、今だけは見えた。
どこを止めれば、全体がほどけるのか。
どこを凍らせれば、力ではなく命令だけが止まるのか。
私は指先を動かした。
ほんの少しだけ。
それだけで。
拘束が砕けた。
光の輪がほどける。
床に刻まれた術式が、雪の結晶みたいに白く散った。
「外れた……?」
自分でも、信じられなかった。
白い塊が、私のそばへ駆け寄る。
傷はない。
よかった。
本当に。
「よかった……」
私は胸元の装置を握る。
今なら飛べる。
そう思った。
アメリア様は、端末を見つめている。
その表情に、珍しく焦りが浮かんでいた。
「待ってください」
声が少しだけ急いでいる。
「まだ座標が」
「リニュア、今転移すれば、位相が乱れます」
「危険です」
私は足を止める。
「危険……?」
【聞くな】
エレナ様の声が鋭く響く。
【跳べ】
「でも……」
【いいから跳べ!】
それは命令だった。
いつもの皮肉も。
余裕もない。
ただ、私を逃がそうとする声。
私は迷った。
でも。
アメリア様の脅し。
白い塊を見た視線。
あの細い針みたいな光。
それを思い出して。
装置に指をかけた。
「ごめんなさい、アメリア様」
「私は、行きます」
「待っ――」
アメリア様が一歩踏み出す。
その顔は、焦っていた。
少なくとも。
そう見えた。
私は装置を起動する。
光が、足元から立ち上がる。
エレナ様の声が、重なる。
【そうだ】
【そのまま--】
その瞬間。
光が徐々に小さくなる。
転移のエネルギーが消えていく。
同時にアメリア様の表情が消えた。
焦りも。
狼狽も。
全部。
きれいに消えた。
「座標残滓、最大」
「通信誘導、成功」
「狭間干渉、同期」
「解析率、九九・一%」
私は息を止めた。
「え……?」
アメリア様は、静かにこちらを見た。
さっきまでの焦りは、どこにもない。
端末の画面には。
最初から用意されていたみたいに、転移経路が開いている。
「ご協力に感謝します」
事務的な声。
勝ち誇りでもない。
皮肉でもない。
ただ。
予定通りの処理が終わったことを告げる声。
【……】
頭の中で、エレナ様が沈黙した。
その沈黙が。
何よりも怖かった。
「まさか」
私は震える声で言う。
「わざと……?」
アメリア様は答えない。
ただ、端末を操作する。
「あなたが自発的に転移を選ぶ必要がありました」
「外部から強制した転移では、市長様の干渉回線が開きません」
「ですから」
一拍。
「逃げていただきました」
【アメリア】
エレナ様の声が低く響く。
今まで聞いたことがないほど。
冷たい声だった。
【お前】
アメリア様は、誰も座っていない椅子へ向けて、深く頭を下げた。
「申し訳ありません、市長様」
「ですが」
その声が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「ようやく、届きました」
部屋の中央に、青白い裂け目が開く。
さっきまでとは違う。
荒々しくない。
もっと細い。
もっと精密な。
声だけが通る隙間。
そこへ、アメリア様の術式が流れ込んでいく。
「肉体座標、破棄」
「人格連続性、保持」
「記憶領域、保存」
「市長様の干渉形式へ、自己定義を再構成します」
【やめろ】
エレナ様が言った。
低く。
短く。
本当に、止める声だった。
「できません」
アメリア様は微笑んだ。
「市長様が、私に生きろと仰いました」
【そんなものになれとは言っていない】
「はい」
アメリア様は頷く。
「ですので」
一拍。
「生き方を変えます」
光が、アメリア様の身体を包む。
白い部屋が揺れる。
壁一面の記録が明滅する。
空の椅子。
市長印の入った資料。
エレナ様の筆跡。
すべてが、青白い光に照らされる。
アメリア様は、最後に椅子の前へ向き直った。
「市長様」
その声は、今までで一番穏やかだった。
「行って参ります」
光が弾けた。
アメリア様の輪郭がほどける。
金の髪が。
黒い服の裾が。
指先が。
光の粒になって、裂け目へ吸い込まれていく。
「アメリア様!」
私は叫んだ。
でも、止まらない。
止められない。
彼女は最初から。
止まるつもりなんてなかった。
「リニュア」
消えかけた声が、私を呼ぶ。
「あなたが来てくださらなければ」
「私は、市長様へ届きませんでした」
「ご協力に、感謝します」
最後まで。
本当に最後まで。
事務的な礼だった。
けれど。
その奥に、ほんの少しだけ。
泣きそうな温度があった。
そして。
アメリア様は消えた。
部屋に静寂が戻る。
転移の光も消えていた。
私は、白い部屋の床に座り込んだ。
巨大な機械。
誰も座っていない椅子。
壁一面の記録。
その全部が、何もなかったみたいに静かだった。
白い塊が、そっと足元へ寄ってくる。
私は、その身体に触れる。
温かい。
ちゃんと、ここにいる。
「……また」
声が震えた。
「また、誰かの未練を連れてきちゃったのかな」
答えはない。
ただ、頭の奥で。
長い沈黙があった。
そして。
【……おい】
エレナ様の声。
うんざりしたような。
諦めたような。
それでいて。
逃げ場を失ったような声。
【来たぞ】
「……え?」
次の瞬間。
別の声が、頭の奥に響いた。
『お久しぶりです、市長様』
丁寧で。
澄んでいて。
それなのに、どこか興奮したような声。
『それと――』
一拍。
『はじめまして、になりますね。リニュア』
私は、ただ目を見開いた。
頭の奥で、エレナ様が小さく呻く。
【最悪だ】
『市長様』
アメリア様の声が、穏やかに返る。
『またお会いできて、光栄です』
【会ってはいない】
『では、到達できて光栄です』
【アメリア】
『はい』
【言い直せばいいというものではないぞ】
私は、呆然としたまま二人の声を聞いていた。
白い塊が、足元で小さく鳴いた。
まるで。
また増えたね、とでも言うみたいに。
私はゆっくり息を吐く。
一人では、なかった。
でも。
その意味が、少しずつ。
思っていたものと違ってきている気がした。