たぶんあと、4話で完結します。
エンディングはできているのにクライマックスがなかなか浮かびませんでした。
できれば、火曜日にかけて完結させたいなぁ。
白い部屋。
中央には、巨大な機械が据えられている。
窓の外には、陽の光を受けたビル群。
その間を小さな車が行き交い、遠くの歩道では、人々が何事もないように足を止めて言葉を交わしている。
空には煙も亀裂もない。
光がほどけた後に残った燐光を、私は目で追った。
隣には、雪のような白い塊。
その静かな瞳も、消えていく光を見つめている。
私たちは、しばらくそうしていた。
やがて、エレナ様の声が頭の中に響いた。
【次は教主のいる世界へ飛ばすぞ】
私は息をのむ。
「……教主様の、世界?」
返事は間を置かなかった。
【そうだ】
「でも……」
喉まで出かかった名前を、私は飲み込む。
エルフィン女王。
教主様を失っても、なお彼女が強く存在していた、あの世界。
すぐに、アメリア様の叱責が飛んできた。
『リニュア。あなたはただ黙って、市長様のいうことを聞いていればいいのです』
【黙れ、アメリア】
『はい、市長様』
あまりにも素直な返事だった。
私はもう一度、窓の外を見る。
街は穏やかだった。
誰かが走り、誰かが立ち止まり、誰かが建物の中へ消えていく。
教主様がいなくても、この世界の時間は進んでいる。
やがて、エレナ様は私の考えを見透かしたように続けた。
【リニュア。あの世界は安定している】
少しだけ間。
【教主がいなくてもな】
私は目を伏せた。
あそこへ行けば、自分の中の考えを整理できるような気がしていた。
「……でも、私は」
【お前は、あの世界に答えを求めている】
言葉を遮る。
【だが、答えは残されていない】
静かな声だった。
責める響きではない。
ただ、事実を積み重ねるような声。
【揺らぎは低い】
【世界は安定している】
【そこへ行っても、お前は理想の世界へ近づけない】
確かにそうだ。
私は、頼ろうとしていた。
あのエルフィン女王なら、何かを教えてくれるような気がして。
今の私には、エレナ様もいるのに。
反論する言葉が見つからない。
しばらくして、アメリア様の声が静かに響いた。
『例の人間が存在する世界を検索します』
私の手のひらの中で、何かが動いた気がした。
まだ転移は始まっていない。
床の光も、窓の外の景色も、そのままだった。
ただ、空中に浮かぶ表示だけが、目まぐるしく書き換わっていく。
いくつもの座標。
いくつもの数値。
そのすべてに、同じ識別名が並んでいた。
しばらくして。
『候補世界を検出しました』
エレナ様が問い返す。
【いくつだ】
わずかな間。
『……確定できません』
【どういう意味だ】
『候補座標が重複しています』
ホログラムの表示が一度、白く乱れた。
次の瞬間、いくつもの座標が同じ場所に重なって現れる。
水没した王国。
石になった村。
赤い空。
凍りついた施設。
知らない街。
それぞれ異なる世界であるはずなのに、転移先を示す印だけが、すべて同じ位置にあった。
『複数の候補世界が、同一座標として返されています』
一瞬、静かになる。
【そんなわけがあるか】
『いいえ。別世界です』
【なら、切り分けろ】
『すでに』
一つの座標が消える。
二つ増える。
また消える。
さらに増える。
『……できません』
アメリア様の声から、わずかに余裕が消えた。
【理由は】
『座標同士が、互いを参照しています』
その瞬間。
手のひらが熱い。
「これは……」
次元移動装置が、勝手に起動していた。
直後。
部屋の中央の巨大な機械が、低く唸る。
床を走る線が、一斉に白く光った。
『市長様。装置が自動起動しています』
【止めろ】
『停止信号を受け付けません』
窓の外の街が揺らぐ。
装置を持つ手が震える。
部屋の中央の機械が共鳴している。
ホログラムの中の出来事がビル群に重なる。
水の中の塔。
歩道を歩いていた人影が、石像の影へ変わる。
青い空に、赤い亀裂が走る。
「これは……」
私が世界を渡っているのか。
世界の方が、こちらへ流れ込んでいるのか。
視界がゆがんでいく。
【リニュア、そこを動くな】
エレナ様の声が強くなる。
【その座標はーー】
鋭いノイズ。
声が途切れた。
草の匂いがした。
私は目を開ける。
視界いっぱいに、緑の草原が広がっていた。
遠くには教団の白い建物。
そのさらに向こうに、世界樹。
空は青い。
風も穏やかだった。
……なのに。
誰もいない。
私は手のひらを見る。
次元移動装置の表示は、まだ点いていた。
けれど、転移座標は消えている。
代わりに残っていたのは、一つの数字だけ。
揺らぎ 95.0%
「……95」
これまで見てきたどの世界よりも、高い。
私は装置を握り直した。
「エレナ様?」
返事はない。
「アメリア様」
静寂。
耳を澄ませても、いつもの声は聞こえない。
頭の中には、風が草を撫でる音だけが残っていた。
「……聞こえていますか」
やはり、返事はない。
白い雪の塊が、私の足元に寄ってくる。
私はその姿を見下ろした。
「……二人だけ、みたいですね」
白い塊は何も答えない。
ただ、静かにこちらを見上げていた。
そのとき。
草原の向こうに、白いものが見えた。
振り返る。
少し離れたところに、見慣れた白い法衣。
「教主様……!」
私は思わず、近づく。
けれど、いつもより、その背中が遠く見えた。
教主様は振り返らない。
「また、君か……」
私は足を止める。
「……教主様?」
「来るな」
彼の顔は見えない。
「帰ってくれないか」
「どういうことですか?」
教主様は答えない。
後ろ姿のまま。
川へ向かって歩いていく。
裾が水に浸かる。
膝まで入ったところで立ち止まる。
懐から、小さな瓶を三本取り出す。
一本目。
蓋を外す。
川へ流す。
水の色は変わらない。
二本目。
同じように流す。
何も起きない。
三本目。
そこで、わずかに手が止まる。
やがて、水面に小さな波紋が広がる。
ひとつ。
またひとつ。
重なりながら、川下へ流れていく。
遠くで、鳥の群れが一斉に飛び立った。
「……何を、したんですか」
教主様は答えない。
川面を見つめたまま、空になった瓶を一本ずつしまっていく。
「教主様」
「君には」
少しだけ間が空く。
「関係のないことじゃないかな」
「……え?」
教主様が、ほんの少しだけこちらを振り返る。
けれど、逆光で表情は見えない。
「君は、ここに長くいるつもりはないんだろう?」
私の喉が詰まる。
「何を……」
「帰れるうちに帰った方がいい」
教主様が川から上がる。
白い法衣から、水が滴る。
ぽたり。
濡れた足跡。
教主様が歩いたところだけ、草の色がわずかに濃くなる。
私は思わず声をかける。
「……待ってください」
教主様は止まらない。
世界樹へ向かって歩いていく。
「教主様」
返事はない。
胸の奥で、何かが切れた。
私は駆け出した。
濡れた草を蹴って、教主様の横を追い越す。
数歩先へ出る。
そのまま振り返って、両腕を広げた。
教主様の前に立ちはだかる。
ようやく、足音が止まった。
「ちゃんと説明してください」
息を整える暇もなく、言葉が出た。
「さっきから、何を聞いても何も答えてくれないじゃないですか」
教主様は黙ったまま、こちらを見る。
初めて、まともに顔が見えた。
その表情に、私は一瞬だけ息を詰まらせた。
怒っているわけではない。
悲しんでいるようにも見えない。
ただ。
もう何かを決めてしまった人の顔だった。
「リニュア。」
私の名前を呼ぶ。
「そこをどいてくれないか」
冷たい表情。
私は一歩後ずさる。
その様子をみて、教主様は少しだけ口元を歪めた。
「悪いが。もうタイムパラドックスはこりごりなんでね」
私は何も言えない。
教主様は私の真横を通り過ぎていく。
数歩離れてから。
立ち尽くしたまま、その背中を見る。
やがて、足が勝手に動いた。
いつもと違う教主様を、追いかけるしかなかった。
しばらく歩いて。
妖精王国の入口が見えてくる。
大通りは、いつもと変わらず賑わっていた。
店先では妖精たちが声を張り上げ、別の妖精たちが道の端を駆けていく。
少なくとも、私の目にはいつもと変わらない街に見えた。
教主様はその光景をちらりとだけ見る。
そして、大通りへは向かわなかった。
人混みの手前で、すっと横へ曲がる。
建物の影に沈んだ細い道。
声が遠くなる。
妖精の姿もほとんどない。
私は、その背中を追う。
「ついてくるな」
返事をしない。
コツ、コツ。
教主様の足音。
その少し後ろに、もう一つ。
少しして。
「聞こえなかったのか?」
「はい。聞こえませんでした」
教主様は何も言わない。
私も、それ以上は言わなかった。
2人分の足音だけが、細い路地に続いていく。
隣の白い塊の足音は静かだ。
やがて、教主様が足を止めた。
見覚えのない家だった。
他と変わらない、小さな民家。
けれど、窓だけが少し変わっている。
木板で塞がれた窓の下に、手一本が通るほどの蓋がついていた。
教主様はそこへ近づく。
コン、コン。
板を軽く叩く。
少しして、内側から蓋が開いた。
手だけが伸びてくる。
教主様は、その手から何かを受け取る。
私から隠すように、法衣の内側へ滑り込ませた。
「……今の、何ですか」
返事はない。
蓋だけが、静かに閉じる。
そのとき。
白い塊が、教主様の足元へ駆け寄った。
そのまま、裾を引っ張る。
「うわっ」
教主様の身体が大きく傾いた。
法衣の内側から、何かが滑り落ちる。
カラン。
ガラスの容器だった。
教主様は腰を落としたまま白い塊を見据える。
じっと。
白い塊も見返している。
そのまま、ため息をついて立ち上がる。
転がった容器。
私たちはそれに視線を落とした。
私が手を伸ばすより早く。
靴底が、容器を踏みつける。
パキン。
ガラスが砕けた。
素早い行動に私は伸ばしかけた手を引っ込めた。
「知らなくていい」
それだけ言われる。
私はその背中に近づく。
その瞬間。
「え?」
教主様の輪郭が揺れる。
白い法衣の向こうに、建物の壁が一瞬だけ透けて見える。
私は立ち尽くす。
教主様も自分の手を見る。
でも何も言わない。
ふと、手元の表示が目に入った。
96%。
「……上がった?」
教主様の輪郭が鮮明になる。
その人は何事もなかったように歩き出した。
「教主様」
返事はない。
私は白い塊と一緒に、その背中を追った。
しばらく歩くと、見覚えのある建物が見えてきた。
宴会場。
……のはずだった。
入口にあるはずの看板がない。
代わりに、道の端に木の板が裏返しになって落ちている。
私は足を止めた。
しゃがみ込み、板をひっくり返す。
『宴会場』
「……どうして」
顔を上げる。
扉には札が掛かったままだった。
[CLOSE]
私が立ち尽くしている間にも、教主様は迷わず扉へ向かっていく。
「教主様?」
扉が開いた。
白い法衣が、その向こうへ消える。
「待ってください」
私が駆け寄る。
けれど。
バタン。
目の前で扉が閉まった。
直後。
カチリ。
鍵のかかる音。
「……」
私は取っ手を握った。
動かない。
「教主様」
返事はない。
「開けてください」
やはり返事はなかった。
白い塊が私の足元までやってくる。
二人で閉ざされた扉を見上げる。
「……本当に、徹底していますね」
白い塊は何も答えない。
私は小さく息を吐いた。
正面から入れないなら。
建物の横へ回る。
白い塊も、当然のようについてきた。
宴会場の裏手。
表通りの喧騒は建物に遮られ、ここまで来ると随分と遠い。
積まれた木箱。
使われていない樽。
壁際に、厨房へ続いているらしい小さな搬入口があった。
取っ手を押す。
「……開いてる」
身体を滑り込ませる。
白い塊も後ろから入ってくる。
薄暗い厨房。
誰もいない。
使われていない調理器具が、整然と並んでいる。
表の宴会場へ続く扉を、そっと開く。
暗い。
昼間なのに、カーテンが閉め切られていた。
並べられた椅子。
長いテーブル。
空っぽのカウンター。
いつもなら聞こえるはずの声がない。
「教主様……?」
声を落として呼ぶ。
返事はない。
どこか奥にいるのだろうか。
私は足音を立てないように進んだ。
その途中。
カウンターの端に、一冊の本が置かれているのが見えた。
古びた表紙。
端は擦れ、何度も開かれた跡がある。
私は足を止める。
見覚えはない。
けれど、表紙の隅に小さく名前が書かれていた。
教主様の名前。
「……手記?」
いつもの修養録ではなかった。
私は辺りを見回す。
教主様の姿はない。
白い塊が、隣から本を覗き込んでいる。
触れていいのか迷った。
今まで何を聞いても、教主様は答えてくれなかった。
川に流したもの。
隠していた容器。
私がこの世界の人間ではないと知っているような言葉。
タイムパラドックス。
そして、96%。
そのとき。
宴会場の奥で、何かが動く音がした。
私は顔を上げる。
静寂。
しばらく待っても、何も聞こえない。
視線を戻す。
手記は、半開きになっていた。
途中のページに、ペンが挟まっている。
風もないのに、紙の端だけがわずかに揺れていた。
私はゆっくりと近づく。
ふいにページがひとりでに開いた。
そこには、教主様の字で短い文章が綴られていた。
書かれた一行が、目に入る。
そして。
息が止まった。
ーー彼女は、まだ自分が何度ここへ来たのか知らない。