エルフィン回です。
テンポよく書くのが難しい。
光が途切れる。
胸の痛みは、まだ消えていない。
ぐしゃ。
いつもより、少しだけ理解が遅れた。
「……え?」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
「…今度は、どこ…」
「ちょっと!?女王のパンを踏みつけるってどういうことよ!」
「パン?」
足をどかす。
ぺったんこになったパン。
「そうよ!ネルに見つからないように隠しておいたのに!」
「えっと...柔らかかったです...」
「感想を聞いてるんじゃないの!」
「あんた、急に現れて何者なの!?」
「答えないとパン泥棒罪で一生パン焼き係よ!?」
「女王様!一体何事ですか?」
「ネル!こいつが私のパンを奪ったのよ!」
「パン?」
「えっと私はリニュア。通りすがりのエルフです。」
「通りすがりでパンを踏むの!?」
司祭長のネルさんはため息をついた。
「事情はよく分かりませんが…」
視線がエルフィン女王と私に交互に刺さる。
「女王様が私に隠していたパンを食べているところに、エルフのスパイが居合わせた。そういう理解で?」
「違います!私はスパイじゃありません!」
「なら、どういう用件で忍び込んだか白状していただけますか?」
「私は教主様を探して、ここに来ました。」
司祭長の視線が止まる。
「...教主様、ですか」
沈黙。
エルフィン女王の羽が、わずかに震える。
「...遅いわよ」
司祭長が一歩前に出る。
「教主様は、もうおりません」
「いないって、どういうことですか?」
「そのままの意味です」
「説明は不要でしょう」
一拍。
「スパイにしては、随分と情報が遅いようですね」
司祭長は目を細めて私を見る。
「...そう、ですか」
私は服の裾をつかむ。
「...今回も、間に合わなかったのですね」
「ねぇ、リニュアとか言ったわよね?」
「どうして、いまになって教主を探しに来たの?」
「それは---」
言葉が、喉の奥で止まる。
服の裾を握りなおす。
「私は、教主様を何度も見送っているから--ー」
エルフィン女王が、司祭長に目配せする。
司祭長はなにも言わない。
「何度もって、どういう意味?」
「...最近は会えてすらいません」
女王はゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「...話しなさい」
それだけだった。
湯気の消えた紅茶は、すでに空になっていた。
女王は、しばらくなにも言わなかった。
「...ねぇ」
女王は、窓の外へ視線を逃がす。
「教主は——」
「どんな風に、いなくなったの?」
「え...?」
「教えて」
女王は、私を見る。
「わたしが知ってる教主は——」
「最後まで笑ってたわ...」
「『泣くな、笑え』って、言いながら」
「あんたが見た教主は——」
「どうだった?」
私は、息を呑む。
「……最後まで、守ろうとしていました」
「……そっか」
女王様は小さく息を吐く。
「教主は、どこでも——」
「同じなのね」
気づけば吐き出していた。
「どうして...」
「え?」
「どうして、そんな穏やかなのですか?」
その横顔は、どこまでも静かだった。
さきほどまでパンを巡って騒いでいた女王とは、別人のようだった。
女王様は、少しだけ笑った。
「穏やか?」
「わたしが?」
女王様は、カップを握りしめる。
「...違うわよ」
「毎日、叫びたくなるもの」
「え...」
「朝起きて——」
女王様の声が、震える。
「教主がいないって、気づくたびに——」
「叫びたくなるし、全部投げ出したくなる」
女王様は、カップをテーブルに置く。
「でも——」
「それじゃ、だめなのよ」
「なぜ...」
「だって——」
女王様は、目を伏せた。
「わたしが泣いたら——」
「みんなも、泣いちゃうから」
女王様は顔を上げる。
涙が光っていた。
「笑うしか、ないのよ」
「女王様は強いですね」
「ううん、全然」
「昔から、バカだって言われてきたの。何にもできないって」
「でも、そんなわたしの前で、いつも手本を見せてくれる人がいた」
「それが、教主」
「その痛みが、まだわたしの中にいる証拠なの」
「だから、立ち止まらないの」
「進むたびに、教主を思い出せるから」
「わたしがちゃんとやれてるかどうか、きっとあの人が見てるから」
女王様は、ほんの少しだけ目を伏せた。
「……ま、でも」
「難しい話はよくわかんないから、とりあえず甘いもの食べるわよ!」
隣から差し出されたケーキの箱が少し湿っていた。
「え?」
見れば、司祭長の目元が真っ赤だった。
「ほら、ネル。泣かないで」
「女王様~!」
そうして、ちらりと私に視線を向ける。
「だからね、リニュア」
「あなたの進んだ先が正解になるの」
ケーキの甘い匂いが、ふわりと広がる。
窓の外では、夕暮れの市が穏やかににぎわっていた。
空は、ひび割れていない。
私は静かに息を吐いた。
こんな世界が、まだある。
少しして、
「ほら、リニュアも食べていいわよ」
女王様からケーキの箱を受け取る。
なぜか、やけに軽い。
「...」
ケーキの箱の中身はーーー
ほぼ空。
端っこに小さな三角のかけらがちょこんと残っている。
司祭長が、すっと顔を上げた。
「これはいったいどういうことですか?女王様?」
女王様が目を逸らす。
「…途中でおなかが空いちゃって」
「あなたって人は!!」
「でも!残しておいたわよ?ほら」
「ご自分が同じことをされたときに許せますか!?」
「……平和ですね」
ケーキを巡って本気で怒れる声が、部屋に響いている。
こんなふうに笑える世界を、壊させたくないーーー。
私は、そっとケーキに手を伸ばす。
「じゃあ、せっかくなので――」
「待って!」
女王様が身を乗り出した。
「半分こにしない?」
「……このかけらをですか?」
「私にとっては大事なの!」
「女王様、それは『分ける』とは言いません」
司祭長が額を抑えた。
「あの...残りは全部食べてください」
「いいの?」
「その代わりにこの国を案内していただけますか?」
私がそう答えたときには、最後のかけらは消えていた。
半分にも満たない物語ですが、誰かと分け合えたならうれしいです。