終わりなき帰還   作:赤銀

7 / 26

看板はエシュールのベーカリーが正しいのですね。
後で修正します。



それでも、立つ

 

女王様が出かける準備をすると言ってから、私はネル司祭長と二人きりになった。

 

「リニュアさん」

 

「はい?」

 

「ありがとうございます」

 

「え?」

 

ネルさんは、まっすぐ私を見た。

 

「女王様はあのようにおっしゃっていましたが——」

 

「やはり、誰かに聞いてもらいたかったのでしょう」

 

「教主様がおられなくなってから」

 

「女王様は、誰よりも先に立ち上がられました」

 

「……たとえ、張りぼてだったとしても」

 

「あの方は、代わりになろうとされたのです」

 

「……毎朝、執務室でひとり地図を見つめておられます」

 

「魔物の進行と、食料の配分を」

 

窓際の光が、わずかに揺れた。

 

「…いいえ」

 

私は少しだけ首を振った。

 

「張りぼてには、見えませんでした」

 

ネルさんは、わずかに目を細めた。

 

「...そうですか」

 

少しの沈黙。

 

「女王様は、最近とてもよく頑張っておられます」

 

「ええ」

 

「ですから」

 

ほんのわずか、声が低くなる。

 

「今日は、久しぶりに気分転換をさせて差し上げたいのです」

 

「……ご案内の件、こちらからもお願いできますか?」

 

私は静かにうなずいた。

 

そのときーーー

 

「準備できたわよ!」

 

勢いよく扉が開いた。

 

王冠が少し斜めになっている。

 

「え、なにその顔」

 

「いえ、なんでもありません」

 

「ではリニュアさん」

 

「本日は、どうか女王様をーーー」

 

「ちょっと、それはどういうことよ!」

 

ネルさんと女王様は、いつものように言い合っている。

 

その距離は、近い。

 

私は、思わず小さく笑った。

 

こんなふうに、支え合っている。

 

それだけで、十分だった。

 

「さぁ!もたもたしてないで行くわよ!」

 

女王様が私の手をつかむ。

 

「どこに行くか、もう決めているのですか?」

 

「もちろん!」

 

「まずは腹ごしらえでしょ!」

 

「……さきほども召し上がっておられませんでしたか?」

 

司祭長の鋭い声。

 

「それはそれ、これはこれよ!」

 

さきほど、ほぼ一箱空にしていたはずだが。

 

「……異論はないですよ」

 

私は微笑んで答えた。

 

私たちは早足で王宮を抜けた。

 

夕暮れの妖精王国は、まだ賑やかだった。

 

空が、少しずつ赤く染まり始めている。

 

「こっちよ!」

 

女王様は振り返りもせずに手を振る。

 

王冠がまた傾いている。

 

私は、ほんの少しだけ足取りを軽くした。

 

しばらく歩いてーーー

 

「ここよ!」

 

「ここは…」

 

看板には『エシュールの魔法学校』

 

ーーーその工房から、甘い匂いが漂っている。

 

窓の向こう側ではまばらになったパンたち。

 

「あれ?女王様と...そっちは?」

 

店の前に、見覚えのある甘い匂いのする妖精。

 

「エシュールさん?」

 

「来たわよ!エシュール!」

 

「いますぐ、私に山ほどのパンをもってきて!」

 

「ええっ!もうすぐ閉店時間ですよ!」

 

「もちろんよ。でも、今ある分は全部いただいていくわね」

 

「ぜ、全部ですか!?女王様の食欲は底なし沼ですね。」

 

思わず女王様を見た。

 

女王様と目が合う。

 

「国の未来のためよ!」

 

「しばらく見ないと思ったら、それですか...」

 

女王様に引っ張られるまま、店のベルを鳴らす。

 

「まぁ、いいですよ。私も在庫処分ができて助かってますし」

 

「なにか言った?…もぐもぐ」

 

口いっぱいのまま聞き返す。

 

「...いえ」

 

エシュールさんは小さく息をついた。

 

「最近、ずっと無理してませんか?」

 

「誰が?」

 

「女王様ですよ」

 

「してないわよ!」

 

「ほら、元気でしょ?」

 

「元気な人ほど、無理しますから」

 

エシュールさんの視線が私に向く。

 

「...それで」

 

「そちらの方は?」

 

「え?」

 

「あ、紹介してなかったわね」

 

「リニュアです。通りすがりのエルフで」

 

「怪しいやつじゃないことは私が保証するわ!」

 

「女王様の保証が、一番不安なのですが」

 

エシュールさんは私をじっと見る。

 

「……まぁ、悪い人には見えませんね」

 

その視線が、一瞬だけ私の指先で止まる。

 

「……ずいぶん、遠くから来た顔をしていますが」

 

「え?」

 

「ここは安定していますよ」

 

「女王様がいますから」

 

「ですから―」

 

エシュールさんはわずかに微笑んだ。

 

「安心しても、大丈夫ですよ」

 

「たまには、エシュールもいいこと言うわね!」

 

女王様は、これ以上ないほど胸を張った。

 

「もっと私をほめてもいいのよ!」

 

そういって、今度はケーキに手を伸ばしていた。

 

エシュールさんは私に近づいて耳打ちした。

 

「魔物の進行で、この通りも静まり返ったことがあります」

 

「あの方が立つまでは」

 

「夜通し会議をしていましたよ」

 

「眠らずに」

 

「……ああ見えて、本当に立派な方ですよ」

 

「ええ、私もそう思います」

 

本当に。

 

「さぁ、リニュア!次へ行くわよ!」

 

「でも、もうそろそろ王宮に戻ったほうがよくないですか?」

 

「まだよ!」

 

エシュールさんが苦笑する。

 

「ほどほどにしてくださいね、女王様」

 

「わかってるわよ!」

 

そう言いながら、最後の一口を頬張る。

 

ベルが鳴り、店を出る。

 

通りの喧騒は、少しだけ落ち着いていた。

 

空は群青に変わりつつある。

 

さっきまで明るかった通りに、影が伸びていた。

 

ぽつり、と石畳に音が落ちる。

 

「……雨?」

 

女王様が空を見上げる。

 

そのとき。

 

「女王様!」

 

振り向くと、ゴーグルと紐を携えた妖精。

 

「マリー?」

 

翅は、ちゃんと広がっている。

 

焼けていない。

 

「どうしたの?」

 

マリーさんは息を整えながら言った。

 

「マヨ...まだ立ち直れていなくて」

 

少しだけ視線を落とす。

 

「教主様がいなくなってから、ずっと」

 

雨が強くなる。

 

女王様は、迷わなかった。

 

「案内して」

 

マリーさんはうなずく。

 

マリーさんの後を追って、石畳を走る。

 

雨が、強くなっていた。

 

冷たい雨。

 

空は、すっかり暗い。

 

街灯が、ぼんやりと光っている。

 

「こっちです!」

 

マリーさんが、角を曲がる。

 

女王様も、私も、その後を追う。

 

灯りの消えた店先が、いくつか続く。

 

その一つ。

 

古びた看板。

 

『質屋』

 

雨に濡れた扉は、固く閉ざされている。

 

「マヨ!」

 

マリーさんが、扉をたたく。

 

「マヨ!開けて!」

 

何度も、何度も。

 

だが―

 

返事はない。

 

「お願い!開けて!」

 

だけど、雨音しか返らない。

 

女王様が、一歩前に出る。

 

「開けなさい!」

 

「開けないなら―」

 

女王様は、扉をにらむ。

 

「開けるわよ!」

 

次の瞬間―

 

轟音。

 

扉が、女王様の形に破られた。

 

木片が飛び散る。

 

「……ダイナマイトを使う私でも」

 

マリーさんが、呆然とつぶやく。

 

「こんな雨の日にそれはちょっと...」

 

女王様は、部屋の中へ入る。

 

私たちも、そのあとを追う。

 

雨の匂いが、部屋に入り込む。

 

部屋の中は―

 

暗かった。

 

灯りは、消えている。

 

窓には、カーテンが引かれている。

 

床に、踏み場がない。

 

そして―

 

部屋の隅に、ベッド。

 

その中に、誰かがいる。

 

「……ほっといてほしいっす」

 

か細い声が、聞こえた。

 

女王様が、ベッドに近づく。

 

「マヨ」

 

「...帰れっす」

 

「マヨ」

 

女王様の声が、優しくなる。

 

「出てきなさい」

 

「...いやっす」

 

「なんで?」

 

「...」

 

布団がわずかに動く。

 

「教主は戻ってこないっす」

 

いつも呼んでいた『収集品』ではなく『教主』と呼んだ。

 

その声は―

 

どこまでも、悲しかった。

 

女王様は、数秒沈黙した。

 

そして―

 

ベッドの前に、座った。

 

「...ねぇマヨ」

 

「……」

 

「わたしも——」

 

女王様の声が、震える。

 

「最初は、前を向けなかったわ」

 

「ずっと、泣いてた」

 

「何もできなかった」

 

「でも——」

 

女王様は、空を見上げる。

 

「ある日、気づいたの」

 

「教主が教えてくれたこと——」

 

「全部、まだここにあるって」

 

女王様は、自分の胸に手を当てる。

 

「ここに」

 

「……」

 

「だから——」

 

女王様は、布団を見つめる。

 

「教主は、まだいるのよ」

 

「あなたの中に」

 

そう言いながら、女王様の指先が震えていた。

 

「……いるって、信じないと」

 

そうでもしなきゃ、王座に座れない。

 

布団が、大きく震える。

 

「……いないっす」

 

「どこにも、いないっす」

 

「探しても——」

 

「見つからないっす」

 

マヨさんの声が、涙に濡れている。

 

「だから——」

 

「もう、疲れたっす」

 

布団が、わずかに動く。

 

それきり、返事はない。

 

「……そっか」

 

「なら——」

 

女王様は、立ち上がる。

 

「今日は、これで帰るわ」

 

「でも——」

 

女王様は、振り返る。

 

「また、来るから」

 

「何度でも、来るから」

 

女王様は、微笑んだ。でも、

 

その目の奥は、わずかに揺れていた。

 

「諦めないでよ!」

 

マヨさんは、何も言わなかった。

 

ただ——

 

布団の中で、震えている。

 

女王様は、扉の方へ歩く。

 

私も、その後を追う。

 

マリーさんも。

 

「女王様……」

 

マリーさんが、呟く。

 

「このままでいいんですか?」

 

「いいの」

 

「教主が言ってたわ」

 

「不安は、消えないものだって」

 

「だから、自分が前を向くまで―、待つしかないの」

 

マリーさんは、何も言えなかった。

 

ただ——

 

質屋の扉を、見つめている。

 

女王様は、床板を一枚はがす。

 

「ドア、壊しちゃったからね」

 

玄関口に立てかける。

 

「これで、少しはマシでしょ?」

 

雨が、床板を叩く。

 

女王様は、優しく言った。

 

「マリー」

 

「はい...」

 

「あなたも、無理しないで」

 

マリーさんは、目を見開いた。

 

そして——

 

涙を流した。

 

「……ありがとうございます、女王様」

 

そんな女王様に私は一歩近づいた。

 

「女王様」

 

「うん?」

 

「私に考えがあります」

 

雨が、少しずつ弱くなる。

 

空には、月が見え始めていた。

 







成長って強くなることではなく、不安を抱えたまま進むことだと思う
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。