ここで書いているときだけ心が落ち着く
翌朝。
雨は、もうやんでいた。
私は一人で、モナティアムに向かっていた。
獣人たちの住む、森の木の匂いから排気ガスや無機質な機械の匂いへ。
区画管理されたビルの隙間を縫って歩く。
ふと、路上の壁面を見る。
メロン党なる政党の機関紙が大々的に貼られている。
緑色の紙面はやけに派手だ。
『未来は、甘くあるべきだ』と書いてある。
白衣を着るあの人が市長なら、眉を顰めるだろうか。
忘れることが“甘い”のか。
それとも、痛みごと抱えることが未来なのか。
わたしはかぶりを振って歩を進めた。
ビル群を抜けて、小さな電気屋についた。
昼間なのにきらびやかなネオン。
ショーウィンドウには、時代遅れのラジオと最新型の端末が並んでいる。
「ここなら、見つかるかも」
ベルを鳴らして店に入る。
店内には「かくれんぼ好き~、雑巾がけが好き~」というどこか耳に残る音楽がなっている。
店内をざっと見ていく。
どれもエルフの街でしか手に入らない品々。
棚に並ぶ録音機を、一つずつ手に取る。
その中でなるべく容量が大きくて、声が鮮明に聞こえる物を選んで店を出る。
途中で途切れては、困る。
これは―
説得のためではない。
思い出す、きっかけのためだ。
けれど。
本当に、そうだろうか。
私は、自分が救われた方法を
押し付けようとしているだけではないか。
別の世界の教主の声。
それは――
この世界の教主ではない。
もし、あの声が
マヨさんの記憶を上書きしてしまったら?
もし、怒りだけを残したら?
もし、
あの人の声まで、
嫌いになってしまったら。
足が、止まる。
ビルの窓に映る自分の顔は、
思っていたよりも、迷っていた。
あの人ならどういうだろうか。
女王様の顔が浮かぶ。
私は悩んでいるうちに王宮に足が進んでいた。
私は一人で決めるには、
まだ弱い―
何度も失ったくせに、
まだ、誰かの背中を探している。
気がつけば昨日歩いた道をなぞっていた。
戻ってきた甘い香りのする通りに少し安心感を憶えてしまっていた。
見上げると『魔法学校』の文字。
「あれ?昨日女王様と一緒にいたエルフじゃないですか?」
「エシュール、さん?」
「ちょうどよかった!」
「女王様のパンを今すぐ運んでくれるわよね?」
そういいながら、エシュールさんの目が、一瞬だけ私の持つ袋に落ちる。
「ええっ!」
ケーキの箱を、袋ごと押しつけられる。
「甘いものは、考えすぎを鈍らせますから」
「……それ、慰めになってます?」
「ええ。『大体の問題は、おなかから来る』っていつも女王様がおっしゃっていますよ」
「それは、女王様だけじゃ―」
「ともかく、配達お願いするわね」
言い終わる前に、
エシュールさんは店の中へ引っ込んだ。
バタン、と扉が閉まる。
手の中には、メロンより甘い重み。
こんな未来も悪くないかもしれない。
甘い匂いに背中を押されるように、王宮に向かった。
王宮の廊下は、昼の光に満ちていた。
昨日と同じ場所。
けれど、今日は胸の重さが違う。
角を曲がると、ネルさんが立っていた。
「リニュアさん」
「女王様はおられますか?」
ネルさんは、私の手元に目を落とす。
「……お届け物ですか?」
「はい」
一拍。
「女王様への、お届け物です」
ネルさんの視線が、箱から私の目へ戻る。
「甘い匂いですね」
「ええ」
「それだけですか?」
少しだけ、試すような声。
私は、息を吸う。
「……それだけでは、ありません」
司祭長は目を細める。
しかし司祭長の控える扉の向こうから、なにか聞こえた。
「ショートケーキ……モンブラン……レモンタルト……」
「チョコレートの匂いもするわね...」
紙をめくる音。
ペンが走る音。
ネルが小さく咳払いをする。
「女王様」
「失礼します」
扉を開ける。
机に山積みの書類。
その向こうで、真剣な顔の女王。
「そういうのいいから」
顔を上げた瞬間、目が輝く。
「今すぐ、開けて!」
言うが早いか。
女王様は机を回り込み、私の手から箱をかっさらう。
「ちょ、ちょっと――」
ぱかり、と蓋が開く。
ふわり、と甘い匂い。
「うひょー!」
女王様の目が、さらに輝く。
「ショートケーキ……」
指が止まる。
「モンブラン……」
次の箱へ。
「レモンタルト……」
そして、小さく息をのむ。
「チョコレート……!」
私は、はっとする。
さっき扉の向こうで聞こえた言葉。
あれは――
この箱の中身だったのだ。
女王様は、ひとしきり満足そうに頷く。
ネルさんが、わずかに目を吊り上げる。
「女王様」
「書類は後ほど確認いたします」
「わかってるわよ!」
フォークを止めずに言う。
「ちゃんと全部目は通してるから文句はないでしょ!」
その机の端には、赤い修正跡の入った書類。
署名も、きちんと入っている。
司祭長は小さく息をつく。
不満はある。
だが、仕事をしている以上、大声では叱れない。
女王様は一口、また一口と食べる。
「こんなんじゃ、全然足りないわ」
というつぶやきが聞こえた気がした。
「それで?」
頬にクリームをつけたまま。
「昨日の続きかしら?」
私は、もう一つの袋を見つめる。
女王様の視線も、そこへ落ちた。
「ああ」
フォークをくるりと回す。
「もう片方の袋は、お菓子じゃないわね」
にやり、と笑う。
「だから、そういう意味かと思ったのよ」
ネルさんが、わずかに目を細める。
「女王様」
「今の私、女王らしかったかしら?」
得意げに胸を張る。
司祭長は淡々と答える。
「はい。非常に」
「ふふん」
私は、袋から録音機を取り出す。
机の上に置く。
「……相談があります」
女王様の目が、少しだけ真剣になる。
「別の世界の教主様の声を」
「ここに録音して」
「マヨさんに聞かせようと思っています」
静寂。
ネルさんが息を止める。
女王様は、すぐには答えない。
机を指で、とん、と叩く。
「本物じゃないわね」
「はい」
「この世界の教主じゃない」
「はい」
一拍。
女王様は肩をすくめた。
「別に、本物である必要なんてないわよ」
私は顔を上げる。
「だって、私も教主の真似事だし」
さらりと言う。
「代わりになろうとしてるだけ」
「完璧じゃない」
「でも、それで前に進めるなら、十分じゃない?」
「それに」
少しだけ笑う。
「あなたの話を聞く限り」
「どこの世界の教主も、大して変わらなそうだし」
ネルさんが小さく目を伏せる。
「……確かに」
女王様は私を見る。
「大事なのは“誰の声か”じゃない」
「それを聞いたときに、何を思い出すかよ」
女王様の言葉に、私は息を詰める。
その横で、司祭長が静かに口を開いた。
「ですが」
空気が、少し冷える。
「マヨさんが怒る可能性はあります」
「ええ」
「教主様に関わる品である以上、政治的に奪われる可能性もある」
女王様の指が、机の上で止まる。
「実際、あの質屋には強盗が入ったことがあります」
「教主様の品、目当てに」
私は、胸が重くなる。
ネルさんは続ける。
「録音機という“形”を持つ以上」
「それは個人の慰めでは済まないかもしれません」
「女王様の判断が問われます」
静寂。
女王様は、少しだけ目を伏せる。
そして、ふっと笑った。
「そうね」
フォークを置く。
「本来なら、私が解決すべきことよ」
「マヨのことも」
「教主のことも」
「この国の傷も」
少しだけ、声が低くなる。
「でもね」
顔を上げる。
「人に頼るのも大事って、教わったの」
その目は、揺れていない。
「一人で抱え込むのは、強さじゃないって」
ネルさんが、わずかに息をつく。
「……教主様ですね」
「ええ」
女王様は私を見る。
「だから」
「今回は、あなたに頼るわ」
「責任は、私が持つ」
この一言は重い。
統治者としての覚悟。
女王様が最後に一つだけ問う。
「あなたは、壊れても耐えられる?」
女王様の問い。
私は、すぐには答えられなかった。
壊れる。
その言葉は、何度も経験してきたはずなのに。
胸の奥で、何かがざわつく。
沈黙。
ネルさんの視線も、静かにこちらを見ている。
私は、息を吸う。
「……それでも」
声が、少しだけ震える。
「それでも、マヨさんの助けになるのなら」
「やるべきだと思います」
静かに言い切る。
部屋の空気が、ほんの少しだけ変わる。
女王様は、しばらく黙っていた。
そして――
「……ありがとう」
小さく、そう言った。
その声は、軽くなかった。
「頼らせてくれて、ありがとう」
一瞬だけ、王ではない顔。
すぐに、にやりと笑う。
「で、話はまとまったところで」
ぱちん、と手を打つ。
「追加でケーキを持ってきてもらえると助かるわ」
司祭長が、ぴくりと眉を動かす。
「女王様」
「少しは食べる量を減らしてください!」
「ううん……」
女王様が、うなる。
「これは統治に必要なエネルギーなのよ」
「糖分は国家運営の基礎なの!」
「そういう理論は存在しません」
ネルさんがきっぱりと言う。
そして、軽く咳払い。
「……そういうことですから」
「リニュアさん」
「ご協力、よろしくお願いいたします」
締める声は、穏やかだった。
女王様は頬を膨らませている。
けれど、その目は――
ちゃんと前を向いていた。
昨日と同じ時間帯―
連れ立って歩いた道をなぞる。
質屋の前。
昨日立てかけた床板は、まだそこにある。
そっと押すとかびたにおいが鼻をつく。
中は、昨日より少しだけ片付いている。
布団の山は、同じ。
「……また来たっすか」
声は、昨日よりはっきりしている。
返事はしない。
外れた床板を飛び越えて。
レコーダーを、机の上に置く。
「これは、この世界の教主様の声ではありません」
正直に言う。
「それでも、聞きたくなければ消します」
軽く、スイッチを押す。
ノイズ。
数秒の空白。
『うわぁぁぁ、マヨ!髪の毛を抜かないで!』
『抵抗されると、面倒っす』
『マヨは私を禿げさせたいの!?』
『これは、白髪…抜いて良い貴重品っす』
小さな笑い声。
やがて、ノイズ。
沈黙。
部屋の空気が、ほんの少しだけ動く。
ベッドの山が、少しだけ動いた。
それだけ。
私はレコーダーを、そっとベッドの近くに置いた。
もう、押さない。
押さなくても、音は残る。
立ち上がろうとしたとき、机の端に目が止まる。
見慣れない装置。
エルフ製の刻印。
けれど、形状はどこか近未来的だ。
滑らかな金属面。
小さな表示窓。
0.00%
揺らぎ測定器。
何の数字だろうか。
思わず、指を伸ばす。
「触るなっす」
布団の中から、鋭い声。
私は手を止める。
「……わかりました」
それ以上、踏み込まない。
レコーダーも、装置も、そのままに。
扉へ向かう。
「……消さなくて、いいっす」
小さな声。
背を向けたまま、聞こえるか聞こえないかの音量で。
私は振り返らない。
「はい」
それだけ答えて、外に出る。
空は、昨日より少しだけ明るい。
やがて―
扉が閉まったその先で
机の端。
おかれたままの謎の装置。
表示枠は、淡く光っている。
――0.01%
止まる。
それ以上、動かない。
布団の中から、レコーダーを拾い上げる。
もう一度だけ。
カチ。
ノイズ。
別の声が再生される。
『マヨ。安心して、私は消えたりしないよ…』
小さな音。
ベッドの山が、少しだけ持ち上がる。
画面の表示は、変わらない。
0.01%
それだけ。
「人間は嘘つきっす…」