落ちてきた地球外高度知的生命体とヒーローやることになった件について 作:緑茶山
シロの能力を使えない状況に陥る可能性は、初めから念頭に置いていた。だからこそフューリーに確認したのだし、準備もしてきた。
その備えが充分だったかは――今思うと少し、油断をしていたのかもしれないと思う。
これまで、それなりの修羅場は経験したと思う。けれどそこではいつも、隣に誰かがいた。それがシロであったし、シロがいない時はロキだったりしたけれど。
今回も、当たり前のようにシロが隣にいると考えていた。
けれど、そうだ。いつでも誰かと共に戦えるとは、限らない。シロといつも一緒だったから、つい忘れていた。
いくつもの戦いの記憶を見たくせに、そんなことも忘れていたなんて。
「考え事か、ユーリ。随分と余裕じゃないか」
ソルジェフは言って、拳銃を構える。私はその瞬間横っ飛びに避けて、オフィスの机の陰に隠れた。銃声が立て続けに二回。これでソルジェフは三発撃った。
私が来る以前に撃ってたか知らないが、あの手の自動拳銃の装弾数は大体十五発前後と言ったところ。……無駄撃ちさせるにはちょっと厳しいな。
こっちはルーン魔術しかない、ほぼ丸腰だ。向こうが銃を手放す状況に出来れば勝率はぐんと上がるのだが。
ソルジェフがどんな展開を望んでいるのか知らないが、向こうの思う通りにさせるのは癪だ。そもそも私が負けたら、ろくな展開になる気がしない。
「ユーリ、かくれんぼか? じゃあ、見つけてやらないとだなぁ」
狂気じみた声が近付いてくる。隠れたところ見てたのに、かくれんぼも無いだろうが。
私は床にルーンを刻み、ソルジェフが来ようとしている反対側へとしゃがんで移動する。
窓越しに、ソルジェフが何か話しかけながら私の隠れていた場所を覗き込んだ。その瞬間、ルーン魔術が起動し、ソルジェフの足に茨がまとわりつく。どこか喜色がにじむ声で、ソルジェフは驚いた声を上げた。
私はその瞬間立ち上がり、窓際を走り抜ける。ソルジェフは茨から抜け出そうともせずに私を狙って銃を撃った。狙いは外れ、通り抜けた先にあるガラス窓へ小さな蜘蛛の巣がいくつも出来る。
そして最後の一発は、さっき人質のために書いた守護のルーンによって防がれた。それを見て、ソルジェフは拳銃の銃口を上に向け、首を傾ける。
ソルジェフは撃っても無駄と分かったらしく、けれどこの場所から私が動けない事を理解し、太もものホルスターのナイフで茨を取り去った。
私はその間にチラと窓の外のヘリキャリアを見た。随分と高い位置にその巨大空母はあるが、まだ武装準備は始まっていない。スティーブはどうなっただろうか。
そう思っていた私に対し、ソルジェフが、無駄と分かっているはずなのに、銃を放った。流石にその銃声に驚き、肩を揺らす。ソルジェフは先程まで浮かべていた笑みを消して、不機嫌そうに口を開いた。
「他の男のことでも考えているのか? 俺というものがありながら」
「悪いね、キャップの方がいい男だもんで」
不愉快な薄ら笑いがその顔から消えて、ちょっと胸がすっとした私は、冷笑を浮かべて肩を竦めてみせる。
「戦いの基本は格闘だ。武器なんて捨てろよ、ヴァージャ・ソルジェフ。私に痛みを与えたいんだろ? だったらその手で与えてみせろ」
邪魔なジャケットを脱ぎ捨てて、私は挑発的に笑ってみせた。
こんな調子に乗ったこと言っているが、私は格闘技の心得があるわけではない。体育の選択授業で柔道を選んだり、絵を描く参考に格闘技のビデオを見た程度である。
多重転生の記憶の中で、八極拳を極めてアベンジャーズ入りした強者もいたが、記憶はただの記憶である。その記憶のように体が動いたりはしない。
少し前にキャップの訓練を受けたが、結論として「君は前に出て戦わないほうがいい」という評価をいただいた。つまり素人。普通に戦えば、私は確実に負ける。
だが、準備はしてきたのだ。最終手段で、使う気はさらさらなかったが。その仕掛けをした右手を握る。
「そうだな、ユーリ。俺たちの間に、こんなものは無粋だったな」
ソルジェフはこちらの言葉に乗った。
拳銃を放り投げ、ナイフも捨てる。瞳に狂気を宿し、頬には笑みを乗せ、こちらへと真正面から歩いて来る。
あー、やだやだ、殴り合いなんて野蛮だわ。
心内でため息を吐きながら、私もソルジェフと同じように真正面から歩いていく。正直身長差とか
一定の距離まで詰めると、ソルジェフは拳を構え、殴りかかってきた。流石にこれは私にも避けられる。
右頬の横を通り過ぎる拳を見送り、私は固めた右手をソルジェフのみぞおちへと入れようとした。しかしソルジェフの左手がそれを受け止め、そのまま腕が捻り上げられる。
「うっ……」
ぐるりと体が反転させられ、ソルジェフは背後から私の耳元に囁く。
「呻く声もそそるな」
耳元に掛かる息。そこから首へ、背中へ。ぞわ、と虫が広がり、駆け抜けるような感覚がした。
反射的に私は左腕を動かす。
残念ながら最後の金的は上手く決まらなかったらしく、ソルジェフは軽くたたらを踏んだだけにとどまる。残念。
「いちいち気色悪いんだよ、ゲス野郎……!」
まだゾワゾワした感覚が残る首筋を撫でて、感覚を上書きしながら私は吐き捨てる。反撃や暴言すら興奮材料になっているソルジェフにはむしろ逆効果のようだが。
「ああ、堪らないな、そうでなくては。そうして痛みをくれ。俺も与えよう!」
誰が! 欲しいなんて! 言った!
爆発的に、唐突に、ラッシュが始まる。いくらかは腕で庇ったが、腹に重たいのを一発貰って、口の中に酸っぱいものが広がった。目の前に星が散る。
何度目かの頬に入ったパンチで背中から倒れた私に、ソルジェフは馬乗りになって更に拳を振り上げる。防戦一方なんてもんじゃない。防ぐこともままならない。でも、もう少し。
「ああ、ああ、どうしたんだ、ユーリ。それでお終いか。反撃はしないのか。ああ、血の色も似合うな、ユーリ。
庇った腕の隙間から窓の外を見る。上空で、ヘリキャリアはすでにお互いを撃って、落下を始めていた。
「俺も君を傷付けて……ほら、見てみろ、手から血が出てしまった。けど安心しろ。最後まで責任を持って――君を殺そう」
ソルジェフは一旦攻撃を止めると、私の鼻血を指ですくう。そしてそれを見せつけるように舐った。
「ああしかし、どう殺すのが良いだろう。首を絞めるのが良いだろうか。このまま殴り続けるのが良いだろうか。それとも……一つ一つ、切り取っていっても良いかもしれないな。その時上げる君の悲鳴は録音しておこう。全部バラバラにして、それぞれショーケースに入れて飾るんだ。素敵だと思わないか?」
ソルジェフは私の首に手を這わせながら愉快そうに笑って囁く。ぐっと手に力が込められて、息が詰まる。そうしてソルジェフは反対の手を私の脇腹に添えた。撃たれたところだ。
魔法で治りかけていたそこに力が籠められる。細胞のふりをしていた魔力が破壊され、血がにじむ。痛みと苦しさに、私は呻く。
細めた目に、ソルジェフの背後の景色が映った。窓の外でヘリキャリアはみるみる高度を失って、トリスケリオンに突っ込もうとしていた。今だ。
「――」
「ん? 何か言ったかい、ユーリ? ああ、首が締まって声が出ないか。一度離そう。どうした?」
ソルジェフはことさら優しい声で言って、拘束を緩ませた。私にとっては虫の羽音ほど不快な声だが、DV男から離れられない女性というのは、こういう優しさに騙されるのだろうか。
私は笑みを浮かべ、右の拳を固めた。刻んだルーン文字が、淡く光を帯びる。
「とっととくたばれ、糞野郎」
突き出した右腕は黒い影と赤い光を帯びて、ソルジェフの胸へ。
「お前を殺すのは、お前自身だ」
『FGO』のアンリ・マユの宝具を元に、ルーン文字を組み合わせて作った魔術。受けた痛みを集約し、一撃にして放つ。
ソルジェフの体は私の拳に、弾かれたように吹き飛んだ。壁をぶち壊し、煙と炎の立ち込める廊下の先へ、姿を消した。あ、あー、また鼻血垂れてる。ヤダもう、恥ずかしい。
「〔ユーリ、今どこにいる?〕」
「――三十……五階、北西の、オフィス」
「〔迎えに行く〕」
無線から響くサムの声。どうやらウィンター・ソルジャーに翼をもがれていないらしい。
「今すぐ来て」
火の手はすぐそこまで迫っていた。ここでやつと心中なんて御免である。
映画のサムをリスペクトし、全力ダッシュからの爆風を背負い窓を突き破り、紐なしバンジー。大の字で落下していけば、横から大きな黒い鳥が飛んできて、私の腕を掴んだ。
「あんたやっぱりイカれてるな」
「こう見えて、特攻野郎
「なるほどね」
自分だけが
サムに両手を掴まれて、バンザイの姿のまま私は地上に降りた。人質以外にもS.H.I.E.L.D.の人たちを保護して降りていたシロが、ホッとした様子で駆け寄ってきた。
そうして、トリスケリオンは崩壊を始める。
「S.H.I.E.L.D.が……」
誰かがつぶやいた。S.H.I.E.L.D.にはヒドラが巣食っていたけれど、でも同時に、自分の正義を託す人々も、確かにいたのだろう。
◇
その後? 映画とほぼ同じ、と言えば分かるだろう。
スティーブは川辺で発見されて病院に搬送された。私は殴り合い後らしい顔面に加えて、肋骨も何本か折れていた。打撲の数は両手じゃ足りない。でもまあ、生きてはいたからオールオッケーだ。
S.H.I.E.L.D.が用意してくれた家? 日本にある自宅? キャプテンのアパートが全世界にバレたって言えば、なんとなく周辺の状況は分かるかな。私は今、叔父の家に居候している。
高校は、同級生が卒業前の自由登校期間になったら補習を受けられるよう、先生が取り計らってくれるらしい。ありがたい。
ありがたいと言えば、ナターシャもその一人だ。S.H.I.E.L.D.崩壊、ヘリキャリア墜落、ヒドラの目的。すべてがアメリカ政府及び全世界で白日の下にさらされ、その矢面として委員会からの審問の場に立ったのがナターシャだった。
映画通りなのかもしれないけど、スパイから一変、彼女は大変な苦労を負う立場になってしまった。
そんなこんなで騒動が終わって、大体一週間と言ったところか。私たちはワシントンD.C.の片隅にある墓地を訪れていた。スティーブとサムもいる。フューリーから呼び出されたので。
墓石の一つには、ニック・フューリーの名が刻まれている。ついでに心正しき者が云々とエゼキエル書の一節が刻まれている。
墓を見つめる私たちの元に、フューリーがやってきた。一度死んだことにした彼は、陰から地球を守るため、別の人間として再び始める。案外楽しみにしているような素振りを見るに、長官をやるより現場の方が性に合っていたのかもしれない。
「私は今夜ヨーロッパへと向かう」
フューリーはそう告げて、スティーブとサムへ順に誘いを掛けた。二人が断り、フューリーの視線は私へと向けられる。
「君たちはどうする?」
「私、向いてないので」
「だろうな。スパイは君の性に合わないだろう。シロも同じ気持ちか」
「彼女の行く道が俺の道です」
私たちの答えに、フューリーは微かに笑みを浮かべて頷く。勧誘に失敗したのに、満足そうだ。
「私のことを聞かれたら、ここに来れば会えると言ってくれ」
フューリーはそう言って、私たちに背を向け去っていった。
フューリーと入れ違いにやってきたのはナターシャだった。手には何かファイルを持っている。ナターシャも、フューリーとは一緒に行かないのだ。
ファイルをスティーブに渡したナターシャは、私たちへ軽く手を上げて、去っていく。私もそれに手を上げて答え、そのシャンとした背中を見送った。
そうして私たちも一歩踏み出す。
「日本へ?」
スティーブが私たちの背に声を掛けた。私は振り向き頷く。
「四月から大学生だからね」
私の言葉にスティーブは、寂しそうな笑みで頷いた。私は彼が持ったファイルを指差す。
「手伝えることがあったら呼んで」
「学校をサボる口実か?」
茶化すスティーブに、私は笑い声をあげた。まだ治りきっていない頬の傷が痛い。
「それじゃ」
「また」
私とシロはそれぞれ別れを告げて、スティーブとサムへ視線を合わせた。そうして杖を出し、ひと振り。ぎゅるりと視界が歪み、目の前の光景は一瞬で、私たちの仮住まいへと変わった。