落ちてきた地球外高度知的生命体とヒーローやることになった件について 作:緑茶山
一拍遅れて、私の体は甲板の床に傾いていった。
熱のような痛みと、撃たれたという焦りが足を震わせて、その場に立っていることもままならない。
背中に冷や汗が吹き出して、肩は熱いのに背中はじっとりと冷えた。膝を付けば、目線が近くなったシロの心配そうな瞳が見える。
「荒事は苦手なのですが、仕方ないですね。少し痛い目を見ないと、状況が分からないようですから」
言葉の丁寧さと裏腹に、雉村の目はひどく冷たく、暗かった。
母は私の肩を手で強く押さえて止血させようとしてくれるが、見る間にその白い手は血で赤く染まっていく。
「アンタ……優李に協力してほしいんじゃなかったの!?」
「ええ。信頼を以て協力を得るつもりでした。ですがそちらにその気がないのなら、別の方法を取るまでです」
雉村は酷薄な笑みを浮かべた。
「時には恐怖が交渉の最適解であることもありますから」
雉村が、引き金を引く指に力を込めるのが分かった。
私はもはやエネルギー残量など気にすること無く、能力を使った。かざした手の先に、大きな盾が現れる。銃声はほぼ同時に鳴り響き、そして盾に弾かれた音もまた、聞こえた。
すでに煙は立ち消えていて、私たちの姿を隠すものは盾一つ。四方を敵に囲まれているから、盾は一方を遮る程度にしかならず、逃げ場はない。
人間相手に能力を使うことは、まだやったことがない。私にその覚悟がないことを、おそらく雉村は知っている。
「いいんですか、優李さん。そんなに簡単に能力を使ってしまって。前に食事したのは何時間前でしたっけ? ここに来てから食事はしましたか? 能力を使える回数は限られているでしょう」
雉村は「ねえ今どんな気持ち?」とでも言うように私に問う。人のこと言えた義理ではないが、中々性格悪いな、この女。
肩には激痛が居座り続けているが、それでも雉村に対する苛立ちは、私の頭を冷静にさせるのに一役買った。
私は盾を出し続けているのは消費が激しいので、とりあえず消して、口を開いた。
「お前みたいなクソアマが部下にいるんだ。上司はきっと〝世界死んどけアワード〟百年連続一位の人間だろうな」
「おまけに影でコソコソとしか出来ない卑怯者ね。こんな女子供にすら堂々と、組織の名前すら明かせない臆病者だもの」
私の罵倒に、何を言わずとも母が乗って、付け足した。
「黙れ」
「〝黙れ〟だってぇ。やだぁ、こわーい。どうせあれだろお前ら。裏社会の人間なんて格好つけて言って、善良な弱者に頼らなきゃ生きていけないんだろ。寄生虫みたいにさ」
雉村の眉間に深く刻まれていくシワに、私は目一杯の嘲笑を浮かべる。
「サナダ虫にも劣る連中だな」
S.H.I.E.L.D.が来るまでの時間稼ぎ半分、どうせ死ぬなら言いたいこと全部言ってから死のうって考え半分で、私はそれらを口にした。
「言わせておけばっ……!」
怒りの形相で、雉村はこちらに拳銃を向けた。私がシロの力でバリアを張るのが速いか、あちらが引き金を引くのが速いか。
「〔銃を下ろせ、キジムラ。君たちは包囲されている〕」
ガンマンの早撃ち対決みたいなことをやる寸前、甲板にそんなコールソンの声が響き渡った。
私達が空へと顔を上げれば、三機のクインジェットがステルス機能を切って、姿を現した。
機関銃の銃口が雉村たちに狙いを定める。三機それぞれのハッチが開き、下げられたロープから戦闘員たちが降りてきた。
雉村たちは悔しそうに表情を歪め、一気に形勢は逆転した。機関銃を向けられ、戦闘員たちから拳銃を向けられ、雉村たちは手にしていた拳銃を床に置き、両手を上に挙げた。
私はほっと息を吐く。これで安心だと言うように母を見れば、母もまた、私を見て微笑んだ。
その母の細められていた目が、私の背後の何かを目にして、大きく見開かれた。
体が強く引き寄せられる。おそらくは母が、私に覆い被さった。鼓膜を震わせる大きな音。引き寄せられた力のままに、私は甲板に倒れ込む。背中を強かに打ち付けた。耳の近くで弾けた大きな音のせいで、一時的に耳が聞こえなくなる。
爆発だと悟ったのは、甲板に倒れて青空を見上げた時だ。母の体が私の上にあった。耳が詰まったように、S.H.I.E.L.D.の人たちの叫ぶ声が、遠く聞こえた。
母の動きが、やけに重たい。
「母さん?」
自分の声がこもったように響く。シロが、母君殿、と叫ぶのが聞こえた。
「……っ、優李……?」
段々と聴覚が戻る。母の、やけに重く感じる体を見る。母の着たシャツが、その背中が、まだらに赤く染まっていた。
「――母さん」
夢中で母の下から抜け出して、母の頭を抱えるように抱き起こす。
「母さん、しっかりして。母さん。お願い、早く、手当を、早く」
母の力ない目蓋の奥の瞳をしかと見つめて、声を掛ける。そうして、駆け寄ってきたS.H.I.E.L.D.のエージェントに縋るように言った。彼らは無線に向かって、救護を要請する。
「母さん、大丈夫、すぐに治してもらえる、大丈夫。大丈夫だから」
「優李」
子供みたいに、大丈夫と私は繰り返す。不安を紛らわせるように、母の頬に触れる。そんな私の手を、母が掴んだ。
「優李、あなたは、あなたの正しいと思うことをしなさい」
「母さん、待って……そんな、やめてよ、そんなの――」
まるで遺言じゃないか。
「シロさん、娘をお願いね」
「……ああ。出来る限りのことをしよう」
いつの間にかシロのケージは開いていたらしい。傍へとやってきたシロに、母はそう言って、シロはそれに対し静かに頷いた。
「大丈夫だよ、母さん。すぐに救護が来るから。大丈夫」
「優李」
必死に声を掛ける私を、母が呼ぶ。夕凪のような穏やかな声だった。その静かな強さに、私は声を失って、母を見つめた。
「優李、体に気を付けて……。無茶はしないで……ちゃんと、ご飯、食べるのよ。それから、シロさんと、仲良く、」
母の手が私の頬に触れる。
子供の頃、土で汚れた頬を拭ってくれたときのように、母の手は私の頬を撫でて、そうしてそのまま、甲板の上に落ちていった。
「かあさん、」
私を見つめていた瞳は、今は焦点を合わせることなく虚空を見つめていた。呼び掛けても返事はない。
駆けてきた治療班らしき人々が、私の腕から母の体を受け取って、治療を始める。私は変に冷静な頭で、邪魔にならないよう、後退って数歩離れた。
「キジムラが逃げる! 上空部隊、応援を!」
遠くから、そんなエージェントの声が聞こえた。無線機に向かって叫んだのだろう。それはしっかりと私の耳にも入った。
声が聞こえてきた船尾の方を見れば、そこに停まっていたらしいクインジェットが発射しようとしていた。
母をあんな目に遭わせたあいつが、逃げる。
感情のまま、私は腕を動かしていた。その腕の動きに呼応するように、空に現れた巨大な黒い手が、発射しようとしたクインジェットを掴む。
S.H.I.E.L.D.の治療班が、必死で母を心肺蘇生させようとしている声が響く。応急手当の訓練の授業や、テレビの中でしか使っているのを見たことがない、AED装置を使って、それでも母の意識は戻らない。
母がこんな目に遭ってるのに、その犯人はお前なのに。
「――お前が、逃げるのか」
クインジェットを掴んだ大きな黒い手が、その掴む力を強める。クインジェットの装甲が捲り上がり、機関銃の銃口がもげ落ちる。
「ユーリ! ユーリ、駄目だ! 止めろ!」
「マスター、マスター、だめだ。それは君がやるべきではない。もう、あいつらは逃げられない。そこまでしてはいけない!」
誰かが私の肩を掴んだ。止める声は耳に入ってくる。けれどその声は心を素通りしていって、黒い手が止まることはない。
やつらは母をあんな目に遭わせた。その償いを、報いを受けさせなくては。
「マスター! それは〝正しいこと〟か!?」
クインジェットを握りつぶそうとしていた黒い手が、動きを止める。シロの言葉が、私を引き止めた。
視線を落とせば、足元でシロがこちらを見上げていた。私の肩を掴んでいた誰かは、コールソンだった。
「シロさん、エージェント・コールソン、」
「ユーリ、ゆっくりと、彼らを下ろすんだ」
コールソンに諭されて、私は大きな黒い手が潰しかけているクインジェットを見た。このまま潰せば、中にいる人間は助からないだろう。
逃したくなかっただけ。でも、殺してやりたいと思ったのもまた事実。だけどきっと、殺すことは正しいことじゃない。
少なくとも、今はまだ。
黒い手が緩慢な動きでクインジェットを甲板に下ろした。
隣で、コールソンがほっと息を吐く。その声を聞きながら、空に浮かんだ黒い手を消すのとほぼ同時に、私の意識はふっと暗転した。
◇
ハンガーノックのような症状で倒れ、目を覚ました私が最初に知らされたのは、母の死だった。
救護が間に合わなかったことをコールソンに謝罪されたけれど、人の生き死には仕方のない事もある。責める気にはなれなかった。前世の記憶があるせいか、変に冷静だった。
それに、どこか、母の死は私のせいであると、そんな気持ちがあった。
もちろん、直接の原因は雉村にあることは確かだ。それでも私の選択の一つ一つに、原因が含まれていなかったか、と考えてしまうのだ。
「……すまない、マスター」
葬儀を終え、納骨まで済ませた私は、シロと二人、母の墓前に立っていた。
隣で黙っていたシロが、重苦しく口を開く。唐突な謝罪に、私は首を傾げた。
「俺が君を相棒に選んだりしなければ、こんなことに巻き込まれることはなかった。母君が犠牲になることもなかった」
「そんなの、」
極端すぎる、と言おうとして、先程まで自分が考えていたことを思い出す。
「……シロさんのせいじゃない。シロさんのせいなわけないだろ。未来が見えて、それを放っておいたならまだしも、そうじゃないんだから。なんでシロさんのせいってなるんだよ」
腹の底にある何かが、とぐろを巻くように蠢く気分だった。言葉で言い表せないような感情だった。
「悪いのはあいつだろ。私たちを拉致して、母さんを殺した! あいつが、あいつらが悪いんだろ! あいつらが――」
強い口調で放っていた言葉は、やがて小さく震える。母の死の間接的な理由まで探していれば、きりがない。でも確かに罪はあるのだ、ここに、きっと。
空からぽつりと、雨が落ちてきた。あっという間に雨足は強くなって、私たちを濡らしていく。
「……シロさんに罪があるなら、私もだ」
握った拳は震えていた。
私がシロを助けに行かなければ。あそこで見捨てていれば。母さんに会わせろなんて、雉村に言わなければ。助けが来ても、油断しなければ。
いくつものたらればが浮かんでは、そのまま消えること無く私の心臓に、重たい鎖となって巻き付いていく。
私の判断が、母さんを殺した。それは、変えようのない事実だった。
「私も同罪だ」
シロを助けなければ、シロの相棒にならなければ――そう思いながら、それでも私は、後悔していなかった。後悔なんて出来なかった。
シロと友達になれたことを、後悔なんて出来なかった。
「……ならば、半分ずつ持とう」
シロは言った。
「俺と君は、母君を殺した共犯だ。一生俺たちで抱えて生きよう。君が死ぬまで、もしくは俺が死ぬまで」
きっとその荷物は重いし、軽くなることも、ましてや無くなることもない。それでも、半分ずつなら、マシかもしれない。
「俺と君、同じ雨に、同じだけ濡れよう」
「……うん。私たちは、〝相棒〟だからね」
頬に触れた母の手の温もりは、未だ消えない。手の中で失われていく体温も、鮮明に残っている。それが痛みとなって、全身を突き刺すようだった。
この痛みを抱えたまま、それでも私は、前に進まなきゃいけない。母ならきっと、そうするから。痛みでぎこちない体を、隣で支えてくれる相棒がいるから。
きっと、この体が本当に動かせなくなるその時まで、止まることは出来ないのだ。