笑わない氷姫と不滅の焔騎士   作:あーー

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おもてなしは氷点下で

 離宮に訪れた五度目の夏は、例年以上に容赦のない日差しを振りまいていた。

 

 庭の木々は心なしかぐったりと項垂れ、空を飛ぶ鳥たちも日陰を求めて低空飛行を続けている。だが、この離宮の一角にあるアリアの私室だけは、まるで冬の朝のような清涼な空気に包まれていた。

 

 理由は至極単純だ。部屋の四隅に配置された「お洒落な氷の彫刻」が、主であるアリアの無意識な魔力供給を受けて、絶え間なく冷気を放出し続けているからである。

 

 侍女たちはこれを見て「アリア様が私たちの健康を案じて、聖なる冷気の結界を……!」と涙を流して拝んでいる。だが、その中心に座る美少女の内心は、至って世俗的なものだった。

 

(俺としては単に、この重苦しいドレスを着たまま汗をかきたくないだけなんだけどな。まあ、美少女たるもの常に涼しげな顔をしていたいし。それが前世で果たせなかった健康体かつ美形への、俺なりのリスペクトってやつだ)

 

「アリア様! いよいよ、王都からの使者が到着いたしました。……準備はよろしいでしょうか」

 

 部屋の扉を静かに開け、護衛騎士のレオンが入ってきた。

 

 いつになく緊張した面持ちで、その手は常に剣の柄に置かれている。彼の背後からは廊下の熱気と、それ以上に不穏な政治の臭いが漂っていた。

 

「……ケイン男爵という、王都でも評判の悪い男です。陛下からの特命を受け、アリア様の魔力の有無を公的に記録しに来たとのこと。ふん、無能だの無価値だのと騒ぎ立てる輩の相手など、アリア様の手を煩わせるまでもないのですが……」

 

 レオンの言葉に、アリアは無言で頷いてみせた。銀髪を揺らし、深く澄んだ瞳を向けるその姿は、五歳児とは思えぬ威厳に満ちているように見える。

 

(分かってるよレオン。さっさと終わらせて、今日のおやつの冷やし白玉を食べようぜ。あ、シロップは多めでお願いしたいな)

 

 応接間には、案の定、嫌味を絵に描いたような中年の貴族が座っていた。

 

 ケイン男爵である。彼は脂ぎった顔を扇子で仰ぎ、部屋に入ってきたアリアを、値踏みするように、あるいは小馬鹿にするように眺めた。

 

「ほう……これが離宮に押し込められた『沈黙の姫君』か。人形のようだが、中身は空っぽだという噂は本当のようだな」

 

 男爵はアリアの横に控えるレオンを鼻で笑うと、テーブルの上に仰々しく、古びた黒い水晶玉を置いた。

 

「おい、無能姫。その手をこれに乗せろ。これは古の賢者が作ったとされる『真実の水晶』だ。わずかでも魔力があれば反応するが、これに無視されるようでは、お前はこの国の王族として完全に不要だと証明されることになる」

 

 その不遜な物言いに、レオンの全身から隠しきれない殺気が漏れ出した。空気がピリリと震えるが、アリアは泰然自若とした態度を崩さない。

 

(落ち着けレオン。その水晶、なんか埃被ってるし、おっさんの扱いも雑だし、案外たいしたことないだろ。さっさと触って終わらせちゃおうぜ)

 

 アリアは促されるままに椅子に座り、無表情で水晶玉を見つめた。

 

 男爵は「どうせ何も起きはしない。王都への報告書はすでに書き終えてあるのだ」と、醜い笑みを浮かべて勝ち誇っている。

 

(……よし。とりあえず、ちょっとだけ魔力を流してみるか。えーっと、前世の物理知識を動員して……魔力はエネルギーだろ? 俺のそれは、極限まで密度を高めた冷気の概念って感じかな)

 

 アリアは水晶の中にある、魔力の通り道を意識した。

 

 普段、自分の部屋を冷やしているくらいの、ごく微々たる魔力を込める。

 

 ……。

 

 ……。

 

 だが、水晶は微塵も反応しなかった。

 

 輝くことも、色を変えることも、ましてや砕けることもない。

 

 ただの石ころのように、黒く沈んだまま、アリアの小さな指先を受け流している。

 

(……あれ? 反応なし? もしかして本当に壊れてるのかこれ? さすが離宮に送られてくる備品、質が悪いな)

 

 アリアは不思議に思い、もう少しだけ出力を上げてみた。

 

 液体窒素のように、触れるものすべての運動を止めるイメージ。

 

 水晶の奥底まで、自身の冷たい魔力を浸透させていく。

 

(おーい、反応しろよー。生活費削られたら困るんだよ。かき氷のシロップが買えなくなったらどうすんだよー)

 

 しかし。

 

 水晶は、アリアの指先が触れている場所から順に、奇妙な「変質」を起こし始めていた。

 

 それは光り輝くような派手な反応ではない。

 

 アリアの膨大な魔力量により、水晶という物質がその処理能力を完全に超え、中にある魔法回路ごと「凍りついて」しまったのである。

 

 物理的に凍ったのではない。魔法的な機能そのものが停止し、水晶はただの、中身のないガラス玉へと成り下がったのだ。

 

「ハッハッハ! 見ろ! 全くの無反応だ! ここまで見事に何も起きないとはな!」

 

 ケイン男爵が膝を叩いて大笑いした。

 

「おい、見たか騎士殿! この水晶は、魔力が少しでもある者なら微かに青く光るはずなのだ。それがこの通り、真っ黒なままだ! やはりこの姫は、魔力の欠片も持たぬ完全な無能! 王家の恥、国のお荷物だ!」

 

 男爵は満足げに立ち上がり、アリアを蔑みの目で見下ろした。

 

「生活費は予定通り大幅に削減。離宮の警備も最小限にするよう進言しておこう。用済みのガラクタに、贅沢な護衛など不要だからな。さらばだ、不気味な姫君!」

 

 男爵は王族への礼儀も忘れ、鼻歌交じりに部屋を去っていった。

 

 廊下からは、アリアを嘲笑う彼の従者たちの下品な笑い声が遠ざかっていく。

 

 静まり返った応接間。

 

 アリアはテーブルの上の、すっかり「ただの石」になってしまった水晶をじっと見つめていた。

 

(……マジか。一ミリも光らなかったな。俺、実は魔法使えてなかったのか? いや、部屋はこんなに涼しいし……あ、これやっぱり中古品だったんだな。ケチな親父め、次はもうちょっとマシなやつ持ってこいよな)

 

 アリアとしては、おやつ代が減らされるのは痛いが、まあ贅沢しなければなんとかなるだろうという楽観的な結論に達していた。

 

 何より、あんなうるさい奴がもう来ないなら、それだけで平和というものである。

 

 だが。

 

 背後で控えていたレオンの様子は、アリアの予想とは正反対だった。

 

「……あ、アリア様……。貴女というお方は……」

 

 絞り出すような声。

 

 振り返ると、レオンは蒼白な顔で立ち尽くし、テーブルの水晶を凝視していた。

 

 その瞳には、恐怖と、それを上回るほどの狂信的な輝きが宿っている。

 

(……レオン? どうしたんだ、そんな顔して。あいつ、帰ったぞ。掃除でもする?)

 

 アリアは心の中でそう呼びかけ、首を傾げた。

 

 レオンは震える指先で、男爵が置いていった水晶をそっと叩いた。

 

 カチッ、カチッ。

 

 それは、本来なら魔力に敏感に反応するはずの高級な魔道具だ。

 

 それが今や、音からしてただの「硬いだけの石」に変貌している事実に、レオンは戦慄していた。

 

「……男爵は、何も分かっていなかった。奴は愚かだ。あまりにも愚かすぎる」

 

 レオンはそのまま、力なく床に跪いた。

 

「アリア様の魔力が強すぎたのだ……。強すぎて、高密度すぎて、この水晶では『認識』することすらできなかった。熱すぎれば火傷を感じないように、貴女の冷気は、測定器そのものを死に至らしめた……!」

 

(え、そうなの? 壊しただけ? 俺、そんなに力込めてた? まあいいか、壊れたもんは直らないし)

 

「一見すれば無反応。だがその実、貴女は一瞬でこの伝説の魔道具の機能を永遠に凍結させてしまった。……言葉を介さず、ただ触れるだけで概念を殺す。あぁ、なんという恐るべき……そして、なんという神々しいお力か!」

 

 レオンは震える手で、アリアのドレスの裾を掴んだ。

 

「王都の連中は、アリア様を無能と断じた。……それでいい。それでいいのです! 彼らが貴女を侮っている間に、我らはこの離宮で真の力を蓄える。あいつらが気づいた時には、すでに世界は貴女の氷の中に閉じ込められていることでしょう!」

 

「…………」

 

 アリアは黙って、レオンの隣にあった空のティーカップを指差した。

 

(レオン、話が長い。あと、なんか怖い。世界を閉じ込めるより、今は喉を潤したいんだよ。あのおっさんのせいで飲み損ねた冷たいお茶を淹れ直してくれよ)

 

「はっ! 『過ぎたことは水に流せ、今はティータイムだ』という教えですね! 畏まりました! 生活費など、私がどこからか調達して参ります! アリア様には、常に最高級の茶葉を!」

 

 レオンは猛烈な勢いで立ち上がると、涙を拭いながら部屋を飛び出していった。

 

 ……本当に、どこまでも極端な男だ、とアリアは思う。

 

 彼女は一人、静かになった部屋で窓の外を眺めた。

 

 予算が減るのは困るが、レオンがなんとかしてくれると言っているし、まあ大丈夫だろう。

 

 それよりも、明日の昼寝の場所をどこにするかの方が、アリアにとっては重大な問題だった。

 

(……よし、明日は庭の噴水の近くに、氷のソファでも作って寝ようかな。あ、ついでに噴水の水もかき氷にできないかな……)

 

 銀髪の美少女は、自分が世界を凍らせる「怪物」だと思われていることなど露知らず、明日のおやつのメニューを思い浮かべて、満足げに目を細めた。

 

 

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