笑わない氷姫と不滅の焔騎士   作:あーー

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余波

 離宮での騒動から数日が経過したが、その余波は意外な形で静かに、しかし確実に広がっていた。

 

 王都から派遣されたケイン男爵が「あの姫は全くの無能である」という報告書を提出したことで、離宮に割り当てられる予算は公的に大幅な削減が決定した。使用人たちの間にはどんよりとした空気が漂い、彼らはアリアと目が合うたびに「申し訳ございません、姫様……私たちの力不足で、あのような横暴を……」と涙ぐんで項垂れる。

 

 だが、当の本人の内心は相変わらず至って平穏だった。

 

(みんな、そんなに落ち込むなよ。予算が半分になったって言っても、元々が過剰だったんだ。三食昼寝付きで、こんなに可愛い服を毎日着せてもらえて、おまけに中身は健康な美少女。前世の、あの真っ白な天井と機械音だけの毎日に比べれば、ここはまだ天国なんだからさ)

 

 アリアは今日も、お気に入りの窓辺の席に座り、庭に咲き誇る夏の花々を眺めていた。銀色の髪が風に揺れ、蒼い瞳は何もかもを見透かしているかのように静謐だ。

 

(あ、でも今日のおやつがいつもの高級タルトじゃなくて、庶民的なクッキーになったのは少し寂しいな。まあ、これはこれでサクサクしてて、牛乳に合うし悪くないんだけどさ)

 

 アリアは無表情のまま、上品な動作でクッキーを口に運んだ。

 

 そんな彼女の前に、数日ぶりに王都から戻ってきたレオンが姿を現した。

 

「アリア様……お待たせいたしました! この数日間、王都のギルドにて少々『荒事』を片付けて参りました。……微々たるものですが、これであの方の無礼を補う助けになれば」

 

 レオンはアリアの前に跪き、ずしりと重そうな革袋をテーブルに置いた。中からは、金貨が触れ合う鈍い音が響く。

 

(え、何これ、怖い。レオン、お前まさか……。騎士がギルドで荒事って、魔物狩りでもしてきたのか? それとも家の家宝でも売ったんじゃないだろうな。その袋の重さ、俺の三ヶ月分のおやつ代より重そうなんだけど)

 

 アリアの脳裏に、返り血を浴びて魔物をなぎ倒すレオンの姿が浮かび、彼女は思わず微かに眉をひそめた。

 

「……あぁ、アリア様。その痛ましげな表情。私の不甲斐なさを嘆いておられるのですね。姫様にこのような汚れた金を使わせることになる私を、どうかお許しください。ですが、貴女の清らかな生活を脅かすことだけは、この命に代えても阻止いたします!」

 

(いや、ただ単にレオンの働きすぎを心配しただけなんだけど。お前、そのうち過労で倒れるぞ。予算なんて適当でいいんだってば。俺、クッキーでも十分幸せなんだから)

 

 アリアは深くため息を心の中でつき、気晴らしに庭へ出ることにした。

 

 外は相変わらずの猛暑だ。蝉に似た虫の声が騒がしく、熱風が肌を撫でる。

 

(暑い。よし、決めた。今日は噴水の近くを『俺様専用の極冷避暑地』に改造してやる。これも一種の、離宮の有効活用だよな)

 

 アリアはトコトコと幼児らしい、けれどどこか優雅な歩調で、庭の中央にある噴水へと向かった。

 

 レオンや侍女たちが固唾を飲んで見守る中、彼女は噴水の縁にそっと小さな手を置いた。

 

(えーっと、前世の物理知識を応用……水の分子運動を特定の範囲だけ急停止。構造は……そうだな、背もたれ付きのゆったりしたソファ型で。見た目は涼しげに、クリスタルっぽくしておこう)

 

 アリアが意識を集中させると、噴水から溢れ出していた水が、重力を無視するようにして空中で静止した。

 

 そして、パキパキという透明感のある音を立てながら、水は一瞬にして巨大な、そして精緻な氷の彫刻へと変貌していった。

 

 太陽の光を浴びて七色に輝く、純氷の豪華なソファ。

 

 その周囲には氷のバラが咲き誇り、そこから絶えず心地よい冷気が霧のように溢れ出している。

 

(よし、完成。我ながらなかなかの出来だ。これで午後の昼寝はバッチリ。クーラーがないなら作ればいいじゃない、ってね)

 

 アリアは満足げに頷くと、自ら作り出した氷のソファに深く腰掛けた。

 

 冷たくて、最高に気持ちいい。

 

 だが、それを見守っていた周囲の反応は、アリアの予想を遥かに超えた絶叫に似た歓喜だった。

 

「な……な……っ!? 噴水の水質そのものを変異させ、空間の温度定数を書き換えたというのですか……!? それも、これほどまで美しく、気高い形で!」

 

 レオンは地面に膝をつき、氷のソファに座るアリアを拝むようにして見上げた。

 

「アリア様は、王都に告げられた『無能』という言葉を、その圧倒的な『美』と『力』で粉砕してしまわれた! 『予算など不要、私は自らの力で世界を望む形に変える』……そう仰っているのですね!」

 

(いや、ただ暑いから椅子を作っただけなんだけど。世界とか変えるつもりないから。レオン、お前、さっきから深読みしすぎだぞ)

 

 侍女たちも、アリアの周囲に漂う冷気に触れ、うっとりと頬を染めている。

 

「あぁ、アリア様……。なんてお慈悲の深いお方……。私たちが暑さに苦しまないよう、庭にまでこのような聖域を設けてくださるなんて……!」

 

(いや、みんなも涼んでいいけどさ、そこまで感動されると逆に座りづらいな……。でも、涼しいからいいか)

 

 アリアは内心で困惑しながらも、いつもの無表情を貫いた。

 

 蒼い瞳を半分閉じ、涼しげな顔で庭の景色を眺める。

 

 その姿は、周囲の目には、世俗の争いを遥か高みから見下ろす、絶対的な力を持つ若き支配者にしか見えなかった。

 

(まあ、いいか。レオンもやる気になってるし、侍女さんたちも喜んでるみたいだし。俺はここで冷たいお茶でも飲みながら、一眠りするとしよう。……あ、レオン、ついでに噴水の水を少し削って『かき氷』にしてくれないかな。シロップはないけど、氷だけでも美味しいし)

 

 アリアは氷の彫刻の端を指差し、それから自分の口に手を当てた。

 

「かき氷が食べたい」という合図のつもりだった。

 

 だが、レオンはそれを「これからは、この離宮そのものを私の氷の聖域へと作り変えていく。お前は黙ってその礎となれ」という、覇道への宣戦布告だと受け取った。

 

「御意に……! アリア様の御心のままに! この地を、王都さえも跪く氷の帝国へと変貌させてみせましょう!」

 

(…………なんか、返事の勢いがおかしいな。俺、かき氷って言っただけなんだけどな)

 

 アリアは、レオンのあまりにキレのある返事に一抹の不安を覚えながらも、ひんやりとした氷の背もたれに身を委ね、心地よい眠りの中へと落ちていった。

 

 二度目の人生、五年目の夏。

 

 アリアの平和なバカンスは、忠誠心という名の暴走列車によって、意図せぬ方向へと加速し始めていた。

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