雨宿りとして選んだ、無人の小屋。
しかしそこには、顔の上半分を仮面で隠した奇妙な男が先住者として居ついていた。
無人だったのは出掛けていたからで、山菜と思われるものを幾つか手にしていた。
男は、小屋の中に氏政がいるのを見て戸惑ったようだった。けれども、雨が降ってきたので観念して受け入れた。外見は怪しいものの、お人好しなようだ。
特に警戒する対象ではないな、と思っていた──屋根に潜んでいた風魔を、容易く察知するまでは。
完璧だった隠形を見破られた。視線だけで潜んでいた位置までを正確に暴いたのだ。
すわ手練れの忍かと忍刀の柄に手を掛けたが──相手は何かするでもなく、ただ口元を綻ばせただけだった。
……こちらを見て喜んだ、ような?
(この男は何者だ?)
黒江が寝静まったのを見計らってから、小屋の中を捜索した。
深夜だが火を焚いているため、見落とすものはない。
室内で見つけたのは、大量の紙屑木屑と何かの残骸……作りかけの面だった。
見たことのない模様。変わった造り。それらの細工は見事というほかなく、どれもこれも目を瞠る出来栄えだった。売ればすぐに買い手がつき、楽な暮らしができようものを──粗末な小屋の室内を見回し、風魔は首を捻る。
辺鄙な場所に一人で住んでいる面打ち師。面で顔を隠しているので、どこかの忍かとも思ったが……それにしては、見ている此方がハラハラするほど隙だらけで、か弱く、だからこそ気になったのかもしれない。
その心配が決定的になったのは、小屋から出立する日。
主である氏政が、黒江を旅の同行者として連れ出した、その道中のこと。抱きかかえた黒江が「自分の足で歩く」と子供のようにぐずりだしたので、主君の許可を得て好きにさせたのだが──すぐに足を痛めて動かなくなったので、結局は風魔が担ぐことになった。
そうして辿り着いた宿場町。大事にはしたくないが安宿では身分的にまずかろうと、脇本陣の宿をとった。
部屋に入り、背中から黒江を下ろした風魔は彼が早々に膝から崩れ落ちるのを見る。
草鞋は既に脱がせてあったが、その足が赤くなっていることには気づかなかった。失態だ。
「わざわざ運んで頂いて、すみませんでした」
律義に感謝を述べる黒江を見て、風魔はいつも不思議に思う。この男は、誰にでもこういう感じなのだろうか?
黒江は、風魔が何かしようとすると「大丈夫ですから」と言って断ってくる。
ちっとも大丈夫そうではないのに、いつも妙な遠慮をする。最終的には観念して受け入れるのだが、常に礼を言うのを忘れない。
下男に扮装している風魔にも、丁寧に礼を述べる男。
山奥の小屋にいた時は言葉少なく、どこか投げやりな雰囲気があったが、こうして普通に笑うのを見ると、当初の素っ気なさは警戒していたのだということが分かる。
痛みに顔を顰めて立ち上がろうとしたので黒江を畳の上に座らせて、傷の具合を診てやった。
掴んだ足首は男にしてはすらりと細く、掌に吸い付くような肌は、土にまみれた経験がないことを物語っていた。
箸の進め方、座り方、その所作の端々に、この乱世には不釣り合いな「穏やかさ」が染み付いている。
(……温室で育てられた小鳥か。あるいは、戦を知らぬ国の迷い人か)
警戒の対象としてはあまりに脆く、守護の対象としてはあまりに危うい。その矛盾が、風魔の胸中に奇妙な波紋を広げていた。
謎の多い男。
警戒せねばならぬというのに、弱々しく控え目な性格に気が削がれ、あまりにも頼りないものだから構いたくなる不思議な男。
何故こうも興味を引かれるのかは分からなかった。
──黒江が他国の忍を見つけるまでは。
足の手当て後に、二人で町を見て回った。
練り飴を貰っては喜び、荷車に気を取られては跳ねられそうになった子供のような男。お陰で一時も目を離せず、町見物を終える頃には己はすっかり保護者の役目を担っていた。
帰る途中、通りがかった茶店の店先に、行商人に扮した他国の忍が居た。
あろうことか黒江が足を止め、それをじっと見つめていたので肩を叩けば、黒江は何か言いたげな顔をして風魔を見つめてきた。
困惑? それとも警告か?
とかく黒江は何かを言いかけたようだが、へらりと笑い、行商人に扮した忍をちらりと見て──何かに驚いたように、一度びくりと身を震わせた。
そんな黒江を見て、風魔が口を開きかければ、その腕を不意に掴まれて。
「いやあ、立ち止まっちゃって、すみません! さ、帰りましょうか!」
それだけを言うと、黒江は風魔を引き摺るようにして歩き出した。
急に挙動不審になった黒江を、風魔は訝しんだが──その黒江が子供のように手を繋いできたので、思考が断ち切られてしまう。温かく無防備な接触に、追及する気持ちはどこかへ飛んで行ってしまった。
町見物を終えて帰って来た黒江に、氏政は湯浴みを勧めた。
すると黒江は素直に頷き、素直に部屋から出て行った。
常に身に着けていて離さずにいた胴乱をも、あっさりと置いて。
「あやつはもう儂らを信用しとるんぢゃなあ」
苦笑する氏政を横目に、風魔は早速、変わった造りの胴乱を開けた。
中から出てきたのは──。
彫刻刀と面打ち道具が一式。それから……。
「それは何ぢゃ?」
風魔が取り出したものを見て、氏政が目を丸くする。
それは手の平に収まる程に小さい、長方形の板だった。
「謎の板に見えるが……変なものが付いておるのう」
氏政の言葉の通り、それは硬質な手触りで何かの金属片かと思わせた。鉄のようだが、見たことのない色味だ。側面から細い紐のようなものが伸びており、あるところで二つに分かれたその先に円形状の塊が別に繋がっている。
触ると、妙に柔らかい。
滑らかな質感は黒江の肌のようだったが「手触りはあちらのほうがずっと良い」と、そんな感想を抱いた己に風魔は少し驚く。
他にも何かないかと、あちこちに触れていたその時──。
板が一瞬、ぱっと光った。
見慣れぬ光。
「ふっ、風魔!」
ひぇっ、と氏政が頭を抱えて部屋の隅に逃げた。
「(……!)」
炸裂玉の類か! と風魔は腕を振りかぶって壁に叩きつけようとした──が、すんでのところでどうにか止めた。謎の板と繋がっていた紐が大きく揺れて風魔の手に巻き付き、ゆるりと解けた。
「(……導火線──ではない、か)」
「ば、爆発するぞい、風魔! は、早くそれを向こうへ──!」
捨てろ、壊せ、と唸る氏政のその背を軽く叩いて宥め、風魔は首を振った。
捨て置くべきだと本能が告げる。だが、それ以上に「逃がしたくない」という独占欲に似た衝動が、風魔の指先をその場に留まらせた。
「(……)」
まだ、逃がしたくない。
風魔は謎の板めいたそれに触れるのを止めると、他の中身と共に元の場所へと仕舞いこんだ。
「もう良いのか、風魔よ」
恐る恐る顔を上げた氏政に、風魔は僅かに顎を引く。
火薬の匂いはしなかった。ならば、あれが破裂することはないだろう。
大体、黒江は長旅にちっとも向いていない人間だ。直ぐに疲れるし、足の裏を痛めるし、それに男にしては少々線が細いし軽すぎる。武士には見えぬ、その体躯。武器などまともに振るえやしないだろう。
それ以前に、この男にそのような無骨なものは似合わない。
「さて──風魔よ。お主は黒江という男をどう見る?」
問われた風魔は、口元を引き結びゆるりと首を横に振った。
『脅威に非ず』
男にしては細い腕に、旅慣れしていない白い脚。箱入り娘を思わせるほどに弱い男が、間者などである筈がない。……こんな忍が居て堪るものか。
短い動作を返した風魔に、氏政は苦笑する。
「それがお主の評価か。……まあ、儂もそれには同意せざるをえんが」
顎を擦りながら、氏政は笑う。
「……ところで、黒江はまだ戻ってこんの。長湯でもしとるんか?」
「(……)」
ぽつりと呟いた氏政の言葉に、風魔は立ち上がる。やはり狙われていたのは此方ではなく黒江か。風魔は鋭い気配を纏うと、音も無く姿を消した。
そうして風呂場へ続く廊下に到着した風魔は、そこで立ち尽くしている黒江の後ろ姿を見つけることになる。
※
「ひっ──!?」
声を掛けようと近づけば、無防備に振り向いた相手が風魔の姿を見るなり酷く驚いた。
微かな血の匂い。距離を詰めれば相手が視線を泳がせて後退るので、これは何かあったなと風魔は勘付く。
よく見れば、黒江の片頬と首筋に、部屋を出る前には無かった切り傷がある。
柔らかな雛鳥が、他人の手にかかって汚された。
小さくも確かな傷。滲んだ血。そこに視線と意識を奪われ……己らしからぬ激情に駆られ、無意識に体が動いた。忍らしからぬ行為を仕掛けるのはすぐ後のこと。
黒江は流石にぎょっとしたのか、その場から立ち去ろうと身動ぎした。
従順だった雛鳥の反抗に、泥のような感情が胸中に渦巻く。
「(……誰が、触れた。俺以外の誰が、その皮膜を裂いた)」
──俺に隠すな。
忍らしからぬ濁った激情が、風魔の理性を塗り潰す。
「ひっ」と短く悲鳴を上げた黒江を、風魔は逃さぬよう壁際へと追い詰めた。
怯え、視線を彷徨わせる黒江は「猿に引っ掻かれた」とあまりに稚拙な嘘を吐く。
大道芸の猿が、これほどまでに鋭利な刃の軌跡を残すはずがない。
己を、この風魔小太郎を、欺こうというのか。その白い肌に、誰に付けられたか分からぬ傷を見せつけておいて。
隠すという行為そのものが、風魔の独占欲を苛烈に煽り立てた。
この男と出会ってから、まだ二日しか共に過ごしていない。
行きずりの人間、赤の他人だ。雇用の契約を交わした間柄でもない。
だというのに、この苛立ちは何だと言うのか。
相手は──黒江は、吐いた嘘がまかり通ったとでも思ったのか、首筋を手で押さえて隠しつつ「血を洗い流してくるから離して下さい」と言って、風魔の腕から逃れようとした。
──『逃げようとした』
そう考えた瞬間、カッとなった。
「……? ふうまさ──っ」
腕を掴む手がなかなか外れないことを不思議に思った黒江が顔を上げた、その隙を突いた。
身動ぎする雛鳥を力で圧し伏せ、風魔は剥き出しの首筋へと顔を寄せる。湯上がりの体は瑞々しく、微かな檜の良い香りがした。
傷口を舌で容赦なくなぞり、鉄錆の味を掬い取る。
舐め上げた肌は、ほのかに甘かった。極上の酒を味わっているような気分につられて、舌で弄り続ける。
黒江は声を押し殺して暫く動かなかったが、すぐに呆けている場合ではないと気づいたらしい。
風魔の身体の下で控えめにもがきながら、ようやく弱々しい抵抗を始めた。
「離して下さい」だの「どうしたんですか」だの。
何やら煩く言っていたが、それらは風魔の耳を通り抜けていく。
いや、風魔自身が聞く耳を持たなかった。
黒江の足の間に片足を割り入れて更に体を密着させると、顎を掴んで上向かせ、そこを無理矢理指でこじ開ける。
口内は異常なし。けれど細かに調べねば気が済まない。
「ふうま──んぐっ!?」
探る為に、指を深く潜り込ませた。黒江が涙目になるのを横目に、口腔内を探り、調べる。その内に黒江がまた逃げようと頭を振るので、口中に突っ込んでいた人差し指と中指を動かして舌を軽く挟んでやった。
黒江が大きく目を見開き、やがて、くしゃりと顔を歪ませた。
潤んだ黒瞳。目尻に滲む涙。女のような色香がそこにあった。
「ふぅまさ……ぁ、う、ぇ……やめ……っ」
掠れた声が名前をなぞる度に、背筋がぞくりとした。
仮面で顔を隠してはいるが、隙間から覗く黒瞳は艶やかで、長く見つめていると引き摺りこまれそうになる。
この男は本当に何だというのか。
声と息を殺して必死に抵抗する姿が妙にそそられるのは、この場所がいつ誰かが通るかもしれない廊下の物陰だからだろうか。
黒江が抵抗して、風魔の背中を叩き始める。
幾らか弄んだ後で、やっと手持ちの丸薬を喉奥に放って飲み込ませた。そして顎を掴んでいた手を離して解放すれば、黒江が水気を払う猫のように頭を振って距離を取る。
何度か咳き込んでから目を上げると、こちらを睨み付けて「何をするんですか!」と抗議してきたので、解毒薬を飲ませたことを教えてやった。
──『毒』と。唇だけで文字を象って。
口の動きだけでそう告げれば、黒江は「……ああ、そういう」と、納得したような、けれど釈然としない顔で頷いた。
「……今度からは、事前に一言言ってもらえると助かります。……パニックで死ぬかと思いました」
黒江がそう言って肩を落とした。
その呆気ないほどの「お人好し」さと「鈍感」さに、風魔は内心で溜め息を吐く。そして黒江は、そのまま気を抜いた勢いで口を滑らせてもくれた。
「大丈夫ですよ。あのチンピラ、殺しに来たっていう感じじゃなかっ……」
迂闊な失言にすぐさま気づいて言葉を途中で飲み込んだのは、英断だ。
──が、遅い。
彼の発言で、その身に何が起こったのかが風魔には理解できた。
黒江は己の失言にすぐさま気づき、再び嘘を重ねてきたがもう目眩ましにはならない。
あの行商人──猿飛佐助だろうか。他国の忍が、この男に接触した。
そして、この風魔小太郎の「雛鳥」に傷をつけた。
ふと、不安そうな顔をして黒江が見上げていることに気づく。
風魔は黒江の頭を撫でた。
その髪は驚くほど滑らかで、一度触れると離れがたい。
「部屋に戻ろう」という無言の促しに、黒江は「……はい」と力なく答えた。
血は止まったものの、妙に目を引く赤の痕。
──余所の忍の爪痕。
風魔はぎりっと歯噛みし、あの男を見つけたらどうしてやろうかと考えていた。
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「やさしいふうまさん」側の視点。
にげてー現代人にげてー(でも寄る辺がないので結局このまま)