忍遠矢と風の檻   作:黒環ななし

15 / 33
01 孤独は風に攫われて12

 

 

「ところで北条様」

「水臭いぞ黒江。寝食を共にした仲ではないか。前のように呼んどくれ」

「え、前って……」

 

 爺様と呼べと? 

 いやいやいや。

 

「無いでしょ……っと、いや、無理ですよ、それは」

「何故ぢゃ。冷たいぞい」

「冷たいも何も、ただの民草風情が一国の城主を爺様呼ばわりは拙いでしょうよ、常識的に考えて」

「それは身分が気になるからかの?」

「そうなんですけど、それよりもマズイと思うことが別にあります」

 はあ、と黒江が溜息をついた。

 と思ったら息を吸い込み、氏政をキッと見据えて言った。

 

「むしろ私が気になるのは、北条様や風魔さんの、その他人に対する甘やかしです!」

「ひょ?」

「(……?)」

 きょとんとする主従に、黒江は目の前の畳をパン! と叩いて説明する。

 

「何回か言ったと思うんですけど、私は碌に素性も明かしていない不審者ですよ? そんなのに食事を作ってくれたり奢ってくれたり──ああでも助かりましたけどね、有難うございます──コホン。ともかく、そんな人間を長々と同行させるのはどうかと思いますし、っていうかそのままスルッと城に引き込んじゃ駄目でしょうが!」

 乗っ取られたり攻め落とされたりしたらどうするんですか! 危機感を持ってくださいよ、危機感を! と。

 言い終わるなり胸の前で両腕を組み、ふん、と黒江が鼻を鳴らした。

 

「……」

「(……)」

 何故か誇らしげな態度である黒江を見て、氏政と風魔は顔を見合わせる。

 それから、揃って黒江を見て──言った。

 

「危機感が無いのは、むしろそんな儂らに素直について来た黒江のほうだと思うんぢゃがのう」

「(……)」同調して、こくこくと頷く風魔。

「え?」と目を丸くする黒江に、氏政が問いかける。

「お主は小田原を落城させたいのかの?」

「や、しませんよ。出来ないですし。いやするつもりないですけど。第一、そんなことしてどうしろと」

「では、手元に兵や策があれば?」

「あってもしませんって。大体、只の一般人が城取ったってどうしようもないでしょう」

「黒江は欲がないのう」

「欲は人並みにありますけど、そういう手に余る欲は持ちません」

 面倒くさいんで、と付け加えれば、氏政が顎に手を当て、ひと擦り。

 

「ならばお主の欲とは何ぢゃ、黒江」

「寝食に困らぬ平和な日々の安寧です」

「ほっ……ふぉっふぉっ! 成程成程、実に黒江らしい答えぢゃ!」

 高らかに笑い、「気に入った」と己の片膝を叩いて氏政が言った。

 

「黒江は賑やかなのと静かなの、どちらが好きぢゃ?」

「え? はあ……まあ、静かなほうが好みです」

「湯治は好きかの?」

「温泉ですか。大好きです」

「ふむ。そうか……お主の居た小屋よりは手狭ぢゃが、この城より少し離れた場所に庵がある。近くには湯治もある故、今日から其処に住むがええ」

「あ、ありがとうござ──ぇえええ!?」

 滑らかに答えた質問の後にさらりと告げられたのは、住居の提供。

 黒江は頷いて礼を口にし……途中で驚きの声を上げた。

 

「ちょ、爺様! 私の話を聞いてましたよね!? 不審者を近くに置いちゃ駄目だって」

「北条は時代遅れかもしれんが、人を見る目は失ってはおらぬよ」

 普段のひょうきんな振る舞いの奥に、岩のように揺るがない「当主」の眼差しが覗く。

「爺様……でも、あの、私、は」

「お主が付けたその面を外せとは言わん。押し込めたものを剥ごうとも思わん。……儂はな、黒江。お主が気に入ったのぢゃよ」

「……っ」

 温かい眼差しで見つめられて、黒江は逃げるように顔を伏せる。

 それから、ゆるゆると首を振って。

「……すみませんが、その話は受けられません。そこまでしてもらう理由が、ないです」

「ふむ……理由が必要か」

 髭を撫で、氏政がまったりと呟く。

 

「粗末な食事を摂るお主の様子が見ていられなかった、では駄目かの?」

「あ、あの時は少し色々あって……今ならあそこまでは──」

「旅は不慣れ、町を見るのは初めて、そして金子も無い。済まんが、寄る辺なきお主が一人で過ごせるとは思えん」

「……そこは、どうにか」

「──できそうにない、と本当は分かっておるんぢゃろ? 詮索する気はないが、お主には俗世離れした妙な雰囲気がある。到底、あの場所で自活できるようには見えんよ」

「……、……でも」

「年寄りの我侭に付き合ってくれんかの、黒江?」

 優しい声が降りかかる。

 そこには何かを企んでいる様子も騙している気配も無く、仮面越しに感じるのは純粋な好意。

 見返りも無く見ず知らずの他人を助けようとする人が、どれくらい居るのだろう。

「わ、私、は──」

 黒江は一層俯いて、唇を噛みしめる。

 

 怖い。

 好意を受け取るのが怖い。

 好意に甘えて寄りかかり、すっかり打ち解けた頃にまた捨てられたらと思うと、やはり素直に受け取れない。

 それに、被害妄想かもしれないがこの提案はどうにもコチラ側にばかり都合が良すぎる。

 こんな現実があって良い筈がない。

 

「……もし」

「うん?」

「もし私が、実はどこかの間者だったりしたら、どう、します?」

「お主が間者ぢゃと? ふーむ……」

 驚いた声には、微かな笑いが含まれていた。

 何を莫迦なことを、というような柔らかな声音に黒江がますます居た堪れなくなって俯いたままで居れば、氏政が思案気な息を吐いた。

 

「儂はどうするべきかのう──風魔?」

「(……)」

 氏政からの苦笑交じりの質問を受けた忍が、黒江を見る。

 その口端をそっと持ち上げると、手を伸ばして──。

 

「……っ」

 反射的に目を瞑って身を竦めた黒江の頭に、ぽん、と軽い衝撃。

「え──」

 驚いて顔を上げれば、穏やかな気配を纏った氏政と風魔に揃って見つめられていることを知る。

「え、あの……?」

「ならば余計に目が離せんから、お主は此処へ軟禁ぢゃ。先程の、温泉付きの庵へな」

「なっ」

 ──軟禁!? 

 とんでもない言葉に黒江はぎょっとするが、対面に座る氏政は顎を擦りながら緩やかに微笑んだ。

「これも兵法よ。──そうぢゃな、風魔?」

「(……)」

 風魔が同調するように頷き、黒江の頭をまた軽く叩いて……撫でた。

 氏政と風魔の気配の色はどこまでも優しく、春の日差しのように柔らかい。

 黒江はきゅっと唇を引き結んで、項垂れる。

 ああ。自分はいつから人の好意を素直に受け取れなくなったのだろう。

 その理由は知っている。分かっている。自覚しているものは、己の中に──黒江は仮面に触れて、目を閉じる。

 

「黒江、儂は無理強いはせん。だが、特に行く宛が無いならこの小田原に滞在してみんかね」

 もう春はすぐそこに来ておる。小田原の桜は見物ぢゃぞ? と言い繋げて、氏政が笑う。

「それでお主はゆっくりと己が生き様を考えるとええ。まだ若いんぢゃからな」

「(……)」

 氏政の言葉に風魔が頷き、黒江の頭をそっと撫でた。

 

 ああもう。この主従は。

 この爺様と忍は、本当にどうしようもないお人好しだ。

 黒江は顔を上げると、泣き笑いの顔で言った。

 

「そ、それじゃあ……お言葉に甘えさせて頂いて、その……お世話になります。北条様」

 そう告げて、前に三つ指をついて頭を下げたのだが、しかし相手が「む」と唸って渋顔になった。

 

「違うぞい、黒江」

「えっ」

「儂のことは、爺様、ぢゃ」

「あ、ぇ? でも──」

「でなければ儂は返事をせんぞ」

「う、……わ、分かりまし、た……爺様?」

 氏政からの妙な物言いに、虚を突かれた黒江はついうっかり頷いてしまう。

 氏政が満足げに「うむ」と頷いたのを見て黒江が苦笑すれば──くいくい、と袖を引かれた。

 

「ん……何ですか、風魔さん?」

「(……)」

 ぱくぱく、と唇が動いた。

 

 ──「な、ま、え」と。

 音のない空白の形に、そんな文字の色が視えた気がした。

 

「名前? 私の、ですか?」

 黒江が自分を指せば、風魔がふるりと首を振ってその手を掴み、自分の胸へと押し当てた。

「え。もしかして、風魔さんの名前を聞いてます? ……小太郎、ですよね。ふうまのこたろうさん」

 そう黒江は答えたのだが、風魔は口を一文字に引き結ぶ。兜で隠れているのに、ありありと不満が窺えた。

「うむ? ああ、そうか──黒江、風魔は下の名で呼んで欲しいそうぢゃ」

「あ、ああ。それじゃあ……小太郎さん?」

「(……)」

 だが風魔の首は振られ──「な、ま、え」と同じ空白を模った。

 黒江は「ええぇ」と呟いて困惑する。

 

「や、だから、小太郎さん、でしょう?」

「(……)」

 違う、とばかりに風魔が首を振る。

 えぇぇ、と黒江が戸惑っていれば、補足したのは彼の主君。

 

「敬称も不要ぢゃと」

「え。そんな、世話になりまくった人を呼び捨てとか申し訳なくて心が地味に痛むんですけど」

「(……)」

 しかし、風魔は黒江の指先を握ったまま、じっと言葉を待っている。

 どうやら、黒江が従うまではこのままらしい。

 

「(……)」

 その時、不意にこてっと風魔が首を傾げてみせた。

「な……っ!」

 長身で大柄の男がした仕草を見て、不覚にも黒江はときめいてしまう。

 

(お、おおぉ。なんかいま犬系の幻が見えたよ!?)

 これも手練手管の忍が技か。恐るべし、風魔小太郎。

 黒江はうろうろと視線を彷徨わせていたが、やがて風魔をそっと見返して口を開いた。

 

「……っ、こ」

「(……)」

「……、……こ、小太郎?」

 最後が疑問形になってしまったが、風魔が嬉しげに口元を持ち上げて頷いたので、黒江もつられて気恥ずかしそうに笑った。

 

 風魔もまた満足げに、その名を鼓膜の奥に刻み込むように深く、長く息を吐き出した。

 影として生きる彼にとって、その名は本来、主君以外が口にすることのない秘められた符牒に等しい。

 それをこの雛鳥は、躊躇いながらも口にした。その響きだけで、風魔の胸のうちは得体の知れない熱量で満たされていく。

 

(なんか風魔小太郎って……伝説の忍とかいう割に人懐こいというか……)

 これが、昨日拷問らしき身体検査を行い、今日は片手で拘束しつつおぶってきた男と同じだとは思えない。

 掴んでいた黒江の手に、風魔がその頬を寄せた。

 兜の冷たい感触が指先に触れ、そのすぐ後に、隙間から伝わる意外にも熱い風魔の体温が黒江の肌を焼く。

 忍びとして鍛え上げられた強靭な肉体が、今はただ一匹の大型犬のように喉を鳴らしているかのようだ。

 

(……この人、本当に『伝説の忍』なんだよな? 殺気どころか、幸せそうなわんこの気配しかしないんだけど)

 

 黒江は気づいていない。

 一度懐いた「大型の犬」が、どれほど独占欲が強く、一度噛み付いた獲物を死ぬまで離さない性質であるということに。

 この時はただ生活基盤が整ったことに安堵し──いや、久しぶりに人の温かさに触れて、泣きたい気分になっていた。

 

(……ああ、もう。本当に、調子が狂うな)

 かつて自分を捨てた人間が持っていた冷たい嘲笑とは正反対の、あまりに無防備で、あまりに直情的な信頼。

 

 今度は少し信じていいかもしれない。

 掌から伝わる伝説の忍の熱を心地よく感じながら、黒江は少しだけ微笑んだ。

 

 





**

ここでようやくまともに生活の下地が整った。
山奥の自活は無理ですって。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。