「成田殿。貴殿はその者に質疑していたのではなかったか?」
会話に入って来たのは左列にいた男。
指摘された成田がハッと我に返り、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「……これは不覚。あまりにも粗末な食事内容だった故、つい」
「七草粥とそう変わりないと思うんですけどー」
「何処がだ!」
「……すみません」
「まあまあ、成田殿。……黒江殿とお呼びしても?」
「は、はい。ご自由に」
今度は、成田を宥めたその男が会話に入ってきた。
目が合うなり、黒江に柔らかく微笑みかける。
「私は伊東政世という」
「いとうさま」
伊藤……伊東?
こちらもまた情報が出てこない。
にわか知識しかないことが、此処に来てこうも障害になるとは。
伊東政世と名乗った男は、他の家臣たちと比べると若く見える。
黒江と同じくらいだと感じて親近感でも抱いたのか、人懐こい笑みを浮かべて話しかけてきた。
「私は其処に居る石巻と共に、馬廻衆として小田原を守っている」
「こら、そこで勝手に俺の名前を出すでない」と伊東の対面に居た男が苦い顔をして口を挟んできたが、それには構わず伊東は話を続ける。
「黒江殿は、馬廻が何かは知っているか?」
「馬番……馬のお世話をする人、って印象が強いんですけど、違いましたよね?」
確か見回りや護衛、伝令役などを勤める職の一つだったような気がする。が、緊張する状況に置かれた今は考えに集中できないので、さっぱり思い出せない。
黒江は考えるのを早々に諦め、伊東に苦笑を返す。
「その方面には疎いもので」と答えれば、相手は「そうか」と穏やかに頷いて。
「──ならば、黒江殿は何に詳しいのだろう?」
そのまま質問は終わると思いきや、にっこり微笑んだまま更に伊東が訊ねてきた。
黒江はそこで、相手の真意を悟る。──悟ってしまった。仮面越しに視える気配で。
(さりげなく尋問にすり替えた。やっぱり、この場に居る人たちって重臣なんだな。抜かりない)
成田の説教から解放されて安堵したのも束の間。年の近しい伊東とならば当たり障りのない会話が楽しめるかと思えば、そうではなかったというこの切ない流れに、黒江は指先で仮面の上から眉間を押さえた。
(分かってるけど。不審者扱いされるのは覚悟してたけど。……してたんだけどな──)
そこで黒江は、思わず隣に控えている小太郎を見上げる。
「(……?)」
どうした? というように首を傾げる小太郎。氏政同様、警戒も敵意も無い。
あまりにもあっさり受け入れてもらえたので忘れていたが、本来は此方の方が夢のような出来事だったのだ。
黒江はこの世界の現実を思い出し、溜息を吐いて伊東に視線を戻した。
「忍を見て、答えが見つかったか?」
「いえ……そういうつもりで小太郎さんを見上げたわけでは」
「……小太郎殿、か。随分と忍に懐いているようだが、黒江殿はもしや、忍と内通でもされているのか、ん?」
「またそんな突飛な発想を……小太郎さんとは初対面なんですけど」
「ははは、そうか。いや、あまりに無防備に首筋を晒しているものだから。……あるいは、そうやって無知な振りをしながら誰彼構わず取り入るのが、黒江殿の『手管』なのかな?」
(なんだろうなー……こういう感じの人間に心当たりあるなー……)
澱んだ黄土色の気配。それは、かつて黒江の信頼を裏切り、赤い唇の綺麗な女を選んだ男のものとよく似ていた。
開きかかる記憶の蓋。
それを両手で押し込める。
自分だけがどうこう言われるのは構わない。
けれど、親切にしてくれた小太郎までもを巻き込んで一々馬鹿にしてくるのはどういうことかと、その胸ぐらを掴んで問い詰めてやりたい。
正直、この男は嫌だ。嫌いな人間だ。
──敵だ。
「はあ──」
黒江は遂に箸を置き、深々と溜め息を吐いた。
(──駄目だ。相手するのが面倒くさい)
それで黒江は、すっかり自棄になる。
氏政の手前、猫を被っていたが──嫌気を覚えて、半分脱いだ。
「遠回しにネチネチ言ってこなくても、追い出したいのなら『出て行け』の四文字で済みますよ、いとうサマ」
人当たりの良い笑み──もはや嫌な相手と重なって、嘲笑にしか見えない笑顔だ──を浮かべている伊東に直球に言い返せば、相手の笑みが強張った。
「……ははは。どうした、急に」
ああ、白々しい。
黒江は肩を竦めて言ってやる。
「どうしたもこうしたも無いですよ。私は取るに足りない一般人ですので、化かし合いには参加できません。目障りなら、本当、今すぐ出て行くんでそう言ってください」
そこまで言うと、氏政を見ながら畳に両手をついて。
「──短い間でしたが、お世話になりました」
「(……!?)」
「こっ、こりゃ! 一体なんぢゃ! お主が来てからまだ一日しか経っておらんぞ!?」
会話が不穏な流れになっているのをどうにかして止めようと考えあぐねていた氏政が、そこで驚いた顔をして腰を上げる。
「頭を上げんか黒江、第一、出て行くとはどういうことぢゃ!?」
「すみません言葉通りです」
黒江は頭を下げたまま、棒読みで答える。
「氏政様や小太郎さんのご厚意にすっかり甘えていたが故に、己が素性も判らぬ不届き者であるということを失念しておりました。分を弁えず申し訳ありません。やはり、私は元居た場所に戻ります」
「待て待て、判断が唐突過ぎるだろう! ──政世!」
と、ここで声を投げてきたのは意外にも黒江に説教をした成田だった。
伊東を軽く睨み、叱責する。
「遣り過ぎだ。控えろ」
「……は。出過ぎた真似を致しました」
ぴしりと言えば、伊東が胡散臭い笑みを引いて素直に引き下がる。
次に成田は、まるで出来の悪い弟を叱るような、あるいは迷い犬を睨むような顰め面をして黒江を見据えた。
「全く……お前もお前だ、眞条。考えが突飛すぎる。もう少し考えてから行動を起こせ」
ぶつけられた言葉は何故か説教だった。
黒江は戸惑い、困ったように頬を掻く。
「いや、ええと……考えた結果、これが最良だと思ったんですけど」
「それだと、お前を招き入れた氏政様のお心遣いが無駄になるだろうが」
「あー……そうですね。それは確かに」
「ならば、お前が出て行くことはないというのは分かるな?」
「はい。……。……あれ?」
彼は最初に尋問を仕掛けて来た男だが、いつの間にか再び黒江の身を案じ、それどころか出て行こうとするのを引き止めている。
伊東よりも彼の方が好ましく思えるのは気配がくすんでいないからだろう。
そういえば成田は途中から黒江の健康面を心配してくれていた。黒江に厳しく接してきたのは、偏に主君である氏政の安全を優先していた為か、とここで気づく。
成程、これが。
「第一印象の罠か。……やられた」
思わずそう呟いて黒江が苦笑すれば、伊東を見ていた成田が片眉を上げる。
「何か言ったか眞条?」
「いえ──」
黒江は首を振り、成田に笑いかける。
「──私、成田サマが好ましいなあ、って思いました」
「なっ──!?」
「(……!?)」
他の家臣たちから失笑が零れる。
あの変な面の男が、厳格な成田殿を懐柔したぞ。いやいや、面白いじゃないか……そんな囁きと、淡い桜色の気配が広間に満ちたのを黒江は視る。
「……成田の言う通りじゃな。黒江、お主はほんに突拍子も無いことを言うのう」と氏政が呆れたように言うので、黒江は、へらっと笑って──直前まで出て行こうとしていた不機嫌さもなく──答えた。
「だって爺様。赤の他人なのに食生活を心配してくれたんですよ。好印象でしょう」
「ふむ……そういうものかの?」
「お、大袈裟だ」
成田が顔を顰めるが、その頬に若干赤みが差している。黒江より二回り程上だろうが、それがまた人間味を感じさせてくれて嬉しくなる。
対し、伊東のほうは憮然とした顔で沈黙している。まだ黒江をよくは思っていないようだ。まあ、こればかりは仕方がない。それに、警戒されても当然な素性であるのは確かなのだ。
それにしても──と、黒江は成田を見遣る。気配の色からして敵意は抱いていないようだが、彼の意見はどうなのだろう?
いとう何某に比べると良い人そうなので──黒江は根に持つ方だ──自ら訊いてみることにした。
「成田サマ」
「な、なんだ」
「さっきは途中で健康管理の話になっちゃいましたけど、成田サマも突き詰めて質してみたいことがあったりしますか?」
黒江の口調が気安いものになっているが、親しみが混じっていることに気づいた成田が眉を下げ、満更でもない顔をする。
「む……まあ、訊きたいことは無いでも無いが」
成田が渋顔になり、胸の前で両腕を組んで唸る。
追及したいが、考えあぐねている──そんな顔をしていた。
やがて考えを纏めたらしく、黒江を一瞥し、ぽつりと問うた。
「一つだけ聞きたい。──顔を隠しているのは何故だ?」
「……、これ、は……」
「(……)」
黒江は沈黙して、こめかみの辺りを軽く押さえた。
正体よりも何よりも、今は一番触れられて欲しくないものを問い質されたからだ。
目を伏せつつ、それでも苦笑気味に答えた。
「これは、その……醜悪で、見苦しい、ので」
冷たく強張った黒江の声が、広間にさざ波のように広がった。音の消えた赤い湖面のような不吉さを何人が感じとっただろう?
少なくとも、小太郎は感づいた。面の隙間からではあるが、黒江の面立ちは醜くはなかったのだ。なのに、黒江は己の顔を醜悪だと言い切った。
何故だ? と小太郎は黒江の横顔をじっと見つめる。今の黒江からは答えはないだろうが。
「……怪我でもしているのか?」
成田もまた黒江の低温を感じ取ったようで、両腕を組むと気遣わしげな声音で尋ねた。黒江は目を合わさず、伏せたまま答える。
「……、その……不快感を与えているのなら、速やかに此処から去りますので……詳細は、ご容赦を」
「不快ではないが──……むう」
答えを曖昧にして俯く黒江を見て、成田が小さく唸る。
ふうっと息を吐いて、言った。
「お前は、一人で山奥に住んでいたと聞いている。戻ったところで、生きていけるのか」
「あー……ははは。まあ、その辺は──どうにか?」
「何故訊ね返す。──それで? また、雑草を食べるのか」
「え、いやいや。山草ですよ? 私が食べてたのって、一応山草の類ですからね?」
「ほとんど雑草だろう。そんなものしか食べていないから、そうも小さいんだ」
「ちっ、小さくないですよ。これでも平均的なほうなんですから!」
「いいや、小さいな」
そこで成田の目が、黒江の隣に向けられた。
何を見た上で言っているのか理解した黒江が、首を振って言い返す。
「風魔小太郎と比較しないで頂きたい! 百八十以上あるんですから、この忍者は!」
「(……)」
黒江は無意識に、隣に居る小太郎の二の腕辺りをペンと叩いて反論する。
「大体、いい年をした成人男子に小さいは無いでしょう!」
「だがなあ……風魔と比べずとも、お前は小さい方だと思うぞ」
「百六十五……いや、えっと、これでも五尺半近いんですからね!」
「……ふ。それに、筋肉も左程ついておらんようだから、さぞ軽かろう」
「軽くないです、ちゃんとそこそこ重い──うわっ!?」
会話の途中、不意に目の高さが変わって黒江が驚いた声を上げる。小太郎が、例の如く黒江を縦抱きに抱き上げたのだ。
「ちょっ、なにを……なんで今ここで私を抱き上げた風魔小太郎!?」
「(……)」
畏まっていた口調が乱れたが、気にしている場合ではない。それを受けて小太郎が薄っすら笑んだように見えたのは、見間違いだろうか。
そこへ、成田が勝ち誇ったような声音で言う。
「そら見ろ。簡単に担ぎ上げられているではないか」
「これは小太郎の腕力がおかしいだけです! 絶対、米俵とか平気で担げる人だ!」
「いいや、お前が弱々しいからだ」
「ちーがーいーまーすー!」
「はは、そう子犬のように吠えるな」
広間全体が、いつの間にかまるで珍獣を愛でるような和やかな空気に包まれていた。張りつめていた鬱屈な気配は無くなっており、満開の桜を思わせる気配が広がっている。
双方ともに、まるで友人のようなやりとりを始める黒江と成田。あちこちから柔らかに笑う声が聞こえるのを、彼らは気づいていない。
「(……)」
ただ、冷ややかな目をしてそれを見つめる小太郎だけが輪から外れていたが。
「成田サマも意外と意地悪だな!」
「お前が認めようとしないからだろう。妙な虚勢は見苦しいぞ、眞条。第一、男ならば何を言われてもドンと構えるべきだ」
「小さくないし、虚勢でもないです!」
「(……)」
……この疎外感は何だろう。
小太郎は眉根を寄せる。
己を呼び捨てにし、無防備に二の腕を叩いてくるその温度。自分だけが知っていたはずの、この男の柔らかい質感や、懐への入り込みやすさ。
それを、この無骨な重臣が、こともあろうに説教一つでやすやすと引き出したというのか。
小太郎は無意識に口元を引き結ぶと、成田と愉快な応酬をしている黒江の二の腕を、その意識を覚ますように少しだけ強く叩いた。
それで黒江がようやく小太郎を見る。
「小太郎さん? どうか──」
『──しましたか』と言いかけた言葉は、周囲を見回したことで止まる。
自分のほうへ生温かい衆目が集まっていた。
……伊東一人を除いては。
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大広間で重臣と。胃が痛くなる気がする。