忍遠矢と風の檻   作:黒環ななし

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02 小田原の日々3

 

 その男は使い込まれた具足を纏い、真剣な眼差しで黒江の仮面を見つめていた。

 まるで聖域の主を拝むかのようにその場で静かに片膝をつくと、黒江を見上げて口を開いた。

 

「──貴殿は、桜花の天女殿か」

「……はい?」

 

 その日の黒江は、勤務が休みなので小田原の町の茶店にいた。そしてすっかり顔馴染みとなった看板娘と少し談笑し、茶と団子を頼み、さあ食べようとそれを口に運ぼうとしていたところで声を掛けられたのだった。

 山伏に似た装束の男が急に近づいて来て目の前で傅き、唐突に『天女』呼ばわりしてきたものだから、黒江の動きは完全に停止してしまう。

 

 てんにょ。

 おうか。

 

 ……天女? 

 ……桜花?? 

 

 黒江の脳内で疑問符が飛び交う。

 

「……あの、人違い……じゃ、ないですかね? 私はただの、ええと……小田原の居候、なんですけど」

「その面は」

「え?」

「その面は、他にもあるのか」

 奇妙な問いかけだった。

 黒江は己の面の縁に手を添えながら、首を横に振る。

「いえ、これは一点物なので。……似たような面があるのなら、その限りではないですが」

「……そう、か」

 男が、何か考える様に視線を逸らす。

 何だろう? 

 黒江は面越しに男を凝視する。

 すると、初めに氏政を視た時のように、紋章──家紋らしきものが群青色の気配に重なって薄っすらと見えた。

 

(何だ? 重なってるのは……鳥……雀、かな? それと、何かの植物……?)

 うむむと黒江は考えるも、天女呼ばわりされたこともあって集中できない。

 男の視線は、黒江の目元を覆う面に留まっている。しかも、その青い気配が黒江を探るようにじわじわと周囲を侵食し始めたから堪らない。

(まずい。これ、絡まれるパターンのやつだ!)

 

 というか、本当にどちら様ー!? 

 内心で慌てている黒江を余所に、男が口を開いた。

 

「ともあれ、こちらには長話をしてる余裕はないのだ。ひとまず、我らと共に来て頂きたい」

「え? 我らって──」

 黒江はハッとする。日頃の疲労と団子とで意識が散漫になっていたが、いつの間にか周囲を三、四人──目の前の男を入れて五人に囲まれていた。

 敵意はなさそうだが、友好的というほどでもない。

 

(……なんだろう……忍者の人っぽいけど)

 見たことのない色彩の気配だが、小太郎のような雰囲気がある。

 その違和感を、どう言い表せばいいのか。あまり音を立てないようにと洗練された動作。黒江を、その面を、食い入るように見つめる男たちの眼差しの鋭さ。

 ああ、彼らが黒江と同じ「一般人」であったなら。

 

(どう考えてもこの感じは忍者だなー……小太郎に近い匂いもするし)

 深い森の中に漂う、すうっとした緑に混じる湿った土の匂い。黒江が嗅ぎ慣れた、『体臭消しの匂い』だ。

 だから黒江は彼らを忍だと仮定したのだが、ともあれ不穏な様子の人間に付いていくのは憚られた。

 

「あの、すみません。そういうのは許可がないと」

「許可など、後でどうにでもなるだろう」

「なりませんよ。外泊するならまずは許可を取らないと、心配をかけてしまいますから」

「ならば、後でこちらから連絡はする。だから、貴殿は我らと共に来て欲しい」

「誘拐犯が言いそうな台詞をありがとうございます、許可が先です、ごめんなさい」

 どうにも急かしてくる男に警戒し、黒江は後ずさる。色よい返事をしない黒江に、男が小さく舌打ちした。

 

「……御託はいいから、とっとと来い!」

「わっ」

 腕を掴まれそうになり、慌てて身を引いた。急いで立ちあがる。

「本性出すの早いな!? 冗談じゃない!」

 黒江は食べかけの団子の皿の脇に金銭を置き、店の奥に向かって叫ぶ。

「すみません、お茶の代金ここに置いときます! 残しちゃって本当にごめんなさい!」

 言い終えるなり身を翻し、脱兎のごとく逃げ出した。

 

「待てっ!」

「無理です、忍者の方でも急に拉致してくるのはちょっと無理ですー!」

 黒江が「忍者」と口走った瞬間、相手は驚愕したらしく気配が滲むのが視えたが、それどころではない。

 

 黒江は再び全力疾走して、守りの強固な小田原城へと逃げ戻るのだった。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 小田原より外れた人気のない街道の端に、男たちはいた。

 それぞれが苦虫を噛み潰したような顔をしている。目的である人物に小田原城に逃げ込まれてしまったために簡単に手が出せなくなり、これからどうするかを話し合っていた。

 

「あれが……本当に天女か? 男だったぞ」

「間違いないだろう。あの変わった面が、主君の報告にあった通りだ」

「だが……『桜』の印はなかったぞ」

「他にも面を持っているのでは?」

「ああ。それに、我らを忍だと見抜いた。あの慧眼なら、可能性はあるだろう」

「城の守りを強行突破するか?」

「いや、止めておこう。殿は大事になるのを避けているふうであったし、それに城の方には──」

「──伝説の忍がいるか」

「そうだ。逸り、無駄な犠牲を出すのは得策ではなかろう」

 うむ。ふむ。いやしかし。そうだな。

 謎の男たちはそうして言葉を交わしていたが、最終的には主の元へ戻ろう、ということに至った。

 

「……何はともあれ、取り急ぎ帰還し、殿へ報告せねばなるまい」

「そうだな……気落ちなされなければいいのだが」

 そのようなことを呟いて、どこかの忍は街道を戻っていった。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 ──小田原城の黒江の私室にて。

 黒江は再び畳の上に筵を敷いて、一心不乱に木を彫っていた。

 がつがつ、ざりざり。

 無言で、ひたすら木を彫り続ける。

 その理由は二つ。

 一つは恐怖を誤魔化すためだが、もう一つは群青色の気配の男の言葉だった。

 

『桜花の天女』

 そういえばもうすぐ桜の時期だったと思い出す。

 桜が咲いたら小田原城の一角で花見をしよう、と氏政と小太郎と約束をしていたのだ。

 謎の男が何故、自分を『桜花の天女』などと間違えたのかは見当もつかない。けれど、言葉の響きが何だかいいなと思った。

 

 ──もう一つ、揃いの何かを作ろう。

 不思議なことに、追いかけられた恐怖は消えていた。創作力に上書きされたのかもしれない。

 

「うん、『桜』の根付けを作ろう。確か、早咲きの桜の木が城内のどこかにあった筈だ。探しに行こう」

 彫りかけの木を一旦置いて、黒江は自室を後にした。

 

 

 ※

 

 

 がりがり、ざりざり。

 ざらざらした粗い質の和紙に、黒江は木炭を使って大まかに下書きを書いていた。近くには、桜の枝が一枝。折ったのではない。自然に地面に落ちていたのを拾ったのだ。

 

 桜の花の形を簡素化しつつ、確かに桜の花だという特徴を押さえた根付けを作りたい。

(小太郎には……可愛すぎるかな? まあ、断られても自分が付ければいいか)

 ふふふ、と笑みを零して黒江は新しく作る根付けの形を固めていく。

 どうしてここまで桜に拘ったのか。

 それはもしかすると、小田原に連れてこられた時に抱えていた不満や悲しみを、氏政と小太郎が桜色の気配で包んでくれたせいもあったかもしれない。

 

「……お花見、楽しみだなぁ」

 そう零して微笑む黒江の目には、あの時にあった暗い影はなく、前にある未来に向かってゆっくりと進んでいるのだった。

 

 

 ※

 

 

「……眠い……」

 翌日。

 休みとはいえ、随分と夜更かしをしてしまった。それもこれも、桜の形になっていく木片が楽しくて熱中してしまったせいだ。

 ちなみに、何度か小太郎がやってきて就寝を促してきたが、黒江の意識は桜の根付けにあり、生返事で応じていた。

 

「あーうん、もうすぐで終わるから」

「キリの良いところまでしたら寝るよ」

「もうちょっと。これだけ削り切ったら布団に入るから」

 小太郎のほうを碌に見もせずに、黒江は木を削り続けていた。

 ふう、と。

 小太郎が溜め息をついたようだが、やはり黒江の意識は桜の根付けに奪われていて、おざなりな態度を返すだけになっていた。

 

「(……)」

 小太郎は生返事を繰り返す黒江を少しの間眺めていたが、一向に就寝する気配がない。

 なので、筵から逃げ出した木屑を集めて屑籠に入れ、湯冷ましの水を入れた片口をそっと置いた。

 

「ありがとう」

 

 それだけを黒江は言った。

 やはり視線は手元にあり小太郎を見なかったが、充分だった。

 小太郎は、最後にそっと近づいて黒江の頭を撫でて「早く寝ろ」というように背中を叩くと、音もなく襖を開いて、深い夜の闇に溶け込むようにして姿を消した。

 伝説の忍でさえも匙を投げさせる黒江であった。

 

「……なんか、最後の方は小太郎が呆れてた気がするなぁ……ふあぁ」

 黒江は大きく欠伸をしながら、昨夜から早朝にかけて頑張った成果に目を向けた。

 そこには、上出来ではないが丁寧に削り、形を整えた桜の根付けが一つ。近くには、未完成の桜らしい塊が一つ。こちらは単に間に合わなかったのだが、まあ急ぐ必要はない。

 

「色を塗ったりしようかなー……いやでも、本来の木の色を活かすのもありだな」

 完成した一つを手の平に乗せ、角度を変えて眺めつつ一人悦に入る。

「うん、下絵を描いて見本にしたのは正解だな。それっぽい!」

 五百円玉ほどの大きさの桜の根付け。もう一つの未完成のものは、花びらの形を追求しようとした結果、削りすぎてしまって一回り小さくなってしまった。

 

「……緋鯉と真鯉みたいに大きさに差が出ちゃったなー……でも、これはこれでいいな。重ね付けできるかも」

 紐を通す穴を開けているので、後で町に出てお洒落な組紐でも見つけてこようかと考える。

『誘拐犯(未遂)』については、もう気にしないことにした。

 ここは小田原城。厳重な警備と──伝説の忍に守られた難攻不落の城塞。そう恐れることはない。

 

 ……しかし、この時の黒江はまだ知らない。

 折角作ったこの桜の根付けの片方を、そう遠くない先で失ってしまうということを。

 今は知る由もなく、根付けに通す紐も揃えようと、あれこれ思考を巡らせて、にこにこと微笑むばかりであった。

 

「はー……顔を洗って、それから厠に行って……とっとと身支度を済ませるか。もう朝ごはんの時間だろうし」

 何度目かの大欠伸をすると、黒江はのろのろと布団を畳み、襖をゆっくり開けた。

 

 

 ※

 

 

 襖を開けて廊下へ一歩踏み出したところで、足を止めた。

 黒江の視界の端に、すっかり見慣れた、けれど今は「忍の任務中」であるはずの漆黒の気配があるのを見つける。

 

「……小太郎? 今日は朝から見回りがあるんじゃなかったっけ?」

 驚きよりも先に、疑問が口をついて出た。

 壁の影に溶け込んでいる段階でその「色」を捉えていた黒江は、隠れているはずの小太郎に視線を留める。

 

「(……)」

 声を掛けられたその一点、影の中から伝説の忍が姿を現した。

 驚かせようとしたわけではないだろうが、気配を完璧に断っていた自分を寝起きの状態で即座に見破った黒江。鉄兜の奥で小太郎は目を瞬かせつつも、口元を微かに持ち上げる。苦笑として。

 

「(……本当に容易く忍の隠形を暴いてくるな、お前は)」

 

 ──隠れ鬼をした童のように、俺を見つけるのが上手い雛鳥。

 

 小太郎が抱いた僅かな畏怖と感動を、黒江は知らない。目を軽く擦りつつ、眠気の残る気怠い声で話しかけた。

「ん……何、起こしに来た? 子供じゃないんだから、ちゃんと起き……ふぁ──っふ」

 言葉の途中で出掛かった欠伸を噛み殺し、目尻に滲んだ涙を指先で拭う黒江に、小太郎は答えない。ただじっと、黒江の目元を見つめる。

 その気配の色は、昨夜の呆れを含んだ黒から、今はどこか案じているような深い銀朱。

 無言の叱責。

 伝説の忍の静かな威圧に、黒江はそろりと視線を逸らした。

 

「……うん。夜更かししすぎました、ごめんなさい」

 決まりが悪そうに胸の前で両手を合わせて黒江が頭を下げれば、小太郎の気配がふわりと凪ぐ。

 漆黒に溶ける銀朱。小太郎の指先が黒江の面に触れる。輪郭をなぞるように動いたと思ったら、その脇から指を差し入れて黒江の目の下辺りをすうっと撫でた。

 黒江の長い睫毛がピクリと震える。

「わ、なに……あー……うん。クマは出来てないよ。大丈夫」

「(……)」

 そうか、というように小太郎が小さく頷いたが、それでも口を一文字に引き結んでいる。黒江の言葉をあまり信じていないようだ。

(何でこうも過保護なんだかなぁ……いや、私の生活態度に問題があるのか。……ちょっと夜更かししただけじゃないか)

 口を尖らせはしなかったものの、黒江は子供扱いされるのは心外だと、心中で不満を零す。

 

(しかし、小太郎って体温高いよなー……まあ私が低体温なのもあるんだろうけど)

 素手で頬に触れる小太郎の手の平に、擦り寄るようにして無意識に唇を当てつつ、黒江は考える。

(小田原に来てひと月以上は経ってるんだから、ここまで面倒見てくれなくてもいいのになぁ……世話焼きさんかな? 伝説の世話焼きとか何それ可愛い)

「(……)」

 小太郎は眉庇の影で目元を和らげ、己の手に顔を擦りつける黒江をそのままにしておいた。

 

 真に甘えているのは、さてどちらなのだろう。

 

 再び黒江が欠伸をしたのを切っ掛けに、小太郎は黒江の背を叩くと朝の支度のことを思い出させるのだった。

 

 





***

彫刻の基礎的な技術はある。
紙やすりとか欲しいなーと思ってる。
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