忍遠矢と風の檻   作:黒環ななし

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03 甲斐若虎酒縁 4

 

 

「そーいえばさー。あんたって、北条の何なの?」

「んー?」

 

 佐助がそんなことを尋ねてきたのは、小太郎が一時的に警備の為に姿を消してから少し経った頃だった。

 鬼ならぬ、風の悪魔のいぬ間の尋問。

 幸村に酒を注ぎ、お返しにと注がれた酒を飲んでいた黒江は、不意な質問を受けてきょとりとする。

 

「何って、なにが?」

「爺さん……北条氏政殿の御賓客──って、聞いてるけどさあ? 北条方の縁者ではないよね?」

「佐助、止めぬか」

 詰問を始めた己の部下の腕を引いて、幸村が諌める。だが佐助は黒江から視線を外さず、言葉を止めない。

「御賓客ってくらいだから、それなりに身分のある人間だとは思うんだけど?」

「あ? 身分? ……あはははは、ないない! そんな大層なもの持ってないって!」

 さらっと答えたのは、ほろ酔いが為せる業か。

 佐助の眼差しが、胡乱げなものになる。

 

「……出身は?」

「んー、山奥? になるのかな」

 声は明るいものの冷たい眼差しを向けてくる佐助に、黒江は酒を舐めながらサラサラ答えていく。

 

「ほんと、身分っていう身分は無いよ。ただの一般人だし。あ、でも職業のこと言ってるなら、面打ち師かな。途中で師匠がいなくなっちゃったから見習い卒業したか怪しいけど」

 正座から少し足を崩した格好をとり、黒江は酒を呷る。

「師匠には良くしてもらったから、探しに行きたいんだけど……今はまだ準備とか色々整ってなくて、保留にしてるんだ」

 そう言って少し困ったように笑えば、話を聞き終えた幸村が感心したように頷いた。

「なんと黒江は面打ち師でしたか。では、身につけているその面も、黒江手ずから?」

「ん? ……ああ、うん。初めて作ったやつが、これ。初めてにしては結構上手く出来てるだろう?」

 そう言って、幸村を見つめながら面の上からつっと目元をなぞる。

 輪郭を撫でたその指先の動きは、別の何かを思わせるほどに淫靡でいて。

 その光景に、幸村が顔を赤くして目を泳がせる。

「……っ、その、黒江、は」

「ん。何?」と黒江が話の先を促せば、幸村はコホンと咳払いをして続けた。

「その、黒江は……始終、その面を付けたままでいるのか? 不便では?」

「あはは。慣れるとそう不便でもないんだよ。むしろ──」そこで僅かに視線を伏せて「──むしろ、付けていないと不安に……なる、かな」

「……それは何故だか、お訊きしても?」

「……、うん……何でだったかなあ……」

 幸村の問いかけに、黒江はますます気落ちしたようになり、こめかみに手を当てて目を伏せる。

 

 妙な沈黙が落ちた。

 少しして押し黙っていた黒江の唇が微かに動き、声にならぬ何かを呟いた。

 

「黒江?」

 何かを言ったようだが音が伴っていない。

 唇を読もうにも、俯いているので読めず、結局分からずじまい。

 顔も上げずに項垂れている黒江の姿はどこか悄然としていて、小さく見えた。

 堪らず、幸村がその肩に手を伸ばしたが──。

 

「──旦那っ!」

「──っ!」

 佐助の声と同時に、幸村の座る側に突き刺さったのは苦無。

 黒い影が黒江の体を引き寄せ、幸村から距離をとっていた。

 

「あ……こた、ろう?」

 影を見上げた黒江が、まるで夢から覚めたような声で呟いた。

「あれ、いつ戻って……ああ、いま戻ってきたのか」

 我に返ったように緩く頭を振ると、顔を上げて幸村に視線を戻す。

「えっと……質問の答え、言ったっけ? 言ってないな、ごめん。ちょっと酔いが回ってぼうっとしてた」

 そう言って笑い、言葉の続きを口にする。

 

「顔を隠しているのは、恥ずかしいから──かな。小心者なんだ、私は」

 そうおどけて答えた黒江からは、もう先程の陰惨な様子は窺えない。

 

 幸村と佐助は互いに顔を見合わせたが口は開かず、何かを視線で交わしあう。

 やがて佐助が肩を竦め、幸村は頷くと、黒江に向かって微笑した。

 詰問は此処までだ、と話がついたらしかった。

 

 

 ※

 

 

「黒江。某らはそろそろ失礼仕ろうと思う」

「ん。ああ……幸村は、お帰り? ……んん? 帰る……お帰りなさる?」

「はは。お帰りになる、でござるよ」

 ラ行変格活用あたりから怪しい、言語崩壊手前で答える黒江に、幸村が柔らかな笑みを返す。

「ああ、それじゃあお見送りを──」と立ち上がろうとした黒江の体は、横に控えていた小太郎によって、背後から抱き留められた。

 どうも、足がよろけてふらついたらしい。

 見ていた幸村が苦笑する。

「見送りは此処までで構わぬ。黒江は、少々酒気が過ぎておるようだしな。……おっと」

 母鳥に包まれた雛。──幸村が黒江の頭を思わず撫でてしまったのは、小太郎にしがみつく姿が、そういうふうに見えたせいだろう。その手は案の定、すぐさま『親鳥』に弾かれてしまったが。

「旦那!」と身構えかける佐助を後ろ手に制して、幸村は黒江を見つめて笑む。

 

「いい、佐助。……黒江、今宵の宴は楽しかった。礼を言う」

「こちらこそ。幸村と酌み交わせて光栄でした。あ、佐助もありがとー」

「俺様は何もしてないでしょ」

「握手してくれたじゃないか」

「え。なに。それだけで御礼言うの?」

「言うよ? だって忍者と握手って貴重だし」

「あんたの価値観分かんないわー」

「んー。説き伏せたい勢いだけど、生憎と話術に長けてるわけじゃないからなー」

「ははは。そう言うな佐助。嫌われるよりは好かれたほうが良いだろう」

「そうだけどー」

「そうだよなー」

「真似しないの」

「したつもりはないんだけどなー」

「……ふふ」

 忍と軽快にやり取りをする男から、幸村は目を離せない。

 会って間もないというのに、これで別れるのは何だか惜しい気が、幸村はした。

 後ろ髪引かれるのは、相手が顔も素性も隠したままであるせいか。

 恐らくは、佐助のように警戒しなければならないのだろう。なにせ伝説の忍が自らの方へ引き寄せて守る程だ。

 何か大きな秘密があるのだろう。面を剥いだそこから出てくるのはさて、鬼か蛇か、それとも──。

 

「……旦那。見つめすぎ。ほら、帰るんでしょ」

 なかなかに動きを見せない幸村に、佐助が袖をぐいぐい引いてきた。

 幸村は肩越しに振り返り、佐助が見ているものを認めて……急かす理由が判明する。

 黒江を抱える親鳥の気配が、これ以上ないほどに冷え込んでいた。

 腕の中の当人は小太郎の殺気に気づいているらしく、済まなそうな笑みを浮かべている。

 しがみついている忍の腕を軽く叩き、必死に宥めているのを見て、幸村は「おや?」と思った。

 忍の殺気を気取っている。──ということは、この男は気配に敏いのか? 武を嗜んでいるようには全く見えないのだが。

 

「だ・ん・な! それ以上黒江ちゃんを見つめてると、親鳥に突つかれるよ──って、なんで俺には速攻苦無なのさ!」

 ザクザクザク、と実に良い音を立てて佐助の足元に容赦なく三連の苦無が突き刺さった。

 それを見た黒江が眉を下げ、小太郎を見上げて「こた、そういうのは外で! 爺様の畳が可哀想!」とひそっと囁いたのを聞いた佐助が、律義に苦無を引き抜いて叫ぶ。

 

「俺様より畳が心配ってどうなの黒江ちゃん!」

「え。だってこの畳、上等な井草を使ってるって、成田サマが言ってて」

「俺の身より畳なの!?」

「佐助は忍者なんだから、それくらい避けちゃうだろ? 実際、避けたし」

「そうなんだけど、少しくらいは心配してくれてもよくない? だって俺様、黒江ちゃんが好きな忍者だよ?」

「実際、大丈夫だったんだから良いじゃないか。しつこい男は嫌われるぞ」

「うわー。門のところで会った時は可愛らしく恥じらいつつ謝ってくれてたのにー」

「そうだなー血迷いましたすみませんさるとびさすけさん。──あ、幸村。ちゃんと門まで送ってくから。こた、小太郎、ごめんだけど肩貸して。見送りに出るから」

「ちょっと。聞き流さないでよ!」

 先程までの忍らしさは何処へやら。黒江に対する態度をすっかり軟化させてしまっていることに、佐助は気づいていないらしい。

 気安く名を呼び、北条の忍と軽くやり合っている。

(やれやれ。俺には気をつけろと言っていたくせに、もう打ち解けてしまっているではないか)

 黒江に纏わりつこうとしては小太郎に遮られて喚く己が忍を眺めていれば、じろりと睨む小太郎と目が合う。

 

「(……)」

 ──早く帰れ、と。

 何の感情も無い瞳が告げるは退去。

 それは牽制か、それとも──嫉妬か? 伝説と呼ばれる男にそうした感情を抱かせる黒江という人物に、一層強く興味を引かれる。

 そんな無言の応酬を余所に、黒江が幸村に声を掛けてきた。

 

「幸村、見送るから門のとこまで一緒に行こう。あと、このウルサイちんぴら持って帰るの忘れずになー」

「だからあんたは何でそうも……ねえ。俺様も旦那みたいに可愛く名前を呼んでよ。さ・す・け、って」

「あ、こた。別に抱き上げなくていいから。このまま引き摺ってってくれて、いーからー」

「無視!? 遂に無視!? ちょっと黒江!」

「何だよもう煩いなこのチンピラは。色彩が蜜柑のくせに」

「ちょ、色彩が蜜柑って酷くない!?」

「酷くない。むしろ蜜柑に失礼だし」

「俺様蜜柑以下!?」

「蜜柑忍者は放っておいて、行こう、こた」

 喚く佐助を脇へ置き、抱え直そうとする小太郎を黒江はペシペシ叩く。両脇の下から差し込んだ腕で持ち上げている状態を維持するよう告げ、幸村に向かって笑いかける。

 

「門のところまでお見送りさせて頂きます、幸村サマ」

 声に、無自覚な甘さを滲ませて。

「はは……貴方という人は」

 幸村は口元を綻ばせると、小太郎に望んで引き摺られつつ行くその人の後についていく。

 

「あ、旦那、置いてかないでよ!」

「ああ、そうだった。佐助を忘れずに持って帰らなければならなかったな」

「旦那ぁ!」

「ははっ。冗談だ佐助」

「幸村―、風呂敷に包んで持って帰るー?」

「黒江ちゃんも悪乗りしないの!」

 

「なんなら、伝説の忍者便で送るけど?」

「止めて自力で帰るからそれだけは止めて!」

「(……)」

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「お気をつけてー」

 桜舞い散る通りの向こう。

 立ち去る人影のその色彩が見えなくなるまで、ひらひらと手を振って見送った。

 日はすっかり沈み、門前で燃える篝火が道を照らしている。

 はらはらと桜が舞う。

 幻想の光景はひたすらに美しく、黒江は胸を打たれて立ち尽くす。

 

「……」

「(……)」

 長い沈黙が落ちた。

 そのうち、背中から抱きしめていた小太郎が、とん、と黒江の肩を叩いた。

 ぴくりとその肩が震える。

 黒江が肩越しに振り返り、小太郎を見上げて口元を緩める。

「うん? 戻る?」

「(……)」

 小太郎は少し上体を屈めると、黒江に顔を近づけて口を動かした。

 

 な、に、を。

 

「……『何を見てた』って? あはは、うん……桜を、な……」

 黒江は再び前に向き直り、風に吹かれて落ちる桜の花弁を眺める。

 桜ですらその姿を変えるのに、自分はちっとも変わらない。変わろうとしない。

「……なあ、小太郎。あそこ……城の一番上まで行けるかな?」

「(……)」返事の代わりに、小太郎は黒江の手の甲を軽く叩いた。

「そっか。流石だな」小さく笑う声がして、黒江の声が続く。

「じゃあさ、悪いけど……そこに連れて行ってくれると、嬉しい、な──」

 言葉が完全に紡がれる前に、黒江の体は黒い羽根に包まれて消える。

 包まれた闇の中で、黒江は羽ばたく音を聞いた。

 

 

 ※

 

 

 小田原城の屋根の上。黒江は、小太郎に背後から抱きかかえられるような恰好で座り込んでいた。

 寒さをそう感じないのは、小太郎に包まれているせいだ。背が高く大柄な小太郎の体躯は、黒江をすっぽり包み込んでしまう。

(親鳥、か……はは。確かにそれっぽいな)

 佐助が言った表現を思い出して少し笑い、黒江は自身を抱きしめる腕にことりと頭を凭せ掛けた。そして、眼下に広がる光景を一望する。

 暗夜の中にぽつぽつとある篝火が、栄光門と桜の樹々を照らしている。

「……綺麗だなあ」

「(……)」

 語らない小太郎の代わりに、ひゅうと風が鳴る。

 空を仰げば、夜空を埋めつくす程に輝く満天の星。元の世界ではもう見る場所も限られた光景だ。

 自分が居なくなった世界は今頃どうなっているのだろう、とふと考える。

 ……きっと、何も変わっていないし、何事も無く回っているだろう。

 思い出せる記憶は、よりにもよって一番最悪なものだ。

 よりにもよって、桜の木の下で告白してしまったが故に。

 あの時も桜は満開だった。桜の美しさに何だか感傷的になったのもあってか、ようやく心を開いて告白したら別れの言葉を告げられた、あの日。

 綺麗な光景の中で迎えた残酷な結末。それが記憶に強く焼き付いていて消えてくれない。

 あの時、相手は──。

 

「……っ」

「(……!)」

 その詳細を思い出しそうになり、無意識に目の前にある小太郎の腕にしがみついた。

 小太郎は、己の腕に黒江が顔を埋めるのを見る。

「(……)」

 黒江が付けている面が、小太郎の前腕に当たっている。木から作られたにしてはその仮面は堅く、滑らかな表面は石膏を思わせる。

 小太郎の被る鉄兜のように、顔の上部を隠す黒江の面。

 酒宴の席にて幸村が発した質問を受けて、答えようとした黒江が茫然自失状態に陥った光景を思い出す。

 あの直前、黒江は何か言っていた。

 僅かに動いた唇が紡いだのは、声の無い言の葉。

 

 ──「見えないほうが捨てられないから」

 

 あれは何を意味していた? 

 何が見える? 何を見せない? 

 何が──誰が、捨てられた? 

 

「なあ、小太郎」

 

 泣きそうな声が忍の名を呼んだ。小太郎が「どうした?」と、抱き締めている黒江の肩口を軽く叩いて相槌を返せば、項垂れるようにしている相手から言葉が紡がれる。

 

「明かせないこと、沢山あるけど、さ」

 嘘をついて、顔を隠して。

 何もかもを誤魔化しているけど。

 

「私は、ここにいて、いいのかな」

「(……)」

 受けた恩が積もっていく。

 返せない好意が増えていく。

 

「爺様……氏政様も、城の皆も、何も言わないし、見逃してくれてるから、甘えちゃってるけど」

 仮面に映る彼らからは、悪意も敵意も見えない。

 嫌悪も無く……誰も彼もが優しくて、だから己のことを少しも明かせないことに罪悪感が募っていた。

「こんなに世話になってるのに、未だに自分のことを何も話さないし、顔は隠したままで……」

 いつの間にか、すっかり甘えてしまっている。

 こんなふうに甘えていたら、きっとまた駄目になると分かっているのに。

 

「私は狡いんだ。嫌な人間なんだ。……捻くれてるんだ。全部」

「(……)」

「だから、なあ小太郎。こんな私が、本当にこのまま小田原に居ついていてもいいのか教えてくれ……」

 そこまで言うと、小太郎の上腕に縋るように深く顔を埋めて言葉を繋げる。

 

「迷惑だったら言って……ください。追い出してくれていい、から、ふうま、さん……っ」

 

「(……!)」

 段々と掻き消えていく声が最後に告げたのは、初対面だった頃の呼び名。

 震える声で引かれたのは境界線。

 

「(……)」

 拒絶の壁を作り始めた黒江を見て、小太郎はその体を抱きしめる。軽く頭を叩いて宥めていれば、黒江が呻くように言った。

「ごめん。急にこんなこと言われても、困るよな。ごめん。小田原が嫌いになったわけじゃないんだ。ただ……」

 

 ただ、怖くて。

 好きになったから、好きになってしまったからこそ、恐ろしくなってしまって。

 別れの言葉は、告げられるよりも告げる方が、ずっと良い。

 悪いことが待っているのを知っているから、衝撃が少なくて済む。

 心を許した後で切り離されるのは、もう二度と経験したくない。

 

「……飲み過ぎて馬鹿になってるんだ。正気じゃないんだ」

 明日になったら忘れてると思うから、今言ったことは全部聞き流してくれ。

 明日にはもう何でもなくなっているから、忘れてくれ。

「もうこれ以上は言わないから……だから」

 そこで小太郎に擦り寄り、その胸に凭れかかり、目を閉じてそっと言葉を吐く。

 

「ごめん……ちょっとだけ甘えさせて」

「(……)」

 小太郎は幾分驚いたものの、頷き、何も言わずにその背を、頭を撫で始める。

 

「うん……ごめん。ありがとう、こた」

 緩やかな手つきが、心地いい。

 ……悪酔いしたこの身が眠りに誘われる程度には。

 

「ごめん……ありがと……な──」

 眠りに落ちた黒江の体から力がすっかり抜け、その重みが小太郎に遠慮なく圧し掛かった。小太郎がそれを厭うことは無く、しばらくは抱きしめる黒江の背や頭を撫でながら一人桜を眺める。

 その際、何気なく黒江の首筋に顔を埋めて擦り寄れば、酒と桜の匂いがして──。

 

 ちろり、と。

 舐めてみた肌は、気のせいか甘い気がした。

 

 





***
ほろ酔いだったけど、本音がポロリ。
酒は飲んでも飲まれるな。(ちょっと違う)
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