忍遠矢と風の檻   作:黒環ななし

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04 奥州桜流し 4

 

 

「俺が訊きたいことは、予想がついてるよな?」

 

 黒江の隣に一人分の距離を置いて腰を下ろした小十郎は、世間話を挟む間もなく本題へと切り込んできた。

 

「お前は何者だ? どこから、どうやって、ここへ入り込んできやがった」

「……」

 

 黒江は唇を引き結んだまま、答えることができなかった。物理的に声が出ないことも理由の一つではあるが、それ以上に、この男を納得させられるだけの回答が自分の中に存在しないのだ。

 

 自分は何者なのか。──時を超えて流れてきた、未来人です。

 どこから来たのか。──この世界とは地続きですらない、遠い未来からです。

 どうやってここへ? ──激しい桜吹雪に包まれて、気づけば庭に倒れていました。

 

 ……どれもこれもが、あまりに現実離れしすぎていて、自分でも嫌になる。

 北条家に身を寄せていた時に得た「面打ち師」という仮の肩書きは一応ある。だが、状況もこの屋敷の主も分からぬままに、安易に「北条」の名を出すことは憚られた。もし自分の不用意な一言がきっかけで、歴史や他人の運命に取り返しのつかない事態を招いてしまったら、何をしたところで償いきれるはずもない。

 まあ、そもそも声が出ないので、名前を出すのも何も不可能なわけだが。

 

「……」

 小十郎の鋭い視線は、一瞬たりとも外れることがない。

 沈黙を続ける黒江の仮面の奥を覗き込み、わずかな揺らぎすらも逃すまいと答えを探り出そうとするその眼差しはまるで刃のようだ。

 

 何をすればいい?

 声の出ない、何者でもない今の自分に、一体何ができるというのか。

 逃げ場の失われた静寂の中で、黒江はただ、止まない思考の渦に飲み込まれそうになっていた。

 

「お前は……忍か?」

「──」

 黒江は静かに首を振った。

(違います。ただの一般人です)

「梵は、お前を天女だと言っていた。だが、本当はそうじゃないんだろう?」

「──」

(うん、違います)

 その問いに対しては、黒江は隠すことなく素直に頷いた。そのようなトンチキな肩書など語るつもりは毛頭ない。

(夢を壊すようで申し訳ないけれど、決定的に違います。そもそも、根本的な性別からして違いますので!)

 そう心の中で弁明しながら、黒江は自分の胸元をぱんぱんと手のひらで叩いてみせた。

 

「あ? 何だ?」

「……、──」

 

 小十郎が訝しげに眉を寄せたので、黒江はもう一度、自分の胸を叩き、埃を払うような動作を繰り返した。

「あ? 胸がどうかしたのか? どこか痛むのか?」

(優しいな若頭! いや、そうじゃなくて!)

 言葉の通じぬもどかしさに耐えつつ、黒江はぶんぶんと首を振ると、小十郎の大きな手を掴んで、自分の平坦な胸へと力強く押し当てた。

 

「なっ、おい! ……っ、あ。ああ──そういうことか」

 黒江が小十郎の手を掴んだ瞬間、周囲の見張りと小十郎自身の気配が、弾かれたように緊張するのが視えた。

 下手をすると、斬られてもおかしくない危うい行動だ。

 けれど、黒江はあえて自分の体に触れさせるという、大胆な行動に出たのだ。武器を所持していないという証明も兼ねたそれは功を奏したようで、意図を察した小十郎は苦笑を漏らし、天井裏の気配へ向けて一瞥をくれた。

「俺は大丈夫だ、手を出すな」とでもいうように頷き、無言の合図を送ったらしい。黒江に向き直り、渋顔をする。

 

「あー、お前の言いたいことは分かった。分かったから、もう手を離せ」

(……お。この人、意外と物分かりいいな! 助かる!)

 さすが若頭、と黒江は内心で感嘆する。

 

「……おい?」

 小十郎が怪訝そうな顔をしたところで、黒江は慌てて手を離した。若頭賛美に浸るあまり、小十郎の手を掴みっぱなしだったことをすっかり失念していたのだ。

 黒江は気まずさを誤魔化すように「こほん」と咳払いの真似をすると、小十郎の目を真っ直ぐに見つめ、ゆっくりと口を動かした。

 

「……、……」

 かつて小太郎が自分にそうしてくれたように、一文字ずつ丁寧に形を作ってみる。

 

『私の名前は、眞条黒江。怪しいものではございません』

 

 一部を伏せ、一部を真実として。

 これで少しでも伝わればと願ったが、小十郎の眉間の皺は深まるばかりで、首はあっさりと横に振られた。

 

「悪い。何を言ってるのか、さっぱり読めねえ」

「……」

(──伝わりませんでした!)

 やはり口の動きが悪いのだろうか。意思が伝わらない不便さに直面した黒江は、ここで、ふと小太郎のことを思い出した。言葉を読み取れない自分に、彼も今の黒江のように何度も歯痒い思いをしていたのかもしれない。

 

(うわああ、こた。ごめん! 一生懸命に伝えてようとしてくれてたのに、読み取れなくて、ほんとごめん……!)

 別方向の反省でがっくりと肩を落とした黒江を見て、小十郎は何かを勘違いしたらしい。気まずそうに後頭部を掻きながら、声を落とした。

 

「すまねえな。これでも、ある程度の読唇はできるつもりだったんだが……どういうわけか、お前のはさっぱり分からねえ」

「……?」

(え、若頭、唇の動きが読めるの?)

 意外な特技に驚いた黒江は顔を上げ、もう一度試してみた。

 

『これは、わかりますか?』

 先ほどよりもさらに緩慢な動作で語り掛ける。

 しかし小十郎は「うーん……」と唸るばかり。

「……駄目だ、さっぱり読めねえ」

「……」

 露骨にしょげ返る黒江に、小十郎が問いを重ねる。

「なあ。お前、俺の言葉は分かってるんだよな?」

「……」

 ええ、もちろんと大きく頷いてみせれば、小十郎は更に気難しい顔をして唸った。

「……一応聞くが、人間、だよな?」

「……!」

(もちろんですとも!)

 間髪入れずに、黒江はこくこくと頷く。顎を擦る小十郎。

「ふん。言葉は分かるが、語れねえ、か。──なるほど。天女でもおかしくはねえかもな」

「……っ!?」

 くっく、と小十郎が喉を鳴らして笑った。そして立ち上がると、無造作に黒江の頭をひと撫でして口を開く。

 

「とりあえず、密談は一区切りだ。今日はもう遅い、床に戻って休め」

 

 そうして「暖かくしろよ」と追い打ちのようにもう一度頭を撫でると、片手を軽く振りながら廊下の向こうへと消えていった。

 

(……え?)

 唐突な尋問の終了。

 しかも、「頭撫で」のおまけつきだ。あの銀朱の髪をした大柄な忍の温もりと重なったのは、気のせいだろうか。

 いや、それよりも。

 

(何でいきなり頭を撫でた、若頭ー!?)

 ひたすら自分を怪しみ、冷徹に接していたはずの男が見せた、あまりに気安い仕草。

(それともこの世界では、これが標準的なコミュニケーションなんですか!? 誰か教えて!)

 それに今更だが、自分は「おのこ」なのだ。情けない自覚はあるが、立派な成人男性なのだ。

 誰もいなくなった廊下で、黒江は声なき抗議を口の形だけで繰り返す。だが、反応してくれる者などいるはずもない。天井裏の監視が堪えきれずに肩を震わせて笑っているような気がしたが、それはきっと、そう、気のせいに違いなかった。

 

「……」

 最後には重い溜め息とともに肩を落とし、黒江は監視の目が光る自室へと、とぼとぼと戻っていった。

 興奮して寝付けそうにないが、まずは横になろう。目を閉じていれば、いつかは意識も闇に溶けていくだろうから。

 

 

 ※

 

 

「……おい」

 

 黒江の姿が部屋の奥へと消え、襖の閉まる音を確認した直後、小十郎は背後の闇に向かって低く声を掛けた。

「あの男の素性を調べろ。一分の隙もなく、徹底的にな」

 

 影の中から衣擦れにも似た微かな返辞が聞こえたかと思うと、その気配は霧が晴れるように消え去った。

 ふう、と重い息を吐く。小十郎の脳裏を占めているのは、ただ一つ。仮面で素顔を隠した、あの奇妙な侵入者のことだ。

 

 この屋敷の警固は、それなりに厳重なはずだった。各所に潜んでいた「黒脛巾組」の誰一人にも気づかれることなく中枢まで忍び込み、あまつさえ庭に転がっていたあの男の正体は何だ。

 

 若き主君は、桜の木の下に忽然と現れたその姿を見て、直感的に「天女」だと思い込んだようだが、現実にはそのようなことがあり得るはずもない。

 忍か、と問えば男は首を振った。こちらの言葉は理解しているようだが、一切の音を発しようとはしない。

 ならば物の怪や妖の類か。

 

 あっさり捕まった上、縄抜けすらできそうになかった者が、物の怪だと? 

 逃げ出そうとして立ち上がる際に畳の上で滑り、転びかけた男が、妖だと? 

 

「……ハッ。それこそ『ありえねえ』話だ」

 

 自嘲気味に呟く。

 あの時も、仮面に手を掛けた途端に死に物狂いで逃げ出そうとした。明らかに、顔を見られることを病的なまでに恐れていたとしか思えない。梵天丸様が諌めようとするのも耳に入らぬほどに暴れ狂うため、やむなく嗅ぎ薬で意識を断ったが……さて、あの仮面の下には、一体どのような「化けの皮」が隠されているのか。

 

 けれど気絶させたのをこれ幸いと、再び面に手を伸ばした瞬間、主君の声がそれを遮った。

「天女殿に無礼だぞ、小十郎!」

 さすがにその時は頭を抱えた。だが、若き主が心配そうに男を抱きしめ、盾となってこちらを睨みつける以上、臣下としてその命に従わぬわけにはいかない。

 それでも、得体の知れない者に武器を持たせておくわけにはいかず、面以外の所持品──男が身につけていた「胴乱」と呼ばれる奇妙な袋を検める許可を得たのは、せめてもの幸いだった。

 

 袋の中には、幾つかの刃物があった。

 彫刻刀、錐、平刀。何かを彫り、造り出すための道具には見えたが、使い方次第では確実に凶器となり得るものだ。

 取り上げておこうとしたが、案の定、小さな主君が立ち塞がった。

「天女殿が、天へ帰れなくなったらどうするのだ!」

「襲われたらどうするのですか」と堪らず叱責を返せば、「天女殿はそのようなことはなさらぬ!」と根拠もなく胸を張られてしまう。

 

 だが、その道具類の中に、一つだけ不可解なものがあった。

 掌に収まるほどの、小さく薄い鉄の板のような物体。表面は妙に滑らかで、装飾とも取れる不思議な突起がいくつか付いている。

 首を傾げながらその質感に触れた、その時だ。表面が突如として鮮やかに発光し、見慣れぬ文字や模様が青白く浮かび上がった。

 

「……なっ!」

 あまりの怪異に、思わずそれを取り落としそうになった。奇妙な光と模様は一瞬のうちに消え去ったが。

「それで天女殿は、空へ帰るのだな」

 驚愕に固まる小十郎を余所に、主君はどこか夢見心地な声で感心したように呟いた。

 まさか、今の光が「帰還」の合図だとでも言うのか。

 

 惑わされかける思考を強引に振り払い、中身を袋の中へと戻した。

 呪いや妖術の類を信じているわけではないが、これ以上「天女の証」のようなものを見せつけられては、主君の心酔に拍車がかかってしまう。この幼き主が完全に毒される前に、この男の処遇を決めねばならない。

 気絶させた男の身体を抱き上げた際、そのあまりの軽さに驚きを覚えた。

 

「天女殿の部屋はこっちだぞ、小十郎!」

 意気揚々と歩き出した背中を、溜め息とともに追った。

 黒脛巾組には、警護の強化とともに、あの面の男に対する最高度の警戒を命じてある。「不審な動きがあれば、迷わず仕留めよ」と。

 

 しかし翌朝下された沙汰は、小十郎の予想を裏切るものだった。

 

 処刑ではなく、「客人」として遇せよ、と。

 

「……運の良い男だ」

 

 あるいは、それすらも「天女」の業だというのだろうか。

 

 小十郎は夜の風に目を細め、静まり返った屋敷の廊下を、独り歩き続けた。

 

 





***

ひとまず拷問は回避。
暴れたり大きな抵抗などしなければ、そこまで痛めつけられないらしい。武士的に。
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