忍遠矢と風の檻   作:黒環ななし

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04 奥州桜流し 6

 

 

 痛みに顔を顰めながら、黒江は手当てを受けていた。

 あの後、小十郎によって半ば強引に部屋に連れ戻されてしまった黒江は、いつの間にか血が出ている己の手を呆然と見つめていた。

 対面に小十郎が座り、「怪我を見せろ」といって黒江の返事を待たずに手を取り、忍に持って来させた薬箱で傷の手当てをし始めた。

 

「お前、手が使い物にならなくなったらどうするんだ。何かの職人なんだろう」

「……」

 職人、と言われて黒江が訝る眼差しを向ければ、相手が一瞥して気まずそうな顔をする。

「……初日に、お前が気絶している間にそれの中を検めさせてもらった」

「……」

 それ、と胴乱を示されて黒江はますます顔を顰める。

 すると、それを見てとった小十郎が僅かに苦笑した。

「悪いと思ったが、仕込んだ武器で梵の命を狙われでもしたら敵わねえ」

「……」

 その言葉を受けて、黒江が少しだけ頭を動かした。微かな首肯。小十郎が溜め息を吐く。

「ああ、不必要には触ってねぇから安心しろ。……そこは、梵が止めたんでな。お前が天に帰れなくなるからとか何とか言って」

「……」

 そんなことを言えば、今度は黒江が苦笑した。

 青ざめた顔に差した微かな陽気に、小十郎は少し安堵する。

 

「……よし、こんなもんだろう」

 黒江の手に薬を塗って包帯を巻き終えた小十郎は、次に側に置いてあった着物を差し出して言った。

「着替えだ。いくら天女でも、そのままじゃ風邪を引くだろう? ほら、着替えろ」

「……」

 確かに、濡れた衣服を身に着けている今の状態は心地が悪い。

 言われた通り、着替えることにする。

 着物を手に取った黒江は目を上げると、じっと小十郎を見た。

「なんだ?」

「……」

 説明しようと口を開閉させたものの、声が出ないことを思い出した。

 口を閉じると、小十郎に向かって片手を動かしてみせた。

「手招いてる……んじゃなくて、追い払う仕草をしてるんだよ、な?」

 困惑した顔で首を傾げた小十郎に、黒江はこくりと頷く。

 犬猫でも追い払うような仕草をしてしまっている非礼は承知の上だ。己の面に手を添えて首を横に振り、もう一度手を振る。

「もしかして、着替えたいから後ろを向けって言ってるのか?」

「……、……」

 黒江が頷けば、頭を掻きつつ小十郎が溜め息を吐く。

「分かった。じゃあ、支度が済んだら声を──は、無理だったな。ああそうだ、肩でも叩いてくれ」

 そういうなり小十郎は素直に背を向け、天井に向かって「お前らも今は見てやるな」と声を掛けたものだから、黒江は少し驚く。

 また険しい顔をして、「何を企んでいる」とか何とか言われて詰め寄られるか食い下がられるかされるものだと予想していたからだ。

 しかも、監視についている忍らしきものにもそうして注意を払う徹底ぶりだ。

 第一印象が最悪だっただけに、今度は黒江が戸惑う羽目になった。

 

(こっちを油断させる罠じゃないだろうな、っていちいち勘繰らなきゃならないのってのがなあ……)

 黒江は複雑な気分を払うように着物に手を掛けて、ひとまず着替えることにした。

 

 

 ※

 

 

 最後に面の紐を結び直してずれを整え、身支度を済ませた。それから、先程言われたとおりに小十郎に着替えが済んだことを伝えようと腰を浮かしかけたところで動きを止めた。

 

(そういえば、肩を叩けって言ってたっけ)

 畳の上で正座をした状態から、背を向けた小十郎を見上げる。視線を合わせるのが怖かったので気づかなかったが、こうしてまともに見ると小十郎という男は背が高く、体格もいい。梵天丸という若君の側近らしき所から見るに、それなりに偉い身分であることは確かだろう。

 もう少し歴史に造詣が深ければ、相手が誰だか分かるのだろうが……生憎と、忍関係以外は大雑把にしか覚えていない。そんなことを考えながらぼんやりしていれば、ふと小十郎が身じろぐのが見えた。

 

「おい。まだか」

 

 振り返らずに声を掛けてきた律義さに、黒江は浮かびかかる笑みを噛み殺す。腰を上げて立ち上がると、小十郎にそっと近づいて二の腕あたりを軽く叩いた。

 

「おう。済んだか──」

 小十郎が体ごと振り返り、黒江を見下ろし……微かに眉を寄せた。

 どうしたんだろうと思っていれば、小十郎が顎に手を当てて一言。

 

「お前、合わせが逆なのはわざとか?」

 

 え? というように黒江は自分の胸元に視線を落とし、着物の前を見た。

 右が上で、左が下になっている。両手を動かして重ねるようにし、考える。

(左前は死に装束、になるんだったよな。これは左を内側にしてるから、左前じゃないし……?)

 いや、下になるほうが前になるのだったか? 一度、変に思考が絡まると、正誤が分からなくなる時がある。小田原では朝、大抵は小太郎が直してくれるので甘えていたが、いま考えるとあれは自分で覚えないから駄目だということが分かる。

 

(あれ、これ、間違ってるのか? えっと、左前、左前……!)

 一人あわあわと狼狽していれば、前方で溜め息らしきものが聞こえた。

「ちょっと見せろ」

 声と共に腕が伸びてきたかと思うと、それが帯を掴んだ。

 ぎょっとした黒江がその腕を抑えれば、小十郎が顔を上げてまた溜息を吐く。

「合わせを直すだけだ。いいから、大人しくしろ」

「……」

 それが柔らかな声だったものだから、黒江は面食らいながらも頷き、小十郎から手を離した。

「良い子だ。ちょっとじっとしてろよ」

 なんだか子供に言い聞かせるような物言いなのは、気のせいか? 

 やや腑に落ちない顔をしている黒江を余所に、小十郎は一旦帯を解くとさっさと合わせを直し、整えた。そして、帯を締め直しながら言う。

「着つけも碌に出来ねえとか、とんだ天女殿だな」

「……っ」天女じゃない、と言い返したかったが、左前で着物を着てしまっていたのでどうも言えない。ちょっとうっかりしてただけですー、と心の中で愚痴ってみたが、どちらにせよ恥ずかしい。

「ほら、直したぞ」そう言って小十郎が顔を上げて笑ったのを横目に、もし小田原に戻れたら小太郎に甘えるのを止めて、色々勉強しなおそう、と考える黒江だった。

 

 

 ※

 

 

 雨足は一向に弱まらず、ざあざあと音を立てている。

 

 黒江が脱いだ着物一式を洗濯に回す為に、小十郎が部屋を後にしてから四半刻──現代で言う三十分ほどが経過した頃だった。

 

 着替え終えて少しすると、黒江は不意に気分が悪くなった。

 雨に打たれたせいか、それとも精神的に限界が来たのか、両方か。胃の辺りに不快感を覚えた黒江は、ぐったりと畳の上に横たわった。

(何だろう……気持ち悪い……)

 ひんやりとした畳が今は心地よく感じ、目を閉じる。すれば雨の音がやけに大きく聞こえる気がした。

 本降りになってきたらしく、ざあざあと音の勢いが増している。あのまま外にいれば酷く濡れていただろう。……尤も、濡れ鼠よろしく水浸しになったところで、どうでもいいのだけれども。

 

 何処か遠くの方から、「食事を持ってきたぜ。食べないか」という声を聞いた気がした。

 黒江はもう目を開けるのが億劫で、そのままぐったりとしていた。

 肩を軽く揺すられて「おい、大丈夫か?」と尋ねる声も聞こえてきたが、やはり黒江は目を開けず、目を閉じたままにしていた。

 分かっている。これは現実逃避だ。

 枕元の何処かに置かれた盆がかたりと音を立てたが、ひたすらに眠りの中へ逃避する。

 いっそ、次に目覚めたら小田原に戻ってくれていたら助かるのだが──。

 

 

 ※

 

 

 何だか懐が温かい。

 比喩では無く自分は何かを抱きしめていて、それが温かいのだと気づく。

「……?」

 薄っすら目を開けると、腕の中に居た子供と目が合う。

 いつの間にか、自分は床に敷かれた布団に身を包まれていた。

 十才くらいのこの子は確か。

 

『──梵?』

 誰にも読まれぬ言葉を紡いでみれば、子供がチラッとはにかんだ。

 

「ああ、起こしてしまったか天女殿。具合が悪いと小十郎から聞いた。大丈夫か?」

「……」

 どういう説明をされたのだか。

(それはともかく、私の体調が悪いのと、君が布団に潜り込んでいるのは何の関係があるのかね若君)

 ぼんやりした目で梵天丸を見つめていれば、相手は照れくさそうに言う。

「天女殿は桜の化身だろう? だから、さぞかしここの気温は堪えるだろう」

 梵天丸がその小さな腕を回して黒江に抱き着き、体を思い切り押しつけてくる。

 

「俺は温かいだろう? 温石までとはいかないが、天女殿の冷えた御身を慰められればと思ったのだ」

「……」

 黒江は目を丸くする。こんなに小さいのに、全くの不審者である此方の身を気遣ってくれるとは。

 天井裏の気配が、驚きと困惑で明滅しているのが見える。本当は今すぐにでも飛び出して、黒江から引き離したがっている気配がした。

 だがそれをしないのは、この幼子に対する気遣いだ。

 それ故に、彼らは黒江に殺気をぶつけてくる。

 何かしたらただでは置かないぞ、というように。

 優しい子供。だからこそ、ここの者に愛されているのか。

 

「天女殿。俺が貴方を守って差し上げるから、どうぞこのままお眠りなさいませ」

 子供らしからぬ畏まった口調で告げる少年。子供のくせに、格好いい。

 黒江は苦笑すると、手を伸ばして頭を撫でた。梵天丸が、嬉しそうに笑う。

 じゃあお言葉に甘えて、とばかりに黒江は子供を抱きしめた。

 確かに随分と温かい。黒江は再び眠りにつく。

 いつの間にか頭痛は消えていた。

 

 

 ※

 

 

 雨の上がった翌日。ここへ来てから四日目。

 濡れ縁に腰掛け、今日も今日とて空を見上げる。いつもと違うのは膝の上に座る子供がいるということくらいだ。

 その子供が黒江を見上げて微笑み、話を始める。

 

「それでな、小十郎が言うのだ。梵天丸様はあの者にもう少し警戒心を持つべきだ、と。天女殿が危険ではないと言う俺を無視してな。酷いだろう?」

 頬を膨らませ、「なあ?」と同意を求めてくる子供に、「あの者」当人である黒江は苦笑するしかない。

 天井裏の気配に加えて、新しく増えたもう一つ──庭の物影に、小十郎の気配がある。それが視えている黒江としては、梵天丸の問いに今一つ頷くことが出来ない。

 事実、黒江は侵入者であり、彼(と天井裏の人)からすれば充分危険に値する人間だ。それなのについ彼ら保護者側についてしまうのは、その気配がハラハラドキドキと狼狽えて視えるからだ。

 母親を見守る子供。無理も無い。

 なにせこの若様、昨日から黒江の寝所に潜り込んでくるわ纏わりついて離れないわで、警戒心もなく妙に懐いてくる。

 黒江がいうのもなんだが、そのせいで、つい心配になって構ってしまう。

 

「天女殿、御体の具合は大丈夫か? 寒くはないか?」

 窺うように顔を覗き込んでくる梵天丸。小さな体で黒江を温めようと、きゅうと抱きついてくるのがいじらしい。

 黒江は『ありがとう』と口を動かし、梵天丸の頭を撫でた。

「うむ!」と顔を綻ばせる子供。

「……!」

「──っ!!」

 庭(小十郎)と天井(見張り)の気配が瞬時に引き攣り、ひいいと金切り声が聞こえてきそうだった。

 

(……はいはい、何もしませんよ)

 昨日存分に泣いたせいか、黒江の心中は妙にすっきりしていた。

 落ち着いたというべきか、諦観したというべきか。

 本日の朝方。目覚めてみれば腕の中に梵天丸がいて、添い寝されていたことに気づき、夢かと思っていたものが現実だったと理解した時点で、覚悟を決めた。……しばらくはこの場所で大人しくしていよう、と。

 

「天女殿、天女殿。少し外へ出掛けないか。ここは息が詰まるだろう?」

 座っているのに飽きたのだろう、梵天丸がそう言って、黒江の袖を引いてきた。

 退屈なのは君だよね、うん。まあ遊びたい盛りだろうから分からないでもないんだけどさ。

 黒江は、ちらと庭先に視線を送る。

 気配ばれてますよ、若頭。子どもさんがぐずり始めましたけど、どうしたら良いんですかー、と。

 梵天丸には見えぬよう、ちょいちょいと小さな手招きをしてみれば、庭の気配があからさまにギクリとしたのが視えた。

 小十郎はなかなか出てこなかったが、それでも黒江がじっと見つめていれば、観念したのだろう。溜め息を吐きながらようやく姿を現した。

 

「おお、小十郎!」

 足音を聞いた梵天丸が、黒江の膝上から手招きする。下りる気も離れる気も無いようだ。

「良いところに来た。実はな」

「梵天丸様、そろそろ勉学のお時間ですが」

「……明日にする」

「いけません。部屋にお戻りを」

「嫌だ! ここ数日、そればかりではないか! それに、天女殿は俺の客人だ! 俺が相手をしないと失礼に当たるだろう!」

 伸びてきた手を振り払った梵天丸は小十郎を睨みつけ、黒江にぎゅっとしがみつく。

「……」

「……」

 小十郎が、じろりと黒江を睨む。

 

『その方を誑かしてやがんのか?』

 勿論、黒江は首を振る。

『誤解どころか完全に言いがかりです若頭』

 

 アイコンタクトが上手く伝わったかどうか。

 なにせ、昨日の今日だ。いつまた急にいきり立って襲い掛かられるか分からない。

 黒江は梵天丸の肩を叩くと「行きなさい」というようにその背を軽く押した。

 

「天女殿!」

 途端に、梵天丸の顔がくしゃりと歪む。貴方は俺の味方だとばかり思っていたのに! と見つめ返す目が訴えていた。

 黒江に抱きつき、いやいやと頭を振る。

「俺は天女殿と過ごしたいのだ! 貴方を招いたというのに、まだ少しもお話ししていない!」

「……」

 いや私、話せませんけど? 

 小さな背中を撫でながら、黒江が視線を向けたのは小十郎。

 言葉で伝えることが出来ないので、身振り手振りで話してみることにした。

 

「……」

「あ? 何だ?」

 黒江は、梵天丸、それから本の順に指を差した。

 小十郎が、「それで?」というふうに首を傾けて先を促してきたので、身振り言語の続きをやる。

「……」

 黒江は自分を指差し、それから梵天丸を指して、また本を開く動作をした。小十郎が、訝る感じで首を傾げる。

「……まさか、梵天丸様に勉学を教えるって言ってるんじゃねえだろうな?」

 違います。そんな、偵察を疑われるような真似しません。いやその前に、自分のようなものが教えられるわけないですってば。

 首を振り、もう一度。

 

 梵天丸を指し、本を開く動作をしてから自分を指差し、今度は濡れ縁を叩いてみる。

 首を傾げていた小十郎が、眉間に皺を寄せて唸り──言った。

 

「側で、お前が見守る、って言いてぇのか?」

「……」

 黒江は頷く。

(うん、大体合ってる。ただし、見守るんじゃなくて、普通に側に居るってだけだけど)

 小十郎の翻訳を聞いた梵天丸が、ぱっと顔を上げた。

「……俺の側に居てくれるのか!?」

 そうだ、というように黒江が頷けば、梵天丸の顔に笑みが広がる。

 

「──小十郎!」名を呼び、きらきらした目で己の従者を見る。

 

「俺は部屋に戻るぞ。天女殿と一緒にな!」

 黒江の膝から下りると、梵天丸は腰に手を当てて小十郎に言った。

「きちんと勉学に励む。天女殿が側に居てくれるのだ、俺はいくらでも学ぶぞ!」

 これで文句はあるまい、と仁王立ちで宣言した若君を見て、従者は呆れたような、どこか感心したような顔で許可を出すのだった。

 

 





***

ちなみに「梵天丸」の名前には相変わらずノイズが入って聞こえてる。
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