「いやはや、私に対しそんな反応をしてみせる人間を見るのはこれで二度目だ。……卿は愚者か、それとも賢者か?」
「あ、愚者です。紛れもなく」
二度目とはどういう意味だろう? と疑問に思いつつも黒江がさらりと即答すれば、松永が至極愉快そうに口元を吊り上げた。
「成程。卿は自らを愚昧だと評しているのか」
「ええ。賢い人間なら、こた……小太郎が警戒している相手に向かって握手求めたりしませんから」
「くっ……ははははは! そこまで分かっていながら、卿は私に手を差し出したのかね? いや愉快、愉快」
「あはは、愉しんでもらえて何よりです──あうち」
松永と笑いあっていたら、ぺち、と小太郎に軽く頬を叩かれた。
横を見れば小太郎が口元をへの字に結んでいた。怒っているのだ。
「ごめん、小太郎。調子に乗った。好奇心猫を殺す的な性格でごめんなさい」
心配そうな気配を滲ませている伝説の忍を仮面越しに見遣って苦笑していれば、松永から質問が投げられる。
「今しがた卿が言った、好奇心猫を──とは、どういう意味かね?」
「あれ、知りませ……ああ、そうかコレ外国の諺だっけ。ええと、身に余る好奇心は己の身を滅ぼすっていう意味で──あうち」
そこまで松永に説明したら、再び小太郎に頬をぺちりと叩かれた。
分かっているなら自重してくれ、と言ったのだ。
「ごめん。平凡な一般人なんで、どうしても有名人には弱くてね?」
「では、どえす、というのは何かね」
「え。それも聞きますか……あー、っと」
視線を左右に彷徨わせて長考した後で、ポツリと答えた。
「サド、……えっと、嗜虐的な方向に倒錯した人? って感じの意味……だったかと」
「ほう。それが、私だと。……卿には、私がそのような人間に見えるのかね」
声に少しばかりの冷酷さを混ぜて松永が黒江に訊ねるも、彼の一般人は臆することも無く、けろりとした顔で答えた。
「いやー、こういうのも何ですけど、本人目の前にして言うのもどうかと思いますけど、見えるも何も絶対そっち系の人ですよね松永さん。その声とか仕草とか笑い方とかからもう色々滲み出てますから。隠しきれてませんから。むしろ、その雰囲気で善意の人だったら驚きのあまり心臓吐きますよ」
一気呵成とばかりに言い返した黒江の言葉を聞いて、松永は目を丸くし──それから、酷薄な微笑をその口元に刻んだ。
「ははは。卿は本当に恐れを知らないのだね」
「ああ、ほら。言った側からそのエロボイスとコケティッシュスマイルがもう見事な証拠です」
「……卿は先程から妙な言葉を使うな。それは南蛮語かね?」
「ひっくるめると、まあそうです」
和製英語だとか仏語だとか、明確に言わなくてもバレはしまい。自分でも説明できないものは誤魔化すに限る。
それよりも、黒江を抱え上げている小太郎の気配が尖り過ぎてきた。
ここいらで会話を切り上げたほうが良さそうだ。黒江は、さり気なさを装って松永に切り出した。
「……いい塩梅に夜も更けて来てるし、ここら辺でお暇しても構いません?」
遠回しに帰りたい旨を伝えれば、相手はこれ以上ないくらいに凄惨な笑みを浮かべて答えた。
「帰したくない、と……。私がそう返したら、卿はどうするかね?」
ゆらり、と松永の左側の気配が揺らめく。
「(……)」
「じゃあ、次は明るい時間に会いましょうか?」
小太郎が再び身構えるのを見た黒江が返したのは──妥協案。不穏な気配のする松永の左側には目を向けないようにして、黒江は言葉を繋ぐ。
「今日は色々あって疲れているので、これ以上は勘弁して下さい。話がしたいんなら、次回持ち越しで」
「卿をこのまま連れ去ってしまえば、私はいつでも好きな時に好きなことを出来ると思うのだが?」
「そんな物騒なことされても、面白おかしくはなりませんよ。あと、それじゃあ松永さんがつまらなくなると思います」
「何故かね?」
「欲しいものって、簡単に手に入っちゃうと直ぐに飽きちゃいませんか? 熱いトタン屋根の猫……あー、松永さんって、熱した鉄板の上でずっと踊る人が好きそうに見えるから、冷めたら速攻で捨てそうかなと」
「卿が、その鉄の板上の猫だと?」
「猫というか、獲物というか、今そんな感じなんじゃないかなと。焼けた鉄板の上で踊るのはまっぴらごめんですけど」
「ふむ……」
左側で渦巻いていた不穏な気配が霧散するのを、黒江は視る。小太郎の赤い髪を撫でつつ相手からの反応を窺っていれば、やがて松永が視線を上げた。
「それでは、次は明るいうちに卿に逢いに来るとしよう。……此れで良いのかな、風魔?」
「あはは、そこで私じゃなくこたに了解取ろうとしてんのがもう嫌味で素敵ー」
「そうかね。瑣末、瑣末よ」
乾いた笑みを返す黒江に、涼しい目で笑う松永。
小太郎は構えを解かず、黒江の肩をポンと叩いて注意を己に向けさせた。
「(……)」唇を動かし言葉を紡ぐ。
「ん? 『あ、め』……?」
「『止めておけ』だよ。……風魔。せめて口元を手で隠さないか。それとも、わざと私に読み上げさせているのかね?」
「(……)」
小太郎は、松永を見据えて首肯する。黒い羽根に似た殺気を纏い、その敵意を隠そうともせず。黒江は無言で小太郎の肩を軽く叩いて宥めつつ、視線を松永に向けて訊ねる。
「松永さん、もしかして既に色々やらかしてたりします?」
「さあて。記憶にないな」
「そこまで潔い闇っぷりだと、なんかもう色んな意味で敬服します」
はあ、と感嘆すら含んだ溜息を吐いた黒江に、松永が失笑する。
「敬服ついでに、私のものになる気は──」
「──ないです。そんなことより、次に会う予定をさっさと決めましょうか。何処で待ち合わせます?」
「性急だね、全く」
「疲れてるので。うーん。どこが無難かつ安全ですかねー……」
黒江は、脳裏に辛うじて残っている旧国名と日本地図を照らし合わせる。
ここが小田原だから、近いのは──。
「……箱根?」
「おや。小田原ではないのかね」
「ええ。ここでは極力、問題を起こしたくないので。それに、何か起きても被害は私一人で済むように──ッテ!」
ぺちっ、と今度はやや強めに頬を叩かれた。
勿論、叩いたのは小太郎だ。
「……小太郎くん、反抗期の次は家庭内暴力なの?」
叩かれた箇所を擦りながら黒江が眉を下げれば、小太郎は睨むように口元を引き結び、それから唇を動かした。翻訳するのは、松永弾正。
「『貴方は忍でもないのに自己犠牲が過ぎる』……ははは。どうやら伝説の忍はご立腹のようだよ」
「えー。戦略的に考えた結果なんだけ──あ待って、頬を抓ろうとするのは止めよう、何か凄く痛そうごめんなさい!」
伸びてくる手を両手で制し、黒江は顔を背けて謝罪する。それから、その光景を何とも愉快げに眺めている傍観者を一瞥して会話を再開させた。
「そういうわけで松永さん、箱根じゃダメですか」
「ふむ……私としては、大和のほうへ招待しようと思っていたのだが」
「大和? ……ああ、西のほうですか。そういえばまだ行ったことなかったなあ」
応じた黒江の声に混じったのは、興味。松永はそれを見逃さなかった。
「ならば、どうかね。其処には私の屋敷もあるから、寛いでもらえると思うのだが?」
「寛げるかはさておき、西の方は興味があるんですけど……小太郎?」
黒江が、ちらりと赤髪の忍を窺い見た。案の定といおうか、小太郎は首を振る。
「長居はしないし、ちょっと話したら直ぐ帰るんだけど……?」
「(……)」
そう答えてみても、彼の忍は首を縦に振らない。
纏う殺気も全く消えてない小太郎を見て、黒江は白旗を揚げた。松永を振り返り、告げるは諦観。
「すみません、許可が下りないみたいなので、今のところは近場でお願いします」
「卿は随分と大切にされているのだな。いや、結構、結構」
そう言って笑う松永の声には、完全にからかうものがあった。はは、と黒江は渇いた声で笑う。
「箱根で構わないですか?」
「仕方ないな、卿の提案を受け入れてあげよう」
「助かります」
「その代わり、いつかは私の願いも受け入れてくれるといいのだがね?」
「内容によります。日にちと時間はどうします?」松永の意味ありげな視線と台詞をさらりと受け流して話を進めれば、相手は顎を擦りながら答えた。
「では──明日。箱根川の関所辺りで逢おうか」
「早っ! 早いな松永さん!」
「不服かね?」
「いいえ即断が素敵ー……じゃあ明日、その場所に集合ってことで、良いですか」
「そうだな。……ところで」──松永の流した視線が、小太郎に止まる。
「風魔、卿も同行するのかね?」
「(……)」こくん、と小太郎が頷く。敵意を向けて。
「……まあ、いいだろう。では黒江、また、明日にでも」
「はい。お休みなさい。夜道なんで、お気をつけて」
と黒江が片手をひらりと振ってそんなことを言えば、相手が僅かに目を瞠り、それから口許に艶やかな笑みを浮かべだ。
「ははは。本当に卿は面白い。──さようなら。明日を愉しみにしているよ」
くつくつ笑いを響かせて、松永はゆっくりとした足取りで橋の向こうに広がる夜の中へと消えていく。
その姿と気配がすっかり見えなくなってから、小太郎が黒江の肩を叩いた。
「(……)」
「え? えっと……」
松永が居なくなったので、黒江は自力で小太郎の唇を読むしかない。じいっと彼の口元を見つめて、その言葉を拾い上げる。
「お、お、に? 違うな、えっと……」
眉を顰めてなかなか読み取れない黒江に、小太郎が息を吐いた。
「ごめん、こた──ろ?」
不意に小太郎が黒江の右手首を掴んだ。手の平を上に向けた状態にすると、そこに自分の手を近づけて──指先が、文字を綴る。
「……あ。何とか読める」
一文字ずつであるが故に、黒江にもようやく小太郎の言葉が伝わった。
実のところ、以前にもこうした筆談は試みたことがある。しかしその時は何故か黒江が小太郎の書く文字を読めなかったのだ。
それは、ゆっくり丁寧に書いても同じだった。問題が解決しなかったので筆談は一時中止にしておいたのだが、それが今になって成功したのは何故なのか。
(小太郎と打ち解けてきたから、とか……?)
そんなことを考えながら、黒江は己の手の平に綴られていく文字を読み上げた。
「ええと……『い、た』……『どこに、いた』?」
「(……)」
小太郎が首肯する。黒江はここで、小太郎から視線を逸らして泳がせた。
「え、えーと……その、なんというか、その件に関しては、私もちょっと整理が着いてない状態なんだけど」
部屋に戻ってから話してもいいかな? と答えれば、小太郎が頷いて黒江を抱き直す。
黒い羽根が二人を包み込み──その姿を掻き消した。
***
どうにか危機脱出?