黒江と小太郎は、見知らぬ男を同行者に加え、竹林沿いの街道を歩いていた。
周りを囲んでいた忍だか御庭番だかは、男が何かを言って下がらせたようで後をつけて来る様子はない。
その道中で、男は語った。
自分は松永に言われて迎えに来たのだ、と。
それを聞かされた黒江は、つい驚いた声を上げる。
「松永さんの知り合いだったんですか!?」
「そうだ。久秀は懐かしき朋でな。珍しいものを見つけたと言うので、こうして予自らが赴いたのだ」
「……珍しいもの、ですか」
この男は、自身が微妙に失礼な発言をしていることに気づいているのだろうか。
仮面を通して視える気配はやはりどうにも悪意がなく、黒江は相手がいわゆる「天然」に属する部類ではないかと思い始める。
「それで、ええと、貴方は……」
「義輝だ」
「えっ」
不意に男が己の名前を告げてきたので、黒江は思わず嫌そうな声を上げてしまう。
男は己の発言には鈍いが、人の変化には敏いらしい。仮面で顔を隠している黒江が諦観した表情になったのを見てとった相手──義輝が、横目に視線を流して訊ねた。
「そんなに予の名を聞くのが嫌か。何故だ?」
「……嫌、というわけじゃないんですが……なんというか、知らないほうが幸せだったような気が、ヒシヒシとしまして」
「ふむ……知らぬ方が幸せ、か」
黒江の言葉に、義輝が顎を擦る。少しばかり考え込む素振りを見せたのち、空を仰いで呟いた。
「真理だな」
その目は寂しげで、声にはどことなく覇気が無かった。眩しい気配に彩られたその人が、その時ばかりは普通の人のように見えて、まずいことを言ってしまったかと考えた黒江はそっと話しかける。
「あ、あの、義輝さん」
「うん?」
「私、義輝さんが嫌いという訳では無いですからね? 何と言うか、名前を聞いちゃったら話し方とか態度とかに気を付けないといけない気がしたものですから」
「ははは。それで?」
「それで、その……私はどうにも礼節がイマイチなところがあるので、義輝さんの身分を知ってしまったら困ることになると思うんですよ」
「ほう。其の方が困る、と?」
「いえ。義輝さんが。私、貴方の素性を知ったら挙動不審になる自信があります。無礼千万以上になると思われるので先に謝っときますすみません。手打ちは是非とも御勘弁願いたい」
「……」
「……」
「(……)」
ふうっと。
溜め息を吐くような、風の音がした。
口を開いたのは相手の男。
「そうか。なれば、今は此れ以上の身分は明かさぬことにしよう」
そう言って、義輝は僅かに眉を下げて苦笑した。気弱な気配も声も元通り眩しいものになっていて、黒江は目を瞬かせた後、そろりと視線を逸らす。
「あ、あはは……助かります」
それだけを言って、後は黙々と歩くことにした。
※
そんな会話をかわしてから、どれくらいの時間が経っただろう。結構歩いた気がするのだが、目的地らしいものは何も見えてこない。
それどころか周囲に緑が増え始め、遠くに山々が見えだしたものだからさすがに暢気な黒江も不安になってきた。
どこに向かっているのだろう?
黒江が隣を歩く小太郎を見上げれば、相手が首を傾げて背の対刀に手を掛けようとするので、「そうじゃない」と首を振って押し止めつつ、前を歩いている男の背に声を掛けた。
「あの……義輝さん。どこまで歩くんですか?」
訊ねれば、相手が立ち止まって振り返った。
「うん? 疲れたか」
「疲れてますけど、その前に行き先が気になってます」
黒江は、何故か己の右手を掴んで離そうとしない義輝に引き摺られるようにして歩いていた。
こんなことしなくても逃げませんよ、と言ったのだが、「なに、朋を先導するのも悪くはない」と話が微妙に噛み合わない。どうやら黒江の何かが義輝の琴線に触れたらしいが、偉い人の趣向は一般人には理解しかねる。
仕方がないので、隣でピリピリしている小太郎を宥めつつ、手を繋がれたまま道を歩いていたのだが、どうにも相手の目的が見えてこないものだから黒江が一度立ち止まらせたのだ。
そして、訊ねたのは先程と同じ台詞。
「あの、ほんと、どこを目指しているんですか? というか、どう見ても山のほうに向かっている気がするんですけど」
既に足の裏が痛い。爪先は水に濡らしたような感覚がしていて、鈍痛がする。
足袋を脱いだらまた靴擦れが出来ているんだろうなと黒江が遠い目をして答えを待っていれば、義輝が顎に手を当ててふむと唸った。
「この近くに屋敷があるのだ。今は、そこへ向かっている途中なのだが──」
「はあ──っわ!?」
そこで不意に、義輝が掴んでいた腕を引っ張ったので、黒江は前につんのめり──その結果、前に居た義輝の腕の中に見事飛び込む形となってしまった。
※
「いっ……たぁ」
「(……!)」
仮面を付けた箇所への直撃は避けたが、それでも額の少し上を相手の肩口にぶつけてしまったので、黒江は涙目になる。
当の原因である男はというと、「ああ、此れは予が軽率だったな」と謝罪のようで謝罪でない言葉を口にして、己の肩に寄りかかるようにしている黒江に手を伸ばした。
「大丈夫か」
「……大丈夫じゃないですけど、いいです、構わないで下さい……」
仮面に触れてきそうな手を己の手で制しつつ、ぶつけた箇所を擦っていれば傍らに気配。
「……こた、武器は仕舞って。私の方は大丈夫だ」
眉間に寄った皺がなかなか直らないが、それでも殺気だつ気配へ手を伸ばせば、きゅっと優しく掴み返されたので安堵する。
あいたた、と呟きながら、黒江は義輝を見上げて眉を顰めた。
「急に何してくれてるんですか」
「ははは。なに、其の方に予が一助してやろうと思ってな」
「いちじょ? ──ぉわっ!?」
「(……!)」
訊ね返した矢先に、黒江の体は浮き上がっていた。義輝が横抱きに抱え上げたのだ。
苦無を構えた小太郎を視線で制しつつ、黒江は己を抱き上げる男を見て抗議する。
「いきなり何です義輝さん!?」
動揺する黒江に対し、相手は涼しい顔で答える。
「先程から随分辛そうな顔になっていた。山道は慣れぬのか?」
「え?」
「右足を庇うように歩いていただろう? 怪我をしているのか、それとも最初から怪我をしていたのか?」
「あ、いや、これは……」
自分では気をつけていたつもりなのだが、妙な歩き方になっていたらしい。初対面の人間に説明するのは情けなくて気が引けるのだが、黒江は観念して事情を明かすことにした。
「実は、長く歩いているとすぐに皮膚擦れを起こしてしまう体質でして」
「ふむ。移動は籠や馬であることが多かったのか?」
「違います。靴……履物がどうしても私の足に合わないだけです」
「……奇妙な体質だな」
「……ですよねー」
でも、この時代限定なんですけどね! と胸中でのみ言い返しておいてから、黒江は義輝の胸をそっと押す。
「そういうわけですので、下ろしてください」
「うん? その足では歩くのは辛いだろう?」
「そうなんですけど、でも義輝さんの手を借りるよりも私は──」ここで黒江は、義輝の肩越しに見える忍に縋るような視線を向けて向けて、言い繋ぐ。
「──小太郎に助けてほしいな、と」
「(……!)」
親切は有難いが、やはり見知らぬ他人よりも近しい知り合いの方が安心する。遠回しな表現ではあるが、義輝に「離してくれ」と暗に伝えてみれば、相手はにこっと笑って言った。
「ははは。そう遠慮するでない、朋よ。この程度が瑣末、予は何の苦にもならん」
「え。いや、遠慮じゃなくて」
「さあ行くぞ。そら、向こうに見えてきたのが屋敷の屋根だ。大きいだろう?」
「えええあの義輝さん、ちょっと」
「(……)」
「何だこのヒト地味に話聞いてくれない……!」
そのまま義輝に抱き上げられて、運ばれる黒江。
構えを解いた小太郎が両手を広げて待っていたが、再び背中の対刀に手を掛けた。それから「助けようか?」というように首を傾げてきたが、黒江は大丈夫だ、と──内心では多分、と付け加えつつ──首を振って、宥めておいた。
***
色んな意味で太刀打ちできない人その2。
主人公、そこまで小柄じゃないんだけど戦国時代の人間にとっては軽くて運びやすい模様。