横抱きにされて運ばれている男の腕の中で、黒江はぼんやり現実逃避をしていた。
仮面越しに流れる風景を眺め、時々目が合う小太郎に口元の笑みを投げ返し、考えるのは他愛のないこと。
(お姫様抱っこ、これで何回目かなー……)
この時代に来てから抱き上げられることが多くなった気がする。人を抱き上げるのが好きな人間が多いのか、それとも流行っているのかとすら考えてしまう。
自分の元の性別が関係しているわけではないのだろうが──思わず足の間に在るものを確認したが、異常はない──男にしては痩せぎすだから運びやすいのだろうか、と都合よく考えてみるも、直ぐに「いや、それは無い」と断言できる自分がいる。
有難いことに、食事は小田原城で用意してもらっているのを食べているし、天気のいい日は縁側で城主と忍と三人でお茶を愉しんでいたりもする。
監視も解除してもらっているので、その辺のストレスも今はなく生活は快適快調。故に、体重が増加することはあっても減少していることはない。どちらかというと、現状に甘えすぎていて運動不足の解消と間食禁止令を己に強いらなければならない状況だ。
もっとも、この時代でダイエットについて悩むというのは恐ろしく贅沢で残酷なことだ。
黒江は、本当の飢えを経験していない。氏政と小太郎に出会えていなかったら、その食糧事情や生活はどうなっていたことか。
そう考えると、自分が抱く悩みなど、本当は実にちっぽけで下らないものなのかもしれない。
「……贅沢だよなあ」
「急にどうした、朋よ」
「え? あ──」
頭の中で考えていたつもりの言葉が、口をついて出てしまった。見上げれば心配そうな顔をした義輝がいて、黒江は、あわあわと首を振る。
「いや、あの、どうでもいい独り言です!」
「どうでもいいような声音では無かったぞ」
義輝が不意に立ち止まり、真摯な瞳でじっと見下ろして問う。
「予に其れを打ち明ける気はないか?」
「な、いです……! 大丈夫ですのでお気になさらず!」
そう一息に答えて目を逸らした黒江だったが、今度は義輝のように物問いたげにして自分を見つめている赤髪の忍と目が合いそうになって、慌てて視線を正面に戻す羽目になる。
そうすると、当然ながら己を凝視している御方と見つめ合う形になってしまう訳で。
「ふむ……、朋よ。其の胸のつかえ、予に明かせば取れるやもしれんぞ?」
「いや、生憎とそういうカウンセリングは現在必要としておりませんので」
「かうんせ、りんぐ?」
「あああ聞き流して下さい、ええと、それよりもいい加減に進みませんか? もうすぐそこなんですよね、目的地!」
「うむ? だが──」
「お願いします行きましょうというか行ってください、遅刻を口実に待ち人に何かされそうな悪寒がするので!」
「ああ、久秀のことを心配しているのか? はは、案ずるな。少々遅れたくらいで立腹するような男ではない」
「いえ心配なのは──」
それを理由に何かされそうな我が身です、という言葉は飲み込んでおいた。
恐らく、言っても通じやしないだろう。
ああ、一般庶民の心の裡など殿上人には解るまい。
何せこの御仁は、彼の梟雄、松永弾正を下の名で呼ぶほどの仲だそうだから似たようなところがあるのかもしれない。
「……その……どうか、民草の事はお気になさらず」
「まあ其の方が話してくれぬならば無理強いはすまい。では、久秀が待つ場へ参ろうか、朋よ」
「……はあーい」
再び意気揚々と歩き出した義輝に、黒江は乾いた声で答えて遠い目をした。
当然ながら横抱きのままで、まるで姫君のように運ばれていく己の姿はさぞかし愉快に見えるだろうなあなどと、黒江はもう何度目か分からない現実逃避をし始める。
これも安易に有名人に関わったせいか、と反省して目を閉じる──が。
(だって有名人を素通りするなんて勿体なさすぎて出来ないし……!)
義輝の腕の中で頭を抱え、もだもだと一人懊悩する。
「(……)」
笑ったかと思えば次には遠い目をしていたり、更には目を閉じて静かになったと思った次の瞬間には唐突に頭を抱えて何やら悩みだした黒江を、側に居た小太郎が一握の不安を抱いて見守っていたことを彼は知らない。
※
「こんな山奥に凄い立派な武家屋敷!?」
獣道を登って辿り着いた先に出現した建物を目にして、黒江は思わず吃驚した。
下ろされた地面の上。其処から白造りの屋敷を見上げて、ぽかんと呆ける。義輝は何やら支度があるようで、迎え出た女中や家臣らしき男と共に、先に中に入っていった。
後で迎えを寄越すからそこで待っていてくれ、と告げて。
分かりました、と頷いて、遠ざかる背中に手を振って見送る。
ふと、「このまま帰ってしまおうか」と一瞬ばかり考えたが、それをすると後々大問題になるのは目に見えている。
「(……)」
その時、隣に来た小太郎が黒江の肩を叩いて『帰ろうか?』と筆談してきた。同じことを考えていた黒江だったが、後で面倒くさくなるから駄目だ、と説明して制した。
しかし小太郎は首を傾げて、『中に入ると引き返せなくなる』と何だか怖いことを書き綴ってくる。
「まあ、本当に危なくなりそうだったら、その時は一緒に逃げ……お暇させてもらうことにして、もう少し様子を見よう」
そう答えて再び屋敷を見上げれば、ずっと向こうに何やらまだ建物の影があることに気づく。
よくよく見れば、それは城の天守閣のような。
「こんな山奥に城? あ、でもそう珍しくはないのか」
呟きつつそれをじっと見る。
ふと、以前に氏政から小田原一帯の地図を見せてもらったのを思い出す。
箱根山に近い城と言えば……。
「……あ。もしかしてアレ、山中城か?」
しかしその城は、確かまだ築城中だと聞いていた気がするのだが……?
歴史の苦手な黒江が考え込んでいれば、トントン、と肩を叩かれた。
「ん。どうした、こた?」
「(……)」
疑問を抱いている黒江に気づいたようで、その手を取って忍が教えてくれた。
『買い取られた』
「買いっ……え、いや、城を!? 出来るの!? っていうか、誰が!?」
「(……)」筆記する代わりに、小太郎がついと視線を流す。それを黒江が目で追えば、いつの間にか近くにいた松永が笑って答えた。
「なに。丁度、城が欲しくなってね。気紛れに手にしたのだが……いやはや、まさか彼の地で卿のような人間と出会えるとは思わなかったよ」
「城を買ってまで運命の待ち伏せとか何それ怖い!」
黒江はわざと嫌そうに顔を歪ませて側に居た伝説の忍にしがみつくと、その影からそろりと顔を出して呟く。
「ストーカー!? いやまさか。でもこの買取物語は流石にオカシイっていうかセレブすぎるだろ松永さん!」
「……すまないが、分かる言葉で言ってくれないかね」
「え、あー……」
小さな声で呟いたのだが、聞こえてしまったようだ。
黒江は視線を逸らし、ぽそりと答える。
「……松永さんって獲物に忍び寄るの得意そうだな、ってカンシンシテマシター」
「さあて、どうなのだろうな……くくっ。しかしまあ、卿はよくよく怖いもの知らずと見える」
「(……)」小太郎が溜息を吐き、背後に隠れていた黒江を抱き寄せてその頬をぺちりと叩いた。
「うん、失言でしたすみません小太郎くん」
でもやっぱり言わずにはおれないわけでね? と言い訳めいたことを小さな声で呟けば、やはり彼の忍は首を振り、人差し指で黒江の唇をちょいと押えた。
メッ、と子供を叱る母親のような仕草に思えたのだが、気にしたら負けだろうか。
(よし、気にしない!)
一先ず考えないようにして、松永に視線を戻す。
「此度は遅くなりまして申し訳ありません──と、表面上とりあえず謝罪してみましたが、当方の遅刻の原因は松永さんにあると思うんですけど」
そう言って胡乱げな目を向ければ、相手が口端を上げてくつくつ笑う。
「おや。自らの不手際を此方のせいにするのかね?」
「いやいや、惚けないで下さい。待ち合わせ場所で襲ってきた忍者、松永さんとこの人たちでしたよね!? 後、迎えに来たのが明らかに身分が高そうな人っぽかったんですけど!」
「言葉は正確に繋ぎたまえ。それよりも、いい加減に立ち話は止めないか」
ほら、と差し出される左手。
此処で拒絶して小田原に戻るのは得策では無いと、本能が告げていた。
「う~……退路が見つからないって嫌だなあ」
くすんだ金渦が纏わりついているその手に、黒江は渋々と手を伸ばした──が。
「(……)」
「あっ」
瞬時に、小太郎にその手を掴まれ止められる。見上げれば、思い切り首を振られた。
小太郎の警戒度が限度いっぱいいっぱいなのは、松永が差し出しているのが左手であるせいか。
「伝説の忍に警戒される左手とか何ソレ超怖い」
「昨夜、欄干にて自ら握手を求めた卿が、今更それを言うかね?」
「や、あの時はつい目先の感動に捕らわれて──」
「では再び私に捕らわれたまえ」
「あ」
「(……!)」
会話の間に、手がぎゅっと握られた。
背中の対刀に手を掛ける小太郎を一瞥して、松永は薄く笑う。
「小田原に揉め事は持ち込みたくないのだろう? 大人しくついて来たほうが得策だと思うが?」
「松永さん、いま凄い悪い顔してますよ」
「そうかね。卿の気のせいだろう」
引き摺られるようにして歩く黒江の軽口に涼し気な一瞥を向け、歩いていく松永。小太郎は対刀に手を掛けたままその場から動かなかったが、小太郎が付いて来ていないことに気配で気づいた黒江が肩越しに振り向いて手招きしてきたので、殺気を滲ませつつもその後に付き従う。
「(……)」
ああ、人質を取られていては何も出来やしない。
しかもその人は自ら渦中へ飛び込んでいくものだから、本当に目が離せなくて──誰にでも無防備に接して興味を引いてしまうから、困るのだ。
いっそ座敷牢へ閉じ込めてしまおうか、と。
そんなことを考えてしまう己の思考を、小太郎は振り払いながら歩いていく。
***
閉じ込めてもきっと不思議な力が働く。