行きずりの相手がまさか旅の同行を持ち掛けてくるとは思わなかった!
「共に、って……何故です? どうしてそんな話を私に」
「うむ。黒江のような若者が、斯様な場所で独りきりというのがどうにも捨て置けんと感じてなあ」
「いや、この生活にもそれなりに慣れ始めていたんで、大丈──」
「なあに。一人くらい養いが増えても、儂の懐は痛まんよ」
「へえ、お金持ちなんですね──や、そうじゃなくて」
「いかんぞい、黒江。お主のような若者が、こんな山奥に閉じこもりきってはいかん!」
「いや、別に引き篭もっているわけじゃ……」
急に熱く語りだした老爺に、黒江はたじろぐ。しかも、微妙に会話が噛み合っていない。
いやねご隠居様? 私的にはむしろ、こう、静かなほうがありがたくてですね?
ほら、面打ち師ですから。正式な免許とか技術とかないし、行方知れずの師匠にはまだまだ遠く及びませんけども、今の環境に特に不満は無くてですね。
あと、時々は外に出てるんで引き篭もりっぱなしってわけでも──などと、心の中で返答する言葉を選んでいれば──。
「──風魔よ」
「(……)」
「ん? え、なに護衛さ──え、ちょ、……わあっ……!?」
老爺の誤解を解く為に考え込んでいたその時、黒江は気配が自分の背後に移動したのを視る。
「やっ、まっ、待って!?」
不意に上昇した視界。黒江を抱き上げたのは、今に至るまで無言を貫き通していた例の護衛。
まるで米俵を担ぐように、自らの肩にひょいと黒江を乗せた風魔に、老爺が実にいい笑顔で「良し!」と言う。
「よくない! よくないよ!?」
片腕で黒江を担ぎ、もう一方の手で黙々と支度を整える風魔。面を彫る彫刻刀一式を胴乱の中に収めるのを見て、先程の「家政婦」の謎がここで解けた。道理で、細々としたところまで片付けていると思ったら。いやあれは片付けていたのではなく、出立準備をしていたのだ。
(あれが伏線だったー! さすがー! って感心してる場合か!)
手際の良さについ見惚れそうになるのを振り切り、黒江は抵抗する。
「あああ、あの、あのですね!」
「人の好意には甘えておくもんぢゃぞ、黒江」
「や、そういう問題じゃ、なく、て……!」
会話している間にも、益々小屋から遠ざかっていく。
埒が明かない……いや、まさに拉致されている最中ですけど! あああもう!
黒江は老爺との会話を諦めると、目標を運び屋のほうへと切り替えることにした。
「ふっ、ふう、ま、さん、ふうま、さん……っ!」
担ぐ人の背や腕をぱしぱしと叩けば、相手が顔を動かして「何だ?」というように黒江を見た。
人一人抱き上げているというのにその顔は平然としていて、あまつさえキチンと小屋の戸締りをしてくれたありがたい男。
このご隠居様の護衛は、恐らくかなり腕が立つのだろう。
天井裏に潜んでいる時の彼から感じた気配は、嵐の前の静けさを思わせる、音の消えた夜の闇そのものだった。
切っ掛けがあれば一瞬にして全てを破壊する風。
例えばあの時、黒江が彼のご隠居に何か仕掛けようとしたならば、その首を躊躇いも無く刎ねていただろう。
そんな男が、黒江を同行させる老爺に同意した上に自ら運ぶ役割を担った。
彼は護衛。老爺は主。
それ故に、そうせよと命じられれば従うほかないのだろうが、流石になんの疑いもなく初対面の他人を担いで連行するのはどうかと思う。
(優しいんだか真面目なんだか)
そんな当の護衛はじっと黒江を見つめており、会話が再開されるのを待っていた。
律儀だなあと黒江は溜め息を吐き、会話を繋ぐ。
「あの、です、ね、ふうま、さん……っ!」
揺れるせいで言葉が途切れがちになる黒江に気づいたらしい風魔の歩行が、そこで変化する。
(お、おお。上下のグラグラが優しくなっ──消えた!? 高機能サスペンションかな!?)
なんてよく気の利く護衛さん!
などと感激している場合では無い。
「あ、ありがとうございます。──でなくて!」
「(……?)」
「うん、心底不思議そうな顔しないで下さいね!? あの、自分でこういうのも何ですけど、こんな不審者、イキナリ同行させるとか、ないでしょう!?」
「(……?)」
それでも風魔が首を傾げるので、黒江はひくりと顔を引き攣らせた。
「難しい言葉使ってませんよね!? よし、じゃあ噛み砕いて説明しましょうかコンチクショウ!」
ぞんざいな口調でそう言うと、自身の仮面に片手を当てつつ説明する。
「ほら、私って顔隠してて、怪しいじゃないですか! あんな場所に、一人でいたじゃないですか!? 少なくとも、そんなの持って行こうなんて考え、普通は起きないと思うんですけどね!?」
「その事情は今朝がたお主が話してくれたぢゃろう。怪しいなどとはもう思わんし、面の事も儂は気にせんよ、黒江」
のんびりした声で答えたのは、隣を歩く老爺。
「その考えはありがたいですけど、だからといって連れ攫う理由になりませんよ!?」
うっかりと感動しかけた黒江は、からからと笑う老爺に風魔の肩越しからつっこみを入れる。
「ええと、ふうまさん! こんな不審者連れていくの、止めた方が良いですって! 危ないですから!」
「(……)」
危ないとは、どういうふうに?
風魔がちょっと首を傾げてみせたので、黒江は勢いそのままに口走る。
「えっと、その……ほら、えっと──あ、そうだ! 爺様! 爺様に、何かするかも!」
「(……)」
半ばヤケになった黒江がここで物騒な言葉を吐いてみれば、風魔の気配がそこで少しだけ揺らめいた。
目元を隠す前髪によってその表情は窺い見ることは出来ないが、これで少しは考え直す気になっただろう。そう考えた黒江は、一気に畳みかける。
「ふうまさん、爺様の護衛さん? でしょ? だから、爺様守らないと! ほらほら、不審者担いでる場合じゃないですよ。両手開けないと!」
妙な自己アピールをするその合間に顔を上げれば、元来た道の向こうにすっかり小さくなった小屋が見えて、黒江は何とも言えない顔になる。
けれど、この距離ならまだ戻ることが出来る。
今ならまだきっと……引き返せる。何かから。
黒江は、これで良いんだとばかりに風魔を見つめて反応を待つ。
※
(また何を言い出すかと思えば)
真剣な目をして物騒なことを語る男を、風魔は面映ゆい気持ちで眺めていた。
日の本のどこを探してもこんな丁寧な「加害宣告」をしてくる不審者はいまい。
腰に下げている胴乱の中身は事前に把握済み。武器になりそうなのは数本の彫刻刀くらいだが、この男の性格上それを使いはしないだろう。
お人好しな『不審者』。か弱い風体をしているくせに、面白いことを言う。
その細い手首など、片手で一纏めに出来る。細い腰も簡単に捕まえられる。……抱き上げた体が軽すぎて、逆に心配になったほどだ。
風魔は鉄兜の庇の影で、込み上げる失笑を噛み殺さねばならなかった。
※
黒江が黙り込んだので、三人の間に奇妙な沈黙が横たわる。
そんな空気の中で、会話の口火を切ったのは黒江の隣にいた老爺だった。
「ほう。黒江は儂に何か酷いことをするんかいの?」
寂しげな顔をして不安そうに尋ねてきた老爺に、意識を逸らしていた黒江はハッとして──叫ぶ。
「しませんよ! 御老体に無体を働くとか、そんな人でなしなこと出来るわけないでしょう! って……ああぁ」
「ほ。やはり黒江は優しい子ぢゃ。無断で小屋に入り込んでいた儂らを追い出しもせずに、泊めてくれたものなあ」
「(……)」老爺の言葉に、風魔がこくりと頷く。
「ち、ちがっ……や、あの、ですね──!」
こんなこというのもアレだけど、爺様!
どこかの多分偉い人っぽい爺様! と、護衛さん!
見ず知らずの他人は疑おうよ、疑っとこうよ! ねえ!?
心の中で叫ぶ黒江。
これでいいのかと思うものの、それでも抵抗できないのは──抵抗しないのは、本当は嫌だと思っていないからだ。
なのに、嫌がったりする素振りを見せているのはこうしておけば言い訳が立つからだ。
これが何かしらの罠、もしくは誘拐の類で、連れていかれた先で酷い目に遭った場合に言える──「自分は嫌だと言ったのに、勝手に連れてこられた!」と、責任転嫁が出来るから。
(……私は、卑怯で狡い人間だ)
人を利用して、あくまでも自分のせいではないと言いのける。
嫌なことの全てを人のせいにしておけば、もう傷つかなくて済む。
(こんな私だから、師匠は何処かへ行ってしまって……だから、あの時も──)
黒江の脳裏を過ぎったのは、この世界に来る前の記憶。
「……」
思い出したくなかったので、片手で仮面を押さえて風魔の背にしがみつく。
「(……)」
着物を掴まれた感覚を受けて、風魔が肩越しに黒江を見た。口を僅かに開いて──何かを言うように動かしたものの、黒江の足を軽く叩いた後は再び前に向き直る。背中を叩いて慰めるような仕草だったが、黒江がそれに気づいたかどうか。
雨上がりの穏やかな日差しの下、サラサラと笹の鳴る音がする道を三人は歩いていく。
※
「あのー……そろそろ良いですか」
ご隠居とその護衛と共に進む、旅の道中。初めての遠出に黒江は暫くの間周囲に気を取られていたが、やがて落ち着きを取り戻す。子供のように浮かれていたのを少しばかり自己嫌悪しつつ、風魔に声を掛けた。
風魔は歩きながら黒江を見やり、首を傾げる。そして、よいしょと黒江を抱え直そうとしたので、黒江は首を振って押し止めた。
「ああ、いやいや、振動とかはもう大丈夫です。え、あ、いやだから、そっちが問題じゃなくって!」
担ぎあげる格好から横抱きにしようとしてきた風魔の手を押さえて、黒江は急いで言う。
「あの、私はいつ地面に足がつけるようになるんですかね?」
「(……)」
黒江の問いかけに、風魔はやはり首を傾げて老爺に視線を向ける。
声を紡がない風魔の代わりに、老爺が笑いながら答えた。
「ふむ。儂らが向かう場所に到着するまでには、まだまだ距離があるからのう」
「あ、そうなんですか?」
「うむ」
「……」
「……」
「いやいや、ここで話を切らないで爺様!」
「見たところ、黒江は武芸を嗜んでおらん。そうぢゃな?」
「え? ああ、はい」
「あの小屋からそう遠出したことはないの?」
「はい」
「では、長旅にも慣れておらんのよな?」
「はあ。まあ……」
矢継ぎ早に質問し続ける老爺の意図が読めず、戸惑いながらも黒江は答えていく。
黒江の世界には交通機関があるので、長旅でもそう苦労はしない。
しかし、この世界だとどうなるだろう?
「……爺様が行こうとしているところは、そんなに遠いんですか」
「いやいや、儂らも帰る途中だったしの。なに、三日ほどぢゃ。のう、風魔よ」
「(……)」風魔が頷く。
「三日!?」と、黒江は思わず声を上げた。
(徒歩で三日……って、距離的にはどれくらいだ?)
風魔の肩に担がれて、黒江は考える。
確か、平均的な歩行速度で歩いた場合、その一日に進む距離は十里くらいだと本で読んだことがある。
約四十キロ。フルマラソンの道のり。
しかし、現代人でも完走できるのを黒江は知っている。正月にマラソン中継をしているテレビで、だが。
(別に走るわけじゃないんだし、歩くだけならいけるんじゃないか?)
甘い見積もりを出した黒江は、風魔の背を軽く叩いて言った。
「それくらいなら大したことないですよ。ふうまさん、私、自分の足で歩くので。だから、下ろしてください」
「(…………)」
黒江の台詞を聞いた風魔が悩む素振りをみせたが、それでもご隠居の「まあ好きにさせてみるのもいいぢゃろう」という提言に、黙々と黒江を地面に下ろした。
長考した風魔の答えを黒江が知るのは、それから一刻(約二時間)後のこと。
知識と経験は全く違うものなのだということを、黒江はしっかり思い知る。
※
つか れた
「久し振りに歩いたのうー」
そよそよ揺れる木陰にて。風魔の用意した茶を飲みながら、呵々と笑う老爺。その隣には木に凭れて座り込む現代人が一人いて、見事なグロッキー状態になっていた。
「大丈夫かの黒江。そら、茶があるぞい」
「……」
黒江は顔を上げない。
無言でぐったりとしたまま、ぜえはあぜえはあと息をしている。
(いやー……)
山を舐めてたね! 自然の力の前では人間なんて無力だね! いま凄い無力感を感じてる!
昔のヒトの健脚っぷりには尊敬の念に堪えません!
舗装されていない道を軽んじていた──というか、舐めていた。
木の根が飛び出した山道の歩きにくいこと。現代の靴ではなく、藁を編んだ天然の履物のまあなんともしんどいこと。歩く道は平らではないことを失念していた。
(うう……靴擦れしてる……)
行儀が悪いと自覚しつつも膝を立て、体育座りに近い格好から黒江は自分の足を見る。草鞋自体が履き慣れていない足はあっという間に擦り傷だらけになった。
足の裏もそうだが、特に指の間が一番痛い。鼻緒の部分がこれまた藁であるせいだろう。
(靴って凄い発明品だったんだなあ……)
現代のアスファルトよりも土の地面のほうが柔らかいからまだ歩きやすいだろうと考えていたが、そんなものは履き慣れない草履で長時間歩けば意味もない。
そして、足首を固定しないサンダルタイプは長距離に向いていないな、と黒江は痛む足を擦りながら実感した。
(思った以上にひ弱すぎだろ現代人!)
半面の下で遠い目になりながら、黒江は現代に思いを馳せる。些細な生活の中に散らばる恩恵がどれだけありがたかったか。
「黒江、大丈夫かね?」
そんな黒江の肩を、ポンと叩いたのはご隠居様。
黒江の顔を覗き込み、気遣わしげに眉を寄せている。その足元を見れば、黒江よりもしっかりと大地を踏みしめていた。まさに健脚だ。
(お爺ちゃんに負ける若者って何だろうな……)
黒江は顔を伏せたままで呟く。
「……あしが」
「うん?」
「足が棒になるっていう言葉があるけど棒の方が頑丈で歩きやすそうだと思います。いっそ棒になれー」
「……風魔ー。黒江に水をやってくれい」
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実際に40kmを歩こうとすると、8~10時間ほどかかるらしい。
草履のせいだから! 草履が悪いんだから! と主人公は内心で自己弁護してそう。
歩き方や姿勢を工夫すれば草履でも長時間歩き続けられるけれど、まあ普通はいつも通りに歩いちゃうよねって話。