拘束された湯女――もとい首元に刀を突き付けられたままのくノ一を引き連れて、ぞろぞろと移動した先は大広間。当然ながら湯浴みどころではなくなってしまったので、黒江も湯から上がって軽く着替えていた。
黒江を含めて四人の男が、彼女を取り囲むように立っている。
威圧感甚だしいことこの上ない光景。
自分だったらぞっとするな、と思いながら、黒江は捕縛されたくノ一の正面に立ち、彼女の背後に居る小太郎に懇願の視線を向けていた。
彼女の正体を見破った本人だというのに、その顔は心配そうで、非常に申し訳なさそうにしている。
事実、申し訳なかった。
何せとんでもない人間ばかりしかいない場所で迂闊な発言をし、その命を危険に晒してしまったのだ。
彼女は初対面で面識など全くないが、自分のせいで酷い目に遭うのは見過ごせない。それが目の前で起ころうとしているなら、尚更だ。
そのようにして他国の間者に心を傾けている黒江を余所に、義輝が己の手に笏を打ちつけて笑う。
「まさか間者が入り込んでいたとはな。いやはや、これは驚いた!」
ははは、と鷹揚に笑う義輝に、松永もまたくつくつと笑う。
「ああ。寝込みではなく湯浴みの場だというのが、これまた愉快だ。しかも正体を暴いたのが忍ではなく、凡たる男だというのが面白い──なあ、黒江?」
「民草はちっとも共感できません。……すみませんくノ一さん本っ当にごめんなさい……!」
義輝の哄笑と松永の嘲笑を聞き流し、黒江だけが両手を合わせて必死に謝っていた。
自害を防ぐ為に猿ぐつわを噛まされている女は、そんな黒江を当初物凄い形相で睨み付けていたが、あまりにも目の前で謝り倒されるものだから、次第に当惑した顔になっている。
「(……)」
警戒態勢でいる小太郎は、女に同情めいた眼差しを向けていた。戸惑う女の気持ちが、非常によく理解できたからだ。
ああ、己にも覚えがある。
忍に対してこの人が向ける反応は、いつも予想が出来ない。
そんな感情もあり、小太郎は一先ず目の前で繰り広げられる『一般人』の反応を見守ることにした。
ただし、女を拘束する手は一切緩めることはなく。
「ごめんなさい、うっかり口走っちゃってごめんなさい。忍者の女性版は初見だったんで、つい、嬉しくなっちゃって、ぽろっと!」
黒江はもう涙目だ。両手を合わせて頭を下げ、ひたすら女に謝っている。
「よりにもよってドエスがいる前で正体暴いてごめんなさい、貴女を窮地に陥れる気は毛頭なかったんですすみませんごめんなさい、仕事の邪魔して本当に申し訳ないですくノ一さん!」
「──、……」
女が身動いで何かを言う素振りを見せたので、松永が愉快そうに笑みつつ小太郎に視線を滑らせる。
「風魔」
「(……)」
梟雄の呼びかけだけで、伝説の忍は意図を解したらしい。口に噛ませていた猿轡をやや乱暴に取り外せば、くノ一は一度頭を振ってから黒江を見つめて言った。
「……お前は」
「はい」
「何をそう、私に謝っているんだ」
「えっ」
ぽつっと投げかけられた質問に、黒江は涙目のまま首を傾げる。
「えっと……くノ一さんの正体暴いちゃって、ご迷惑をお掛けしたので?」
「お前、忍を知らないのか?」
「や、知ってますよ。諜報、破壊、暗殺といった専門家で、裏方っぽい存在で軽視されがちだけどその密やかさが実に格好いい存在!」
「(……)」
「……いや、分かってないだろう」
後半に行くにつれて声を上げ、きらきらした目で力説した黒江を見て、女が呆れ顔でばっさり切り捨てた。
「忍は道具だ。格好いいだと? 馬鹿なこと言うな。そんな良いものである訳が無い」
「そう思ってるのは当人たちだけですよ。闇を駆けるんですよ。振り返れば奴が居た状態ですよ。凄いでしょう!」
「……お前の言っていることが分からん」
「(……)」同意するように、女の背後で小太郎が頷く。
「うーん。格好いいのは本当なのになあ……」
黒江は不満げな顔をしたが、忍に対する己の見解を語るのはそこで止めにして、松永と義輝を見遣った。
「あのー……くノ一さんの正体判明したから、もう良いですよね?」
「良い、とは何がだね?」
「え、ほら……尋問、とか」
「良いも何も、間者自身はまだ何も有益な情報を吐いていないだろう?」
低い声に嘲笑を混じらせて、松永が女を睥睨する。
「この外道──っぐっ」
女が全身に殺気を込めて何かを叫ぼうとするが、その口には再び小太郎が猿轡をして言葉を封じてしまう。
「こ、小太郎! あんまり手荒な真似は……!」
「(……)」
小太郎が黒江に片手を突き出し、首を振る。危ないからそれ以上は近づくな、と言っているのだ。
伝説の忍の顔をした小太郎は、気配が闇色になっている。深い闇の奥、滴って見える赤は血の色だろうか。
しかし殺気は抑えてくれているらしく、それに当てられて黒江が眩むことがない気遣いを、はて喜ぶべきかどうか。
黒江は眉を下げ、松永達の方を見て口を開く。
「この場合の尋問手段って、拷問……とかだったりするんですか?」
突飛な黒江の疑問に、答えたのは松永──ではなく。
「ああ。自主的に話さない者に対しては、少々手荒になってしまうことも多々あるな」
その手に、ぱしりと軽く笏を打ちつけて義輝が笑う。何だか楽しそうなのは、拷問という言葉の響きのせいでないと思いたい。
相手の好奇心を沸き立たせてしまったことにも気づかず、黒江は話を続ける。
「じゃあ、物理なしでの尋問っていうのはレア……稀なんですか」
「いや、稀……ではないね。責める手段など、存外色々あるものだ」
松永が喉奥で笑う。
物理以外の尋問方法!? と、黒江が目を輝かせて食いつく。
「え。それって、話術が上手い人とか出して聞き出すとか──!?」
「なあに……薬と香を少々嗅がせ、後はその体に訊けばいいだけのことだよ。……簡単だろう?」
「──凄い理知的な方法があるのかと思って安心したらコレだよチクショウ!」
「(……)」
松永さんのドエス! と梟雄に遠慮なく言い返す黒江を、小太郎は複雑そうな心境で見る。
この人は何が言いたい?
また何をしでかそうとしている?
拘束している女から気を逸らさずに様子を見ていれば、黒江はいつものように、サラリととんでもないことを言いだしてくれた。
「くノ一さんの情報がある程度分かれば、拷問から除外されますか」
「(……)」
なぜそういう思考になるんだ、と小太郎は言いたくなる。
「まあ、無駄に時間を使う必要がなくなればそうなるかもしれないね」
質問を重ねて来た黒江に、松永が面白そうな声で訊ね返す。
「それで? そこまで聞いておいて、卿は何をする気かね」
「くノ一さんの詳細……正体の予想をしようかと」
「……ほう」
松永の声が低くなる。
渦巻く不穏な気配。黒江は気づかないのか、小太郎に拘束されている女に視線を向けて、話し始める。
「んー……くノ一っていえば武田の歩き巫女の望月さんが有名だけど、でもこの人は武田の人じゃないな」
「(……)」
「──っ!?」
「一瞬、武田っぽい……というか佐助っぽい? 感じがしたんだけどな。でも、なんというか、くノ一さんからは対極っぽい感じがする」
女を通して視えたのは、雪原を思わせる白。一筋の霜青が、彼女の輪郭を縁取っている。
以前に視た佐助の場合は緑だが、幸村が側にいる時は縁が赤みを帯びていた。今思うとあれは主君の色なのだろう。
「――っ!?」
女が、愕然とした顔で黒江を見つめている。
まるで世間話をするように、黒江が女の正体をいとも簡単に解き明かしていくからだ。
勿論、黒江は自覚していない。ただ、己に視えているもの――色彩について話しているだけなのだが、真実を知らねば宣託でも語っているようにしか見えない。
「武田の対極……っていうと──」
遂には一人で考え込むのを止め、一番この状況を愉しんでいる男に話を振ってしまう。
「松永さーん」
「何かね」
「武田信玄のライバル……あー、好敵手って、上杉謙信だけでしたっけ」
「ふむ……そうだな。今のところ、甲斐の虎には彼の軍神が相応だろう」
「そっかー。じゃあ、この人は上杉さんとこの軒猿説が有力か」
「……っ」
女の顔は最早驚愕を通り越し、恐怖で青褪めていた。
それを余所に、自分の考えに没頭していている黒江は尚も独り言のように呟く。
「んー? 軒猿も男女混合でいいんだっけ? いやその前に、──」
上杉さんって生涯不犯を貫いた、って一説に在るから女性は側に置かないんじゃ……あ、でも軒猿は忍者扱いだから別か? ──などと意識を余所見していれば、ぱん、と手を打ち鳴らす音がして我に返る。
「え」
音のした方を見れば実に愉快そうな面持ちをした義輝が居て、側にいる松永に至っては悪い笑みを浮かべていた。黒江と目が合った義輝が、言う。
「素晴らしい。見事な慧眼だな、朋よ!」
「いやはや、忍を手懐けるどころかその素性まで看破するとは。面白い男ね、卿は」
「は、あの、……はい?」
独り言よろしく喋っていた黒江は、何をそう面白がられているのか分からない。
きょとりと目を丸くし、それからくノ一の背後にいる伝説の忍に救いを求める視線を投げれば、返されたのは溜め息。
「(……)」
小太郎がふるふると首を振って唇を動かしたのが見えたが、読み取れない。
「自業自得だ」と言われたような気がしたが……読み間違いだと思いたい。
仕方がないので、目の前の女に視線を戻し、へにゃりとした苦笑を向ける。
「ええと……そんな感じで推測してみたんですけど、あの……貴女は軒猿のくノ一さんですか? 正解だったら、拷問されなくなると思うんで嬉しいんですけど」
そんなことを訊ねれば、彼女は顔を真っ赤にして体を震わせた。感動や歓喜からではない震えのような。
「こた、答え聞きたい」
黒江の一瞥を受けて小太郎が猿轡を外せば、彼女は大きな声で叫んだ。
「正体をばらされてどう喜べと言うんだ、この馬鹿っ!」
「えっ、あ、その……すみません」
しょんぼりする黒江。
小太郎は、そんな『一般人』を見つめ、本当にこの人は恐ろしい、と嘆息する。
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対隠密相手には鬼門な一般人。