忍遠矢と風の檻   作:黒環ななし

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01 孤独は風に攫われて4

 

 

「ほんとすみませんごめんなさいまこともっておてすうかけます」

「(……)」

 ようやく馴染んできた、と思ったこの時代。

 けれどそれは勘違いで、やはり自分はまだまだ甘っちょろい現代人なのだということを黒江は実感する。

 ポソポソと小さな声で何度も謝罪しながら、風魔の背中に顔を埋める。

 

 歩けます! と意気込んだまでは良かった。

 だが、一里少しの距離で黒江は靴擦れならぬ草履擦れを起こし、その威勢は二里に届くかどうかの辺りで終了してしまった。

 それでも序盤は、足の痛みに耐えながら頑張って歩いていた。

 が、すぐに風魔に気づかれてしまい、結局は強引に背負われて道中を進むことになってしまう。

 風魔の隣から老爺が何度か気遣う言葉を掛けてくれたが、その度に黒江は申し訳なくなって謝るのだった。

 

「いい年をして、すみません……」

 ふうまさんは爺様の護衛役なのに、図々しく利用してしまってすみません……と、風魔の背に顔を押しつけた黒江が蚊の鳴くような声で呟けば、老爺が笑う。

「なに、風魔の鍛錬にもなるから、丁度良かろう。のう、風魔や」

 そう優しく言って、しょげる黒江の背を撫でるものだから、現代の若者は居た堪れなさから一層小さく身を竦める。

 羞恥に悶えて風魔の背に顔を隠れていると、爽やかで軽い木の香りがすることに気づいた。

 

(森の中にいるような……薄っすら燻したような匂いがするな。何だろう?)

 無意識に風魔の首筋に鼻を寄せ、ふんふんと嗅いでいれば老爺が言う。

「なんぢゃ、風魔に擦り寄ったりなんぞして」

「擦り寄っ……あー、ええと。ふうまさんが何か、木の香りというかスモーク……じゃない、燻製みたいな匂いがして」

「(……)」

「うむ? ──ああ。それは体臭を消す木精ぢゃな。風魔は多彩な仕事が多いからの」

「へー」

 と黒江は返事をしたものの、「もくせい、って何だろう?」と内心で首を捻る。体臭を消すと言っているから、匂い消しの一種なのだろう。そう結論付けると、大きな背中に凭れて『燻製の匂いのする風魔』を堪能する。

 そのまま目を閉じれば一層深く匂いを感じ、まるで静かな森の中にいるような気分になった。

 

(いいな。お手軽森林浴だ)

 黒江は風魔の背中で、ふふっと笑う。

 足はまだ痛いままだったけれど、気持ちが少しだけ軽くなった気がした。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 宿場町というのか。

 歩き続けて辿り着いたのは、そこそこ賑わう町の宿だった。

 

「何から何までご迷惑しかおかけしませんで、本当に申し訳なく」

 通された一室。畳の上に両足を投げ出した黒江が口にするのは、道中から此処に来るまでに何度も口にした台詞だ。

 黒江の視線は、自身の足元へと向けられている。

 そこには片膝をついた風魔がいて、黒江の足の具合を調べていたのだった。

 

(なんかなー凄いなーこの護衛さん)

 意外というべきか、それとも流石というべきか。

 この『ふうま』という男は何事も卒なくこなす。

 小屋に泊まっていた時も、そうだ。夜の火の番を黙々と務めていたし(結局寝たのだろうか?)、朝飯にと彼が作ったものは抜群に美味だった。

(この時代の護衛って戦うだけじゃないんだな)

 彼の背や腰元にあった、武器らしきものの存在を思い出す。

 短刀が二本、それから微かな──本当に微かな火薬の匂いがした。どこかに煙玉でも隠し持っているのかもしれない。

 今のところ順調に(思い切り足を引っ張っている現代人はともかくとして)、それなりに難なく目的地に近づいているだろう、この長旅。出来ればこのまま、火薬の何かを使用することなく無事に目的地へ辿り着きたいと思う。

 

(この状況で急襲されたら、まず捨て置かれるのは私だしな!)

 風魔がなによりも優先するのは、護衛対象である『ご隠居』様だ。

 故に、敵に囲まれた場合に真っ先に邪魔になるのは怪我をしている自分だ、と黒江は考えている。

 もしそうなった場合は、ありがちな台詞を口にしないと駄目だろうか? 

「私の屍を越えていけ!」とかなんとか。

 ちょっと格好いい。

 しかしながら、屍になるのは遠慮したいところではある。

 流石に、死ぬのは怖い。

 

(……。とりあえず、その時は自分が出来ることをしよう)

 自分の面を指でなぞりながら、黒江は足元にしゃがみこんでいる風魔をぼんやりと眺める。

 今は町人に変装している為に髪は染めて黒いが、小屋で見た時は黒兜で覆われた後頭部から赤味がかった髪が覗いていた。

 黒と白の忍装束に映える、ワンポイント。その広い背中を借りている時に間近で見せてもらっていたが、彼には異人の血が流れていたりするのだろうか? 

(綺麗で良く似合っていたなあ……やっぱりこの人、イケメンだよな)

 そうして、まじまじと眺めていた黒江の視線は長すぎたらしい。見つめられていることに気づいた風魔が、顔を上げた。

 

「(……?)」

「ん? ……あ、すみません。視線、気になりました?」

 不躾ですみません、と謝罪を告げて慌てて俯けば、脛の辺りをトントンと軽く叩かれた。

「え、あの……?」

「(……)」

 無言の風魔。ふるふると首を横に振って、視線を再び黒江の足元に落とした。

 謝るな? ──気にするな? 

 言葉を紡がない彼の意図は生憎と分からなかったが、それは優しい叩き方だったので黒江は肩の力を抜く。気を悪くしていないなら良かったと安堵し、男の処置が終わるのを大人しく待つことにした……のだが。

 

(うぅ……ちょっと、く、くすぐったい)

 自分の足の裏を他人に触られる機会など滅多にない。だからこそ、余計にこそばゆく感じるのだろう。

(でも足を診てくれてるわけだから、あまり騒ぐのも──あああ、駄目だ、やっぱりくすぐったいー!)

 ゴツゴツした無骨な手が、足のあちこちに触れてくる。固めの指先は、けれど思った以上に優しく触れてきて、草履で擦れて赤くなった指の間を丁寧に探る。

(もうちょっと我慢すれば終わる──)

 小太郎の手が離れた。

 これで終わりかと安心した黒江だったが、状態を確認し終わった風魔が今度はそこへ薬を塗り始めたのだから堪らない。

(待って、ちょっと待ってねえ待って薬は駄目だって滑るから余計にくすぐった……ぎゃー!)

 足底、踵、指の付け根を、風魔の手が滑る。

 草鞋擦れと肉刺(まめ)が潰れた箇所に、膏薬を塗ってくれる行為自体はありがたい。

 当然ながら感謝しているのだが……あまりにも丁寧すぎるものだから、くすぐったさを通り越して妙な感じになってきた。

 ぞわりとするような、ぞくりとするような。得体のしれない感覚。

 

「……ふっ、ふぅ、ま、さん……っ!」

 俯いたまま、黒江は声を絞り出す。

「あのっ、もっ……薬、塗るのは、そこ迄で、いいかと……っ!」

 言葉が途切れ途切れになってしまうのは、風魔が手を止めないせいだ。

 とにかく、くすぐったくてしょうがない。

「ああのっ、もう、だい、じょぶ、ですからっ」

「(……)」

「──あああもう手ぇ離してくすぐったいぃ……っ」

「(……)」

 叫ぶ声に泣きが入ったところで、風魔の手が止まった。

 肩で息をしながら顔を上げた黒江は、同じく顔を上げていた風魔と目が合う。

「(……)」

 長い前髪のせいでその目が見えることはないが、気のせいか……少し、口端が上がっているような。

 

「……ふうまさん、笑ってません?」

 というかこの状況を楽しんでませんか、と黒江が睨めば、風魔は無言で、ふるふると首を振る。

 

(なんだろうな、この人は。地味にあの爺様と同じ匂いがする!)

 さり気なく狡い。優しいけれど、地味に狡い。

 むう、と唸る黒江を余所に、風魔は下方に視線を戻すと中断していた手当てを再開する。

「(……)」

 風魔が懐から何かを取り出した。それは長い手拭いで、てっきり包帯が出てくると思った黒江は、少しばかり目を丸くする。

 布の色が、白ではなく赤だった。しかも緋色のような赤さでは無く、どちらかというと暗くくすんでいる。蘇芳色、というのだろうか。戦場においては重宝する、目立たない色。

「……っ!?」

 そのせいか、それが血塗れの包帯に見えてしまった。

 黒江は手拭いが足に触れた刹那、声にならない悲鳴を噛み殺して思い切り身を竦ませてしまう。

 強張りは風魔にも伝わり、布を巻いていた手が止まった。

 

「(……)」

 風魔が顔を上げて、黒江を見る。

 痛かったか? と訊ねるように首を傾げてくるので、黒江は慌てて首を振る。

「いえ、な、何でもないです。すみませんっ」

 その布が血塗れに見えて怯えてしまいました──などと、言えるわけがない。

 相手の好意を断って徒歩に挑んだ挙句が、お荷物になることだったというこの醜態。

 これ以上の恥をかくのは、流石に控えたいわけで。

「あ、その、手当の邪魔してすみませんでした。その、続きを……」

 どうぞ、と言いかけて黒江は言葉を止めた。ハッとしたように自分の手を見る。

 まともに料理は出来ない、長距離を歩くのもダメな現代人。

 

 ──しかし、包帯を巻くだけなら自分でも出来るではないか。

 

 その考えに思い至った黒江は、風魔に向かって手を差し出した。

 

「あの、ふうまさん。後は自分でやりますから、それ貸して下さい」

「(……)」

 だが風魔はふるりと首を振ると、黒江の足に視線を戻して手拭いを巻き始める。

「や、あの、ふうまさ」

「(……)」

 黒江の差し出した手は行きどころなく、わきわきと宙を握る。

 強すぎず、弱すぎず、実にいい塩梅で巻かれていく手拭いを、黒江は所在なく眺めることしかできない。

 空中で止まったままでいた黒江の手がやっと行き場を見つけたのは、手当てをし終えた風魔が掴んでからだった。

 

「(……)」

 片膝をついた風魔が、黒江の手を軽く引いた。立ち上がるのに手を貸してくれるらしい。そう理解した黒江は、素直にその手を掴み返した。よいしょと引き起こされながら、黒江は掴んだ男の手に目を向ける。

 インドア系である黒江の生っちょろい手ではなく、無骨ながらもしっかりした大きな手だ。

 頼もしくて温かい。

 けれど──。

 

(……やっぱり全然喋ってくれないな)

 話す価値がない、と思われている?

 いや面越しに視える気配は、澄んだ綺麗な漆黒の羽がちらついている。

(あ。もしかして)

 ここで黒江は一つの仮説を思いつく。

 

(もしかしてこの人、喋れないんじゃなかろうか)

 この護衛の男は「話さない」のではなく「話せない」のではないのかと。

 そう考えると納得できる。時折、ぱくぱくと口を動かして何かを伝えようとしてくれているのも、実は話せていた時の名残か癖なのかもしれない。

 もし警戒されていたのではなく、相手が歩み寄ろうとしてくれていたのなら黒江は少し嬉しい。

 そして……かなり申し訳ない。

 

(すみません、心得がない人間に読唇術はちょっと難しいと思いますというか、一般人に無茶ぶりしないでー!)

 黒江は顔を上げて、鉄兜のない顔を見る。

 すると、男が小さく唇を動かすのが見えた。

(あ。何か言ってくれてる?)

 眉間に皺を寄せて凝視するも、この面が教えてくれるのは気配だけ。翻訳機能があるわけもない。

 それでもとりあえず雰囲気だけは読めた。「大丈夫か」とでも言ってくれているのだろう。黒江が礼を言おうと口を開きかけたその時、スッと襖が開いた。

 

「手当は済んだかの、風魔。黒江」

「あ、爺様。はい、足の手当ては終わりました」

「そうか。なら、そろそろ出かけようと思うんぢゃが」

「はい、大丈夫です」

 宿に到着した際、老爺が誘いかけてきたのだ。「どうも黒江は町に降りてきたことがなさそうぢゃから、儂らと共に見物して回らんか?」と軽やかに。どうやら風魔に担がれている時に、おのぼりさんヨロシク周囲をキョロキョロと眺めていたのをしっかり見られていたらしい。

 

「すみません、お待たせしてしまっ──てぇっ!?」

「ひょえっ!?」

「(……)」

 老爺に向かって足を一歩出すなり叫んでぐらついた黒江を、サッと抱き留めたのは風魔。

 突然悲鳴じみた声を上げて体を硬直させた黒江に、驚いた老爺が足早に駆け寄ってきた。

「ど、如何した黒江!」

「……や、すみません。ちょっ……と、足のことを、忘れて、ました」

 黒江は風魔の腕にしがみつき、苦笑だか引き攣り笑いだかを浮かべて答える。

 床に足をつくまで、靴擦れを起こしていることをすっかり失念していた。

(どういう調合だか知らないけど、凄いなこの傷薬! 地面に足をつけるまで痛くなかったよコンチクショウ。そしてとことん情けないな私は!)

 醜態を晒すのは、これで何度目だろう。

 眉間に皺を寄せて気難しい顔をしている黒江を老爺が心配そうに見つめ、側に居る大柄の男に話しかける。

「……黒江の傷はそんなに酷いのかの、風魔?」

「ああああの! これは痛みにちょっと驚いただけで、そんな」

 

「(……)」

 大丈夫です──と言い終わるより早くに、その体は風魔に抱き上げられていた。

 

「え、あの……?」

「(……)」

「風魔が黒江の足になるそうぢゃ。良かったの」と、爺様が通訳してくれた。黒江は苦笑にも困惑にも似た笑みを浮かべて、項垂れる。

(米俵みたいに軽々と抱えてくるけど、虚弱だと思われてるのかこれは)

 黒江はそれでもここで甘えるわけにはいけないと、風魔の胸をそっと押し返して言った。

「あの、本当に大丈夫です。全然歩けないというわけではないので」

 それと大の男が抱き上げられた格好で町見物をするのは流石に居た堪れないです、と正直に伝えてみれば、老爺が風魔と顔を見合わせて笑う。

 

「そうか。なら、出掛けるかの」

「はい!」

 足の痛みが酷くなったら言うんぢゃぞ? 隠しても風魔は気づくからのう、と柔らかに釘を刺してきた老爺に、黒江は情けない笑みを浮かべて目を逸らす。

「大丈夫! ……な、筈です」

 

 そろそろここで、ちゃんとした成人だというのを見せておかないとな! と固く決心しながら、黒江は彼らと共に外へ出た。

 

 





**

木精=メタノール。
炭を作成する際に出る産物。
薬草風呂とかにも入ってそう。

新鮮な生木の香りがほんのりする、という感じで。
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