昼刻なのもあるのか通りは人が多く、また立ち並ぶ店先には活気があった。
周りにある建物は平屋ばかり。舗装されていない道は人が歩く度に少し砂埃を出すので、町の空気には土の匂いが混じっている。不快ではない。自然の多い田舎といった感じだ。
魚か何かを焼いているのか、香ばしい匂いが右から左へ流れていった。
ざわめく往来。
賑やかな風景。
町並みを眺める黒江の視線の動きは、途端に忙しくなる。
(ビルとかないから景色がすっきりしてるー!)
木の立て看板があればそちらに視線を向け、擦れ違う人が居ればその服装をしげしげと眺める。初めて里に下りてきた人間のようにあちこちに目を向ける黒江の隣では、風魔が静かに様子を見守っていた。
(和だ……和の世界がある)
人の多い場所なんて、と思っていたが間違いだった。
(みんな着物だー! あっちは町人さんで、こっちは旅人さんかな!)
込み上げる感情は歓喜。黒江は口から出かける感嘆の叫びを堪えつつ、感動に打ち震える。
テレビ番組、もしくは一部の地方や某古都などにある時代劇のセットくらいでしか見ることができない光景が、たった今、目の前にあるのだ。本物として。
(編み笠被ってる人がいるー! あ、ちょっと武士っぽい人もいるな)
商人、町人、物売りの人々を通り過ぎる最中に眺めていた黒江だが、次は道の両側に並んでいる長屋に興味が移った。
(八百屋に蕎麦屋、あれは……何だ?)
粉っぽいものや根っこらしきものが籠に並べて置かれており、漢方薬のように見える店があった。
(薬屋みたいなものかな?)
どれも店の規模は小さい。出張所が一つに集まった感じだ。
(宿場町だからか、こぢんまりしてるのが多いなあ)
それでも黒江には珍しい。興味は尽きず、周囲へ視線を向ける。
(あ、商人さんぽい人発見! ああっ、なんか大八車っぽいのがある!)
櫛や簪などが並ぶ店は、看板を見なくとも呉服屋だと分かる。
「呑処」と書かれた看板のある店先からは煮物の良い匂いがしていて、黒江の速度を鈍らせる。
「町に来るのは初めてのようぢゃな、黒江は」
老爺が隣で苦笑するのを聞いて、そこでようやく我に返った。
「あ、その……!」
「いやいや、そうして目をきらきらさせる若者を見るのは悪うない」
すみません、と謝りかける黒江の二の腕辺りを軽く叩いて制し、老爺は笑う。
「さて、人も増えてきたようぢゃし、そろそろどこかの店に入るかの。黒江は何が食べたいんぢゃ?」
「わ、私は持ち合わせがないので……」
「儂の奢りに決まっておろう。食べたいものはあるかの?」
「ええと……外食は初めてなので、お任せします」
「ふむ……なら、そこの小料理屋へ入るかの。行こうか、風魔、黒江」
※
ことり、と。
老爺と黒江の座る卓上に置かれたのは、二つの膳。
自分のほうへ膳を一つ引き寄せながら「さあ食べようか」という老爺に、黒江が頷いて自分の前にある膳を隣に座る風魔のほうへと押した。
だが逆に風魔に押し戻されたので、黒江は目を丸くして彼を見上げる。
「え? これ、ふうまさんの分ですよね?」
「(……)」
無言で首を振る男の代わりに、答えたのは老爺。
「風魔のことは良いんぢゃよ、黒江」
「……もしかして、私のせいでお金足りなくなってます?」
「うむ?」
「それなら私は結構ですから、これはどうぞふうまさんに──」と膳を移動させようとした黒江の腕は、横から伸びてきた風魔の手に再度遮られた。
黒江の手を押さえた風魔の力は、どこか柔らかい。戸惑う黒江が見上げれば、ふるふると風魔が首を振る。
示しているのは──『必要ない』
それに対して黒江が何か言おうと口を開けば、目の前に座っていた老爺が苦笑して言った。
「とにかくそれは黒江の分ぢゃ。残さんと食うてくれ」
「(……)」
追撃として、風魔にポンと頭を叩かれる。
「……。はい」
黒江は納得のいかない顔をして風魔と老爺を見つめていたが、最後には「ほらほら、冷めてしまうぞ」と言われて、ゆっくりと膳に箸をつけ始めたのだった。
※
「はー……美味しかったー」
粟の混じっていない白米。鯛の煮つけに、空豆のかき揚げ。小鉢には蕗の胡麻和え。
まさに和食然としたそれらは一つ一つが美味で、黒江は今食べたものの味を思い出しながら息を吐いた。
このようにたっぷりとした食事を摂るのはいつぶりだろう。
いや小屋の中で『ふうまさん』に作ってもらった食事も美味しかったから、昨日ぶりとなる。
幸福の時間が、意外と短いサイクルでやってきた。
これを幸せと言わずして何と言おう。そんな事を考えながら湯呑に入った茶に口をつけたところで、対面から声が掛かる。
「量はそれで足りたかの?」
茶を啜りながら、老爺が聞く。
「まだ食べ足りんなら追加で──」
「いえ、もうお腹一杯です! 充分です……けど」
老爺に笑顔で答えた黒江は、言葉の途中でちらりと風魔を見る。
視線に気づいた風魔が首を傾げたので、黒江は老爺と風魔を交互に見遣り、躊躇いがちに言った。
「……本当に、私が頂いてよかったんですか?」
申し訳なさげな黒江の声に、老爺は眉を下げて──それでも、やはり笑うのだ。
「風魔はそれでいいんぢゃよ。──のう、風魔や?」
黒江は老爺の視線を追いかけ、そしてそこで風魔が頷くのを見る。
胸の前で両腕を組み、『その通りだ』という態度には強制されているようには見受けられない。
確固たる風魔の意思表示に、黒江は眉を下げる。
食事をしている間、風魔はずっと老爺の傍に立っていた。残り少なくなった湯呑に茶を注いだり、老爺がうっかり落としてしまった箸を交換したり。拾い上げる動作に至っては、瞬き一つする間に済んでいた。
その鮮やかな様を黒江がじっと眺めていれば、催促だと捉えられたのか風魔が首をちょっと傾げてから茶を注いでくれたので、そこは申し訳なかったと思う。
とにかく、本当に風魔は何も口にしなかった。一瞬だけ、何か飴のような丸いものを口にするのを見たけれど。
(後でお腹空かないのかな。あ、護衛中は食べないとか、そういう……?)
彼らには彼らの約束か取り決めでもあり、それぞれに納得しているのだろう。
それに、自分も仮面で顔を隠している件について引き下がってもらったのだ。他人である自分が出しゃばり、食い下がることではない。
(でも、一緒に食事が出来ると思ってたから、ちょっと悲しいというか……寂しいな)
ここまでの長旅、黒江は風魔にかなり世話になったので、ここで食事をして道中の疲労を取ってもらえたらいいなと考えていた。
けれど風魔の食事は黒江へ回され、結局また恩が一つ。
(ふうまさんにどこかでお礼出来ると良いんだけど)
──難しそうだなあ。
黒江は溜め息を零して箸を置くと、両手を合わせて「ごちそうさまでした」と小さく呟く。
せめて老爺と風魔に感謝の意味を込めて、深く丁寧に礼を言った。
※
「儂は宿に戻るが、黒江はどうする?」
店を出るなり、老爺がそんなことを言った。
黒江は不思議そうな顔をして訊ね返す。
「え。どう、とは」
戻る先って一緒じゃなかったっけ? と頭の中に疑問が浮かぶ。訝しんだのが顔に出たのだろう、老爺が笑う。
「町に出るのは初めてなんぢゃろう? 見て回らんのか?」
「ああ……」
黒江は周りを見回し、老爺に視線を戻して。
「……迷子になりそうなんで、止めておきます」
そう答えて、へにょりと笑った。
なにせ土地勘が全然ない。元いた世界ではともかく、ここで迷子になると解決する方法が思い浮かばない。
そもそも黒江は、宿の場所やその名前すら覚えていなかった。町を見るのに一生懸命で、すっかり失念していたのだ。
なので、「私も一緒に戻ります」と黒江が伝えれば、不意に老爺が右手をにゅっと突き出してきた。
差し出されたのは、小さな巾着。上品な作りをしている。
え? という顔をする黒江の手をとり、老爺がそれを握らせた。すれば、じゃりっと固いものが擦れ合う音がした。
現代の貨幣にはない重厚感。好奇心がむくりと湧く。
(うわぁ……昔のお金って結構重いなあ)
中身はどうなっているんだろう、と少しだけ口を開いてみれば、中央に四角い穴が開いた丸い貨幣が見えた。
(あっ、銅銭だ! 紐を通して長く束ねるやつ! 穴あき銭っていうんだっけ? うわー、ここってそういう時代かー!)
教科書や資料でしか見たことのない貨幣に高揚し、枚数を数えるついでに指先でちゃりちゃりと貨幣を掻き混ぜていれば──「あ?」
きらりと鈍く光る硬貨が見えて、黒江の笑みが固まる。
(これ……金だ。あ、銀もある!?)
よくよく見れば銅銭は少なく、一円玉と同じくらいの大きさの金と銀の貨幣のほうが多かった。
(お、お金持ちの財布だ……幾ら入ってるんだこれ……)
くすんではいるがそれらは確かに金貨や銀貨で、穴あき銭ばかりだと思っていた黒江は無意識に背筋を伸ばしてしまう。いうなれば、万札がぎっしり詰まった財布に等しい。
(怖い! 自分で持ってるのが怖い!)
慄き、手の中の上品な巾着をこわごわと眺めている黒江を見て、老爺が笑う。
「少ないが、小遣いぢゃ」
(これが少ない!? いやいやいや!)
驚く黒江を笑い飛ばすように、続けて老爺が口にするのは予想もしなかった言葉。
「此れがあれば、冷やかしなど気にせず店にも入れるぞい」
「え、あの、これ」
「おお、そうぢゃ。風魔を案内につけよう。それなら安心ぢゃろ?」
「あ、それはもう……じゃなくて。いやそれだとそちらの護衛は」
「その辺りは大丈夫ぢゃ。の、風魔?」
にやりと笑い、己の護衛に何かの確認をする老爺。
問われた『護衛』は、力強く頷いて胸を張る仕草をする。
どういう意味だろう?
疑問を抱いた黒江だが、老爺の背後、壁越しの屋外にてササッと動く影があるのを視た。
風魔と同じ漆黒色の気配。……ああ。なるほど。
(他にも護衛がいたのか。……ん?)
道中では視なかった。この町に着いてから風魔が呼んだのだろうか?
けれども、いつ? どうやって?
増えた疑問に黒江が首を傾げていれば、老爺が片手を挙げて口を開いた。
「では、儂は先に戻っておくからな」
「えっ。あ、あの、爺様!?」
「暗くなる前に帰ってくるんぢゃぞー風魔、黒江ー」
黒江がおたおたと動揺している間に、老爺は背を向けてすたすたと元来た道を歩いて行ってしまう。
前を向いたまま、ひらひらと片手を振って。
それではどうぞごゆっくり、というように。
唐突に喧騒の中に残されて。
急に不安になった黒江が、小さな巾着を握りしめたままその場から動かないでいれば、その肩をぽんぽんと風魔に叩かれた。
「あ……」
「(……)」
行こうか、と顎で町のほうを差して風魔が促す。
黒江は狼狽えるように左右へ視線を揺らしていたが、やがて何かを決めるように頷いた。
「そうですね。行きましょう」
折角の厚意を振り払うほど、自分は恩知らずではない。
顔を真っすぐ上げて、風魔に笑いかける。
「えっと、じゃあ、同行お願いします」
そう言って、ぺこりと頭を下げた。
風魔が口元を少しだけ持ち上げて頷く。
『任せろ』それとも『勿論』?
会って間もない彼らがくれる優しさに、黒江は面の影で涙を滲ませた。
***
町並みのイメージは「映画村」を想像していただければ。
楽しいけど数日で辛くなる気がする。