深夜2時。電灯がほのかな光を放って薄暗く道を照らしている。私は久しぶりに家へと帰ってきたのだ。
(6徹...ほとんどサビ残...ひさっしぶりの家)
風呂には入れない。入る暇があったら睡眠の時間が欲しいからだ。それに万一風呂の中で寝てしまってもいけないだろう。
(飲みすぎなのか、エナドリも最近効かないし...ずっと...眠かった...)
そもそもなんでこんな人生になったんだろう。
私は今新卒で夢の社会人と、ウキウキした心で就職期を迎えていたはずだった。
気付けば私がいたのはブラック企業で、学生の頃あれだけあったと思った時間のほとんどが仕事に使うことになった。
「ゲームとかよくやってたな...」
そういえばゲームの世界の勇者は、魔王を倒したあとどうなるのだろう。あまり描かれることの無いその後は、一体どうなっているのだろうか。その先は何もしていないのだろうか。
(そんなんなら、羨ましいよなぁ)
ベッドへと向かった体はやがて目的地を見つけ足で立つことをやめた。そしてベッドに倒れるように寝転んだ。
「次の休み...いつかなぁ...できれば明日とか...なんて」
叶わぬ夢をつぶやきつつ、意識は暗闇へと消えていった。
もう起きる時間だろうか。夢なんて見なかった。もはや3秒も思えない程の時間で私は起床の時間へと送られてしまった。
まだ起きたくない、なんて言ってはいられない。今日はやっと帰れた。それで、寝れただけでいいよ、と自分に言い聞かせる。そう覚悟して私は重たい重たい瞼を開いた。
(...あれ?何この天井)
私の築40年で少し薄汚れた白い天井ではなく、赤と白で模様づけられた、気品を感じる天井になっていた。それに匂いもなんだか変だ。うちの家はカップラーメンの残りカスと捨てられていないゴミ袋のせいで嫌な匂いが立ち込めているというのに。何だこの爽やかな匂いは。
他にも腰を上げて見てみると、全体的に赤を基調とした豪華な部屋に私は目を丸くしていた。
ふと、廊下に人影が見えた。見た感じ...メイドだ。よくハロウィンの仮装とかで見るメイドだ。どうやらそのメイドもこちらに気づいたようで、急ぎ足でありながら品性を忘れさせない気品のある歩き方だった。
「やっとお目覚めになられたのですね。今王子を呼んできますので、少しの時間そこでお待ち下さい」
(王子?)
ますますわけがわからなくなってきた。私は日本に住んでいて、あんな建物が近場にあるなんて知らない。ましてや!そんなところに招待される身分でもないし記憶だってない!
(頭痛い... 睡眠不足か...?あぁぁぁ...なんなんだこの状況は。もしかして、夢とか?それならもうちょっと続いてくれたっていんだけど)
そう考えていると、コツコツと足音が聞こえる。先程メイドが出ていった扉の方から鳴っているようだった。そこに現れた姿を見て私は思った。
「お、王子だ...紛れもなく...」
純白の装束に青が散りばめられている。透き通るような金髪に柔らかな笑顔がよく似合う、芸術作品と言えるような顔立ちだ。
(これってもしや...王子様が迎えに上がってくれたり?私にもやーっとまともな、いや最上級の恋愛が...!!)
「お迎えに上がりました、勇者様」
「...............えっ、今なん...と?」
聞き間違いだろうか。姫とか、そういう可愛らしいものではなく、私のことを"勇者"とこの王子(仮)は呼んだのだ。
「混乱しているのですね。事情を説明するためにも、まずは大広間に案内いたします」
王子が言い終わるより先に彼は私のことを持ち上げて運んでいた。
(勇者...?私が、勇者!?)
赤と金のタペストリーが壁面を覆い、中央の大理石の床に長いレッドランナーが伸びている。玉座は一段高い台座の上に据えられ、家紋を染めた旗が静かに揺れていた。
さっき言っていた大広間という場所だろう。
「いろいろな説明をしないといけませんね。私はアルテス・ヴァンテリア・コーデリヌ。長ったらしいのでアルとお呼びください。先程のメイドも言っていたようにこの国の王子、次期王位継承者候補として父の次の代に当たるものです。良ければあなたの名前も教えていただけませんか?」
「あ、あぁえっと...赤崎唯音です。大体ユイって呼ばれてます」
寝起きのはっきりしない意識でも、場所も何もわからない状況でも。聞かれたことに答えられるのは自分でもとても不思議に思って仕方がなかった。
「ではユイ様。おそらく、なぜこのような場所にいるのか、自分が勇者?とお思いでしょう」
「そうですね、はい」
「一言で言うなら、あなたが勇者として選ばれたのです。恐ろしい魔王を倒す勇者に」
半月前、ここブニル王国と魔国家シャドレアの国家間での会談の時です。もともと争うのが好きではないシャドレアの王とは友好的な関係を持っていました。ですが会談の直前。シャドレアの王が何者かの襲撃に合い、死亡。会談は中止になるかと思われました。ですが会談の日。襲撃を起こした張本人、名をトゥグア=ルーカエサル。トゥグアはこのブニルの宮殿に現れ、こう言ってきました。
「我は魔王トゥグア=ルーカエサル!!新しい魔王、そして前シャドレアの王を殺したのも俺だ。いいか?3年後、我はブニルへ攻め込む。せいぜいそれまで無駄に足掻くと良い!」
新たな魔王が最悪な形で世に存在を知らしめた瞬間でした。
「このブニル王国は人間の国で人口も規模も一番大きい。もちろん防衛力も。それでも魔人、果ては魔王となれば一人でいてもこの国すら落とされるかもしれません。なのでどうか力...を......あの.........あの!!」
「......あ、すみません。だいぶ話が長くて、つい」
とても長い独白は、校長先生のありがた〜いお話みたいなもので、なかなか眠気を誘ってくる。私はそれに耐えられなかった。
「確か...このプリン王国が魔王に攻め込まれそうで危ないとか...なんとか」
「プリン王国ではなくブニル王国です。...まぁ大体話は聞いてもらってるようで助かります。あなたは唯一召喚できた異地の者。どうかお力を......」
この国にとって、この王子にとって、この関係は一世一代の大きな取引だろう。でも私はこう思ってしまった。
「それって、私がやる意味あるんですか?」
「え?」
「突然勇者とか言われてもすぐ順応できませんよ、なろう系の主人公じゃないんですから」
「ですがやってもらわないと最悪世界全体が混乱に...」
「そもそも私これから仕事があっ...て...」
私はあることが頭によぎった。私にとって、とっても大事で確認しなきゃいけないこと。
「魔王討伐した後ってさ。休める?寝れる?」
甚だ疑問に思っていた。魔王を討伐してエンディングで終わった先の勇者の物語には、休みがあるのか。番外編でも出ない限りそれ以上の補完はないのだ。
「休みというのがどのような規模を言っているのかは分かりませんが。よほどのことがない限りは数十年暮らせるほどの報酬を提供する。そのようになっています」
「...働かなくてもいい?」
「働かずともコーデリヌ家の所有する屋敷に食客として紹介します。」
「本当に...?」
目の前の王子は軽く頷いた。
「やった...やっっったぁぁぁ...!!」
久しぶりに心の底から叫んだせいか声は裏返りまくって騒音のように聞こえるだろう。ただ今はどうでもいい。私はやっとあの牢獄から、仕事から解放されたのだと、感じられたからだ。
「えっと...良かったですね?」
「働かなくていい...働かなくていい...!!うわっはっはっはぁぁあ...!」
「えっと......じゃあ魔王討伐に協力してくれるんですね?」
「もちろん!」
「よかった...」
「ん?なんか言った?」
「いえ。ではこちらで準備と報告をさせていただきますので、しばらくこの大広間でお待ち下さい」
そう言うと、王子...アルはこの大広間から去っていった。
だだっぴろくて、落ち着かない。それほどまでにこの大広間は広い。だが今となっては私の開放感を表しているようでとても心地が良かった。
ガチャ、と扉の開く音が聞こえた。音が聞こえた方を見るとアルがいた。戻ってきたようだ。
「ではユイ様、こちらへどうぞ」
「様なんて、そんなむずがゆいものつけられるような人間じゃないから。ユイでいいよ」
「僕も王家の血を引いているものです。未来の救世主様をそれだけ軽く扱うことはできません。お気持ちだけ受け取っておきます」
「お堅いね?」
「それが王子というものです。では武器庫に案内します。ついてきてください」
<ブニル王城 武器庫>
石造りの廊下を抜けると、鉄と油の匂いが漂う武器庫にたどり着いた。
「ここが武器庫です。どんな武器でもお好きなものを」
「すっごぉ...この中からなんか選んでいいの?」
「えぇ。好きな物、慣れているものをお選びください」
ユイは真っ先に剣の並ぶ棚へ走った。一本を抜き、軽く振るおうとした。
「うわ、思ったより重い!」
なんとか自分の頭より上に刀身を向けると、藁人形に向かって一閃。ズバン、と真っ二つ。
「おおっ……!? いや、危ないですよユイ様!」
「いやだって試し切りって言うくらいだし!これくらいはいいでしょ!」
アルの声をよそに、次々と武器を試す。
大剣、弓、双剣、槍、火縄銃。色々あったがどうも手に馴染むようなものではない。
その時、1つのレイピアが目に入った。思わず惹かれた私は手に取ってみた。
「...これだ!軽いしバランスもいい、あとかっこいい」
「最後の理由は必要なんでしょうか...」
「これからずっとこいつと過ごすんだからロマンも必要でしょ?」
「は、はぁ・・・」
「名前つけようかな〜、"定時”とか」
「その・・・意味は?」
「最速で帰れるようにって願掛け!」
「……理解できませんね」アルが小さく笑った。
武器庫を後にしたユイは、王城内の宿舎へ案内された。
扉を開けると、二人の女性が待っていた。
一人は整った青髪に冷たい瞳を宿す魔法使い。
もう一人は白衣に金の刺繍を施した僧侶。柔らかな笑顔が印象的だ。
「勇者様ですね。お待ちしておりました。私はミカ・アザティス。主に遠距離からのサポートなどが出来ます。よろしくお願いします」
「これは勇者様。コルニジェート・リュクルゴスと申します。呼ぶ際はコルニ等と呼んでもらえると助かります。癒しと祈りを担当します。どうかよろしくお願い致します」
「おぉ〜!この子達と一緒に旅できるんだ!私は赤崎唯音、ユイって呼んで!」
「元気だけはあるようですね」ミカが小さく眉を上げる。
「まぁまぁ、ミカさん。元気は大事よ」コルニが笑う。
ミカの冷たい言葉。コルニの母のように温かい言葉。その温度差にユイはちょっとだけ肩をすくめた。
やがて中央の机に置かれた水晶が光り出す。
「ユイ様、手を当ててください。魔力適性を調べます」
「はーい」
手を置いた瞬間――バリンッ。水晶が粉々に砕け散った。
「えっ、えぇ!?」「……は?」
部屋が一瞬で静まり返る。
「これ、壊れたの?備品とかだったり・・・」
「魔力量の計測限界を超えたんです……」
ミカは唇を噛みしめる。「こんな人間、見たことない……」
ユイはニッと笑った。「でしょ? 私、根拠ないけど強そうなんだよね!」
「……根拠ないのに自信あるんですね」
「うん! 自信だけはタダだから!」
「……はぁ」ミカは額を押さえた。コルニだけが苦笑いしている。
少し落ち着いた頃、コルニがふと尋ねた。
「そういえば、戦士のナタさんが不在ですね。てっきり男性と女性で部屋を分けてるのかと思ってましたが」
アルが沈んだ声で答える。
「……ナタさんは病を患い、戦列を離れました。今、戦士枠はいません」
「なるほど……」ユイは腕を組み、唐突に言った。
「じゃあ、アルでいいじゃん」
「……は?」
「王子だし、剣もほどほどに使えるみたいだし、あとは顔もいい。それと王族のコネとかありそうだし?」
「理屈が滅茶苦茶です……!」ミカがすかさず突っ込む。
「でもイケメンだし、どうせ戦士枠いないなら誰かしらはいてくれた方が助かると思わない?」
「いや、それ以前に僕は王族で——」
「王族でも人間でしょ? 戦えるって!」
アルは言葉に詰まり、黙り込んだ。
確かに、彼の剣の腕はそんじょそこらの護衛兵よりも上だ。けれど、王族が国を離れるのは許されない。
その葛藤を抱えたまま、視線を落とす。
――そのとき。
重厚な扉が軋みを上げて開いた。
「騒がしいと思えば……」
「父上……!」
扉の向こうから重々しく厳かな歩みをしているその男は、どうやらアルの父である現国王だった。
「何をしている、アル」
「戦士枠が不在なので、僕が勇者一行に同行する形になるかもしれない...ということです」
「……そうか」
王はしばらく息子を見つめたのち、淡々と告げた。
「勝手にしろ。お前がいなくとも、国の跡継ぎはいる」
「父上、それは——」
「勝手にしろ、と言ったはずだ。特段お前がこの国にとどまる必要は無い。こちらに問題を押し付けず、自分で決めることだな」
言い捨てて背を向ける。
静寂の中、ユイがぽつりと呟いた。
「……なんか、許可もらえたって感じでいいよね?」
「……どこをどう解釈すればそうなるんですか」ミカが呆れる。
「だってだいたい行ってもいいって言われたようなもんでしょ? ほらポジティブ思考大事!」
アルは苦笑した。そして決断した。
「……そうだね。父上が止めなかった、それだけで十分だ。行こう」
「よーっし! これでパーティー完成!」
コルニが微笑み、「なんだか楽しそうね」と呟いた。
そして翌朝、王城の門前。
朝日が金色に照らす中、ユイが大きく伸びをする。
「よーし! 早起きで体調バッチリ!ササッと魔王倒して、あとはのんびり休むぞー!」
「勇者の目標がそれでいいんですか……」ミカが肩を落とす。
「働かないって最高だよ!時間をたっぷり使えるんだからね!」
「ふふ、悪くない夢ね」コルニが笑う。
こうして、あまりにキテレツで“働かないために戦う勇者”の旅が始まった。