「、…朝か」
鳥の囀りと早朝特有の静けさが耳に残る。
ガシガシと頭を掻きながら、ベッドから起き上がる。
「くぁ、…」
極秘任務の話を聞いてから既に3日。何かをしていないとグルグルとその話が頭を巡り続けている。そのせいで碌に眠れやしない。
「………今日は、休日か…」
予定を確認し、休日であることを思い出す。寝不足で頭が回っていない。
疲労が残る身体を引きづり、のそのそと剣を片手に日課の素振りの為に外へと出る。
「う、…」
未だ霞が掛かる頭に冬の朝日は眩しい。手で顔を覆い、白い息を吐きながら、いつもの中庭へと歩いてゆく。
中庭に着くと、一角に備わる井戸が目に入った。引き寄せられるように井戸へと足を進め、組み上げた水を飲んで、頭からも被る。
「……ぷは、」
ぽたぽたと髪から水が垂れる。
寒い。が、幾らか目が覚めた。
持ってきた布きれで乱暴に髪を拭いながら、立ち上がる。
「…ふー、…っ」
息を長く、吐き、剣を構える。
力まず、重さに逆らわず。自然体に。
無心に、剣を振り続ける。
「は……っ、…は…っ…………」
冷え切った体から汗が流れ出し、熱気が全身を包むのが分かる。程よい疲労感。体は温まり、眠気も飛ぶ。朝食前の運動なら充分だろう。そろそろ戻ろうか、と剣を鞘に戻そうとしたが、やはり頭をよぎるのは任務のこと。
ぎり、と歯軋りをし、強く柄を握る。
嫌なら…断れば良い。簡単なことだ。
2週間後にザルグに頭を下げる。それだけ。
頭では分かっている。だが、本当にそれでいいのか、お前は役割から逃げるのか、と囁く何かもそこにいる。喉に刺さった小骨のような酷く不快な引っ掛かりだ。
──だが、何もしなければ、先の襲撃は再び起きることは避けられない。君の周りにいる大切な人々を守るためにも、どうか、…慎重に考えてほしい。
「…ッ、クソ…‼︎」
邪念を振り払うように、再び剣を振るう。
袈裟斬り、突き、回転斬り。思うがままに。
体が重くとも、肺が痛もうと。息が切れて、目が霞もうと。怒りにも似た衝動に身を任せる。
「だァアアッ‼︎」
剣を握る力が更に強くなる。制御が乱れた魔力が手から滲み出て炎となる。それが剣を伝い、燃え上がる。
「、ァッ‼︎‼︎」
下段からの切り上げ。刈り上がり、舞った草木は燃え落ちる。炎の一閃が空を裂き、火の粉が降り落ちた。
「、はぁっ、…‼︎ はぁっ、…‼︎」
張り裂けそうな肺の痛みに疼き、肩で息をする。思考がままならず、剣を持つ腕が酷く震えるほど、疲弊していた。
「何をやってるんだ、朝から」
後ろから声が聞こえて顔を上げる。そこには大剣を背負ったルアスがいた。
「休日だからって何時から剣を振ってるんだ?、朝食は食べたのか?」
「……何時、…って……まだ……そんなに…」
「日も大分高いぞ。見てないのか?」
「え…?」
ふと顔を上げると、早朝から来た時より、日はだいぶ高い。目測で2〜3時間は過ぎている。
「あぁ、……本当だ。…朝食…は、…食べてないな…」
「もう食堂は空いてない。昼まで我慢するんだな」
「はは…、」
意識をすると、随分腹が減っている。水で誤魔化しつつ、数時間耐えねばならないか。
一旦、汗を拭いて着替えようか、昼まで何をしようかと考えていると、じっとこちらを見るルアスに気づく。
「……ルアス?」
「………アルド、お前、どうしたんだ?」
「え?」
「途中から見ていた。……お前の剣は流麗だよ。今は多少鈍っちゃいるが、丁寧で隙のない確実な剣技だと思っている」
「…?」
何を言いたい。そう問い返そうとしたが、何かを見通すような真っ直ぐな目を見たら、何も言えなくなってしまった。
「さっきのは何だ。炎の一閃…見たことのない技はともかく、それまでの剣技……動きはバラバラで力任せ……お前らしくない」
「…別に、ただ、振り回したかっただけだ」
「嘘だな。お前はそんな奴じゃない」
…事実だろう。ルアスは誰よりも俺の剣を見ている。当てずっぽうでも何でもない、ただの擦り合わせ。…自分の察しは悪い癖にたまにこうだから困る。
「…2日、…いや、3日前か。…モルクに呼ばれた後か? 何かあったのか?」
「…気にしないでくれ」
「気にするよ。友達だろう?」
優しさがじくじくと痛む。このもどかしい気持ちを吐き出せたら、どれだけ楽で整理ができるか。…けど、言えない。俺だけならともかく、ルアスにも迷惑をかけてしまう。
「うーん、言えないか。…じゃあ、例え話はどうだ? 何か言うだろ、言いやすくなるとか何とか」
「…っ、……あ、……」
「言いづらいか?」
「…いや、……大丈夫、言える」
とはいえ、何と言えば良いのか。ただでさえ整理がついてないのに、要点を掻い摘んで、秘密に触れないように例え話をするのは難しい。
「あー、………と…………自分にしか出来ない……危険な仕事をやれって……言われたら、どうする?」
「危険な仕事ぉ? …んー、私は経験を積む為に留学して、ここに来たからなぁ。…やる価値があると思ったら……やるかな。私は、私の決めたことを曲げたくはない」
「…そうか、…そうなのかな…俺は…」
「あくまで私の考えだ。答えは出すのはアルド自身だろう?」
「はは…そうだな」
「あぁ。…ちょっと落ち着いたか?」
「少しな」
「なら、良かった。…求めてた答えは知らないけど…困ったら、また相談に乗るよ」
「あぁ、ありがとう」
「よし、じゃあ私は素振りしてくから。アルドも休めよ」
「分かってるよ」
剣を揺らしながら、寮へと歩く。重くのしかかった責任が、少し軽くなった気がした。
◇◇◇
昼過ぎ。
本当に少しだが悩みも軽くなり、腹も多少満たされ、酷使した肉体。
窓から溢れる日が心地よく、眠い。けれどわざわざベッドで寝るほどでもないと感じている。
「広間に誰かいないかな…」
早朝と深夜を除けば、大体誰かしらいる寮の広間。知り合いがいれば、話すなどして時間を潰そう。いなければ、本でも読もうか。
「…残念」
誰もいなかった。驚くほど静かな広間の椅子に腰掛け、息を吐く。
……しまった。読む本を持ってない。大体誰かいるだろうとタカを括っていたのが失敗だったか。
「……ん」
共同の机に置いてある一冊の本。内容が良ければ、これでも…。
『Lark Bible』
…手に取る気も起きなかった。特に特定の何かを崇めている訳でもないが、全くコレには唆られない。否定したいわけでもないが。
「……まぁいいや、図書室で…」
「…あ、アルド君」
ふら、と立ち上がった直後、声がした。
「…モルク」
あの時呼び出した友達。お前が呼ぶから悩んでるんだぞ、そんな最低な八つ当たりが頭をよぎる。……違う、誰のせいでもない。
「少し…いいかな? 話したいんだ」
「…?、いいけど」
予想外のモルクの提案。
暇を持て余していたくらいなので、素直に応じることにした。
「……いや、本当は、誰だって良いんだけどね…」
「正直だな…」
「でも…アルド君にも、聞きたいことがあるんだ」
「俺に?」
「…あまり、思い出したくないと思うけど…聞かせて欲しい。少しは顛末を聞いてるけど……2ヶ月前…どうして、襲撃事件の時にあんなことを?」
「…避難指示に逆らった話か?」
「うん。どう考えても危なかったのは分かってたでしょう? 現にアルド君は重傷を負ってるし」
「…危ないは二の次。いや、考えてもなかった」
「え?」
「住んでた家がさ…城門から近かったんだ。家の近くにあった建物が崩れて火を上げていた。…母さんや叔父さん……俺の家族が俺のいないところで死んでいく。その可能性が怖かった」
「だから、無視したの?」
「そもそも被害があるのか、行って何が出来るか、…被害に巻き込まれるかもしれない……その可能性を考えられるほど、冷静にはなれなかった」
正直な話、覚えていない。衝動で飛び出し、家に走る。火事、倒壊、魔物…死ぬリスクは幾らでもあったが、怯える暇もなく走っていた。
「結果、叔父さんは被害を受けていて…俺がいなきゃ死んでたって。結果論だけど…魔物に殺されかけたし、間違いだったかもしれない。けど、……後悔は、してない」
「……凄いね、アルド君は。…褒めていいのか分からないけど。…怖く、なかったの?」
「怖かったよ。痛くて苦しくて死ぬかと思った。…けど、それ以上に叔父さんを死なせたくなかったんだ」
「………そう、…なんだ」
「けど、モルクが教えてくれたベホイミがなければ、誰も助からなかった。…今更だけど…教えてくれてありがとう」
「いや…君の努力のおかげだよ。私は、手伝っただけだから」
モルクは学生ながら、回復呪文が上手かった。ベホイミの習得はモルクがいなければ、今でも出来ていなかっただろう。
「それで…頑張って応戦してたら、騎士団に助けられた」
「…よく、生きてたね…」
「…俺も思う」
しみじみと実感する。傷は治ってはいるが、肩や脇腹には痕が残っている。何かが違えば、間違いなく死んでいた、それは間違いないだろう。
「……で、話ってのは?」
「え、……あ〜〜、……」
自身に聞きたい話、が区切りがついた今、誰でもいいから話したいと言う話を聞き出す。…も、どうも歯切れが悪い。
「えっ、と…………あの、さ。アルド君は、将来は…どう、考えてるの?」
「え? 将来?…何で急に?」
「…悩んでるんだ。…このままでいいのかって。…だから、誰かに聞きたかったんだ」
「……俺は騎士、」
──任務はアカデミーの卒業後だ。
「、っ、…‼︎」
「…アルド君?」
「…騎士、…になりたい。だから…少し後の兵団試験が…」
「また、人を助けるんだね」
「……? モルクは…?」
「実家の手伝い、かなぁ。…分からないや」
どうも会話にズレを感じる。違和感…歯切れが悪く、会話が上手く交差しない。
「…もし、また襲撃があったら、…アルド君はまた行くの?」
「……家族が死ぬかもしれなかった。近しい状況であれば…友達も…見捨てることは出来ない。出来ないんだよ、俺は」
「……そっ、か。…君は根っからの…」
「…根っからの?」
「ごめん、…今のは忘れて。話を聞いてくれてありがとうね」
「えっ、」
すっ、とモルクは立ち上がり、声を掛けるまもなく、立ち去ってしまった。
「、…?…何だったんだ…?」
これでよかったのか? よく分からないが…話を通して…自分も少しだけ、…整理が出来たような気がした。
◇◇◇
「いやー、助かるよ」
「もっとこまめに買っとけよ…」
「最近忙しくてなぁ」
「重いんだよ…」
夕方。
暇を持て余していたら、友人に声を掛けられ、そのまま街に買い出しへ。
本、文房具、小物、服、玩具、日用品……とにかく多い。
「……これお前、荷物持ちの為に誘ったな?」
「バレた? 悪ぃね、暇そうだったから」
「良いけどさ。…実際暇だったし」
「ははは、ほらコレやるよ」
「ん?、もが」
両脇が塞がっているのを見たかと思えば、何かを口に押し込んできた。舌で転がる甘く丸い物。
「…砂糖菓子?」
「さっき買った」
「また高い物を…」
「そういうなよ。たまにはいいだろ?」
「…そうだな。美味い」
甘味なんて随分久しぶりだ。舌で転がすと、滲み出る甘みに自然と笑みが溢れる。
顔を上げると、夕陽が街に沈んでいく。また1日が過ぎていく。なんだかんだで…悪くない時間だった。
──2週間で結論を出してもらいたい。
不意に過ぎる言葉に体温が下がった。
期日に焦り…考え込んでも、答えは出ない。
じわりと嫌な感覚が広がる。内臓を掻き回されるような不快感を誤魔化すように唇を噛む。
「聞いてる?」
「…え、何?」
「聞けよなー。付き合ってもらった礼に飯でも奢るって話だぞ」
「あー、…悪い。…腹が、減ってない」
「そう? んじゃ、俺も食堂でいーや」
善意が痛い。
どうしようもない吐き気が込み上げて、今は何も食べられる気がしなかった。
先程までは忘れられていたのに。
「いやぁ、助かったよ。後は俺が持ってくよ」
「あ、あぁ」
「じゃ、また今度な〜」
震えそうな体を抑えて、寮に着く。自分が抱えていた大荷物をひょいと持ち上げると、自室に去っていった。
「…クソ」
1人取り残された寮の入り口で悪態をつく。影は伸びていき、辺りは闇に染まり始める。自室に向かおうにも、体が震えて、足が前に出ない。
じくりとした頭痛を感じ、外壁によりかかり、座り込む。
…分かっているんだ。
いくら悩もうと、整理しようと。きっと、誰かに促されようと自分が納得出来なければ、答えは出ない。
……俺は、何をしたい?
「何やってる」
顔を上げると、冷たく見下ろす男がいた。月明かりに照らされた銀髪が夜風で靡いている。
「…ロイド」
「図書館の帰りにお前が見えてな。…まだ何か悩んでるのか」
「まだ、…って…何をだよ」
「ルアスから聞いた。何かを悩んでいると」
「……っ、…」
心配をかけているのが、言葉から滲む。俺だって、なりたくてなってる訳じゃない。自己嫌悪でますます気が滅入る。
「何があった?」
「………自分の、…将来が…分からなくなった」
「騎士を諦めるってことか?」
「…そういう訳じゃ…ないんだけど」
「…何があったかは知らない。聞く気もない。お前の将来はお前のものだ」
分かっているよ。
だから、こうして。
「だが、1つ、考えろ。何故、騎士を目指した?」
「…何故?」
「幼い頃からの夢だった筈だ。それを目指した軸…原点があった筈だ。それに従え。幾らかは納得出来る理由になる筈だ」
「…原点」
「それ以上、俺からとやかく言うことはない。さっさと自室に帰れよ。夜は冷える」
言いたいことを言うと、踵を返し、寮へと帰っていった。
「…原点。俺の、最初は」
憧れ。
騎士の父。
人を助け、人の為に戦った。
煌めく鎧が眩しくて。不屈の意思に焦がれていて。広い背中が格好良かった。
あんな姿になりたいと、幼い頃から思っていたんだ。
ふと、記憶がよぎる。
家族と囲んだ食事。
剣の手ほどき。……ただの買い物。
…俺は、何を?
「ッ、……‼︎」
いつのまにか立ち上がり、夜空を眺めていた。
薄暗い雲が流れ、月を覆っていた空がゆっくりと晴れていく。
草木が揺れる闇の中、その光が目に焼き付いていた。