何をやっているんだろうか?
どうして、俺は走っているんだ?
指示は? 避難は?
…頭がぐちゃぐちゃになって、まとまらない。
なのに、足が止まらない。
止めたいのに、止まらない。
行き先なんて分かるはずもない。
……でも、分かっている気がした。
息が苦しい。
空気が熱い。
音がうるさい。
ここを曲がれば、大通りに出る。
街が、燃えている。
人が、倒れている。
…逃げ惑っている。
──そうだ。
俺が、ここに来たのは──。
「ガァルゥヴァアッッ‼︎」
「⁉︎」
咄嗟に飛び退く。何かが目の前を掠めた。
視界はまだ闇に包まれているが、炎の明かりで目を凝らせば、かろうじて姿が見える。
「……この辺りじゃ、見ないな…」
青く生えた毛に茶色の衣服を身に纏う魔物。狼のような鋭い爪と牙を持ち、ギラギラと目を光らせている。
──リカント。
そんな名前の魔物だった、はずだ。
「…通らせてもらう」
腰の鞘から抜剣し、構える。
魔物が戦線を抜けてきた。そして、路地の中で一人の男が剣を抜いた。
死の気配が、瞬く間に場を支配する。
息を呑む気配。遠ざかる足音。
叫び声すら、もうこの路地には届かない。
「グルル…」
「…ふぅー、…」
深く、息を吐く。
──落ち着け。
目を凝らせ。
一瞬の隙を見逃すな。
昂っていた鼓動が、徐々に静かになる。
燃えていた音も。叫ぶような声も。
耳から消えていくように。
凪のように。冷静に。
「ガァルァッ‼︎」
リカントが飛びかかる。右の爪を振りかぶっている。顔面を抉るつもりだ。
「ふっ、‼︎」
左脚を引いて、爪を避ける。左が無防備、反撃を警戒していない。
「はっ‼︎」
避けざまに体をひねり、その勢いのまま腰を回して──横薙ぎに一閃。
刃が肉を裂き、断ち切る。切れた右腕が宙を舞い、落ちた。
「ガゥァッ⁉︎」
リカントの体勢を崩す。目線が腕に向く。
「大地斬ッ‼︎」
父に教わった、力の剣。
余計な力を入れず、正しい部位に適切な力を加える──教え通り、それだけでいい。
剣が肩から斜めに振り下ろされ、身体を切り裂いた。
「ガゥ、…」
呻き声を出して、たじろぐ。後方に跳び、反撃を警戒する。
傷口を抑え、焦点の合わない目で膝をつく。
そして、──倒れた。
リカントを やっつけた!
「はぁ、…はぁ、…」
倒れたリカントを見て、荒い息を吐く。
別に魔物と戦うのは初めてじゃない。授業の一環で教官や兵士も同伴ではあるものの、草原や森で、スライムやドラキー、いっかくうさぎとかの魔物なら戦った。
……でも今は、誰のフォローもない。
この辺りじゃ見たこともない魔物と、命を懸けて向き合った。
その事実だけで、体力とは別のもの――余裕や自信――をごっそりと持っていかれた気がした。
「…そうだ、…母さん、…叔父さんは…‼︎」
目的を思い出す。
ここは俺が住んでいた区画だ。母ミアと叔父サイルが住む家と鍛冶屋が近くにある。
「…クソッ、……最悪だ…‼︎」
通りの奥に魔物の群れが見える。兵団が戦っているが、押されているのか、このリカントのように抜けてきたのがちらほらいるようだ。
人が詰まり、道が動かない。
後ろから来るはずの兵団の姿も、いつまで経っても見えなかった。
「あぁぁあぁあぁっっ‼︎」
「邪魔だッ‼︎ 死にてえのかッ⁉︎」
怒声に顔を向ける。
倒れた男を抱えて、ひとりの女が泣き叫んでいた。
男の頭は割れている。……助かる見込みはない。
だが、女は動かない。いや、動けない。
道を塞ぐ2人に、背後の男が怒鳴り声をぶつける。例え、意味など無くとも。
「兵団は何やってんだよッ⁉︎」
「押すなよ、転ぶだろうがッ‼︎」
「早く行けよ、クソがッ‼︎」
「リコッ‼︎ ……リコッ‼︎ どこに行ったのッ‼︎」
それでも、誰も止めようとしない。
人がぶつかり合い、押し合い、倒れた誰かの叫びも足音にかき消されていく。
立ち止まれば、罵声が飛び、進めば、誰かを踏む。
どこにも正しさなんて、もうない。
もう、誰にも余裕など、残っていなかった。
リカントが倒れ、人の消えた路地から、阿鼻叫喚の地獄となった大通りを眺める。
いつ、魔物が現れるか。
いつ、人に押し潰されるのか。
いつ、人が死ぬか。
何度も決心した筈の心が震えてしまう。
──思い出せ。
何故、ここに来たのかを。
「…覚悟を…決めないとな…‼︎」