「こんにちは、堀北さん」
振り返ると、一之瀬さんがいた。
「何の用かしら」
あのジムで綾小路くんと一緒にいるのを見かけてしまってから一之瀬さんを見ると孤独感が高まってしまうようになってしまった。
彼女は三年生になってから異質な雰囲気を放つようになっていることもあり、私は最近の彼女にかなり苦手意識を持っている。今は、アレのおかげで大丈夫なのだけれど───
「・・・一之瀬さん。何か私に用かしら」
「やだな堀北さん。ただ見かけたから話しかけただけだよ」
とてもそんなふうには見えない。
「そう」
「なんか堀北さん嬉しそうじゃない?何かいいことでもあった?」
態度に出てしまっていたか。そう思い一之瀬さんを見ると、ある場所をじっと見つめていた。アレはさっき──
気づけば彼女は隠すこともなく内に秘めた凄まじいまでの愛憎を肌が粟立つような感覚とともに感じ取った。
「い、え。特には」
「へー・・・そうなんだ」
いつもと変わらない顔をしているはずなのに彼女がすごく怖く見える。
「堀北さんも寮に戻るんでしょ?一緒に行こうよ」
「そうね」
二人で並んで寮までの道を歩く。
会った瞬間とはまるで違うその発する感情に、強い恐れを抱いてしまう。本当に二年生までの彼女はなんだったのかというほど目の前の彼女が別人に見える。
「綾小路くん。とっても、世界の誰よりかっこいいけど、ちょっと最近モヤってしちゃうことがあるんだ。私なんかがそんなこと思うなんておこがましいのはわかってるんだけどね」
彼女が口を開くたび愛と憎しみ、その両方が天井なんてないんじゃないかと思うほど強くなっていくのを空気で感じる。
「そうなのね」
「うん。やりたいことのためになんでもやっちゃうところ、できちゃうところはすごくかっこいいところでもあるんだけどね。綾小路くんが目的のためとはいえ、他の子と話してると綾小路くんとその相手の子に対してどうしてもちょっとだけ嫌な気持ちを抱いちゃうの」
その言葉と同時に憎しみのほんの一部がこっちに向いたような気がする。
たった一部でも口が開かなくなるほどの圧を感じる。
「あ、ごめん。変な話しちゃったね。そんなこと堀北さんに言っても何にもなんないのにね」
今まで自分の発していたものに気づいていなかったのか、急に前の彼女のような顔に戻る。
「い、いえ。気にしないで」
「ありがとう堀北さん。あと・・・あ、そうだ」
何か言い残したことでもあったのか、再び一之瀬さんが口を開く。
「もう気づいてると思うけど綾小路くんと私、同盟組んでるんだよね」
彼女の今の言葉で予感が確信に変わる。
「でさ。同盟相手として言わせてもらうけど、堀北さんと綾小路くんは一応戦う相手同士だからさ。あんまり綾小路くんに迷惑かけるようなことはしないでくれると嬉しいかな」
「・・・」
確かに少しだけ迷惑をかけているかもしれない。でも彼が悪いのだ。移籍から始まって、いなくなって不安にさせたところであんな抱きしめるような真似をしたのが悪い。だから多少は仕方が───
「仕方がないから、って綾小路くんのせいにして私の言うことなんて聞かないってこと?」
完璧な読心に恐怖を感じざるを得ない。
「まぁ強制はできないからね。仕方ないか」
言葉とは逆に言うことを聞かないなら容赦はしないと言われてるような気がして口が動かない。
「じゃあね堀北さん。久々に話せて楽しかった」
微笑みながら一人エレベーターで上に上がっていく。
結構経った後の平日。
学校の至る所で彼を探して、見つけては話しかけようとする。
綾小路くんだ。
その目も体も声も佇まいもその全てが愛おしく、尊いものに感じる。
触れたい。感じたい。堕ちていきたい。
彼に。綾小路くんに。
衝動のまま彼に近づいていく。
「綾小路k──────
「綾小路くん!良かったら今日放課後一緒にお茶しない?話したいこともあるし」
「ああ、わかった」
「アヤn────
「あ、綾小路くんだ。へへっ、あのさ────」
こんな感じであの時から彼に会おうと隙を見つけては突撃しようとしても、いつ、どんなところでも一之瀬さんが先に話しかけて彼を奪っていってしまう。
私を明らかに彼から遠ざけようとしている。
おかげでこれまで以上に高まってしまったその欲求が影響してストレスが溜まりすぎている。
今日こそは彼に。
だがこうなってしまっては周りの目など多少は無視しないとどうにもできない。ならば───
「──小路くん。最近はクラスにももう馴染めたようで私も安心して過ごすことができます。綾小路くんの実力は信じていますがあまりコミニュケーションが得意な感じではなさそうでしたので」
「ああ、心配かけて悪かったな。今は普通ぐらいには知り合いもいると思うし、リーダーとして動くのに支障はない。これも白石の協力あってのことだ。感謝する」
「いえ。私はただ綾小路くんとお喋りしたかっただけでそこに吉田くんたちが寄ってきてくれただけですから。そもそも移籍される前から橋本くんとは仲が良かったみたいですし、森下さんとは何かと相性が良さそうでしたし。私がいなくてもあなたならきっとうまくいってたと思いますよ」
「そんな────」
「綾小路くん」
休み時間に彼のクラスに行くしかない。こうすれば一之瀬さんも干渉しづらいだろう。
「そちらは、Aクラスリーダーの堀北さんですか。何用かは存じ上げませんが、私用ならばこのような目立つ行為はクラスのリーダーとしてあまりよろしくないのでは?」
「いえ、大丈夫よ」
何も大丈夫ではないが、これで引き下がって彼に触れれないほうが大丈夫じゃなくなってしまうためこれでいい。
「今綾小路くんは私とお喋りしているので、終わってからでよろしいですか?」
「いえ急用よ。少し綾小路くんを貸してもらうわ」
「堀北」
彼が私の名前を呼んでくれた────
「あの時は仕方なくあんなことをしてやったがオレたちは違うクラス、敵同士だ。勝手に盛り上がって勘違いされると困る。それにこんな立場を弁えないような行動、放課後ならともかくこんな休憩時間にするべきではない。わかったなら自分の教室に戻ってくれ」
「───────、。」
何を言われ───拒絶された?彼に?まさか───そんなわけはない。そんなわけ───
脳では否定しようとしてもさっき言われた彼からの言葉が頭の中で何度も繰り返される。
「敵同士だ」
「勘違いされると困る」
こんな感じに言われたっけ。
「ふふっ」
自然に涙が流れてくる。まるで自分の全てが否定されたような感覚。なのに何故か口角は上に上がってしまう。私はおかしくなってしまったようだ。
「はは─────────」
そのまま教室を出る。
「あれでいいのですか?かなり追い詰められてるような危険な状態だと見受けられましたが・・・」
「まだあいつがクラスメイトの力で立ち上がる可能性は捨ててないが、あのまま潰れるようなら仕方ない。オレの見込み違いだったと言うことだ。オレの計画に支障がでるが───まあそれはこれから考えるとしよう──」
そんな音を聞きながらお手洗いに入る。
気持ちが悪い。
気持ちが悪い。
気持ちがワル、
「ヴ、ブ・・・ッ、オェ・・・」
抑えられず、吐き出してしまう。
「ゴボッ・・・カハッ・・・!」
「はぁ・・・ハァ・・・」
「はは・・・ははは・・・」
普通に汚いことなど構わず、そのまま床に座って笑いを漏らす。
授業開始のチャイムが不快な音になって頭に鳴り響く。
───どれくらい経ったろう。
動く気力さえ湧かない。
もうここにいる意味なんてないんじゃないかしら。
いっそのこと────
「堀北。いるなら返事してくれ」
茶柱・・・先生?
「はい・・・」
なんとか鍵に手を伸ばす。
「・・・大丈夫か?まさか吐いたのか」
「そうですね」
「何かあったのか」
「私の──ここにいる意味がわかりません」
「?お前はAクラスのリーダーとしてよくやっている。お前の力無くしては今Aクラスになどなってはいない。大丈夫だ」
「それは、彼が、綾小路くんがいたからです。彼がいなければ今でも私なんて何もできやしない愚か者の・・・」
過去を思い出して今はもうこの学校にはいない元生徒会長であり、私の兄でもある人のことが頭に浮かんでくる。
そうだ。あの人に卒業して成長した私の姿を見せなくてはいけない。
それまでは、死ぬなんて先走ったこと、してはならない。
「先生、大丈夫です。私、大丈夫です」
ただの自己暗示だろうが、今はそれでいい。
「あまり無理をするなよ。今日は休んでもいい」
「いえ、もう少ししたら教室に戻ります」
寮に戻ったら孤独感で何をしでかすか分からない。
「そうか、わかった」
先生がお手洗いから出ていく。
私のやるべきことは変わらない。試験で結果を出して彼に認めてもらって褒めてもらって愛してもらうだけ。
そのための努力を更に重ねていかなければならない。
クラスの仲間たちとともに最後までAクラスで───
あれから綾小路くんに接触は図っていない。
どうせ一之瀬さんがいるし、いなくてもまた拒絶されたら今度こそ耐えられない。
結果を出して会いにいけば彼もきっと受け入れて褒めてくれるだろう。そのためには勉強も運動もこれまで以上に努力していかなければならない。彼までとはいかずとも頭は坂柳さん、身体は天沢さんくらいまでには強くしていかなければ。
ふと思う。天沢さんは彼と昔からの知り合いだという。私は彼の本質を全く知らない。これからのためにも彼を知りたい。暇があれば天沢さんを観察でも尾行でもしてみようかしら。
それからはただひたすらに努力を積む日々。綾小路くんを欲する心を無理やり抑えつけてただ己の研鑽にのみ時間を費やす。
勉強して、勉強して、運動して、勉強して、勉強して、運動して、勉強して、勉強して、────
「おい鈴音、お前さすがに休んだほうがいいって。どんな顔しながらやってんだよ」
「堀北さん無理しすぎだと思う。僕も堀北さんの力になれるようにもっと頑張るから一旦休んだらどう?」
「うわ、見てよこの堀北の顔、世界一のブスじゃん」
「ね。私今まで生きてきてこんなクソブスな人と会ったことないよ」
色々な人から色々な言葉をかけられるけれどそんなものに構っている暇はない。まだまだ足りないのだから。
肌は荒れ、髪はこれまで以上に抜け、体は痒くてたまらない。
だが、それでも。
最後に報われるなら私の体なんてどうでもいい。そう思えてきた。
ある日。
綾小路くんと廊下ですれ違う。
彼はとても幸せそうな顔をしていた。
その顔を見て何故か酷い焦りを覚えると同時に今まで自覚してなかった感情が、抑えていた感情が決壊するかのごとく溢れ出す。
彼が好きだ。
一之瀬さんの気持ちが少し理解る。
彼に自分の全てを曝け出したくなる気持ち。
全てを差し出したくなるような気持ち。
私は彼女とは違って認めてほしいし褒めて欲しいし、愛に見返りを求めてしまうけれど。
その気持ちは共感できる。
私の中でもう一つ目標ができた。
6月下旬の早朝。
全学年を乗せた大型客船は、大海原を越えてある小さな無人島へと向かっていた。