極彩の奇跡   作:柚葉

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痛覚残響(痛覚残留)

青子が嵐のように去った後、観布子市の空気は目に見えて澱み始めていた。

 

マリア・クェストラは、工房の窓から街を見下ろす時間が増えていた。

彼女の「奇跡」という名のフィルターを通しても、最近の街はどこか不協和音を奏でているように感じる。

パステルカラーの街並みの端々から、黒いインクが染み出すような違和感。

 

「…ねえ、橙子お姉さん。あの赤い橋の向こう、すごく『嫌な色』がしてるわ」

 

「そうね。君の感性は、理屈を抜きにして本質を突くわね、マリア」

 

橙子は工房の奥で、大量の書類と格闘しながら、煙草の煙を吐き出した。

彼女の手元にあるのは、最近市内で多発している「ねじ切られた」遺体の捜査資料。

 

「浅上藤乃。君と同じ『無痛』の檻に閉じ込められながら、君とは正反対の出口を見つけた少女よ」

 

「正反対の、出口?」

 

「君は世界を『塗りつぶす』ことで痛みを拒絶した。けれど彼女は、溜め込んだ痛みを外側に『歪曲』してぶち撒けることで、自分の存在を証明しようとしている。…交われば、どちらかの現実が崩壊するでしょうね」

 

橙子の言葉は予言のように重かった。

 

その日の夕方。

マリアは一人で街に出ていた。

幹也との待ち合わせまで、まだ少し時間がある。

リリアスを引きずりながら歩く彼女の足元、アスファルトは彼女の機嫌を映して、柔らかいグミのような質感に波打っていた。

 

だが、大通りの喧騒を抜けた路地裏で、彼女はその「色」を見つけた。

 

「…見つけた。真っ黒な、渦巻きの女の子」

 

ビルの影に立っていたのは、礼園女学院の制服を着た少女、浅上藤乃だった。

彼女の瞳には光がなく、ただ虚空を見つめている。

しかし、その周囲の空間だけは、マリアのテクスチャさえも受け付けないほど、激しく捻じれ、悲鳴を上げていた。

 

「…あら。あなたも、私を笑いに来たのかしら」

 

藤乃の声は、凍りついた湖の底のように冷たかった。

彼女の視線がマリアの左腕に固定される。

 

「あなたの体、とても…『賑やか』ね。色んなものが張り付いていて、見ているだけで、私の奥が疼くわ」

 

「お姉さん、それ以上見ちゃダメ。私の色は、お姉さんには強すぎるんだから」

 

マリアがリリアスを構える。だが、藤乃は動かない。ただ、静かに目を細めた。

 

「いいえ。…曲がれ」

 

瞬間。

マリアの「奇跡」が、初めて内側から食い破られた。

彼女が現実を覆い隠していたパステルカラーの膜が、目に見える形でバリバリと剥がれ落ちていく。

剥き出しになった108本の魔術回路が、藤乃の『歪曲』の概念に直接触れ、共鳴する。

 

「あ…がっ…!?」

 

喉の奥で、経験したことのない熱い塊がせり上がってきた。

痛み、ではない。

それはまだ、自分という存在が「ねじれ」に屈しようとする不快な衝撃だった。

 

「ふふ。次は、もっと深く…全部壊してあげる」

 

藤乃はそれだけ言うと、霧のように闇の中へ消えていった。

 

工房に戻ったマリアは、ガタガタと震えが止まらなかった。

初めて自分の「色」が負けた。

それ以上に、あの少女の視線に触れた瞬間、自分の体の中に「自分ではない何か」が入り込んできた感覚が消えない。

 

「…マリア。逃げるなら今よ。九十九里大橋に行けば、君のその『無痛』の楽園は終わる」

 

橙子が冷たく言い放つ。だが、その隣で、幹也が静かにマリアの手を握った。

 

「お兄さん…。私、行かなきゃ。あの子、すっごく寂しい色をしてたの。…私の『青』と、お兄さんの『暖かさ』を、あの子にも分けてあげなきゃいけない気がする」

 

「…分かった。でも、無理はしないで。僕も、すぐに後を追うから」

 

外では、豪雨が降り始めていた。

すべてを洗い流すための雨ではなく、すべてを「痛み」へと変えるための、重く、暗い雨。

 

マリアはリリアスを強く握りしめ、夜の闇へと駆け出した。

九十九里大橋。そこが、彼女が「十四歳の夢」から覚め、初めて自分の血で世界を描くことになる、運命の舞台だった。

 

豪雨が観布子の街を塗り潰す夜。九十九里大橋の上で、二つの「欠落」が激突していた。

 

「…あ。あああ、あああああ!!」

 

マリア・クェストラの絶叫が、雨音を切り裂く。

銀髪を振り乱し、彼女はのたうち回っていた。

浅上藤乃が放つ『歪曲の魔眼』。それがマリアの左腕を捉えた瞬間、橙子の調整と幹也の温もりによって「生」を自覚し始めていた彼女の神経系は、防波堤が決壊するように激痛を迎え入れてしまった。

 

かつて1000回殺された記憶が、実感を伴う「苦痛」として脳を焼く。

パステルカラーのフィルターが激しく点滅し、世界が本来の、冷たくて残酷な色を露わにする。

 

「…ふふ。痛いわよね。でも、いいのよ。壊れてしまえば、もう何も感じなくて済むわ」

 

藤乃が両手を広げる。その背後で、巨大な橋の鉄骨が、まるで生き物のようにねじれ、軋みを上げる。

マリアは震える手で『リリアス』を握ろうとするが、激痛で力が入らない。

 

豪雨がアスファルトを叩き、九十九里大橋は荒れ狂う海の上に浮かぶ孤島のようだった。

 

「…ッ、が、あ…!」

 

マリア・クェストラは、ぬかるむ泥水に膝をついていた。

左腕が熱い。ただ熱い。

二十年以上の月日、一〇〇〇回の死を「なかったこと」にしてきた彼女の肉体が、初めて物理的な破壊(現実)を突きつけられていた。

 

浅上藤乃が、ゆっくりと歩み寄る。

その瞳は、もはや人間のそれではなく、空間そのものを咀嚼する魔眼の深淵となっていた。

 

「どうしたの? あなたのその綺麗な色、剥がれてきているわよ」

 

藤乃が視線を動かすたび、マリアの守護――「世界は甘いお菓子である」という奇跡のテクスチャが、ブリキを素手で引き裂くような音を立てて崩壊していく。

マリアの心臓が、早鐘を打つ。

これは「怖い」という感情だろうか。

それとも、神経が初めて「信号」として受け取った純粋な恐怖だろうか。

 

(いやだ…暗い、冷たい。お父様が私を殺していた時と同じだ。何も聞こえない、何も見えない…!)

 

マリアの精神が、かつての無痛の殻に逃げ込もうとしたその時。

 

「――逃げるな、銀髪。ここは、お前の空想の中じゃない」

 

背後から放たれた、剃刀のような声。

視界の端で、黒い革ジャンが翻った。

両儀式が、死の線を湛えた瞳で、歪み狂う大橋の空間を見据えている。

 

「式、お姉さん…っ!」

 

「痛いか。なら、それがお前が生きてる証拠だ。その痛みを捨ててまた眠るってんなら、今ここで私が引導を渡してやる」

 

式が地面を蹴った。

藤乃の視線が、式の喉元を「ねじ切る」べく固定される。

だが、その不可視の螺旋が届く直前、式のナイフが虚空に閃いた。

 

「事象の死を斬る」という理外の暴力。

藤乃が放つ歪曲の「線」を、式は直接断ち切っていく。

 

「…そんな、私の視線を、斬るなんて…!」

 

藤乃が動揺し、魔眼の出力が跳ね上がる。

橋全体が悲鳴を上げ、鉄骨が飴細工のようにねじれ、マリアの周囲に降り注いだ。

 

(…そうだ。痛い。痛いのは、私がお兄さんに撫でられた手を覚えてるからだ。お姉さんと一緒にたい焼きを食べた味を知ってるからだ)

 

マリアの脳裏に、幹也の穏やかな笑顔が浮かぶ。

一〇〇〇回の死にはなかった「温度」。

それを守るために、マリアは一〇八本の魔術回路を、自己防衛ではなく「反撃」のために駆動させた。

 

「…私の、大事な世界を…勝手に、ねじ曲げないで…!!」

 

マリアが咆哮した。

左腕の骨が砕ける音さえ、今は「自分を奮い立たせる太鼓」に聞こえた。

彼女はリリアスを杖にして立ち上がる。

極彩色の光が、マリアの体中から溢れ出した。それは以前のような逃避の色彩ではない。

泥にまみれ、血を流し、それでも「ここにある自分」を肯定するための、強靭な意志の輝き。

 

「お姉さん、道を…開けて!!」

 

マリアの叫びに、式がわずかに口角を上げた。

式が藤乃の正面から突っ込み、その魔眼の「焦点」を強引に引きつける。

その隙を突き、マリアがリリアスを天高く掲げた。

 

「固定…なさいッ!!」

 

タングステンの超重量が、藤乃の歪曲を真っ向から押し潰す。

藤乃が空間を「ねじ曲げる」なら、マリアはそれを「強引に平らへ叩き戻す」。

二つの異能が正面から激突し、大橋の空間がガラスのようにひび割れ、虹色の火花を撒き散らした。

 

衝撃の渦中、マリアは見た。

藤乃の瞳の奥に、自分と同じ、孤独に震える少女の姿を。

 

(…あなたは、私だ。誰にも触れてもらえなくて、世界を壊すしかなかった私)

 

マリアはリリアスを振り抜きながら、左腕の激痛を、藤乃への「共感」として投げつけた。

言葉ではない。

魔術でもない。

 

ただ、「痛いね」という確かな実感を。

 

ドォォォォォンッ!!

 

爆発的な衝撃波が雨雲を吹き飛ばした。

橋の上には、肩で息をする式と、力尽きて膝をつく藤乃、そして、折れた腕をだらりと下げながらも、藤乃に向かって這い寄るマリアの姿があった。

 

「…ねえ。…いた、いでしょ。お姉さん」

 

マリアが、震える右手で藤乃の冷たい手を握る。

藤乃の目から、初めて「痛み」を伴う涙がこぼれ落ちた。

 

「…ええ。…ええ。…とっても、苦しいわ」

 

マリアは折れた腕を抱え、藤乃の隣に座り込んだ。

痛い。けれど、この痛みのおかげで、自分は今、式と同じ世界に立ち、幹也の待つ場所に帰れるのだと、彼女は確信していた。

 

「…ねえ、お姉さん。これ、本物の雨の匂いね。…すっごく、変な匂い」

 

マリアは笑った。

 

雨が上がる。

雲の間から差し込んだ月光が、ボロボロになった三人の少女を照らした。

マリアの視界から、余計なパステルカラーは消えていた。

そこにあるのは、血と、泥と、夜の匂い。

そして、自分を助けに来た幹也が、遠くから自分の名前を呼ぶ声。

 

「…黒桐に、あんたが泣いてたって報告しといてやるよ」

 

「ええーっ! それだけはやめてよ、お姉さん!」

 

マリアが慌てて抗議する。

そのやり取りには、数分前までの死闘が嘘のような、奇妙な親愛の情が混じっていた。

式はそれに応えず、夜の闇に消えていく。

 

マリア・クェストラは、初めて、塗り絵ではない「本物の世界」の温度を、その身に刻み込んだのだった。

 

 

 

事務所のソファには、ボロボロになったマリアが横たわっていました。

左腕には橙子が緊急処置で施したスプリントが巻かれ、全身には式との共闘で浴びた泥と返り血が、乾かぬままこびりついています。

 

「…いた、い。お姉さん…すごく、ズキズキするわ」

 

マリアの口から漏れるのは、かつての「お菓子」や「星」の言葉ではありませんでした。

彼女の108本の魔術回路は、橙子の調整によって「痛み」を遮断するフィルターを失っています。

それは、彼女が「29代分の呪い」を、初めて生身の肉体で受け止めていることを意味していました。

 

「当然よ。腕の骨が二箇所折れて、神経が悲鳴を上げているんだもの。…でも、おめでとうマリア。君は今、世界で一番正しく『生身の人間』として壊れているわ」

 

橙子は眼鏡を外し、冷徹な魔術師の顔のまま、けれど手際よくマリアの包帯を取り替えていきます。

 

部屋の隅、影に溶け込むように座っていた式が、不機嫌そうに鼻を鳴らしました。

彼女の革ジャンも雨に濡れ、特有の獣のような匂いを放っています。

 

「…橙子。その銀髪、橋の上で情けなく泣きやがった。黒桐がいたら、あまりの過保護さに街一つ沈んでたところだぜ」

 

「あら、それは見たかったわね。…でも式、君が助けに入ったんでしょう? あの浅上藤乃の『歪曲』を斬れるのは、この街では君だけだもの」

 

「…ふん。あいつの『塗り絵』がグチャグチャにされるのが、見ていて癪に触っただけだ」

 

式はナイフを弄びながら、横たわるマリアを一瞥しました。

目覚めたばかりの病院で、自分にファンシーな暴力を振るってきた「化け物」。

それが今、自分と同じように痛みを知り、涙を流している。

式にとって、マリアはようやく「殺す価値のある人間」になったのでした。

 

その時、重い鉄の扉が開き、雨合羽を着た幹也が駆け込んできました。

マリアが運ばれたという報せを聞き、なりふり構わず走ってきたのでしょう。

 

「マリアちゃん…! 式、無事だったかい!?」

 

幹也の姿を見た瞬間、マリアの瞳にふわりと極彩色が戻りかけ、そして――すぐに消えました。

彼女はもう、自分の現実を甘い夢で誤魔化すことをやめたのです。

 

「お兄さん…。いたいよ。…私、すごく痛いの」

 

「…ああ、そうだね。痛いね、マリアちゃん。…頑張ったね」

 

幹也は泥に汚れたマリアの右手を、両手で包み込みました。

マリアはその手の温かさを感じた瞬間、張り詰めていた緊張が解け、子供のように声を上げて泣き出しました。

それは、1000回の死でも、九十九里の激痛でも流せなかった、安堵の涙。

 

「…やれやれ。これじゃ、どっちが患者か分かりゃしない」

 

橙子が呆れたようにタバコに火をつけます。

式は、マリアの泣き声がうるさそうに耳を塞ぎながらも、部屋を出て行こうとはしませんでした。

 

「黒桐。その銀髪に言っとけ。…次、私の邪魔をしたら、その痛覚ごと、存在の根っこを斬ってやるってな」

 

式はそう言い残すと、不器用な優しさを隠すように、夜の闇へと消えていきました。

 

翌朝、マリアの左腕に残された深い「ねじれの傷跡」。

橙子はそれを消すこともできましたが、マリアはあえてそれを残すことを選びました。

 

「これね、お姉さんと、式の…お姉さんとの、しるしなの。…痛いけど、これを見るたびに、私、ちゃんとお兄さんの隣にいるんだって、思い出せるから」

 

銀髪の少女の瞳には、もう狂った色彩のフィルターはありません。

そこにあるのは、少しの痛みと、それ以上に温かい「現実」の光でした。

 

九十九里大橋の惨劇から一週間。

観布子市を濡らしていた雨は上がり、冬の足音が聞こえるほどの澄んだ空気が「伽藍の堂」の窓を叩いていました。

 

マリアの左腕は、橙子の魔術的な処置と幹也の献身的な看護によって、ひとまずは固定ギプスが外れるまでに回復していました。もっとも、魔術回路を無理やり「痛み」に接続し直した反動で、彼女は今、生まれて初めての激しい「筋肉痛」と戦っている最中でしたが。

 

「…あ、お兄さん。そこのイチゴ、もう一つ食べてもいい?」

 

「いいよ、マリアちゃん。でも、お腹を壊さないようにね」

 

幹也がリンゴを剥く隣で、マリアが幸せそうに声を上げていた、その時。

工房の重いドアが、申し訳なさそうに、遠慮がちに数センチだけ開きました。

 

「…あの、ごめんください。…蒼崎さんは、いらっしゃいますか?」

 

鈴の音のような、けれどどこか冷たい響きを持つ声。

そこには、礼儀正しい制服姿の少女――浅上藤乃が、小さな菓子折りを抱えて立ち尽くしていました。

 

「…あ。お姉さん」

 

マリアの動きが止まります。

彼女の脳裏に、あの豪雨の中、自分の腕を無慈悲にねじ切った「視線」の記憶がよぎります。

反射的に左腕がズキリと疼き、マリアはわずかに顔をしかめました。

 

藤乃はドアの隙間で、幽霊のように佇んでいました。

彼女の瞳は、あの夜の狂気じみた色を失い、代わりに底知れない「気まずさ」と「困惑」を湛えています。

 

「…あの…お見舞いに、伺いました。…その、お加減は、いかがでしょうか」

 

藤乃は一歩踏み出そうとして、部屋の隅でナイフを研いでいた両儀式と視線がぶつかりました。

式は返事もしませんが、その「死を視る」瞳で、藤乃の歪曲の魔眼を牽制するように見据えています。

 

「…っ」

 

藤乃が怯えたように肩を震わせるのを見て、幹也が慌てて立ち上がりました。

 

「浅上さんだね。話は橙子さんから聞いてるよ。さあ、中に入って。マリアちゃんも、君を待っていたんだ」

 

「…待って、いた…? 私、彼女に、あんな酷いことを…」

 

「いいのよ、お姉さん」

 

マリアがベッドから身を乗り出し、藤乃を招き入れました。

彼女の眼には、もう藤乃は「自分を壊す怪物」としては映っていません。

同じように痛みを知らず、同じように世界から浮き上がっていた、悲しい「塗り絵仲間」に見えていました。

 

藤乃は恐る恐るマリアのそばに寄り、持ってきた袋をテーブルに置きました。

中には、可愛らしいリボンがかかった手作りの焼き菓子が入っていました。

 

「…これを。…私、どう謝ればいいか分からなくて。…痛かった、ですよね」

 

藤乃の指先が、マリアの左腕に残る、わずかな変質の痕跡に触れようとして、止まります。

マリアは、その藤乃の手を、自分からぎゅっと握りしめました。

 

「痛かったわよ、お姉さん。すっごく、すっごく痛くて、世界がお星様になっちゃうかと思ったわ」

 

マリアは笑いました。

でも、その笑顔は以前のような空虚なものではありません。

 

「でもね、痛いってわかったから、私、今こうしてお兄さんのリンゴが『美味しい』ってわかるの。お姉さんがくれたこのお菓子も、きっと、とっても甘いってわかるわ」

 

藤乃は、目を見開きました。

自分は彼女を壊したと思っていた。

けれど、目の前の銀髪の少女は、その壊された「痛み」を、まるで勲章のように、あるいは新しい感覚の扉のように受け入れている。

 

「…あなたは、不思議な人ですね。…私、あなたをねじ切った時、初めて自分が『ここにいる』って感じたんです。…だから、謝りに来たはずなのに、少しだけ、嬉しかったんです」

 

「ふふ、お姉さん、やっぱり変ね。私とおんなじ」

 

マリアは藤乃の手を引いて、自分の隣に座らせました。

二人の少女。一人は空間をねじ曲げ、一人は存在を固定する。

そのどちらもが、今はただの「痛みを知ったばかりの子供」として、幹也が剥いてくれたリンゴを分け合っています。

 

「…あいつら、放っておくと街ごとパステルカラーのゴミ溜めに変えそうだな」

 

式の呟きに、橙子がタバコの煙をくゆらせながら同意します。

 

「そうね。片方は空間を歪め、片方は概念を書き換える。…けれど、あんな風に笑い合っている限り、この街の平和は当面は守られるでしょうよ」

 

工房の窓から差し込む冬の午後の光。

マリアは、藤乃が持ってきたクッキーを一口齧り、目を細めました。

 

「あ、これ、お姉さんの匂いがする。…ちょっとだけ、鉄の味がして、でも、すっごく甘いわ」

 

「…それは、多分…私の、下手な隠し味ですね」

 

藤乃が、初めて、年相応の少女のような「照れ笑い」を浮かべました。

 

九十九里大橋で激突した二人の欠落。

それは、痛みという名の接着剤によって、かつてないほど奇妙で、温かい「友情」へと上書きされようとしていました。

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