極彩の奇跡   作:柚葉

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極彩幻想-4

マリアの日記:9月1日(晴れ)

 

 

 

今日から九月。

昨日までの、あの魔法みたいにキラキラした空気は、もうどこにもない。

私が持っていた「とっておきの色」を、全部この街の隙間に流し込んじゃったから。

 

今の私は、空をパフェの色に変えることもできないし、

嫌な魔術師をキャンディに変えてやっつけることもできない。

リリアスも、ただのちょっと重たい飾り物の杖になっちゃった。

橙子お姉さんには「究極の無駄遣いね」って呆れられちゃったけど、

その顔が少しだけ優しかったのを、私は見逃さなかったよ。

 

今の私にできること。

それは、昨日までとは比べものにならないくらい、ちっぽけなことばかり。

 

朝、自分でちゃんと目覚まし時計で起きること。

(今までは、朝が来いって願うだけで太陽が眩しくなってたから)

 

お兄さんのために、魔法じゃなくて、火加減を気にしながらパンを焼くこと。

 

式お姉さんに投げ飛ばされても、泣かないで立ち上がること。

 

重たい買い物袋を、自分の足で一生懸命運ぶこと。

 

不思議だね。

指先一つで世界を変えられた時よりも、

一生懸命お湯を沸かして淹れたお茶の方が、ずっといい匂いがする。

美味しいねって言ってもらえた時、私の胸がポカポカするのは、

それが書き換えた結果じゃない、ただの本当のことだからなんだと思う。

 

私の108本の回路は、もうほとんど動かない。

でも、その代わりに、私には二本の足と、二本の腕と、

誰かを好きだって思う、たった一つの心がある。

 

世界を救う力はなくなっちゃったけど、

隣にいる人をちょっとだけ笑顔にする力なら、まだ残ってるはず。

明日からは、魔術師のマリアじゃなくて、

ただのマリアとして、この不自由で、面倒くさくて、

最高に愛おしい毎日を、一歩ずつ歩いていこうと思う。

 

おやすみなさい。

明日の朝ごはんのオムレツが、ちゃんと綺麗に焼けますように。

 

 

 

マリアの日記:9月10日(曇り)

 

 

 

今日は朝からずっとどんよりした曇り空。

前までの私なら、指先をちょっと動かすだけで「美味しそうな夏空」を呼び戻せたけれど、今はただ、窓を叩く湿った風の音をじっと聞いている。

 

午前中は、橙子おねえちゃんの特訓。

今の私は、ライターの火を借りるみたいに、一つ一つの言葉と手順を積み上げないと、小さな火を灯すことさえできない。

 

「――不自由ね。不便だね」

 

私が思わずそう零すと、おねえちゃんは眼鏡を光らせて、意地悪そうに笑った。

 

「そうよ、マリア。その『不便さ』こそが、人間が一生をかけて楽しむためのスパイスなのよ」

 

おねえちゃんが教えてくれる魔術は、とっても理屈っぽくて、遠回り。

でも、不思議だね。

一生懸命に言葉を紡いで、やっと指先に小さなパチパチとした火花が咲いたとき、胸の奥がぎゅっと熱くなった。

これは、全部を思い通りに書き換えていた頃には、一度も感じたことがない感覚。

 

「できた…! おねえちゃん、見て!」

 

「…ええ。三流どころか五流の火花ね。でも、その火はあんたが自分で『勝ち取った』火よ。二度と忘れないことね」

 

おねえちゃんに頭を撫でられると、なんだか自分が、本物の「魔術師の弟子」になれたみたいで、とっても誇らしい気持ちになった。

 

夕方、式おねえちゃんが「湿気で髪がうねる」って不機嫌そうに事務所に来たから、おねえちゃんに教わったばかりの『微風』の術を使ってみた。

結果は…式おねえちゃんの顔に、少しだけ生温かい風が吹きかかっただけ。

 

「…マリア。テメェ、喧嘩売ってんのか」

 

って睨まれちゃったけど、お兄さんが「マリアちゃん、頑張ったね」ってフォローしてくれたから、大成功ってことにしよう。

 

不便なのは、生きているっていう手応え。

楽しいのは、私が「ただのマリア」として、みんなと同じ時間を過ごせているから。

 

明日も、明後日も、この不自由な世界をめいっぱい楽しもうと思う。

…まずは、おねえちゃんに出された「魔力経路の基礎計算」の宿題を終わらせなきゃ。

これ、魔法を使うよりずっと大変だよ!

 

おやすみなさい。

明日は、少しだけ晴れますように。

自分の力じゃなくて、空のご機嫌で。

 

 

 

マリアの日記:10月1日(嵐)

 

 

 

外はすごい嵐。

雨が窓を叩く音が、まるで大きな太鼓みたいに響いてる。

お兄さんも式おねえちゃんも、今日は危ないからって早く帰っちゃった。

橙子おねえちゃんは奥の部屋で難しい顔をして調べものをしてる。

 

そんな嵐の夜、窓の外から「コンコン」って音がしたの。

三階なのに変だなぁって思って開けたら…そこには、ずぶ濡れのはずなのに、一滴も雨に濡れていない「青子おねえちゃん」が立ってた。

 

「やっほー、マリア。元気にしてた?」

 

おねえちゃんは、まるで隣の部屋から遊びに来たみたいに軽々と部屋に入ってきた。

橙子おねえちゃんにバレたら絶対また大喧嘩になっちゃうから、私は慌てておねえちゃんをクローゼットの陰に隠した。

 

おねえちゃんは、今の私の細くなった魔力の流れをじっと見て、それから私の顔を覗き込んで、悪戯っぽく笑いながらこう聞いたの。

 

「ねぇ、マリア。今のその不自由な体…楽しい?」

 

私は、少しだけ考えてから答えた。

 

「うん。不便だけど、とっても楽しいよ。お湯を沸かすのも、階段を登るのも、全部が『私のこと』だって感じがするんだもん」

 

それを聞くと、おねえちゃんは「そっか」って、なんだかすごく安心したような、でも少しだけ寂しそうな顔をした。

 

「あんたにその『不自由』を教えたのは私だけど、それを選び取ったのはあんた自身だものね。…いいわ、合格。そのまま、うんと苦労して人間をやりなさいな」

 

おねえちゃんは私の頭を、大きな手で、力いっぱいクシャクシャって撫でてくれた。

橙子おねえちゃんの撫で方とは違う、熱くて、元気が出る撫で方。

 

「あ、これ。お土産。私がいなくても、ちゃんと『人間』でいられるように」

 

そう言って手渡されたのは、不思議な輝きを持つ「青いガラス玉のヘアゴム」。

私が「ありがとう!」って言おうとした時には、おねえちゃんはもう、嵐の空に溶けるみたいに消えていた。

 

そのあと、奥の部屋から出てきた橙子おねえちゃんが、部屋に残った微かな魔力の残り香を嗅いで、

 

「…あのバカ女、不法侵入したわね」

 

って、ものすごく怖い顔で言ってたけど、私は知らないふりをした。

 

おねえちゃん。私は楽しいよ。

誰かが決めた「星の意志」じゃなくて、私が決めた「今日の予定」で生きるのが。

 

明日は嵐が止んで、ピカピカの秋晴れになりますように。

おねえちゃんにもらったゴムで、髪を可愛く結んでいこう。

 

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

橙子は、キッチンで不器用に卵を割っているマリアの背中を眺めながら、手元の古い魔道書を閉じました。

その瞳は、師としての慈しみと、魔術師としての冷徹な観察眼が混ざり合った、複雑な光を宿しています。

 

「…やれやれ。今のあの子を見れば、時計塔の連中が『牙の抜けた飼い犬』だと勘違いするのも無理はないわね」

 

今のマリアが振るう魔術は、実に見るに耐えない。

かつて世界の色を書き換えたあの奔流は影を潜め、火を灯すのにも、物を浮かすのにも、ありふれた三流魔術師程度の詠唱と手順を必要としている。

彼女が自らの本質を街に還したことで、108本の回路は「出力」としての機能を失い、今はただの「人間を維持するための循環器」に成り下がっているからだ。

 

けれど、それは決して、彼女が「無力」になったことを意味しない。

 

今、マリアを「ただの少女」に留めているのは、彼女自身の意志による『人間性というテクスチャ』だ。

お兄さんに褒められたい、式とタルトを食べたい、橙子に叱られたい——。

そんな、取るに足らない、けれど強固な執着が、彼女という存在を人間という型に押し込めている。

いわば、自らの全能性に「人間」という名の重い蓋を被せている状態だ。

 

問題は、その蓋が外れた時。

もし、この観布子市の平穏が壊され、彼女が愛する「日常」というテクスチャがズタズタに引き裂かれるような事態になれば…。

絶望や怒りによって、その「人間性」という蓋が損なわれた瞬間、彼女は再び、星の意志と直結した『空想具現化』の怪物へと先祖返りする。

 

しかも、今の彼女は「人間としての感情」を学んでしまった。

無垢な白だった頃とは違う。

『憎悪』や『悲しみ』の色に染まった空想具現化。

それがどれほどの地獄を現世に描き出すか、想像するだけで反吐が出るわ。

 

だからこそ、あの子を呼び出そうとする時計塔の連中は、自分たちがどれほど危うい火遊びをしているか理解していない。

あの子を無理やり連れ去り、その心を壊すことは、この星に「決定的な終末」を引き起こすトリガーを引くのと同じことよ。

 

今のマリアが三流の魔術しか使えないのは、彼女がこの世界を「壊さない」と決めたから。

その沈黙は、弱さではなく、彼女なりの最大の慈悲なのよ。

 

「…ねえ、お姉さん? さっきから私のこと、変な顔で見てるでしょ。これ、隠し味に『雲の砂糖』入れたから、絶対美味しいんだから!」

 

マリアが、少し焦げたクッキーを誇らしげに差し出してくる。

橙子はそのクッキーを一つ摘み、口に運んだ。

…ひどく甘くて、そして驚くほど「普通」の味がした。

 

「…そうね。三流の魔術師にしては、上出来の味だわ」

 

橙子は眼鏡を掛け直し、再び煙草に火をつけた。

この「ありふれた味」が続く限り、世界はまだ安泰だ。

もしマリアのクッキーが、再び「星の味」に戻るような日が来るとしたら…その時は、自分が全力であの子を、もう一度「不自由な人間」へと引き戻してやるしかない。

 

それが、この危うい境界線の上に立つ少女の、師となった私の責任なのだから。






あとがき

長らくお付き合いいただきありがとうございました。
これにて一旦完結となります。
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