悪夢
「がっ」
セスタは高い所から落ちたような衝撃で目を覚ました。
「ここは」
周囲の様子は先程とは違う。
埃まみれ、カビまみれの薄汚れた汚いこの場所は先程までいた闇の魔術に対する防衛術の教室では無い。あの場所は清掃だけはきちんとされていた。
それにセスタの格好も変わってしまっている。
背は百センチにも届かない大きさになってしまった。
髪もそうだ。セスタの白髪は肩甲骨の辺りにまで伸びている。
おまけに、着ている物も変わっている。
スカートだ。
スカート自体はなんて事ない普通のスカートだ。華美な装飾がある訳で無く、露出が激しい訳でも無い、ただのスカート。
服屋さんに行けば、何処でも大体ある感じのスカート。
ただ、それを着ているのが女の子ではなく男の子であるというのがそこはたとなく、インモラルでアブナイ雰囲気を醸し出していた。
─この姿は……
セスタの身体が、無意識の内震えている。
それは心の深い領域に付けられた、幼い頃のトラウマであり一生鎮座する事になるであろう心の傷が
原因なのだ。
セスタは自身の今の姿が何を意味しているのかをわかっている。
「昔の俺だ……」
今よりももっと、もっと、もっと小さかった頃。
まだ自分が出来上がったばかりの頃。
守るべき他者の存在を知らず、自分以外の全てが敵だった頃。
この頃は大人が自分と同じ人間だと思っていなかった。
「震えるなよ、俺の身体……っ!」
この世界は夢の世界だ。
セスタはクィレルの呪いによって悪夢の檻に囚われている。
この世界は現実の世界では無い。
何でもありの夢の世界であり、認識の世界。
セスタの幼い頃の傷の世界なのだ。
クィレルはこの呪いをとある存在から教わった。
掛けられた者は優しい夢を見る事ができる魔法だと教わった。あらゆる悲しみから、苦しみから解放され幸せな夢を見る事ができる魔法だと言われ教わり、殺したくなかったセスタに使用した。
全くの嘘であるが。
この呪いは悪魔を見せる呪いだ。掛けられた人間の心の傷を暴き、掻き回し、広げ、弄る。
他人の痛みを考える事のできない人間が、他人悲しさを悲しむ事のできない人間が、他人の苦しみを嗤う様な悪辣な人間が考えた最低最悪な呪いだ。
この悪夢はセスタの傷だ。
この悪夢はセスタの過去を邪悪な意思が悪辣に切り貼りして編集してより酷いモノにした悪夢だ。
セスタは異様に小さく、細く、弱い。
余りにも弱く無力だった昔のセスタを誇張して更に弱くした存在がこの夢の中でのセスタだ。
この世界はセスタ以外が異様に大きい。
セスタにとって幼い頃の世界は自分が生きる為の規格に無かった事が誇張されたのだ。
成長して、いつのまにか克服していた筈の恐怖がセスタを襲う。
成長して、いつのまにか忘れていた筈の恐怖がセスタを襲う。
「俺は……もう大丈夫っ!」
震える身体に鞭を打って大丈夫なのだと虚勢を張るセスタを馬鹿にする様に悪夢が追い討ちをかけてくる。
「kenekemekekekekekekekekelek」
「わぁぁあ⁈」
開いていたが、真っ暗で先がわからなかった扉の奥から手が伸びてきてルルの足を掴み、扉の奥へと引き摺り込んだ。
「気持ち悪いなぁっ!」
引きずり込まれた部屋の天井に吊るされている、ぼんやりとした照明
が犯人の姿を照らす。
空気を入れすぎた風船の様に膨れた頭部に被されている笑顔の仮面は厚過ぎる化粧で彩られている。
くるっくるっのパーマは滑稽で。
セスタを掴んだ腕は本体の3倍の長さはあるだろう。
そして異様に細く、でかい。
どう見ても人間じゃ無いそれの特徴をセスタは覚えていた。
セスタを逆さにして、スカートの中身を丸見えにして吊るし持っている変態化け物ババアをセスタは覚えている。
細すぎる体躯、ギョロギョロと動く大きな目玉、下品な程に塗りたくられた化粧。
これらの記号を足していって頭の中に浮かび上がるのは一人だった。
「久しぶりだなぁ! マーサオカアサン‼︎」
それは敵。
セスタが憶えている中で一番最初の孤児院の職員だった。
子供が心底嫌いな癖に孤児院の職員なんかしていて──嫌いだからこそ可哀想な子供達を近くで見たかったのか──いつもセスタ達を虐めた。
ご飯は栄養なんて考えられておらず、いつも適当かつ量が足りない。
服は襤褸襤褸、掃除も適当なので埃が酷い。
風呂だって中々入れて貰えなかった。
何回か孤児院の職員は変わったが、一番最初のマーサオカアサンの時が一番酷い環境だった。
何よりこの女の酷いところは、セスタ達の尊厳を踏み躙るのに躊躇いが無いところだった。
セスタにこの格好をさせたのはこの女だ。
そしてセスタはこの格好で男児趣味の金持ち共へ貸し出された。
ある日は太った男。
ある日は細い女。
ある日はある日はある日ある日は……
蹂躙。まだ自我もはっきりしない時期に己の尊厳を蹂躙され続ける。
醜い大人の抑えきれない情欲を一方的に押し付けられ続けた。
いつの間にかマーサオカアサンは孤児院から消えて新しい職員に変わってその地獄の巡礼は終わった。
しかし、それが終わる前には何人もの男の子が壊れてしまった。
セスタが今のセスタでいられているのは奇跡だろう。
マーサオカアサン。それはセスタの認識世界にこびりついている悪性情報。
バケモノの名。
あぁ、帝王が作り出した悪夢の檻よ。お前は正しい。
深層心理にこびりつくトラウマ。
舞台も良い、いや悪いと言おう。
そんな最悪な舞台に現れるこれまた深層心理にこびりつくトラウマを更に醜悪にしたモノ。
それと相対する己は最も弱い自分。
何の力も無く、踏み躙られるだけの弱い存在。
心を殺すにはこれ以上無いシチュエーションだ。
闇の帝王の悪辣さが発揮されまくる。
しかしだ。
「敵だ」
お前が檻に捕らえたのが何なのか忘れた訳ではあるまい。
獅子なのだ。
「敵だ、敵だな、ああ敵だ」
獅子の目の前に明確な敵を出してしまった。
これはいけない。
普通ならトラウマの世界に重ねがける様にトラウマを具現化した怪物が現れたとすれば、人は絶望するだろう。
しかしセスタ•ランパードはグリフィンドールなのだ。
ただの組み分けでは無く、真の意味でのグリフィンドール生。
誇り高き獅子。誰が為の騎士、空へ駆けるグリフィン。
恐れはある。まだまだ未熟。
それでも何者にも穢す事のできない勇気を持つ彼は敵がいるなら戦う道を選ぶのだ。
自惚れるな、邪悪な意思よ。
お前が捕えたのは理不尽を喰い殺し続ける獅子なのだ。
「はぁぁぁぁぁぁあっ!!」
まずは、逆さ吊りで掴まれた現状を何とかする為に動き出す。
振り子の様に前後に身体を大きく揺らす。
それに驚くのはマーサオカアサン。
彼女にとって子供とは無力な存在だまた筈だ。小さく、弱い。数少ない自分より圧倒的に下の存在。
それが己に反旗を翻す? そんな事想定している訳が無い。
「guaaaaaッ⁉︎」
気分としては死んだと思って掴んでいた虫が突然暴れ出すイメージ。
マーサオカアサンはセスタを掴んできた手を離してしまう。
「そこぉッ‼︎」
自由になった程度でホッと一安心と一息付く程セスタは温厚では無い。空中に放り投げられて床へと落下する前にギョロギョロと付き出たマーサオカアサンの目に蹴りを一発お見舞いする。
「gaaaaaaaaaaaッ⁉︎」
激しい激痛がマーサオカアサンを襲った。
そもそも痛みに耐性なんてものは無い彼女はドタンと床に倒れ、汚い悲鳴を出しながらのたうち回る。
それとは対照的にセスタはスタッと着地。からの追撃を加えようとするも、そう上手くはいかなかつた。
マーサオカアサンがビュッぷー、と汚い口笛を吹く。
すると床を割って、壁を壊して、汚い肉の塊達が部屋に侵入してきたのだ。
こいつらは客だ。
マーサオカアサンに小金を掴ませてセスタ達孤児院の子供達を貪っていたケダモノ共。
人間と言うには理性が足りない。品性が足りない。
獣と言うのも失礼だ。奴らは野生の意地など持たない。大自然を生きる逞しさとはかけ離れた存在だ。
余りに醜悪、余りに害悪。
「うばぁぁぁぁぁぁあ」
「あ゛あ゛あ゛」
「がぁがぁ゛ぁ゛ぁ゛」
言葉など忘れてしまった化け物未満のケダモノ達は真のモノなど何一つ映さない濁った瞳の奥を輝かせる。
口からはみっともなく涎をダラダラと濁流の様に垂らしている。
好物だ。大好物が直ぐそこある。
己達に蹂躙される為に、己達の欲望を満たす為に。
嬉しいなぁ。嬉しいなぁ。
下卑た心がそのまま下卑た笑いとなって表に出てくる。
弄ぼう。弄ろう。少し粋がった所でか弱い子供。
見たまえ、あの小枝の様に細い身体を。
あぁ弱い、弱い弱弱い弱い、弱すぎる。悲しく──いや、嬉しくなってしまう程に弱々しい。
髪をつかもう。
足を折ろう。
腕を握り潰そう。
スカートの中を弄ろう。
可愛い顔を舐めてやろう。
ギャラギャラゲラゲラ。
醜いケダモノ達は嗤う。嗤う。嗤う。
マーサオカアサンも嗤っている。自分に楯突くからこうなるんだと、いい気味だと嗤っている。
その様は────何て滑稽なのだろう。
愚か者共は気付かない。
汚濁まみれの嵐の中で、セスタの瞳は星の如き輝きを一切曇らせていない事に。
セスタの心は折れてなどいない。寧ろ、燃料を焚べられているかの様に燃え上がっている。
「お前達は過去だろう」
確かにセスタの心に深く切り付けられていたトラウマな事に変わりは無い。
ならばセスタはこれまでの人生、寝ても覚めてもこの悪夢に怯えてビクビクしながら惨めに生きていたのか?
それは違う。
セスタは今の今まで帝王の呪いによって強制的にこの場に連れて来られるまでこの悪夢の事など思い出しもしていなかった。
そう。
セスタにとってこの悪夢は既に乗り越えていたモノであり、一々思い出す程のモノでは無いのだ。
「過去がいつまでも俺の足を引っ張ってんじゃねぇ。俺は早く妹達の元に向かわねばならないんだよ!」
やはりとち狂っているが、獅子が吠えた。
「がぎゃっあッ」
獣の王の咆哮にたたのケダモノ如きが耐えられる訳が無く、ビクリと停止する。
しかし要らぬ事にばかり知恵が回るケダモノ達。セスタに今は武器となる物が無い事を思い出して、やはり無力な子供だ、我らのエサだと突撃を再開する。
予感があった。何がとは自分でも言えないが予感があった。
「来い!」
誰に、何に行ったのかはわからない。ただそう言えば来る。セスタはそれをわかっていた。
─全くもって傲慢ですね、獅子の子。ですがそれがグッド。己の正義を貫くというのはそういう事でございます。
宜しい、あなたには資格がある。少しの間この剣をレンタルする事を許可しましょう。
薄汚い部屋に響いたどこか鋭く、どこか幼く、どこか蠱惑的な声。
その後直ぐに、いつのまにかセスタのての中には剣が現れていた。
その剣にはカタチが無かった。その剣には色が無かった。
それでも確かに剣があった。
それを振るう。
そして斬撃が生まれた。
ケダモノ共は呻き声すら出せずに切り刻まれ、大きすぎる斬撃に呑まれて塵一つ残さずに消えた。
「こど──」
もっと酷かったのはマーサオカアサンだ。ケダモノ共の後ろにいたものだから奴らが盾になって少し斬撃が到達するまでほんの少し時間があった。
故に斬撃を放つセスタの瞳を見てしまった。
今死ぬ、という時になってようやくマーサオカアサンは虐げてきた己よりも格下の筈の存在の目を見た。
見てしまった。
アレが格下? 冗談だろう。己は何を錯覚していたのだ。
見てしまったのは獣の瞳。騎士の眼。
戦う者の瞳だった。
己よりもよっぽど上等な者の目を、セスタはしていた。
それを振るう解らされてマーサオカアサンは斬撃に呑まれた。
さぁ敵は滅ぼした。次に斬撃が喰うのはこの世界。悪夢の檻に喰らいにかかる。
悪魔の檻も唯では終わらない。闇の対応が手ずから作り上げた呪いは斬撃を食おうと闇を展開する。
しかしそれも無駄。
セスタに何者かから貸し出された剣の属性は聖。戯れ程度の闇など瞬く間に喰い殺してしまった。
そしてセスタの視界が白一色に染まった。
やる事多すぎ、泣いた