ダンジョンにいる白蛇   作:天上の羽衣

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第4話 蛇の脱皮

ヘスティア・ファミリアに身を置いて数週間

 

僕の日常は、期待していた「未知への愉悦」とは程遠い、酷く退屈で歪な停滞の中にあった

 

迷宮都市オラリオ

神々が下界に降り、子供たちに「恩恵(ファルナ)」という名の力を授けて英雄譚を紡ぐ場所

けれど、この教会の地下室に満ちているのは、英雄譚の輝きなどではない。それは、過保護な母性と執着が混ざり合った、逃げ場のない「檻」の匂いだ

 

「おかえりベル君! 今日は怪我をしていないかい? ほら、神様特製のジャガ丸くんスープだよ!」

 

地上で一日中ベル君の帰りを待ちわびていた女神ヘスティアが、弾けるような笑顔で少年に飛びつく

ダンジョンから戻ったばかりのベル君は、彼女の熱量にたじろぎながらも、その献身に申し訳なさそうな、けれど嬉しそうな顔をして笑う

 

その光景の片隅

僕は、冷え切った石畳に腰を下ろし、一人で神鎗の鞘を磨いていた

 

「……あ、シロウ君も……おかえり」

 

ヘスティアがついでに放った言葉には、体温が一切通っていない

ベル君に向ける「慈愛」とは明らかに異なる、ただの同居人への義務的な挨拶

彼女にとって、僕はベル君が拾ってきた「おまけ」であり、ベル君という唯一無二の宝石を引き立てるための「背景」に過ぎなかった

 

「……神様。そろそろ僕のステータスも更新してくれませんかね。今日は中層近くまで足を伸ばして、結構な数の魔石を稼いできたんやけど」

 

僕が努めて飄々と、提案する

だが、ヘスティアはベル君の装備を脱がせる手を止めようともせず、面倒そうに鼻を鳴らした

 

「そんなの、後でいいだろう? 今はベル君の成長を確かめるのが先なんだ。君は強いんだから、一日くらい更新しなくても死なないじゃないか。それよりも、君がベル君を放っておいて中層に行ったせいで、ベル君が危ない目に遭ったらどうするつもりなんだい!」

 

「……あはは。そら、すんませんでした」

 

僕は薄笑いを浮かべて目を細める

彼女は気づいていない

ベル君を守るために、僕がどれだけ「影」で動いているか

 

彼が自分の力以上のモンスターに囲まれそうになった瞬間、死角から『神鎗』を伸ばして核を貫き、彼が「今の、僕が倒したのかな?」と首を傾げる隙に、すべての脅威を消し去っている

 

恩恵を授かったはずの僕の背中

そこに刻まれた数値は、入団したあの日からほとんど変わっていない

彼女が僕の背中を視ることを拒んでいるからだ

更新の際、彼女は僕の魂に潜む「死神」の禍々しさに怯え、数値を読み上げることすら不快そうに切り上げる

 

(……救いようがないなぁ、この神様は)

 

自分の愛する子だけが特別。自分の箱庭の中だけで、自分の思い通りに育ってほしい

その独占欲と、自分に従順でないものへの冷遇

それは、僕が前世の病室で味わった「何もできない自分」を強制する世界の縮図そのものだった

 

その晩

ベル君が泥のように眠りについた後

ロウソクの火が揺れる地下室で、僕はヘスティアに向き合った

 

「神様。ちょっと、ええかな」

 

「なんだい、藪から棒に……明日のベル君の冒険プランを考えているんだ、手短に頼むよ」

 

地図を広げるヘスティアの瞳には、やはり僕の姿は映っていない

僕は懐から手を出し、腰の脇差の柄をゆっくりと撫でた

 

「僕、このファミリア辞めるわ」

 

一瞬、部屋の空気が凝固した

ヘスティアがゆっくりと顔を上げ、理解できないという表情で僕を凝視する

 

「……今、なんて言ったんだい?」

 

「辞めるって言うたんや。君の目は、ベル君という光に灼かれて、僕のような影が見えんようになってる……ここに居ても、僕はただの『ベル君の護衛』という名前の部品で終わってまう  それは僕にとって、死ぬよりも退屈なんや」

 

「なんて勝手な……! 行く宛てのない君を、拾ってあげたというのに! 君は恩知らずなのかい!?」

 

ヘスティアの叫びには、失うことへの悲しみではなく、自分の管理下から外れる異分子への不快感だけが満ちていた

僕は三日月のような笑みを深め、彼女に一歩近づく

 

「恩、ねぇ……君が僕のステータスを更新する時、いつも震えてるん、知ってるで。僕の力が怖くて、見んようにして……君が求めてるんは『子供』やなくて、自分の言うことを聞く『人形』なんやろ?」

 

「ひっ……!」

 

ヘスティアが後退りする

彼女の脳裏に、恩恵を刻む際に見えた「神すらも殺しうる、細胞を溶かす猛毒」の幻影が走ったのだろう

 

「……ええよ。僕みたいな可愛げのない『蛇』、君の綺麗な箱庭には似合わんわ。神の紐、解いてくれるかな」

 

ヘスティアは震える指先で、僕の背中に刻まれたファルナを解除した。

背中を走る熱が消える。

それは、僕とこの無能な女神との、唯一の繋がりが絶たれた瞬間だった

 

「……さっさと、出ていくがいいさ。君みたいな不気味な子は、最初からいなかった方が良かったんだ」

 

吐き捨てられた言葉に、僕は満足げに頷く

 

「あはは、正解や……さよなら、神様。せいぜい、君の宝物がいつまでも無垢なままでおれるよう、お祈りしとくわ」

 

荷物も持たず、僕は教会の地下を後にした

夜のオラリオ。冷たい月光が、石畳を銀色に染めている

 

「……さて」

 

僕は懐に手を入れ、行き先を考える

この街には、もう一柱、狐のような目をした「飽き性」の女神がいるはずだ

彼女なら、僕という猛毒を、少しは面白がってくれるかもしれない

 

「待っててや、ロキ……最高にキレる『神鎗』、持ってきたで」

 

蛇は脱皮を終え、さらなる快楽を求めて、夜の闇へと滑り出した

 

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