ダンジョンにいる白蛇 作:天上の羽衣
『黄昏の館』の最上階
女神ロキの私室は、下界の喧騒を忘れさせるほどに静まり返っていた
窓から差し込む月光が、高級な絨毯に長い影を落としている
「さてさて……シロウっち、覚悟はええかな?」
ソファに深く腰掛けたロキが、細い指先で羽ペンを弄びながら、真っ赤な瞳を爛々と輝かせる
その視線は、獲物を前にした捕食者のそれであり、同時に新しすぎる玩具を手に入れた子供のようでもあった
シロウは、迷いなくその背中を女神に向けた
ヘスティアの時とは違う。彼女(ヘスティア)は恐怖から目を背けたが、このロキという女神は、恐怖すらも娯楽として喰らい尽くそうとしている
「あぁ、好きに見たって……ただ、あんまり驚いて心臓止めんといてな? ロキ様」
シロウが薄笑いを浮かべて促すと、ロキは「言うてくれるやん」と口角を吊り上げ、彼の背中に一滴の神血を落とした
神の血が肌に触れた瞬間、青白い光が走り、シロウの魂に刻まれた「経歴」がステータスとして浮かび上がる
その瞬間
室内を流れる空気が、物理的な圧力を持って凍りついた
「…………は?」
ロキの喉から、間の抜けた声が漏れる
彼女は神だ
下界に降りて数百年、数多の英雄や異端児の成長を見届けてきた
だが、今、シロウの背中に浮かび上がった「文字」は、神の常識という名の天秤を根底から叩き壊すものだった
「……なんや、これ。文字が……化けとるのか? いや、違う。これは、システムそのものが……」
ロキの指先が震える
彼女の目に映っているのは、以下のような「異常」だった
【ステータス:シロウ】
【基本アビリティ】
• 筋力:I(0)
• 耐久:I(0)
• 器用:B(780)
• 敏捷:A(890)
• 魔力:S(999)
【スキル】
• 【死神(しにがみ)】:
長寿と、体内エネルギー『霊力』の使用を可能にする複合スキル
身体能力のベースを霊力により底上げする
• 【斬魄刀・神鎗(しんそう)】:
魂から削り出された武装『神鎗』を顕現させる
• 【卍解(ばんかい)】:
※現在は封印状態。条件達成により解放
【魔法】
• 【破道(はどう)】:破壊の霊術
• 【縛道(ばくどう)】:拘束と防御の霊術
• 【回道(かいどう)】:治癒の霊術
【発展アビリティ】
• 【神殺(かみしに)】:???(詳細不明)
「……レベル1やんな? あんた、間違いなくレベル1やんな?」
ロキがシロウの肩を掴み、詰め寄る
「魔力がSの999……!? 限界値やないか。それどころか、魔法スロットが3つ全部、最初から埋まっとる。しかもこれ、『破道』とかいう中に、さっきの衝撃や光の帯みたいな術が何十個も詰まっとるんか?」
「あはは、そんなに興奮せんといて……まぁ、僕の『霊力』ってのは、こっちの魔力とはちょっと毛色が違うみたいやわ。スロット一つにつき一つの魔法、なんてケチな話やないんで」
シロウは首だけを振り返り、三日月のような笑みを深める。
ロキは額に冷や汗を流しながら、さらに下の項目――【神殺】という文字を凝視した
「……この『神殺』って、なんや……神を、殺す? 下界の子供が持つアビリティに、そんな名前がつくはずがない。おい、シロウ。あんた、一体何を隠しとる?」
ロキの眼光が鋭くなる。神の洞察眼がシロウの真実を暴こうとするが、シロウの「嘘」はそれを軽々といなす
「名前なんて、ただの記号やろ……それに、神様を殺すなんて物騒なこと、僕みたいな臆病者が考えるわけないやん」
「嘘つけ! どの口が言うとんねん!」
ロキは叫んだが、その表情には恐怖以上に「悦び」が溢れていた
この街を支配する退屈
それを一撃で粉砕する、劇薬
それが今、自分の手の中に転がり込んできたのだ
「ええわ。シロウ、あんたを正式にロキ・ファミリアの団員として迎える。……けどな、このステータスは秘密や。フィンら幹部にも、詳細は伏せる。あんたは『特殊な魔導師』として扱うことにするわ」
「了解や……僕も、あんまり目立つんは好きやないし」
「どの口が……」
ロキは溜息をつき、シロウの背中にロックをかけた
だが、ロキは確信していた
この少年が放たれた瞬間、ロキ・ファミリアという「最強」は、さらに別の何かに変質することを
数日後
『黄昏の館』の訓練場
シロウの入団は、団員たちの間で大きな波紋を呼んでいた
「……おい、あいつか。ヘスティア・ファミリアを蹴って、ここに来たっていう生意気な新入りは」
「レベル1のくせに、幹部のガレス様に手出ししたらしいぞ」
遠巻きに眺める団員たちの視線には、嫉妬と警戒が入り混じっている
特に、自尊心の強い狼人族のベート・ローガは、シロウの飄々とした態度が我慢ならないようだった
「チッ……反吐が出る。あんなヘラヘラした野郎が、ロキのお気に入りだと?」
ベートが鋭い牙を剥き出しにし、シロウの前に立ちはだかる
「おい、蛇野郎。お前がどれだけ使えるか、俺が試してやるよ。魔法抜きで、どっちが速いか勝負だ」
シロウは、磨いていた『神鎗』の手を止め、ゆっくりと立ち上がった
「あ、ベートさん。怖いなぁ……僕、暴力は苦手なんやけど」
「黙れ! そのニヤケ面、二度とできねえようにしてやる!」
ベートが大地を蹴る
レベル5の敏捷から繰り出される回し蹴りが、シロウの側頭部を捉えようとした
(……あはは。ワンちゃん、元気やねぇ)
シロウは動かない
ただ、一歩
「瞬歩」を、ほんのわずかだけ発動させる
シュンッ
ベートの脚は空を斬り、シロウの残像すら捉えられなかった
「な……!?」
「こっちやで、ベートさん……あんまり無茶したら、転んでまうよ?」
ベートの背後、数メートルの位置に、シロウは何事もなかったかのように立っていた
訓練場の空気が一変する
団員たちの嘲笑が消え、静寂が支配する
「貴様……今、何をした!? スキルか!?」
「いやいや、ただの足運びやわ……あ、もう終わり? 僕、これからリヴェリアさんに『魔法』の講義を受けに行かなあかんのやけど」
「ふざけるな!!」
ベートが再び飛びかかろうとした瞬間――。
「そこまでだ、ベート」
低く、通る声が響いた。
フィン・ディムナが、数人の幹部を引き連れて歩いてくる。その隣には、無表情に剣を携えた『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインの姿もあった
「シロウ。リヴェリアが待っている。……それと、アイズ。君も彼に同行しなさい。ロキからの指示だ」
アイズは、その黄金の瞳でじっとシロウを見つめた
彼女の直感が告げている。目の前の少年は、自分たちとは全く別の「理」で動いているのだと
「……わかった。シロウ、行くよ」
「あぁ、アイズさん。よろしくなぁ……綺麗な剣やね。僕のボロい短刀とは大違いやわ」
シロウはわざとらしく自分の脇差を叩いて見せ、アイズの後を追う
フィンはその背中を眺めながら、指先を噛んだ
(……シロウ。君のステータスを、ロキは見せてくれなかった。だが……あの足運び、そして魔力の気配。君はレベル1なんて枠に収まる器じゃないね)
オラリオの「最強」に、猛毒を持つ蛇が紛れ込んだ
その毒が、いつ、誰に向かって放たれるのか
勇者の直感は、かつてない波乱の予感に震えていた
『黄昏の館』の中庭。そこでは、オラリオ最強の魔導師リヴェリア・リヨス・アールヴによる、新入りシロウへの「魔導適性試験」が執り行われようとしていた
夕闇が迫る中、壁に背を預け、黄金の瞳でじっとその場を見守るのは『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインだ
「……さて、シロウ。君の『魔法』、ロキからは非常に特殊な体系だと聞いている」
リヴェリアが、翡翠色の瞳でシロウを射抜く。その佇まいは、まるで一本の研ぎ澄まされた古剣のように静謐だ
「詠唱も魔法陣も介さず、衝撃や拘束を放つ技術……それは、私たちが積み上げてきた魔道の理とは根本から異なるものだ……ここで、私を納得させてみせろ。君がこのファミリアに相応しい知性と力を持っているのかをな」
「納得、ねぇ……リヴェリアさん。そうやってハードルを上げられると、僕みたいな新人は困ってしまうわ。まぁ、適当にやってみるけどな」
シロウは、薄笑いを浮かべたまま一歩前に出る
その瞬間、彼の周囲の空気が、物理的な質量を伴って重く沈み込んだ。死を司る者だけが持つ、魂を凍らせる「霊圧」
「……来る」
アイズが短く呟く。彼女の直感が、目前の少年が「底知れぬ何か」であることを告げていた
「『破道の三十一、赤火砲』」
シロウの手のひらから、圧縮された霊力の火球が放たれた
それはこの世界の火属性魔法とは密度が違う極限まで高められた熱量が、訓練場の石畳を焼き焦がしながらリヴェリアへと迫る
「……っ! 『狂え、風――ヴェール・ブレス』!」
リヴェリアが瞬時に防御魔法を展開する
だが、赤火砲は結界に激突した瞬間、爆風を撒き散らすのではなく、ドリルが岩を穿つような継続的な圧力でリヴェリアの魔力を削り取りにかかった
「魔法の効果時間が、これほどまで長いというのか……!? それに、この圧力。意志の力だけでこれほどの現象を維持しているというのだな……!」
リヴェリアは奥歯を噛み締める
彼女はシロウの魔法に、既存の魔導師にはない「異常な執着」を感じ取っていた
「あはは。次は、ちょっとだけ『縛って』あげるわ。……『縛道の六十一、六杖光牢』」
「……っ、アイズ!」
リヴェリアの警告と同時に、アイズが風を纏って飛び出した
だが、空間から出現した六筋の光の帯は、アイズのレベル6の超高速移動を完全に先読みし、彼女の四肢と胴体を一点の狂いもなく空中に縫い付けた
「――!? 動けない……。風が、消された……?」
宙吊りで固定されたアイズ。彼女の筋力を持ってしても、霊力で編まれたこの「戒め」はびくともしない
「……すごいね、シロウ」
アイズは、自由の利かない体で、静かに、しかし確かな戦慄と共に呟いた
「いやいや、アイズさんにそう言われると照れるわ……さて、リヴェリアさん。これで試験は合格かな?」
シロウが指先を鳴らすと、光の帯は霧散した
リヴェリアは深く溜息をつき、杖を収めた
その指先は、僅かに震えていた
「……合格どころではない。シロウ。君はレベル1という枠組みを、その身勝手なまでの才能で完全に破壊している……認めざるを得ない。明日からの深層遠征、君の帯同を許可する」
翌日
ロキ・ファミリアは第50層以下の「深層」を目指し、大規模遠征を開始した
団員たちが極限の緊張感の中で進軍する中、シロウだけは最後尾で、鼻歌を歌いながら周囲を眺めていた
だが、第52層で異変は起きた
「――っ! モンスターの反応! これは……階層主級(ボス・クラス)ではない!」
リヴェリアの叫びが響く
前方から現れたのは、本来その階層には存在しないはずの、新種の植物型モンスターの群れだった。放たれた腐食性の毒液が、団員たちの防具を瞬時に溶かし、絶叫が上がる
「陣形を立て直せ! 負傷者を後方へ!」
フィンの指示が飛ぶが、敵の再生能力はアイズの剣閃すらも上回る
「……あーあ。せっかくの遠征やのに、これじゃあ全滅やねぇ」
シロウは、逃げ惑う団員たちを、どこか冷めた目で見つめていた
だが、その瞳の奥には、残酷な「愉悦」が灯っている
「……シロウ! 何をしている、手を貸せ!」
リヴェリアが、毒液を相殺する魔法を放ちながら叫ぶ
その時、シロウは初めて、腰の短刀をゆっくりと引き抜いた
「……しゃあないなぁ。ロキ様との約束もあるし、ちょっとだけ『掃除』したげるわ」
シロウが、モンスターの大群の前に進み出る。
その背中からは、今まで隠し持っていた膨大な霊圧が、暴風となって吹き荒れた
「……射殺せ」
シロウが、氷のような声で呟く
「『神鎗(しんそう)』」
――シュンッ!!!
次の瞬間、戦場からすべての音が消えた
何十メートルも先にいたモンスターたちの核が、一瞬で、同時に「撃ち抜かれた」のだ
シロウの手元には、元の長さの短刀が戻ってきている。あまりの速度に、第一級冒険者たちですら、何が起きたのか視認できなかった
「……今、何をしたというのだ……?」
リヴェリアが呆然と呟く
一撃で数十体の深層モンスターを殲滅する射程と速度
それは、この世界の武器の概念を根底から破壊する現象だった
シロウは、返り血一つ浴びていない顔で、三日月のように笑う
「あはは。ちょっと手が滑ってしもうた……さ、先に行こうか。僕を飽きさせないでな、深層」
シロウは刀を鞘に収め、再び飄々と歩き出した
その背中を、リヴェリアは畏怖を押し殺した眼差しで見つめていた
(……シロウ。君の持っているそれは、恩恵なんて温いものではない。それは、文字通りの――死神の鎌だな)