ダンジョンにいる白蛇 作:天上の羽衣
深層からの帰還
それはロキ・ファミリアにとって「困惑」という名の土産を持ち帰る結果となった
迷宮都市オラリオの巨大な門を潜る際、市民たちは息を呑んだ
最強の呼び声高い第一級冒険者たちが、一人の「無名な少年」を畏怖と敬意が混ざり合った、形容しがたい眼差しで見守りながら歩いていたからだ
シロウは、その中心で陽光を眩しそうに細めながら、鼻歌を歌っていた
彼の指先が、腰に差した短刀『神鎗』の鞘を愛おしそうになぞる
「……あーあやっぱりお日様の下は眩しすぎるなぁ。あんな湿っぽくて暗いところにずっとおったら、僕みたいな清廉潔白な人間でも性格が捻じ曲がってまうわ」
「……どの口がそのようなことを。君の性格がこれ以上捻じ曲がれば、もはや救いようがないな」
隣を歩くリヴェリアが、呆れたように、しかし確かな緊張を解かずに応じる
彼女は、第52層でシロウが放った「一撃」を反芻していた
それは魔法ですらなく、かといって既存の剣技とも異なる、物理法則を嘲笑うかのような「消失と再出現」の瞬き
誰も、彼が何をしたのかを正確に言語化できない
ただ「敵が消えた」という結果だけがそこにあった
「リヴェリアさん、そんなに厳しい顔せんといて……せっかく無事に帰ってきたんやし、もっと笑えばええのに」
「……笑えるはずがない。君という存在を、どう扱うべきか……フィンとロキの頭痛の種がまた一つ増えたということだ。シロウ、君は自分がオラリオの理をどれだけ踏みにじったか、自覚しているのか?」
リヴェリアの問いは、厳格な守護者としての警告だった
だがシロウは、彼女の翡翠色の瞳に宿る微かな「戦慄」を見逃さない
「自覚、ねぇ……僕はただ、僕を飽きさせん世界で遊びたいだけや。理なんてのは、それを守れるだけの力がある人が勝手に決めたルールやろ? 僕は、それに従う義理はないわ」
シロウの三日月のような笑みが、一瞬だけ深く、鋭くなった
リヴェリアは思わず杖を握りしめる
彼女は気づいていた
目の前の少年は、単に強いのではない
自分たち「神の恩恵を受けた者」が守るべき聖域を、呼吸をするように蹂躙できる異物なのだ
翌日
シロウの「正体不明の力」の噂は、風よりも早くオラリオの隅々まで行き渡った
「ロキ・ファミリアに、指先一つで深層の怪物を灰に変える不気味な魔導師がいる」
「ヘスティア・ファミリアを追い出された少年は、実はとんでもない隠し玉だった」
その真偽不明の噂が、あの貧しい教会の地下室に届かないはずがなかった
「……シロウ、くん……?」
オラリオの目抜き通り、ギルドへの定期報告を終えて『黄昏の館』へ戻ろうとするシロウの前に、一柱の女神が立ちはだかった
黒髪のツインテール
以前よりも心なしか痩せ、表情に余裕を失った女神、ヘスティア
その後ろには、困惑と切実さを瞳に宿したベル・クラネルが控えている
「……あ、元神様。久しぶりやね。そんなところで何してんの? ジャガ丸くんの買い出しのついでに、僕の顔でも拝みにきたんか?」
シロウは立ち止まり、懐に手を入れたまま、軽薄な笑みを浮かべた
「君……! 街の噂は本当なのかい!? ロキ・ファミリアで、君が信じられないような戦果を上げているって……君に授けたあの恩恵に、あんな力があったなんて、僕は……!」
ヘスティアの叫びには、神としての威厳よりも、取り返しのつかない損失を目の当たりにした者の焦燥が滲んでいた
もし、あの時
彼を「不気味」だと突き放さず、彼の毒を飲み込んででも繋ぎ止めていれば
今頃、自分のファミリアはオラリオの頂点へと駆け上がっていたかもしれない
その卑俗な打算が、透けて見えた
シロウは、一歩
ヘスティアの鼻先まで距離を詰め、彼女の瞳をじっと覗き込んだ
「あはは、正解や。僕は不気味やし、毒も持ってる……でもな、神様。君は僕の力を怖がったんやない。僕が、君の大事な大事な『ベル君』という人形を、僕の意志一つで壊せてしまう予感がしたから、追い出したんやろ?」
「な、何を……!」
ヘスティアが後退りする
「君がベル君に与えているのは『愛』やない。自分がいなければ何もできない子供でいてほしいという、醜い独占欲や……見てみ。僕がいなくなってからのベル君、前よりもええ顔してるやんか」
シロウは、背後のベルに視線を投げた
ベルは拳を握りしめ、シロウという「理解できない強者」を見つめている。その瞳には、かつての依存ではなく、自立した意志の光が灯り始めていた
「シロウさん!!」
ベルが叫ぶ
「僕は……僕は、貴方に認められるような英雄になります! 貴方が僕を『玩具』だと言うのなら、その認識を覆すくらい、強くなって見せます!!」
シロウは、その真っ直ぐすぎる宣言を浴び、三日月のような笑みをさらに深く歪めた
「英雄、か……ええね。そうやって、必死に僕の背中を追いかけてき……君が、自分が信じていた神様も、正義も、全部が僕の『嘘』の前に跪く瞬間を見た時……どんな顔をしてくれるのか、今から楽しみで仕方ないわ」
「君……ベル君を惑わすのはやめろ!!」
ヘスティアが割って入るが、シロウは彼女を路傍の石のように一瞥した
「神様。二度と、僕を『自分の子供』みたいに呼ばんといて……次に僕の前にその汚い顔を見せたら、その時は――君の愛する『最高傑作』、僕の手で一瞬で終わらせてあげるわ」
「ひっ……!」
シロウから放たれた、文字通りの「殺意」
ヘスティアは腰を抜かし、石畳にへたり込んだ
シロウは一度も振り返ることなく、館へと歩き出した
『黄昏の館』の最上階
ロキは、手元にある羊皮紙を凝視したまま、長く、重い溜息を吐き出した
「……シロウっち。あんた、ほんまに『人間』か?」
「失礼やなぁ。どこからどう見ても、瑞々しい少年やろ、僕」
シロウはソファにふんぞり返り、ロキが用意した高級な果実を口に運んでいる
ロキが呆然としている理由は、目の前の少年の「経験値(エクセリア)」だ
深層遠征での、新種モンスターの殲滅
そして、本来レベル1では到達不可能な階層での生存
それらすべてが、シロウの魂に「偉業」として刻まれていた
「……レベルアップの要件を、これ以上ないほど完璧に満たしとる。……覚悟はええな?」
ロキがシロウの背中に神血を垂らす
その瞬間、室内に青白い光が溢れ、空間そのものが共鳴するかのように震えた
シロウの魂が、下界の理に適合しながらも、その本質を力強く解き放っていく
【シロウ】
Lv.2
【基本アビリティ】
• 筋力:I(0)
• 耐久:I(0)
• 器用:I(0)
• 敏捷:I(0)
• 魔力:I(0)
【スキル】
• 【死神(しにがみ)】
• 【斬魄刀・神鎗(しんそう)】
• 【卍解(ばんかい)】
※現在は封印中
【魔法】
• 【破道(はどう)】
• 【縛道(ばくどう)】
• 【回道(かいどう)】
【発展アビリティ】
• 【瞬歩(しゅんぽ)】
• 【神殺(かみしに)】
「……よし、更新完了や。数値はリセットされたけど、あんたの魂に刻まれた前のレベルの力は、ちゃんと基礎能力として底上げされとる。……驚いたのは、新しいアビリティやわ」
ロキの指が、背中の新たな文字をなぞる
「『瞬歩』……あんたのあの、目にも留まらぬ足運びが、ついにアビリティとして固定されたんやな……そして、この『神殺』
レベル1の時からあったけど、相変わらず不気味な輝きを放っとる。神であるうちが直視するのを躊躇わせるような、形容しがたい毒……あんた、これの正体、ほんまに教えへんつもりか?」
ロキの背筋に、本能的な寒気が走る
神殺(かみしに)
入団時のステータス更新でこれを目にした時から、ロキは誰にも――フィンたち幹部にさえ、このアビリティの存在を伏せてきた。下界の子供が持っていい名前ではない
もし知られれば、天界の神々が黙っていないだろうという確信があったからだ
「あはは、ロキ様。そんなに怖がらんといて……名前なんて、ただの飾りに過ぎんよ。僕が僕であることに変わりはないんやから」
シロウは立ち上がり、軽く肩を回した
身体能力の劇的な底上げ
レベル1の時に極限まで高めた能力値が、今、確固たる基盤となって全身に漲っている
レベル2
オラリオの常識で言えば、ようやく一人前になったばかりの階級
だが、その実態は、死神としての本質を下界の器へさらに深く馴染ませた、歪な怪物の羽化だった
「……ロキ様。せっかくレベルが上がったんや。僕に相応しい『二つ名』、考えてくれた?」
「……あぁ、そうやったな。ギルドの神会(デナトゥス)で決まるもんやけど、うちの推薦はこれや」
ロキは震える手で、一枚の紙を差し出した
そこに書かれていた名は――【薄笑の蛇(スライ・スネーク)】
「へぇ、悪くないねぇ……でも、僕にはもっと相応しい名前があると思うんやけどな」
シロウは、腰の『神鎗』を軽く弾き、澄んだ金属音を響かせた
「……まぁ、ええわ。名前なんて、誰を騙すためのラベルに過ぎんし」
シロウが部屋を出た後、ロキはしばらくの間、椅子から立ち上がることができなかった
彼女は確信していた
シロウがレベルアップしたことで、彼の中に眠る「毒」の純度が、さらに一段階上がったことを
そしてその毒は、いつかこのオラリオという箱庭そのものを、溶かし尽くしてしまうのではないかという予感
一方、廊下を歩くシロウの足取りは軽かった
「レベル2」という新たな皮を被り、彼は次の獲物を探す
闇の派閥か、それとも急成長を続ける「英雄の卵」か
「……さて。次は誰を『射殺して』あげようかな」
蛇の舌先が、期待に震えた