ダンジョンにいる白蛇   作:天上の羽衣

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第9話 蛇の毒牙

闇の派閥の拠点が「消滅」した

翌朝、フィンの命を受けて現場の戦後処理に向かったロキ・ファミリアの精鋭たちは、そこで言葉を失った

 

「……ひどいな。これは……戦闘の跡というより、一方的な『抹殺』の痕跡だ」

 

フィンの傍らで、第一級冒険者のラウルが顔を青くして呟く

地下実験場に残されていたのは、崩壊した瓦礫と、分子レベルで焼き尽くされたかのような「灰」の山だった

レベル4相当の怪人さえも、心臓部を一点の狂いもなく貫かれ、物言わぬ肉塊と化している

 

フィンは無言で、熱によってガラス状に変質した床を見つめていた

 

(……レベル2になったばかりの少年が、単独で成し遂げられる結果ではない。未知の魔法、未知の歩法……そして、あの異常なまでの殺しの効率。シロウ……君は一体、何者なんだ)

 

フィンは、自分の「親指」が疼くのを感じていた

それは、かつてないほどの危機が、ファミリアの内側から忍び寄っているという警告

彼がシロウを「使い捨て」にするつもりで送った任務は、皮肉にも、シロウという存在が「誰にも制御できない猛毒」であることを証明する結果となった

 

その日の午後、オラリオのギルド前

混乱を極める街の中で、一柱の女神が半狂乱になって叫んでいた

 

「誰か! 誰かベル君を助けてくれ! ベル君が……ベル君が帰ってこないんだ!!」

 

ヘスティアだった

その手は震え、瞳には涙が溜まっている

ベル・クラネルが、中層での冒険中に突如発生した「異常事態」に巻き込まれ、消息を絶ったのだ

 

「ヘスティア様、落ち着いてください! 今、ギルドでも最優先で救助の編制を……!」

 

受付嬢のエイナ・チュールが必死に彼女の肩を支えるが、ヘスティアの耳には届かない。エイナ自身の顔も蒼白だ。彼女にとっても、ベルは特別な教え子の一人。だが、混乱する市街の警備に救助隊の多くが割かれ、初動が遅れているのは紛れもない事実だった

 

そこへ、偶然にもロキ・ファミリアの一団が通りかかる。その中に、あの「蛇」の姿を見つけた瞬間、ヘスティアはなりふり構わず駆け出した

 

「シロウ……! シロウ君!!」

 

ヘスティアは、かつて「不気味だ」と吐き捨て、追い出したはずの少年の装束に縋りついた

 

「お願いだ……君の力が必要なんだ! ベル君を……君なら助けられるんだろ!? あの時、君が不気味な力を持っているのを見て、僕は怖くなって……でも、今はそんなこと言っていられないんだ! ベル君を助けてくれ!」

 

周囲の団員たちが、冷ややかな、あるいは困惑した眼差しでその光景を見守る

リヴェリアは、シロウがどのような反応を示すか、息を呑んで注視した

 

シロウは、縋りつくヘスティアの手を優しく、しかしどこか突き放すような冷たさを持って解いた。そして、三日月のような笑みを浮かべて彼女を見下ろす

 

「あはは。神様、それはまた……随分と自分勝手な理屈やねぇ

僕を『毒』や言うて追い出したんは、他でもない君やろ?」

 

「それは……! あ、謝るよ! どんなに謝ってもいい! だからベル君を……」

 

「謝罪なんていらんよ。僕は神様の涙に興味はないわ……ただ、一つだけ『取引』をしようか」

 

シロウの瞳が、一瞬だけ鋭く細められる

その瞳の奥には、慈悲など微塵も存在しない

 

「ベル君を助けてほしければ、君のその『神格』……少し僕に分けてくれるかな?」

 

「なっ……神格を……!?」

 

ヘスティアが息を呑む

神格とは、神の存在そのもの

それを分けるということは、己の魂の主権を、一時的にせよ他者に委ねるということだ

 

「……拒んでもええよ。そうすれば、君の最高傑作は……今頃、中層の暗闇で冷たくなってるやろうけど」

 

シロウは、ヘスティアの耳元で囁いた。

その声は、甘く、そして抗いがたい死の香りがした。

「ベル君の命か、君の誇りか……どっちが大切か、今ここで決めてな。神様」

 

 

ギルド前の広場

夕闇が濃くなる中、シロウが提示した「商談」の結果を、居合わせた者たちは固唾を呑んで見守っていた

 

「……っ。わかった。ベル君を助けてくれるなら、僕の……僕の『神格』、その一部を君に預ける……だから、お願いだ、ベル君を……!」

 

ヘスティアは、震える声でそう絞り出した

彼女にとって、ベル・クラネルという希望を救うためなら、神としての位階や権能の欠落など、安い対価だった

 

「あはは、ええ返事や。神様は、そうでなくてはね」

 

シロウは満足げに目を細め、ヘスティアの額に、氷のように冷たい指先を触れた

瞬間、異変が起きた

 

「――っ!? ぁ、ああああああ……!!」

 

ヘスティアの喉から、声にならない悲鳴が漏れる。

彼女の魂の奥底、神としての「核」から、眩い黄金の輝きが引き抜かれ、シロウの右腕へと吸い込まれていく

それは神格のすべてではない

だが、神としての出力を司る主要な「一部」を強奪する禁忌の儀式

シロウのアビリティ『神殺』の力によって出来る儀式だ

 

シロウの魂の深層で、固く鎖されていた「門」が、神威という鍵を得て音を立てて崩壊した

この世界に転生した際、あまりに強大すぎるがゆえに下界の理によって制限されていた死神としての真の力が、今、ヘスティアの一部を苗床にして完全に解き放たれる

 

【シロウ】

――条件達成。世界律の一部を上書き

――『卍解』の封印を永続的に無効化

 

「……あぁ、これや。この懐かしい重み……世界が、ようやく僕の歩幅に合うようになった気がするわ」

 

シロウの背中に刻まれた【神殺】のアビリティが、奪い取った神威を燃料として静かに、しかし禍々しく脈動し始める

彼の纏う霊圧は、もはやオラリオの誰一人として「感知」すらできないほどに高次元へと昇華した。フィンやリヴェリアは、本能的な死の予感から膝を屈し、額に冷や汗を滲ませる

 

「……リヴェリアさん。そんなに震えんといてや……僕はただ、ベル君を助けるために『準備』を整えただけやから」

 

シロウは彼女たちを一瞥することすらなく、地面を蹴った

『瞬歩』ではない。空間を削り取り、目的地へと最短距離で「接続」する縮地

 

一瞬でオラリオの空を裂き、彼はバベルの塔――ベルが死闘を繰り広げている第17階層へと消失した

 

ダンジョン中層、第17階層。

「異常事態」の正体は、階層主アンフィス・バエナの変異種――「黒の双頭蛇」だった

その巨大な影が、満身創痍で壁際に追い詰められたベル・クラネルに迫る

 

「……あ、あ……」

 

ベルは、折れた剣を握りしめ、死の淵で薄れゆく意識を繋ぎ止めていた

自分はここで終わるのか。神様に、何も返せないまま

 

「……あーあ。えらい惨めな格好やねぇ、ベル君。せっかく僕が、最高の玩具として目をかけてあげてたのに」

 

絶望の底に、あまりに場違いな、聞き慣れた言葉が降ってきた

 

ベルが目を開けると、そこには白銀の冷気を纏い、空間そのものを威圧するシロウが立っていた

 

「シロウ……さん……? なぜ、ここに……」

 

「君の神様がな、僕に君を助けてくれって、自分の大事な『一部』を差し出したんや……だけど、これは君を助けるための仕事やない。僕が、僕の『力を試す』ための余興やわ」

 

変異種の蛇が、割り込んできたシロウに激昂し、二つの口から超高温の火炎と毒霧を同時に放った

 

「シロウさん、逃げて……!」

 

「逃げる? ……あぁ、そうか。君らには、まだこれが見えてへんかったな」

 

シロウは、ゆっくりと短刀の柄に手をかけた

 

ヘスティアの神格を鍵とし、今や常時解放された死神の極地

 

「……世界を、射殺せ」

 

シロウの口角が、三日月のように吊り上がった

 

「――卍解(ばんかい)」

 

言霊が紡がれた瞬間、第17階層の全域から、音が、色が、そして「生」の気配が消失した

 

「――『神殺鎗(かみしにのやり)』」

 

シロウの手にあるのは、もはや短刀ではない

形こそ変わらないが、その存在自体が「一点の極小なる終焉」と化した白銀の刃

 

――パァンッ!!!

 

乾いた音が一つ

次の瞬間、階層主の巨大な肉体が、文字通り「消滅」した

斬られたのではない

卍解した神殺鎗が、音速の数百倍という神速で伸び、縮み――その一瞬の接触で、怪物の全細胞に「神を殺す毒」を流し込んだのだ

数秒後

巨大な巨躯は、黒い霧となって霧散した

魔石すら残らない。魂の根源から、存在を否定された結果

 

「……あはは。やっぱり、これくらいでないと。神様の力っていうのも、案外使い道があるもんやね」

 

シロウは、元の長さに戻った白銀の刃をゆっくりと鞘に収めた

その背後では、ベル・クラネルが恐怖のあまり、言葉を失って震えていた

彼が見たのは、英雄の救済ではない

理を蹂躙し、神すらも糧にする「絶対的な捕食者」の姿だった

 

「……さぁ、お家に帰ろか、ベル君。君の神様が、少し『元気がなくなった顔』で待ってるはずやから」

 

シロウは、放心したベルの首根っこを掴み、奈落の底で三日月のように笑った

 

 

 

 

 

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