九条零の不本意なる呪術回想録   作:あいあい

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入学

 五条と夏油。呪術界の未来を背負う双璧の少年に挟まれ、俺は高専の長く暗い廊下を歩いていた。

 

 木造の床が軋む音が、まるで処刑台へ続く足音のように聞こえて、俺の胃はさっきの湯豆腐を全部吐き出しそうなくらいに暴れている。

 

(……助けて。もう嫌だ、一刻も早くこの建物から脱走したい。京都から東京まで一瞬で拉致されるなんて、これ完全に誘拐事件だよね!? 警察に行けば助けてくれる!? いや、呪術師相手に警察は無理か!!)

 

 内心は、もはや崩壊したダムのようにパニックが溢れ出していた。

 

 だが、その横を歩く二人の天才の目には、俺の姿は全く別のものに映っている。

 

「ねえ、零。さっき傑の呪霊を避けた時さ、一瞬だけ呪力が消えたよね。あれ、どうやってんの? 出力をゼロにして残穢すら残さないとか、隠密特化の術師でもあんなに綺麗にはできないぜ」

 

 五条が、目を輝かせて俺の顔を覗き込んでくる。

 

(違う! 怖すぎて一瞬呼吸が止まっただけなんだよ! 心臓が止まりそうになったのが、たまたま呪力の揺らぎに見えただけなんだ!!)

 

「……五月蝿いと言ったはずだ。一々説明しなければ理解できないのか? 凡夫の想像力の欠如には呆れるな」

 

(あああああああああ! 五条悟を凡夫呼ばわりした!? 誰か俺の喉に毒でも盛ってくれ! この口を黙らせてくれ!!)

 

 俺の不遜な言葉に、夏油が細い目をさらに細めて、低く笑った。

 

「凡夫、か。悟、君も随分と安く見られたものだね。……でも、九条くん。君が言う『心の淀み』については、後でじっくり聞かせてもらおうか。私の何を見て、あんな言葉が出たのかね」

 

(何も見てない! 適当に言っただけなんだよ! 夏油くんの雰囲気がちょっと暗いから、なんとなく言っちゃっただけなんだ!!)

 

 夏油から放たれる粘着質な興味の色が、五条の攻撃的な好奇心と混ざり合い、俺の視界をチカチクと刺し続ける。この二人に挟まれて歩くのは、火薬庫の中で松明を持って踊るようなものだ。

 

 やがて、俺たちは重厚な扉の前に辿り着いた。

 

「悟、傑。遅かったな」

 

 扉の向こうから響いてきたのは、地鳴りのような低い声。

 

 中に入ると、そこは道場のような広い空間だった。正面に座っていたのは、サングラスをかけ、無骨な手でぬいぐるみを弄っている、一際ガタイの良い男。

 

(……夜蛾正道。後の学長だ。本物だ、威圧感がこれまでの比じゃない……!)

 

 夜蛾の放つ感情の色は、岩のように硬く、揺るぎない鋼の責任者 だった。五条や夏油のような奔放さはないが、その根底にある、教育者としての覚悟が、重圧となって俺の肩にのしかかる。

 

 夜蛾は、俺の姿をじっと見据えた後、サングラスの奥の瞳を鋭く光らせた。

 

「お前が京都で騒ぎを起こしたという『九条零』か。悟が無理やり連れてきたと聞いたが……。まずは聞こう。お前は、何のために呪術を使う」

 

(……出た。高専名物の、圧迫面接だ!!)

 

 九条の背中に嫌な汗が流れる。

 

 本当なら「平和に豆腐を食べたいからです」と答えたい。あるいは「神様の手違いでここにいるだけです」と泣きつきたい。

 

 だが、俺の喉は、夜蛾の魂の問いかけを真っ向から踏みにじった。

 

「……何のため、だと? そんな下らない問いに答える価値があると思っているのか。力とはただ『そこにある』ものだ。理由を求めること自体、自分の意志の弱さを露呈しているに等しい」

 

(止めてえええええ! 相手は先生だよ! 学長予備軍だよ!! そんな反抗期のガキみたいなこと言ったら、正拳突きが飛んでくるよ!!)

 

 道場の空気が、一瞬で張り詰めた。

 

 夜蛾の眉間に深い皺が寄る。

 

「……理由なき力は、ただの暴力だ。己の芯がない者に、この門を潜る資格はない。──九条。お前のその傲慢さが、実力に伴ったものか、試させてもらうぞ」

 

 夜蛾が手に持っていたぬいぐるみを地面に置いた。

 

 その瞬間、ぬいぐるみが不気味な動きで膨れ上がり、猛烈なスピードで俺に突っ込んできた。

 

(ヒッ、呪骸!! 怖い! 殴られたくない!!)

 

 俺は恐怖のあまり、その場から一歩も動けなかった。

 

 腰が抜ける寸前で、足が地面に張り付いてしまったのだ。

 

 ドガァッ!! 

 

 呪骸の拳が、俺の顔面の数ミリ横を通り抜け、背後の柱を粉砕した。

 

 俺は瞬き一つせず、ただ無表情で(実際には硬直して)目の前の呪骸を見下ろしていた。

 

「……ほう。微動だにしないか」

 

 夜蛾の声に驚きが混じる。

 

 呪骸はさらに加速し、俺の急所を的確に狙って連撃を繰り出す。

 

(うわあああ! 来る、右! 下! くるくるくる!!)

 

 感情知覚が、呪骸の核にある命令の糸を視覚化していた。俺はパニックになりながら、襲いくる拳を避けるために、たまたま足元にあった小さな小石に躓いて、身体を大きく斜めに傾けた。

 

 それが結果として、呪骸の回し蹴りを完璧なタイミングで回避し、さらに倒れ込みそうになった拍子に振り回した俺の左手が、呪骸の顎を たまたま カチ上げた。

 

 パァン!! 

 

 そこそこの呪力を纏った俺の拳が、呪骸のバランスを崩す。

 

 俺は倒れそうになるのを必死に堪え、何事もなかったかのように立ち直り、ポケットに手を突っ込んだ。

 

「……鈍いな。その人形の動きには『意志』が宿っていない。お前の教育そのものが、空虚である証拠だ」

 

(違うんです! 滑っただけです! 教育方針を批判するつもりなんて毛頭ないんです!!)

 

 道場に、重苦しい沈黙が落ちた。

 

 五条と夏油が、信じられないものを見るような目で俺を見ている。

 

 夜蛾正道は、しばらくの間、顎に手を当てて考え込んでいたが、やがてフッと短く息を吐いた。

 

「……『意志が宿っていない』、か。手厳しいな。だが、お前が呪骸の攻撃を『避ける必要さえない』と判断し、カウンターの一撃で動きを止めた実力は認めざるを得ない」

 

(認めてない! 必死だったんだよ!!)

 

「九条零。お前を今日から高専で預かるが、総監部からの命もあり、定期的に京都への派遣も行ってもらう。お前のその歪んだ傲慢さが、本物の『志』に変わるのか。それとも、その鼻がへし折られるのが先か。──見極めさせてもらう」

 

(……預かる? え? あと何で京都に行かないとなの!? 俺、ここで暮らすの!? 最強二人の監視下で!? 死ぬ! 確実に寿命が縮まって死ぬ!!)

 

 九条は内心で、絶望のあまり地面を叩き割りたい衝動に駆られていた。

 

 だが、外面は依然として、夜蛾正道を満足げに見下ろす孤高の天才のまま。

 

「……勝手にしろ。精々、俺を飽きさせないように励むことだ」

 

(──神様、お願いです。今すぐセーブデータを消去してください)

 

 こうして、九条零の不本意極まりない高専生活が、最悪の形で幕を開けた。

 

 東京の夜空は、京都よりもさらに暗く、彼の未来を冷たく閉ざしているようだった。

 

 

 

 東京呪術高専、男子寮。

 

 四畳半ほどの簡素な部屋で、俺、九条零は布団の上に力なく突っ伏していた。

 

(……ようやく、ようやく一人になれた。何なんだよ今日という一日は。この世界に来たと思ったら、直哉に絡まれ、呪霊をたまたま殴り倒し、五条悟に拉致され、夏油傑に睨まれ、最後は夜蛾先生に人形をけしかけられた……)

 

 身体的な疲労よりも、精神的な摩耗が限界を超えていた。

 

 感情知覚をフル回転させ、相手の攻撃を紙一重で避け(たように見せ)、さらに煽り性能MAXの口で最強クラスの術師たちを挑発し続ける。そんな綱渡りのような生活を一日続けただけで、寿命が十年は縮まった気がする。

 

(神様、もういいです。異世界転生特典、全部返しますから、実家の安アパートに戻してください。あそこには直哉も五条もいないんだ……)

 

 俺は枕に顔を埋め、音もなく外面は無表情なまま涙を流していた。

 

 だが、そんな俺のささやかな休息を、この世界の住人たちが許してくれるはずもなかった。

 

 ドカドカと、静寂を壊す無遠慮な足音が廊下から近づいてくる。

 

(……嫌だ。来ないで。俺の部屋のドアの前で止まらないで。通り過ぎて、お願い!!)

 

 バァン!! 

 

 無慈悲にも、引き戸が勢いよく開け放たれた。

 

「よお、零! 寝るにはまだ早いだろ。親睦会しようぜ、親睦会!」

 

 サングラスを頭に引っ掛け、コンビニの袋をガサつかせながら入ってきたのは、白い髪の厄災──五条悟だった。その背後には、困ったような、しかしその実、瞳の奥に鋭い観察眼を宿した夏油傑も控えている。

 

(……終わった。俺のプライベートな安息が、開始五分で崩壊した)

 

 九条は、内心でのたうち回りながらも、布団からゆっくりと上体を起こした。

 

 その動作は、まるで眠りから覚めた獅子が、不敬な闖入者を一瞥するような、威厳と気だるさに満ちたものに変換される。

 

 三白眼が、二人の少年を無機質に捉えた。

 

「……死にたくなければ、その不快な騒音を今すぐ止めろ。俺の眠りを妨げる権利が、お前たちにあると思っているのか?」

 

(ぎゃあああああああ! 言った! 先輩(五条は同い年だけど)に対して「死にたくなければ」って言ったよ俺!! お願い、そんなに楽しそうに笑わないで五条くん!!)

 

 五条は「あはは! 零は夜も不機嫌だねぇ」と笑いながら、勝手に畳の上へ座り込み、ポテトチップスを広げ始めた。

 

 一方で、夏油は部屋の隅に静かに腰を下ろすと、じっと俺を見つめてきた。

 

 彼の放つ 感情の色 は、昼間よりもさらに深く、沈んだ色を帯びていた。

 

(……何だ、この色は)

 

 感情知覚が捉える夏油傑の色。

 

 それは、表向きの優等生らしい穏やかな青の裏側に、どろどろとした 黒い澱が幾層にも重なっている。呪霊を取り込み続け、非術師という弱者を護るために心を削り続けている、自己犠牲という名の狂気。

 

 九条は、前世の記憶を掘り起こした。

 

 夏油傑。彼はこの数年後、親友である五条と袂を分かち、最悪の呪詛師として処刑される。そしてその遺体は、最悪の黒幕── 羂索に乗っ取られ、世界を絶望へと叩き落とす道具にされるのだ。

 

(……この人、今、すごく苦しそうに見える。呪霊の味が雑巾を濯いだ水のようだって、原作で言ってたっけ)

 

 夏油の背後に蠢く、彼が従える呪霊たちの気配。

 

 それが夏油自身の魂を蝕み、少しずつ闇へと引きずり込んでいるのが、俺の目には色彩の歪みとしてハッキリと見えてしまった。

 

(待てよ。もし俺が、この人の破滅を止められたら?)

 

 もし夏油が離反せず、羂索にその身体を差し出すような未来を回避できれば。

 

 五条悟がたった一人の親友を殺さずに済み、あの凄惨な「渋谷事変」も「死滅回游」も起きないのではないか。

 

(俺にそんな大層なことができるとは思えない。でも、羂索に身体を乗っ取られるなんて、そんなの、あまりに救いがないだろ……。絶対に、あの中身が脳みその化け物に、この身体は渡さない)

 

 九条零の中で、初めて保身以外の明確な目的が芽生えた。

 

 それは、目の前の少年を──後の最悪の呪詛師を、破滅から救うという無謀な決意。

 

 しかし、俺の喉から出た言葉は、そんな俺の熱い決意を、これ以上ないほど冷酷に踏みにじった。

 

「……夏油。お前のその『嘔吐物を飲み込むような』醜い魂の味、いつまで隠し通せると思っている」

 

(──ッ!?)

 

 夏油傑の身体が、目に見えて硬直した。

 

 五条のポテトチップスを掴む手も、止まる。

 

 部屋の空気が、一瞬で絶対零度まで凍りついた。

 

(……言っちゃったああああああああ!! 「嘔吐物を飲み込むような」って、それ一番言っちゃいけない核心部分だよ!! デリカシーの欠片もないよ俺の口!!)

 

 九条は内心で、自分の頭を壁に打ち付けたい衝動に駆られていた。

 

 だが、夏油を見据えるその瞳は、逃げ場のない真実を突きつける神の如き冷徹さを湛えている。

 

 夏油は震える声で、絞り出すように問いかけた。

 

「……君には、何が見えているんだ。九条くん」

 

 夏油の感情が、黒い澱の中から、剥き出しの恐怖と 縋るような期待 へと変質していく。

 

「……見えているのではない。お前の隠しきれない『弱さ』が、この空間を汚していると言っているんだ」

 

 九条は、冷汗でびしょ濡れの背中を隠し、腕を組んで言い放つ。

 

「いいか、夏油。お前のその身体、勝手に壊れることも、他人に明け渡すことも俺が許さない。お前のような独りよがりの偽善者は、俺が飽きるまでその苦悩の中で足掻き続けろ。──死ぬことさえ、俺の許可なくしてはさせん」

 

(……プロポーズかよ!! いや、独占欲の塊のヤンデレかよ!? でも、これで羂索には渡さないって意思表示には……なってないよね、ただの脅しだよねこれ!!)

 

 だが、夏油傑の目には、それは 自分の苦痛を全て理解した上で、共に地獄へ落ちることを強要する、絶対的な肯定 に映っていた。

 

 これまで誰にも打ち明けられず、最強の親友にさえ見せられなかった己の闇。それを九条零は、土足で踏み荒らし、逃げることさえ禁じたのだ。

 

 夏油の瞳から、スッと険が抜けた。

 

 彼の感情の色が、混沌とした黒から、どこか吹っ切れたような、しかしより一層深い 崇拝に近い執着へと塗り替えられていくのを、九条は絶望的な気持ちで感じ取っていた。

 

 五条が、ニヤリと不敵に笑う。

 

「……ははっ。零、お前最高だよ。傑をここまで黙らせるなんて。気に入った、僕も混ぜろよ、その『許可』ってやつ」

 

(お前は混ぜなくていいんだよ!! 収集がつかなくなるだろ!!)

 

 こうして、九条零の夏油傑救済計画は、本人たちの勘違いを極限までブーストさせた状態で、最悪の、そして最高に不本意な形でスタートした。

 

 

 

 一方、京都。

 

 直哉は零が残した言葉を噛み締めていた。

 

「……東京、か。悟君に奪われたまま終わると思うなよ、零。君のその傲慢な心、僕が必ず、僕のものに書き換えてやるさかい……」

 

 勘違いの連鎖は、東京と京都を繋ぎ、呪術界の運命を大きく、狂った方向へと狂わせ始めていた。




君の好きなものを取られた時の顔が一番そそられるんだよな
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