――合流地点。
教師陣と学長は今回の被害報告のため、その場を離れていた。
残されたのは生徒たちだけ。
団体戦が終わったはずなのに、空気は重い。
誰もが同じことを考えていた。
伏黒恵はどこへ行ったのか。
その時だった。
一歩前へ出た人物がいる。
白狼だった。
「……すみません」
静かに頭を下げる。
その一言で全員の視線が集まった。
真希が腕を組む。
「まず聞かせろ」
「いつからだ」
白狼は顔を上げた。
「団体戦の途中からです」
「正確には、主が三輪様との戦闘を終えた直後から」
空気が変わった。
加茂が眉をひそめる。
「待て」
「つまり、それ以降の伏黒は
本人ではなかったのか?」
「はい」
虎杖が思わず叫んだ。
「はぁ!?」
「じゃあ今までいた伏黒は何だったんだよ!」
白狼は静かに答える。
「私です」
虎杖が固まる。
釘崎も目を丸くした。
「ちょっと待ちなさいよ」
「今まで全然気づかなかったんだけど」
真希がため息を吐く。
「認識阻害か」
「はい」
白狼は頷いた。
「ですが、これは元々私が持っていた能力ではありません」
加茂が反応する。
「持っていなかった?」
「どういう意味だ」
白狼は説明を続ける。
「主は縛りを使用しました」
「主自身と移動用式神である黒狼の呪力を完全に消失」
「その代償として、私と黒狼に
大幅な性能向上を付与しました」
虎杖が首を傾げる。
「呪力を消す?」
「そんなことできんのかよ」
真希も目を細める。
「聞いたことねぇぞ」
白狼は頷いた。
「ここ数日、主が訓練していた技術です」
「それによって教師陣の監視網から逃れました」
加茂が小さく息を吐く。
「なるほど」
「だから冥冥殿のカラスにも見つからなかったのか」
だが次の疑問が生まれる。
「認識阻害は?」
白狼は即答した。
「縛りです」
「私は戦闘能力の一部を放棄し、
高精度な影操作を常時維持しています」
「その代償として認識阻害を成立させています」
真希が理解する。
「影で認識をずらしてたってわけか」
「はい」
「本来の私には不可能です」
虎杖が頭を掻く。
「いや待て」
「さっきから普通に喋ってるけど」
「式神ってこんな喋れたっけ?」
その言葉に白狼は一瞬だけ沈黙した。
そして静かに答える。
「本来は喋れません」
「現在の知性も、縛りによる補正です」
今度は加茂が驚く。
「そこまで……」
真希も思わず笑った。
「恵のやつ」
「また無茶苦茶なことやってやがるな」
白狼は否定しなかった。
「主は計画成功まで、自身の意思で
呪力を戻せない制約も課しています」
「さらに行動の一部を私と黒狼へ委任しました」
虎杖の顔が険しくなる。
「そこまでして何やってんだよ……」
白狼は少しだけ目を伏せた。
「それは私の権限では答えられません」
「ですが」
「主は最初から全て計算していました」
加茂が腕を組む。
「つまり」
「ここまでの行動も計画の内か」
「はい」
白狼は頷いた。
「説明のため、少し時間を遡ります」
★
――団体戦直後。
三輪との戦闘を終えた伏黒は、人目のない場所へ移動していた。
周囲を確認する。
誰もいない。
カラスもいない。
そのことを確認してから影へ呪力を流した。
現れたのは二体の式神。
白狼。
そして黒狼。
長く共に戦ってきた相棒たちだった。
伏黒は静かに息を吐く。
「……始めるぞ」
白狼が伏せる。
黒狼も低く唸った。
言葉はない。
ただ命令を待っている。
まだ普通の式神だった。
伏黒は縛りを結ぶ。
「俺と黒狼の呪力を消失」
影が揺れる。
「その代償として」
「白狼と黒狼に一時的な能力向上を付与」
呪力が消えていく。
伏黒から。
黒狼から。
完全に。
そして――。
伏黒は何も言わず黒狼の影へ沈んだ。
そのまま姿を消す。
残されたのは白狼だけだった。
その瞬間。
白狼の世界が変わった。
理解できる。
考えられる。
言葉になる。
今まで霧の向こうだったものが、一気に輪郭を持った。
「……なるほど」
初めて。
自分の口から言葉が出た。
「これが主の見ている世界ですか」
白狼は自分の前足を見る。
思考する。
理解する。
判断する。
だが感心している時間はない。
役目がある。
白狼は影分身を作り出す。
伏黒恵。
身長。
体格。
歩き方。
癖。
全てを再現する。
「……問題ありません」
そして何事もなかったかのように戦場へ戻った。
誰も気づかない。
そこにいる伏黒が本物ではないことに。
「まずは監視の撹乱」
白狼は空を見る。
冥冥のカラス。
大量の監視網。
「認識阻害を開始」
縛りによって得た演算能力。
その全てを影操作へ回す。
影が空間へ薄く広がる。
呪力を見ている者ほど違和感を感じない。
認識しようとするほど見逃す。
特殊な認識阻害。
ただし。
代償は重い。
常時発動。
常時維持。
常時演算。
普通の術師なら数秒で脳が焼ける。
だが今の白狼なら可能だった。
「真希さん」
うさぎ犬の帽子を起動する。
通信が繋がる。
『ん?』
「敵を固定してください」
「集まる情報量が多すぎます」
「処理時間を稼ぎたい」
少し沈黙。
『恵か?』
「はい」
『……なんか妙に真面目だな』
白狼は一瞬考えた。
「いつも真面目です」
『違ぇんだよなぁ』
真希は少し首を傾げた。
だが今はそれどころではない。
『まぁいい』
『時間なら作る』
通信が切れる。
白狼は静かに頷いた。
「感謝します」
戦闘が始まる。
真希と加茂。
その裏。
白狼は影の中から戦況を見続ける。
必要な時だけ。
ほんの少し。
影を伸ばす。
武器の角度。
足場。
死角。
目立たない程度。
だが確実に。
戦況を操作する。
やがて戦闘が終わる。
白狼は静かに通信を送る。
「時間稼ぎ感謝します」
『終わったのか?』
「はい」
『なら後は好きにやる』
真希らしい返答だった。
白狼は小さく笑う。
「ええ」
通信を切る。
空を見る。
監視は真希へ集中している。
カラスもそちらへ寄っている。
認識阻害も完成した。
「これで主は発見されません」
白狼は静かに呟く。
そして。
遠くを見る。
既に本物の伏黒は。
高専の奥。
天元の元へ向かっていた。
「後は主次第」
白狼は伏黒として歩き出す。
誰にも疑われないように。
誰にも気付かれないように。
交流会は続いていく。
だがその裏では。
誰も知らない場所で。
伏黒恵だけが。
運命を変えるために動いていた。
★
――現在。
説明を聞き終えた空気は重かった。
誰もすぐには言葉を発さない。
沈黙を破ったのは虎杖だった。
「……じゃあさ」
一歩前へ出る。
白狼を真っ直ぐ見る。
「伏黒は今どこにいるんだ?」
白狼は静かに答える。
「それは言えません」
「は?」
真希が眉をひそめる。
「位置情報は縛りによって制限されています」
「私には開示権限がありません」
加茂が腕を組む。
「徹底しているな」
「はい」
虎杖が拳を握る。
「なんだよそれ……」
「全部一人で背負う気かよ」
その時だった。
白狼が空を見上げる。
「あぁ……」
小さく呟いた。
「黒狼が目的を達成しましたね」
真希が目を細める。
「どういう意味だ」
「主の呪力が戻りました」
「縛りの終了条件が満たされたということです」
加茂が目を見開く。
「もう終わったのか……!」
「はい」
白狼の身体から、わずかに気配が抜け始める。
「私と黒狼へ与えられていた補正も解除されます」
虎杖が慌てて前へ出る。
「待て!」
「最後に教えてくれ!」
「伏黒はどこに――」
だが。
間に合わない。
白狼の知性が薄れていく。
言語能力。
思考能力。
演算能力。
全てが元へ戻る。
「主は……」
そこで言葉が途切れる。
そして。
白狼は首を傾げた。
「ワン」
沈黙。
虎杖が呆然とする。
「……戻ったのか」
真希は深く息を吐いた。
「……あぁ」
「ここから先は恵本人の領分だ」
誰も口を挟めなかった。
あとは伏黒を信じるしかない。
★
――薨星宮へ続く参道。
影が揺れる。
黒狼が姿を現した。
その影の中から伏黒が出てくる。
同時に。
呪力が戻った。
膨大な情報が流れ込む。
白狼が見た景色。
聞いた会話。
計算した情報。
黒狼が記録した道筋。
全てが一気に脳へ叩き込まれる。
「っ……!」
伏黒は片膝をついた。
頭が痛い。
視界が揺れる。
情報量が多すぎる。
だが。
耐える。
数十秒。
呼吸を整える。
そして立ち上がった。
「……ありがとう」
黒狼へ向けて呟く。
黒狼は静かに伏せる。
高度な知性は失われている。
ただの式神へ戻っていた。
伏黒は小さく笑った。
黒狼が尻尾を揺らした気がした。
伏黒は前を見る。
「行かないと」
目的地は一つ。
天元。
そのためにここまで来た。
伏黒は歩き出す。
誰にも知られず。
誰にも止められず。
ただ一人で。
天元の待つ場所へ。
★〜
長い参道を抜ける。
血の匂いを辿る。
天内理子の残した痕跡。
それを頼りに進み続ける。
やがて。
白い空間へ辿り着いた。
何もない。
静寂だけが支配する場所。
「……ここが」
薨星宮本殿。
伏黒は周囲を見る。
だが何もない。
誰もいない。
「……帰るか」
そう呟き。
踵を返した瞬間。
背後から声が響いた。
「帰るのか?」
伏黒の動きが止まる。
ゆっくり振り返る。
そこにいたのは。
人のようで。
人ではない存在。
「……天元様」
空間が揺れる。
天元は静かに言った。
「初めまして」
「禪院の子」
伏黒は目を細める。
天元は続けた。
「面白い」
「私に会いに来る者はそう多くない」
「まして規則を破ってまで来る者などな」
伏黒は真っ直ぐ見返した。
恐怖はある。
だが退かない。
天元が問う。
「禪院の子よ」
「何を望む?」
伏黒は一歩前へ出る。
「天元様」
静かに息を吸う。
そして答えた。
「聞きたいことがあります」
白い世界の中心で。
人ならざる存在と。
未熟な術師が向き合う。
戦闘とは違う緊張が。
その場を支配していた。
お待たせしました 1日中寝てたので更新が遅くなった。申し訳ございません