・眠るアクアリウム
・花雷
以上のシナリオのネタバレを含んでいることがあります。
大丈夫な方だけ閲覧してください。
①
「センパイはまたデザインしないんですか?」
ふと家を出る直前、あいつが言った言葉が脳裏をよぎった。
「そのうちな。」
「考えとくよ。」
そんな薄っぺらい答えしか思いつかない。
俺が絵を描くと誰かが離れていく。 苦しんでいく。
真田も、そうだった。
今でも俺に「嫌い」だという真田の顔を思い出せる。 俺がデザインすることで誰かに嫌われるなら、あんな顔をさせる位なら...。
俺はデザインなんていらない。こんな才能なんて...いらない。
あの事を今でも引きずってるなんてアイツに知られたらきっと、「気にしなくていい」とか「僕は好きだから」とか少し焦ったようにでもまっすぐ伝えてくれるだろう。
諦笑にも似た乾いた笑いがふと零れる。 玄関の鍵を回す。 扉が開いた。
でも、これは俺の問題だから。 俺が真田を傷つけて、泣かせて、追い詰めて。 その事実は変わらない。
そっと首元のチョーカーに触れる。ヒヤリと冷たい金具の感触がする。 冷たい。それだけで十分だった。
ズルズルと扉を背に沈み込む。 せっかく朝起きられたのだから、散歩にがてらに買い出しにでも行こうと思っていたというのに。 稀にこういう日がある。 ...今日はそういう日だったらしい。
はぁとため息がこぼれる。 ふと家の中で綺麗に咲いている白いハナミズキと目が合った。 過去に道草が選んでくれたものだ。 確か意味は「返礼」や「感謝」だったか...。 感謝されるようなことも返されるようなこともしたような覚えはあいにくない。 それでも誰かに選んでもらうということは嬉しいことだと思う。
花に触れる。 ふわりと花の香りが頬を掠める。
俺が白い花が好きだってことを道草に伝えた覚えはない。 どこで知ったのか、それともあいつの野生の勘なのか。俺には分からない。
手を伸ばす。 持っていこうとして、やめた。
...ここにあった方がいい。 するりと花瓶に手をすべらす。 ひび割れてしまったそれを慈しむように撫でる。
そろそろ替え時だ。 かなり頑張ってくれていたが、限界だろう。水が漏れてしまっている。
暗い部屋にぴちゃりと水が垂れる音が響く。 ぴちゃり。その音だけがやけに残る。 うるさい。 静かなところはどこだろうか。
あぁ、いい所がある。 ...
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足を踏み出す。
土曜の昼下がり。
冬の外は空気も空も澄み渡っていて心地いい。
自然と踏み出す足も軽くなる。
アイツを誘うのもいいかもしれない。
そういえば、 個展を開きたいと頑張っていたか。
やめておこう。邪魔になっては悪い。
向けていた足の方向を変える。 ゆらゆらと足を動かし、たどり着いた先は水族館だ。
とはいっても有名どころのような大きな水族館ではない。
人のまばらな小さな場所だ。 人が少ない、でもそれがいい。
過去に道草と夜の水族館へ訪れた。
あの夜はとても、静かだった。あの夜のことが忘れられない時、ここへ足を運ぶ。
中へと足を踏み入れれば、ゆらめく青い光に包まれる。 トポトポと水の中でゆらりと泡がのぼる音がする。
「いらっしゃい。おひとりかい?」
軽く 頷き、1人分のチケットを購入する。ここの地図は頭に入っている。 受付脇にあるパンフレットはスルーした。 アイツならパンフレットを貰って、嬉々としてここいきたい、これ見たいとはしゃぐのだろう。
くくっと思わず笑みがこぼれる。想像でもうるさいのだと思うとつい笑ってしまう。 お目当てはただ、ひとつ。
クラゲだ。
正直、クラゲは苦手むしろ嫌いな相手だ。 それでも見てしまうのは、俺に似ていると思ってしまうからなんだろう。 漂うように日々を過ごしているところ。 のらりくらりと交わすように生きていること。
ふわふわと漂うクラゲをただ眺める。
思い立ったようにスイとガラスに指を伸ばせば、クラゲがピクリと反応したように思えた。
道草はクラゲが好きらしい。
俺は好きになれない。
道草に頼めばクラゲの良さを語ってくれるだろう。
....別に聞きたくもない。
こんなこと、アイツの前では口が裂けても言わないが...。
言ってしまえば、しゅんと凹んでしまうのがオチだろう。
「そうなんですね...。」
そう悲しげにこちらを見てくる。 声まで聞こえてきそうだ。
クラゲは何も言わずただ、漂っている。
それが少しだけ羨ましい。
「なぁ...過去の過ちと友達の願いどっちを取ればいいと思う?」
水槽の中で、クラゲはゆらりと傾いた。
答えはかえってこない。
わかっていても、聞かずにはいられなかった。
光を透かした半透明の体が、ゆっくりと波打つ。
回る水流に身を任せ、ただ漂っている。
いいなと、目を細める。
流れに逆らわず、傷つかず、ただ漂うだけならばどれだけ楽なのだろう。
ガラスに触れる。
真田の顔が浮かぶ。
あの日、あの子の家。
彼女は約束の時間に来なかった。ただ、心配だった。
だから、家まで様子を見に行った。
真田があんなことになっているとも知らずに。
その原因が俺にあるとも知らずに。
才能なんて時には人を傷つける刃物になる。
救うことよりも傷つけることの方が圧倒的に多い。
俺は、もう筆を握っては行けない。刃物になる。
ずっと、そう思ってきた。
思いこんできた。
水槽の中、クラゲが一斉に向きを変える。照明の色が僅かに変わったのだろう。
青が、淡い緑へと移ろう。
ふと、笑う。
脳裏にあいつの笑顔がよぎったのは、これがあいつの色だからか。
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替え時。
花瓶のヒビを撫でた感覚が蘇る。
壊れているのに手放せない。
限界なのに見て見ぬふりをする。
それは花瓶の話か。
それとも、俺の話か。
水滴の音は頭の奥で反響する。
ぴちゃり。
...うるさい。
...うるさい。
...うるさい。
ハッと我に返る。目にあいつの色が飛び込んできた。
あいつならなんて言うだろう。
「俺はセンパイの絵、好きですよ。」
とか笑顔で言いそうだな。
「人手が足りなくなったら、呼びますね!」
そうも言ってたか。
力仕事はごめんだと伝えたけど、あいつの目的はそうじゃない。
アイツは眩しい。
怖いくらいにまっすぐで。
臆病でもある。
そして、約束を大事にする。
だから、アイツだけは離れない。
「俺とずっと一緒にいて。」
そういったのは道草だ。
だから、俺がなにを描こうと笑って受け止める。
そういうやつだ。
俺は道草に笑っていて欲しい。
なら...。
クラゲがふわりと昇る。
漂っているようで、流されているようで。
動いている。
ゆっくりと。意志を持って。
...あぁ。
そういうことか。
俺はずっと、止まっていた。
過去を真田を言い訳にして。
道草を傷つけるのが怖くて。
友達を失いたくなくて。
逃げた。
ガラスから指を離す。
水面が揺れ、光がゆらぐ。
なかったことにしなくていい。
全部背負えばいい。
それでも見ないふりをすることは違う。
花瓶は替え時だ。
花瓶が壊れたまま、水が漏れるのを見ていれば、いつか花は枯れる。
デザインだっておなじだ。
描かなければ何も、はじまらない。
そっと首元のチョーカーに触れる。ひやりとした感覚がする。
むしろ今はそれが心地よかった。
スマホを取り出す。
見てみれば時間はおやつの時間を回る頃だった。
あいつの所へ行こうか。
...やめた。
どうせなら驚かせてやろう。
とびっきりのやつで。
水族館を出る。
外はまだ明るい。冬の空は相変わらず高く、澄んでいる。
深く息を吸う。
足は自然と画材屋の方を向いていた。
歩き出す。
手はポケットの中で震えていた。
寒さによるものではない。
それを加賀利は知っている。
手を握りしめる。
自然と口角が上がった。
「待ってろよ、道草。」