自動ドアが開いた瞬間、いつもの待合室なのに、輝いて見える。
――合格。
たった二文字なのに、世界は輝き、未来は明るい。
「じゃあ、次は路上で」
王子の声に、満面の笑みで頭を下げる。
みきわめで落ちて、悔しがりながら補習費用を払ってから、気合が入り直した。
手渡されたばかりの仮運転免許証がきらきら光る。学生証のような見た目だけれど、重みが違う。
これは、私が稼いで、トレーニングした証だ。
「あぁ、受付に結果報告しておいてください」
初めて聞く情報に、首を傾げてしまう。
今まで進捗を報告したことはなかった。それでも、進んできた。じゃあ、今までが間違っていたのか、それとも、今回が例外なのか。
「心配してたみたいだよ」
「なるほど。ありがとうございます」
もう一度頭を下げ、いつものようにエアコンが効きすぎた待合室を横切ろうとして、行く手を阻まれた。
うじゃ、うじゃと合宿生で待合室は溢れている。見知らぬ顔に、はしゃぐ声、人数だけでなく、雰囲気が違う。
時間帯が違うだけで、まるで別の場所みたい。
いつもの平日の夜間講習にいる殺気だった二種免許の人もいないし、全体的に若く、何よりうるさい。
報告しちゃって、抜け出そう。
待合室から受付へと、人ゴミを縫って歩き出すと、横からの衝撃が来た。視界が跳ね、気づいたときには床が近かった。
「ごめん!」
「お前やりすぎだろ」
合宿生らしき男の子が謝ってくれ、近くにいた女の子が駆け寄ってくれた。それで、ようやく唯は、誤った男の子がぶつかってきたせいで、吹っ飛ばされたのだと理解する。
「ケガない?」
ぶつかってきた男の子を叱りながら、立たせてくれる。手に握った仮免許証を同時に見た。吹っ飛ばされた衝撃で、くしゃくしゃになっていた。
あ……。私の仮免許証が――。
さっきまで“未来”だった紙が、ただの紙みたいに見えた。
あまりのショックに怒りさえ湧いてこない。
「ほんと、あんたははしゃぎすぎ!」
代わりに、助けてくれた女の子が声を荒げてくれる。
「周りを見なよ。あんたのせいで大事な仮免許証がこんなになったでしょ」
周りにいた人たちが、唯の仮免許証を覗き込んだ。
「わぁ、仮免許証だ。もうそんなとこまで進んだの?」
「優秀~」
「あの、本当にごめん」
ぶつかってきた男の子が、大きな身体を縮こまらせて謝ってくれた。唯は、思わず反射的に首を振ってしまう。
「もー、本当に。謝るだけじゃなくて、ラーメン奢るくらいはしなよね」
「お、いいの? 奢らせてくれる?」
「――、ラーメン?」
なぜここでラーメンが出てくるのか理解できずに、怒りや悲しみを表現させてもらえないまま、質問するしかない。
「あれ? ラーメン組じゃなかった? 私たち、今からご当地ラーメン食べに行くところなの」
「いわたにって星3.8の店なんだけど、一緒にどう?」
次々と押し寄せる情報に、唯は目を丸くした。
いわたには、地元でも有名なラーメン屋だ。
パパが好きで、何度か持ち帰りで食べたことがある。
「でも、ここから遠くない?」
いわたには、中島教習所と唯の家の中間地点くらいにある。駅もなければ、直通のバスもない。
「まぁね。でも、教習所の送迎バスで行けば無料だし」
「あぁ、なるほど。賢いなぁ」
私が中島教習所に通うのが大変なように、他の人にとっても不便だ。それを送迎バスで便利に変える発想がすごい。
まぁ、私の家の方面には乗り継げないんだけどね。
脳内地図の上で、各方面へ送迎バスが出発し、電車でもバスでも交通手段がないところで、大きく×印が出た。
「ほら、空き時間って結構あるでしょ。だから、あっちこっち行ってるの。合宿でプチ旅行って感じだよ」
「いいね」
田舎の中でも、まだ田舎の中島教習所で合宿に来て、何が楽しいのかと思っていた。
どこでも楽しめるってすごい。
「でしょ、ラーメン行かない? みんな知らない人同士だし」
「卵もおごるよ」
ふっとばした男の子も、誘ってくれた。が、唯は首を振った。
みんなにとっては、プチ旅行のご当地グルメかもしれないけど、私にとっては日常だ。
くしゃくしゃの仮免許証が手の中にあるのを確かめる。
仮免許、すごく嬉しかったけど、なんか嬉しくなくなっちゃった――。
「えー、行こうよ。今しか行けなくない?」
「ありがとう。でも、私、今からバイトだから」
いつもは入れない土曜バイトだけど、どうせ1時間かけて中島まで来るのなら、稼がない手はない。来るのにも交通費がかかっている。
「あ、地元の子なんだね」
「夏休み、稼ぎ時だよね」
「そういえば、他にも地元のやついたよな」
「あぁ、佐々木な」
佐々木?
名前を呼ばれると、受付の方から「おー」とのんびりした返事があった。
どこかで見たことがある。ゆるいパーマが、似合っている男の子が、手を振っている。
あぁ、効果測定にいた人だ。
地元の子なんだ――。
唯はじっと佐々木と呼ばれたゆるパーマを観察した。
印象が変わっているだけで、知り合いかもしれない。
「この子も地元なんだって」
「あ、そなの? どこ校?」
唯が高校の名を言うと、佐々木は「あったまい~」とはにかんだ。
「俺はね、中島高校」
「佐々木、超地元じゃん」
「だから、寮じゃないんだ」
「あれ、でも、合宿生枠で来てるよね」
「大学で申し込んだから、その方が安いし」
「そうなの? あなたも合宿枠?」
唯は急いで首を振った。合宿どころか大学生でもない。
浪人生とバレるのは嫌だ。
喉の奥が詰まる。
勉強しているはずの夏休みに、教習所に通っているのを突っ込まれるに違いない。
ママの溜息は、夏休み入ってますます深くなっている。
顔を合わせるのもツラく、この上、ラーメンなんか食べて帰ったら何と言われるか考えるのも苦痛だ。
唯は、手短に礼を言って、送迎バスを待つ集団から抜けた。
やっと目的だった受付にたどり着く。
「合格したんだって? おめでとう」
おばちゃんは、どこから聞いたのかすぐにカウンターに来てくれた。
奥の教官室で、王子がこちらを見て、小さく頷いた。
「今日の、夜間って入れられますか?」
唯の言葉に、おばちゃんの眼鏡チェーンが揺れる。
「私、早く免許取りたくて」
もう1時間も無駄にしている。本当は合宿生が来るまでに取るつもりだったのだ。
土日を休みにしたツケで、予定が狂っている。
「今日は無理だよ」
「でも、あの人たち、ラーメンに行くって」
合宿生のせいで予約が取りにくいなら、今なら取れるはずだ。
遊ぶ時間も頑張れば、今度こそ自由になれる。
「2段階は、1日3時間までって法令で決まってるから」
「そうなんですね……」
なら、バイトが終わった後は帰るしかないのかな。
「明日なら取れるけど――」
「入れてください!」
カウンターに身体を乗り上げるように、唯がモニターの予約画面を見る。
「俺は明日はパスしてください」
佐々木だった。いつの間にか隣にいて、飄々と会話に混ざる。
「あんたはもっと入りなさい」
「だって、俺、ラーメン食ったら、腹下すし」
長い腕で、Tシャツの上から腹部をさする。
「なら行きなさんな」
「大学のツレに行くって約束したから」
「はい、お持ち帰り2人前分ね」
お姉さんが財布からお金を出して、佐々木に渡した。
変なの。おばちゃんもお姉さんも、この人とは話すんだ。
他の合宿生とはあからさまに接触を避けているのに、お土産を頼むなんて親しすぎる気がした。
……、変なの。
嫌な予感がして、めいっぱい予約を入れた唯がカウンターから離れた。送迎バスが到着したのか、待合室に動きがあった。
私も、そろそろバイトに行かなくちゃ。
外に出る流れに合流すると、佐々木までついてきた。
「あのさ、合宿生がいる中、3時間入れて貰えてるってすごいことらしいよ」
「そうなんだ」
なぜ佐々木にそんなことを言われなければいけないのか理解に苦しみながら、唯は決意を新たにする。
おばちゃんは、宣言通り、私に最速で取らせてくれるんだ。
なら、やっぱり、私は私のするべきことをしなくちゃ。
ゆるパーマが、ふわふわ揺れる。
夏でも、佐々木とか合宿生は汗をかいたりしないんだろう。
唯が見ているのに気が付いて、佐々木が微笑んだ。
もし、誘われたら、キッパリ断るんだ。
それどころじゃありませんって。
唯は、送迎バスに乗り込まずに脇の道に逸れた。
「バイトがんばってね」
振り返ると、佐々木が長い手を小さく振っている。送迎バスは、佐々木を乗せると出発した。
唯を追い越して、中島教習所から出ていく。
佐々木は、隣にいた人と話はじめていた。
あの軽さ、たぶん都会の大学に行ってるんだろうな。
お得な合宿免許で、ご当地グルメを楽しむ。
免許が取れたら、私の世界も広がるのかな。
私の免許は、まだ“仮”だけど。
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