第11話 初路上はジェットコースター
「おー。上手になってるやん。一回落ちといて正解やったやろ」
眼鏡のはしゃいだ声に「なんでやねん。落ちたかないわ」と一瞬ツッコミが脳裏をよぎった。が、すぐ打ち消された。
見るとこ多いよ!
初めての路上で、眼鏡に「仮免取れました!」と意気揚々に話しかけたのが、嘘のように、今では後悔している。
怖い! 怖いよぉ!
風景は、漫画の加速シーンのように斜線入りで見える。
田んぼも田んぼも、電柱も飛ぶように消えていく。
ジェットコースターより怖い。
「速度標識変わったで。見えた?」
そんなの見えているわけがない。
ミラーも見て、標識も見て、車間も取って——やることが多すぎる。
見たくても、速度標識ははるか後方。歩いてるときみたいに、ちょっと戻るなんて車にはできない。
「いくつでした?」
「こっちが聞いとんねん」
眼鏡が笑いながら「60」と教えてくれる。
「ろくじゅう!? 無理無理」
今まで20~30だったのに、レベルが違いすぎる。
「後ろ車来たで。怒られるて」
バッグミラー……、見えるかな。
できれば見たくない。前を見るだけで情報過多なのに、見る余裕はない。
でも、見ないと――。
唾を飲み込む。
前方をはるかかなたまで見てから、チラっとバッグミラーを確かめた。
確かに、軽がいる。
視線を前に戻す、その一瞬で、前の車に近づきすぎて、心臓が跳ねる。
「はーい、ギア、トップに入れて」
トップ。トップってどこ?
シフトレバーを握ろうとして、手が空を切る。
慌てて崩れた姿勢を正す。
今度はシフトレバーを握れた。
ギアチェンジすると、車が静かになった。
「~ったな」
「え?」
何か話しかけられた気がして、聞き直す。
眼鏡がこっちを見ているのか、どこを見ているのかもわからない。
「田舎でよかったな」
いいとか悪いとか、そんなこと思ったことがない。
唯は残り少ないキャパシティーを使って、返事を考える。
都会がいいっていう話はよく聞く。実際、進学で都会に行った人はだいたい帰ってこない。
でも、眼鏡が田舎がいいと言った。
田舎しか知らない私には、どっちとかわかんないや。
「どうしてです?」
「こうやって道走ってても、何もないやん」
教習車は、田んぼの中に、ぽつぽつと民家がある地区を超えて、道路沿いに店がある地区に入っている。
「いっぱい店がありますけど」
「こんなんいっぱいに入らんやろ。歩行者も自転車もおらんし」
本当にいない自信がなくて、唯は返事ができない。
見えていないだけで、いるかもしれない。
それをいないと判断していいのか、どうか。
安全運転のコツは「かもしれない運転」と習ったばかりだ。
いないようで、いるかもしれない。
いないと言われて、信じるかどうかみきわめられているのかもしれない。
眼鏡は、のんきに話しかけながら、意味のわからない理由で落とす教官だ。
「都会で教習受けてみ。イライラした車がガンガン走る中、迷惑がられながら走るねんで。教習かてここより厳しくなってしまうやろ」
「あ、それは嫌かも」
泣くほど厳しいとは思わない。でも、 責されずとも、落ち込む。
前方の信号が赤くなり、唯は二段階ブレーキで止まった。
大きく息を吐く。
ハンドルを持つ手の力を抜いて、服で手の汗をぬぐった。
もう走りたくないかも――。
恨めし気に信号機を見てしまう。
青になるな。
唯の祈り虚しく、信号は青になった。息を殺して、交差点を確認する。
さぁ、出発だ。
アクセルを踏み、車が動き出した途端、乾いた咳をして、車が止まった。
「あれ?」
「エンストやで。エンジンかけなおして」
「エンスト!」
まさかのまさかで、慌ててシフトをニュートラルに入れ、行き過ぎて2速に入る。
「慌てなくてえぇで」
ニュートラルに入ったのを目で確認し、クラッチを踏んで、エンジンをかけなおす。
またエンストしたら、どうしよう!?
吐きそうになりながら、慎重にクラッチを繋いだ。
シフトチェンジしながら、交差点を通り抜ける。チラっとバッグミラーを見たら、後ろの軽に乗ったおばちゃんが、溜息をついていた気がした。
迷惑かけちゃった……。
パパやママの車に乗っているときに、教習車の後ろを走るときの言葉を思い出す。
「うわ。前、教習車だ。参ったなぁ」
「どうして?」
「まだ練習中だから、いつ止まるか、ぶつかるかわからないだろ。予測できないから、周りを走るのは気をつかうからだよ」
私、気を使われる側になってるんだ。
サイドミラーで、後ろの方まで見てみた。
軽のおばちゃんは、左折していったところで、もう後ろには誰もいない。
一車線しかない中で、前方ははるか向こう。後方はいない。
「なるほど。田舎でよかったです」
「やんなぁ。あ、ほら、そこ左折したら、教習所やで」
対向車線で、違う教習車が二台待っている。
細い道に入って、中島教習所に戻ると、ほっとした。
いつもの外コース。ここには、一般人はいない。溜息混じりにハズレだと言われたりはしない。
「ほら、みんな帰ってきてるで。みんなお疲れや」
眼鏡は「はい、お疲れさーん」と言いながら、教官室へ戻っていった。唯は、教習車の脇でそれを見送る。眼鏡がいなくなって、やっと身体の力が抜けた。
ど……、どうにか終わった。
今日は、この後、学科だけだ。
よろよろと歩き出したとき、同じように疲れきった合宿生の人たちと出くわした。
顔見知り同士で、労わりあっている。
その向こうに、ひときわ背の高い男が見えた。
ふわふわパーマが夏の日光でより明るく見える。
佐々木って言ったっけ――。
佐々木は、隣にいる角刈りが豪快に笑うと、軽く笑い返した。
あぁいう人は、迷ったりしないんだろうな。
唯は、視線を逸らし、大股で待合室へと向かった。