相原唯は免許が取りたい   作:藍色 紺

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第12話 左折、見えているもの、見えていないもの

 あ、また自転車――。

 

 自転車を見つけるたびに、深く息を吸う。1m以上の距離を開けて追いぬくのに、信号機で追い付かれ、抜かれる。

 

 なんで右から抜くわけ?

 

 巻き込み防止のためのキープレフトのはずなのに、自転車は自由きままだ。

 

 どうしよう。この先左折なのに。

 

 何度目かの路上で、ようやくスピードには慣れてきた。でも、左折が怖い。

 

 教習所と全く違う。

 路上には、ヒトがいる。

 私の都合で動いてるわけじゃなく、それぞれの目的で動いてるヒト。

 急にスピードを早めたり、止まったり、予測がつかない。

 

 学科で見た動画を思い出す。

 死角にいた自転車が、小学生が、バイクが、巻き込まれる。ぐしゃっ

 

 思わず顔をしかめた。

 

 イチかバチかの天秤にかけるようなことじゃない。

 左折して、人をひくくらいなら、曲がらない方がマシ。とさえ思える。

 

 今日ならいけるかも。言ってみようかな。

 唯は、助手席の王子を盗み見た。

 王子は、親切だし、余計なお喋りもない。

 もしかしたら、王子なら――。

 

「この先、左折しなくてもいいです?」

 

 なるべく軽い調子に聞こえるように心がける。

 

「どうやって目的地まで移動するつもりですか」

 

「右折するんです。右に」

 

「逆ですね」

 

「右折を三回すれば、左折と同じ向きにできますよね」

 

「なるほど」

 

 右折には歩行者、自転車は来ないはずだし、なんなら、右折専用信号もある。

 右折は親切なのだ。

 

 唯は王子の返事に耳を澄ませた。

 前方の信号に視線を置いたまま、わずかに間が空く。

 

「賛成できない点があります。右折には時間がかかるし、遠回りになりますよね。移動するときに、より時間がかかり、より遠回りになるルートを取ることはあまりありません。そして、これが一番の理由ですが――」

 

 信号が青になり、前方の車が動き出した。ブレーキを踏むつもりだった右足をアクセルへと移す。

 

「今は、路上練習の時間です。左折を避けることはできません」

 

 二つ先の交差点で、どうしても左に曲がらなければならないらしい。

 逃げ場はない。

 

「そっか」

 

 冗談っぽく笑う。

 

「いい案だと思ったのに」

 

 このまま決められたルートを行くしかない。覚悟を決めて、交差点でアクセルを踏む。回転数が上がる。反射的にギアをトップに入れた。

 

「今のは、危険ですよ」

 

「え……」

 

 張り詰めた空気に、作り笑顔が固まった。

 いつもの王子穏やかな声色とは違った、明らかな警告の声。

 

「交差点での加速、シフトチェンジは危険です」

 

 わからない。

 何が、いけなかったの。

 

 王子は、こんなときに冗談で濁したりはしてくれない。

 

 もうすぐ左折がくる。

 自転車、いた?

 人は?

 

 見てないことに気が付いて、視界が狭まる。

 

 もうダメだ。

 助けて。

 

「すみません。停車したいです」

 

 絞りだすような声しか出なかった。

 

「――。いいですよ。そこに停まりましょう」

 

 左折するはずの信号が、遠くで赤に変わる。まるで私の進路が止まるみたいに。

 

「交差点での加速、シフトチェンジは危険の理由を教えてください」

 

 王子は、チラっとこちらを一瞥しただけで、前を見たままだ。

 

「教えてもらったかもしれませんが、本当に全くわからないんです。理解できなければ、正しく行動はできません」

 

「交差点は最も危険なポイントです。そこで加速すると周りの運転手は相原さんの運転の予測ができません」

 

「あっ」

 

 私が行動を予測してるみたいに、周りの人も私を予測してるってこと?

 そんなの考えたことなかった。

 自分だけが注意してると思ってた。

 

 血の気が引くのが、わかる。

 

 自分の幼稚さを指摘されたこと、親切な王子にこんな言い方をされていること。どっちもがいたたまれない。

 指をさされて、寒い廊下に立たされたみたい。

 

「もう一つ、シフトチェンジすれば、それだけエンストの可能性があります」

 

 前の車が突然エンストしたら――。考えるだけでうんざりする。

 ぶつけずに済む自信がない。

 

「……。はい、理解しました。もうしません」

 

「では、発進してください」

 

 アクセルに足を乗せる。

 さっきまでと同じはずなのに、ペダルが少し遠い。踏み込むのが、怖い。

 

 なのに、怒られた「交差点」がやってくる。

 「左折」だ。

 

 嫌だ。早く終わりたい。

 

 目をつむってしまいたいのを、ぐっと堪える。

 左のサイドミラー、振り返って左後方を確認。

 フリだけだ。本当は見えてなんかない。

 

 でも、見えないからできませんとは言えない。

 これ以上、怒られたくない。

 

 

 Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ

 

 

 冷や汗でだくだくになりながら、待合室に入った。

 ゾンビになったみたいに、重い身体を引きずって、受付へと向かう。

 

 その前に、待合室の合宿生の群れを無事に抜けられたら、だけどね。

 

 今日も今日とて、待合室には合宿生が大挙してにぎやかだ。

 いくつかの群れに分かれている隙間がどこかを見極めながら、通る。見知らぬ同士だというのに、よく話が尽きないものだ。

 

「ってか、ブレーキ踏まれるの怖いよね」

 

 思わず唯は、立ち止まってしまった。発言した巻いたポニーテールを揺らす女の子を見てしまう。

 

「どした? 顔色悪いよ」

 

 ふと顔が合った一人が声をかけてくれたのをきっかけに、群れのみんなが唯を見る。

 

「え、貧血?」

「座りなよ」

 

 いやいやと手を振りながら、今度は耳まで赤くなる。

 

「怒られちゃって」

 

 やっと出た声が、かすれていて後悔した。

 こんな声じゃ、余計に心配かけてしまう。

 

「かわいそうに」

「うちらも、さっき怒られたとこ」

 

 怒られたと言う割には、ケラケラと笑い、周りも笑った。

 いつの間にか、唯も、輪の中に招いてもらっている。

 

「はい、ブレーキ。あれ嫌だよね」

 

「地味に心臓止まる」

 

「こっちはマジ立ち直ってないのに、あっちは普通に世間話とか始めるしさ」

 

「特に眼鏡」

 

 唯もみんなと同じタイミングで笑い声が出せた。さっきまでゾンビのようだった身体が、ほぐれてくる。

 

「てか、予約取りにくくない?」

 

「わかる。キャンセル待ち入れても、どうせ向こうも合宿生でしょ。キャンセルしないって」

 

 だよね。と多くの人が頷き合った。

 そう――、なんだ。

 唯は自分で予約を入れたことが、ない。

 むしろ、土日も来いと言われて、来るようになったばかりだ。

 

「合宿ってどこもそうらしいよね」

 

 みんなと違う温度感に救われた気がして、発言者を見た。ゆるパーマが輪にいたことに、唯は初めて気が付いた。

 なんていったっけ。

 頭の中で、手を振る姿がプレイバックされる。

 確か、佐々木――だ。

 

「でもさ、お局様が怖いよ」

 

 受付のおばちゃんのことかな?

 

「そーそー。空席待ち入れなきゃ、日数で帰れないとかさ、言わなくてもわかってるって」

 

「プレッシャーかけてくんのやめて欲しいよね」

 

 口々に、教習所の悪口が始まった。

 

「ちょっとした一言で、全否定されてる感じがする。当たり前のことを言われているのがまた追い打ちなんだよ」

 

 唯の言葉に、「わかるー!」と、声が重なった。それがおかしくて、笑い声が重なる。

 釣られて唯も笑った。

 

「相原さーん」

 

 唯は受付のおばちゃんの声に、びくっと肩が跳ねた。

 

「驚きすぎでしょ」

 

「気持ちはわかる」

 

 小さく手を振って、合宿生の輪から抜け出すと、佐々木が一緒についてきた。

 背の高い佐々木を振り仰ぐ。

 

「俺も呼ばれた」

 

「そう?」

 

 少しぶっきらぼうに聞こえたし、おばちゃんは唯のことしか呼ばなかった気がするけれど、まぁ、どちらでもいい。

 輪から抜け出すと、エアコンがちゃんと効いていて寒いくらいだった。

 

「さっきさ」

 

 話しかけておいて、間があった。

 

「全否定されてる感じってやつ」

 

「うん……」

 

「あれ、俺はそうは思わないけど」

 

 緩んでいた肩が、また硬くなった。

 

 どういうこと?

 わざわざ付いてきてまで言う?

 別に友達でもないのに。

 

 あなたはそうかもねって言葉を飲み込んで、代わりにチラっと顔を見た。

 

 ゆるパーマ、ムカつく。

 

 足を速める。

 

 そもそもあの髪型が嫌。余裕がにじみ出てる。自己肯定感もさぞ高いのだろう。

 

 唯は、まだ染められない髪をつまんだ。

 本当は、巻いたり、化粧したり、ネイルもしたい。

 バイトに免許に、勉強。それもこれも、合格さえすれば解放される。

 

 受付カウンターに到着して「相原です」と大きめの声を出した。

 読んだ本人の姿はない。

 

「全部アドバイスだろ。否定じゃないよ。だって、ここ教習所だし、そういうとこでしょ」

 

 返事はしない。身を乗り出して、受付のおばちゃんを探す。

 奥の教官室で、何やら話している。

 

 あぁ、もう! 早く来てくれないと、佐々木がうるさいったらないよ。

 

「バツついても、別に否定されたとは思わないし」

 

 気が付いたら、真正面に向き合っていた。

 

「でも、不合格にしてくるじゃない。バツって書かれるもん」

 

「バツを間違えって思ってるからだろ。そうじゃなくて、交通の流れとかさ――」

 

「間違えないようにするのの、何が悪いの?」

 

 思わず大きな声が出た。ゆるパーマの涼し気な目が大きくなっているのを見て、唯は、もっと傷つけたいと思った。

 

「佐々木さんは、流れとか読むのが得意そうだよね」

 

 嫌な言い方をしている自覚はある。でも、この人に嫌われて、私に損なんてあるかな。

 

「相原さんだって、周りに流されて、あることないこと言ってただろ」

 

 私を、合宿大学生と一緒にしないで!

 私は「そろそろ免許取らないと」で教習所に来てるんじゃない。免許がないと暮らせてけないから、取ってるんだよ。

 さっきのだって、たまたま慰めてくれた輪に入ってただけじゃない。なのに、どうして私にだけ、偉そうに言うわけ?

 

 完全に頭にきた。

 呼吸が浅くなる。早くこの場から立ち去りたい。

 

「私は、流されてるんじゃなくて、正解を選んでるの!」

 

 目の周りが熱い。

 言い切って、受付の方に向いた。

 いつの間にか来ていた受付のおばちゃんは、困ったような顔で私と佐々木を交互に見ている。

 きっと周りの人たちも、私たちを見ているだろうと思うと、余計に顔が赤くなる。

 

「相原唯、次の予約を入れてください」

 

 〇の答えを解答できれば、合格する。ただ、それだけのはずなのに。

 私は、前に進めない。

 

 ――バツついても、別に否定されたとは思わないし。

 

 さっきの佐々木の声がリフレインする。

 

 こんなに頑張ってるのに――。

 正解を選んでるのに。

 

 ……それでも、間違ってるの?

 

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