相原唯は免許が取りたい   作:藍色 紺

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第14話 エンジンがかかるとき

 小走りでコースを横切り、自動ドアから中を覗いた。

 頭一つとびぬけたゆるパーマは見えない。

 

 いない。今だ。

 

 さりげなさを装って、自動ドアから侵入し、配車チケットを取った。

 今日は学科と実技がセットになったやつだと聞いてある。

 

 キョロキョロしながら待合室を通り抜ける。

 優しい誰かに捕まれば、出くわす確率があがってしまう。

 

 階段を上がりながら、唯は一息ついた。

 

 佐々木は、きっと私が浪人生だって知っている。

 でなければ、私が正解に固執することを突いてきたりしないはずだ。

 

 何もなければ、佐々木だって嫌なことを言ったりしなかったかもしれない。

 受付のおばさんのこと、悪く言っちゃったように聞こえたんだろうな。

 でも、――。

 そもそも、受付のおばさんが個人情報を漏洩しなければ、よかったのだ。

 

「世話になってるのに」

 

 ゲンさんの言葉に顔をしかめる。

 

 そりゃあね、受付のおばさんには悪いと思ってる。

 でも、佐々木に謝れるかと言えば、謝りたくない。

 譲って、お互い様ってところ。

 

 3番教室に入って、唯は立ち止まった。

 

「お、相原さんだ。やほー」

 

 長い腕を上げて、手を振って来る。

 

 なんで、ここにいるかなぁ。

 本当、運が悪い。

 

 唯は心の中で、舌打ちしたのに、佐々木は自分の隣の席を引いた。

 立ち止まったままの唯に微笑みかける。おまけに椅子をぽんぽんと叩いた。

 

 もう、逃げられない。

 

 唯は口元を引き締めた。

 

 さっさと終わらせよう。

 

 近寄って、リュックを下ろしながら、隣に座る。

 

「この間さ」

 

「言い過ぎたの、ごめんね」

 

 佐々木は小首を傾げて、唯を覗き込む。

 

 先に謝るなんて、ずるい。

 

「別に」

 

 そっぽを向いて、教則本を開いた。

 どこを習うかもわからないまま、読むフリをする。

 関わらないでという心の言葉が聞こえたのか、佐々木は隣に座らせた唯をしばし見てから、同じように教則本を開いた。

 

 ほどなく、暑い暑いとこぼしながら、眼鏡が入ってきた。

 

「お、今日はこの二人かー。佐々木、体調悪いんか?」

 

「元気でぇす」

 

「そうか? いつも元気なのが静かだから、心配したわ」

 

 唯は腕を組んだ。

 眼鏡が唯を見るから、誤魔化すように腕をさする。

 

「今日はバッテリー講習だから、この後外に出る。今だけ寒いの、がまんしといて」

 

 唯は曖昧に頷き、学科が始まった。

 眼鏡は、部屋を暗くしてスライドを使って説明している。

 

 このままじゃ、私が悪者だ。

 何も言えなかった心が重くなる。

 悔しいけれど、佐々木は、心が広い。少なくとも、私よりは。

 

 スライドに照らされている佐々木の横顔を見て、唯は膝の上の手を握った。

 眼鏡の話は、ちっとも頭に入ってこない。

 

 

 

 

 炎天下の中、背中をじりじりと焼かれながら三人でボンネットを開けた。

 眼鏡がやってみせ、振り向いた。

 

「で、どっちからやる?」

 

 え?

 唯にとっては、今の実演が最初の講習みたいなもので、思わず佐々木を見上げる。

 

「じゃ、佐々木さんから」

 

 ちょっと待って、これ、一人ずつやるやつ?

 

 眼鏡の実演で理解できたのは、繋ぐ順番が重要だということだ。間違えたら何かが爆発するとか言っていた気がする。

 喉が上下するのに、唾は飲み込めなかった。

 

 覚えなきゃ!

 

 チャンスは佐々木のする一回。

 なのに、佐々木はするりと赤と黒のケーブルを車に繋いだ。

 速すぎて、何をどうしたのか、さっぱりわからない。

 

「じゃ、次は相原さんね」

 

 人懐っこくニっと頬を上げて、両手で赤と黒のケーブルを渡してくる。

 渡されたケーブルがズシリと重い。

 

「あ、えっと――」

 

 やけに喉が渇いて、声がかすれた。

 

 赤いケーブルを握り、片方の教習者のバッテリーを見る。

 赤い塗装をされたネジみたいなのを見つけて、安堵した。

 

 なんだ、ちゃんと色分けされてるじゃない。

 

 赤に赤いケーブルを接続し、今度は逆方向の赤に赤を繋ぐ。

 

 今度は、黒だ。だって、これしか残ってないもん。

 でも、そんな単純かな。

 簡単なら、わざわざ実技までしないはず、なのに、やるってことは、どこかにポイントがあるはず。

 

 黒いケーブルを洗濯ばさみのように開いて、念のために眼鏡を見た。

 

「教えた通りにやれば、危なくないから」

 

 そうは言うけど、眼鏡が光って表情は見えないし、軽口も言わない。

 

 バッテリーってことは、要は電池でしょ。

 輪になるように繋ぐんだっけ。

 

 小学校で習ったはずの回路を思い出す。

 

 赤いケーブルを右から左に繋いだなら、次は左から右で、ぐるっと一周になる。

 

 黒いケーブルを左の車の黒いネジに繋げた。

 

 残りは――。

 

 最後の黒いケーブルを握る。

 

「電池と電池を繋いではいけません」

 

 担任の声が脳裏に聞こえ、唯は動きを止めた。

 

「ショート回路――」

 

 ふざけてやった男子が「熱ぃっ!」と涙目になったのを思い出す。

 続いて、学科で見た爆発の画像がフラッシュバックする。

 

 今度は、黒につないじゃダメ、なんだ。

 じゃあ、どこに?

 

 エンジンルームを見ても、どこにもそれらしい印はない。

 

 でも、繋がなきゃ!

 

 唯の持つ黒い端子が震え、車体に細かくぶつかって音を立てる。

 

「先生、これ失敗したら、どーなるんだっけ」

 

「うーん? コンピューターが壊れるかもなぁ。だいたい最近の車っていうのは、便利だけどさぁ」

 

「爆発しないってよ」

 

 佐々木が隣に立った。唯が見ているエンジンルームを一緒に見る。

 

「でも、さっき講習で――」

 

「そのための消火器、大丈夫。失敗しても俺がいる」

 

「俺もいるぞー」

 

 ほら、と佐々木がにっと笑いながら、一点を見つめる。

 唯は、その視線の先を辿った。

 何の変哲もない金属だにしか見えない。

 

 黒い端子を握ったまま、眼鏡を見る。

 両手を組んで、唯の繋ぐ先がどこか見ている。

 

「先生がいるなら――」

 

 なんで話をちゃんと聞いておかなかったんだろ。

 もう何度目かわからなくなるほど、自分を責める。

 

 黒い端子を握ったまま、エンジンルームの中をあっちこっち探す。

 わからない。

 

 首を振ったとき、何かが金属板に落ちる音がした。

 水滴が落下した痕を見て、落ちて来た上部を見る。

 

 佐々木だった。

 額から汗が伝い、鼻の先に雫となっている。

 

 佐々木は、「暑ぃね」とだけ言って、視線を外さない。

 

 ここ?

 

 もう一度、ただの金属を見た。

 

 恐る恐る、黒い端子を金属に近づける。息を止めた。

 

 信じてみよう。

 

 ゆっくり、黒い端子を金属に繋げた。

 

 何も起こらない。

 

「あれ? エンジンかからないんだけど?」

 

「アホか。何聞いとったんじゃ」

 

 急に眼鏡が喋りだし、右の車に乗り込んだ。エンジンがかかる。

 

「相原、バッテリーが上がった方のエンジンかけてみて」

 

 唯は、サウナのような車に乗り込んだ。すぐに鍵を捻る。

 

 キュルキュルキュル~、ドゥルゥゥ

 

「ついた!」

 

 車から飛び出すと、佐々木が両手を上げて近づいてきた。

 

「やったね!」

 

 唯の手の高さに調整するその手に、唯も手を上げてタッチする。

 

 礼を言おうとして、また言葉に詰まった。

 急に手を離して、後ろに隠した。

 佐々木も気づいたはずだが、何も言わなかった。

 

 またやっちゃった。

 

「相原は復習しとくように。今日の実技を終わります」

 

 佐々木が先を歩き、後ろを振り返った。唯は駆け寄る。

 

 

 

 

「いや~、めっちゃ暑かったね」

 

 佐々木は迷うことなく、待合室にある自販機へと進んだ。

 エアコンの冷気だけで、身体の内側に溜まった熱気がどうにかなるとは思えない。

 唯も、佐々木と並んで自販機のラインナップを見る。

 

 何がいいかな。

 炭酸――、でもなぁ。

 ジュースは身体に悪い。

 

 緑茶の他、ブレンド茶や水のラインナップを見ても、心が動かない。

 唯の隣で、佐々木がコーラを押した。

 

 佐々木が、腰をかがめて、音を立てて落ちて来たペットボトルを覗き込む。

 

 今だ。

 

「さっきありがと」

 

 佐々木が、こっちを見上げながら姿勢を戻す。

 目が、細くなったのを見て、唯は慌てて自販機に視線を戻した。

 

「何でも言ってよ」

 

「あは、頼りになるー」

 

「棒読みだぞ」

 

 佐々木は、今度は声に出して笑った。音を立ててペットボトルの蓋を開ける。

 唯は、自販機を眺めたままだ。

 

「めっちゃ悩むね」

 

「――、うん」

 

「思ったの選びなよ」

 

 その思ったが、長い。そういう性格といえばそうだし、迷った末に失敗したと思うことも少なくない。

 

 佐々木は、コーラを一口飲んで、ふぅと、溜息をついた。

 

「……学部、とかも、さ」

 

 唯が、佐々木を見つめた。佐々木は、開いたままだった口を閉じた。

 視線が一瞬、唯から自販機に逃げる。

 

 やっぱり、知ってるんだ。

 でも、どうして言ってくるの?

 

「いや、やっぱ今のなし」

 

「何それ」

 

 そこまで言っておいて、今さら?

 そもそも、そんなことまで言われる筋合いはない。

 

「自分で選ぶのが、正解だから」

 

「今さら、正解とか言う?」

 

 佐々木は、ペットボトルの蓋をじっと見つめた。

 その顔は硬く、見たことのない真剣な表情をしている。

 

「……俺は外したけど」

 

 え?

 

 佐々木を見上げると、フと息を吐いて、こちらを見た。

 いつもの佐々木だ。

 人懐っこい笑顔、ゆるパーマがエアコンに揺れる。

 

「やっぱ、オレンジにすればよかった」

 

 言って、コーラのペットボトルを振る。遅れて黒い液体が波打った。

 

「そっち?」

 

 思わず笑う。

 

 よし。決めた。

 

 また自販機に向かう。

 ボタンを押せずに、指が止まる。

 

「えー、俺が後悔してる横で、オレンジ飲むの?」

 

「そーだよ」

 

 一拍おいて、押した。

 音を立ててペットボトルが落ちてくる。

 

「自分で選んだの」

 

 笑って、ペットボトルを持ち上げる。

 佐々木も何も言わずに、軽くぶつけてきた。

 ペットボトルの中で、炭酸の泡が上がるのを見たら、自然と顔がほころんだ。

 

 

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